29 王族の証明2
小さなテーブルの上に小ぶりなグラスが3つ置かれ、グラスの中へ水が注がれる。
国王は古い箱の中から茶色のガラスビンを取り出して蓋を開ける。
そしてビンの中から数滴ずつグラスへ秘薬を注いでいき、再びビンに蓋をすると箱に戻した。
フィリアの場所からはよく見えたが、秘薬はドス黒い色をしていて、グラスの中へ落とされると水と混ざり、中の水を少し濁らせた。
三人の王子達がドアを背にし、貴族達に相向かうようにグラスの前に並び立つ。
クリフォードとフレデリックは相変わらず無表情のまま貴族達を見ている。ランドルフは得体の知れない秘薬が気になるのか、グラスをじっと見つめていた。
そして、それぞれがグラスを手に取る。
フレデリックはちゃっかりしていて、クリフォードの前に置かれた二番目に用意されたグラスを手に取っていた。
飲む前に皆に見せるように三人でグラスを掲げる。
最初にクリフォードがグラスを口にして一気に飲み干す。続けてフレデリック、ランドルフと順にグラスの中身を飲み干した。
(大丈夫だと分かっていても心配だわ)
王子達の体に何の変化も無ければ良しだが、誰かがもしくは三人の体調に変化があったらどうなるのか誰にも分からなかった。
突然バタンと派手な音を立てて背後のドアが開いた。
「ランドルフっ!ランドルフっ!」
叫びながら入ってきたのは王妃だった。王妃はランドルフへ駆け寄ると、ランドルフの両肩に触れる。
「ランドルフっ、あの秘薬はっ?飲んでしまったの!?」
普段の優雅な仕草しか知らない貴族達は取り乱した王妃に皆驚いている。
「クリフォード!!あなたの仕業ねっ!」
美しい顔を歪ませて、魔物のように怖い表情をした王妃に睨まれても、クリフォードは全く動じなかった。
「母上、何を慌てていらっしゃるのです。私ならだぃじょ……うっ!」
いつの間にかランドルフの首元から顔までポツポツと赤い発疹のようなものが広がり、ランドルフが膝をついて苦しみ出した。
「ランドルフ!ランドルフっ!あぁ、何てことをっ……」
錯乱気味の王妃と苦しむランドルフに貴族たちの騒めきは止まらない。
フレデリックとクリフォードはランドルフを静かに見ていた。彼らには何も起きていない。最初に『王族の証明』の使用を求めたランドルフが、自らの血筋の違いを知らしめてしまったのは皮肉な事だった。
「誰かランドルフに水をっ!」
国王がそう言うと、側近の一人がランドルフに水を飲ませて落ち着かせようとする。
開かれたドアの奥を見たクリフォードが何かに気付いてドアの奥へ消える。ドアの奥にイーサンがいて、クリフォードと話しているのがフィリアの場所から見えた。
イーサンと話し終えたクリフォードはすぐに戻って来た。そして目の前で起こっているランドルフと王妃との修羅場を無視して、フレデリックに近づき、何かを耳打ちしている。
自身が王族の血筋であると証明されたフレデリックはその場を仕切り出す。
「このような場を皆に見せてしまった事を詫びさせてくれ。ランドルフの件については追って皆に説明をする。まずランドルフを侍医のところへ連れて行け。……王妃殿下にはお聞きしたい事がありますのでそのままで」
後から来た騎士にランドルフが連れられて行く。王妃も一緒に行きたがったが、別の騎士に阻まれて、この場に留められた。
フレデリックはさらに一歩前へ出て、ホールから様子を伺っている貴族達に向かって語る。
「秘薬により私とクリフォードは国王陛下と前王妃殿下の子供であり、正統な王族であると証明がされた!ここに私達の血統を疑う者はいるか?いたらこの場で前に出てきてくれ!」
会場内は静まり返っている。前に進み出ようとする者は誰もいない。
フレデリックは会場を見渡す。
「……誰もいないな。ならばこの件はここにいる皆を証人とし、仕舞いとする。これ以降我ら兄弟の血統を疑う者がいたらこれより不敬とみなす!」
会場内からぱらぱらと拍手が上がる。その音は徐々に大きくなり、やがて割れんばかりの拍手となった。
フレデリックは手を上げて拍手を鎮め、話し始める。
「実は今回の噂の原因のひとつに、私は心当たりがある」
会場内が騒めく。
「見ての通り私は今、杖を必要としているのだか、実は私を排そうとする者達に毒を盛られ、生命の危機にあった時期があった」
フレデリックの発言に、貴族達の間に動揺が走り、更に騒めきは大きくなる。
「日々快方に向かい、今はこうやって皆の前に姿を見せられるくらいまで回復したので安心して欲しい。しかし、私は私に毒を盛った者を許すつもりは無い!」
王族を害そうとした罪は重い。王太子暗殺未遂となれば犯人だけではなく連座の可能性もある。
「先日、クリフォードがある貴族に拐かされる事件が起きた。その事件の調査をした折に、その貴族家から私に使われた毒と同じものが、当主の部屋から見つかった」
フィリアのそばで蹲っていた王妃が震え出す。
「その毒は特殊なもので、この国より離れたある国でしか作られていないものだった。そして同じ毒が先ほどこの王宮で発見された」
開いたままのドアの影からタイミング良くイーサンが現れた。イーサンは後ろ手に縛られた侍女と思われる女性を連れている。
「王妃殿下、この者がはあなたの侍女であると私は記憶しているが、ご存知か?」
「知らない、私は知らないわっ!」
イーサンが手にしていた緑色のビンを掲げると、フレデリックがそれを手に取る。
「ではあの者が持っていたこのビンの中身が何か分かりますか?」
フレデリックはビンの蓋を開けて、王妃の鼻先まで寄せると、王妃は慌てて顔を背けた。
「ヒイっっ!止めて!」
「そこの女に問う、このビンの中身は何だ?」
女は震えながら答える。
「……毒、だと聞いています」
「では、このビンの中身をどこから持ち出し、どうしようとしていた?」
「……そのビンは…」
「ダメよ!ダメっ!…フグゥっ」
フレデリックが王妃を抑えていた騎士へ目配せをしたので、騎士が暴れる王妃の口にハンカチのようなものを入れた。
「王妃様の…ご指示で、……王妃、様の寝室から持ち出し、ました。どのように、その……しようとしたのかは………」
王妃が体をバタつかせ暴れようとする音だけがしている。皆が固唾を飲んで侍女の言葉を待っていた。
「………」
「……其方はインテ子爵家の令嬢だったな。インテ子爵!来ていれば前へ出ろっ!」
フレデリックの言葉はどこまでも厳しく、容赦が無かった。
しばらくして、貴族たちの中から壮年の男性がおずおずと前へ出てきた。距離があっても分かるくらい足が震えている。
「お、父、さま……」
父親の姿を見て侍女は涙を流し始める。
「ローラ、何をしようとしていたのか話すんだ」
インテ子爵の声も震えていた。自分の娘がしようとした事に恐れ慄いている。
「わたっ、私はお、王妃様にっ……めっ命令をっ……も、申し訳ございませんっ!」
よほど言いたくないのか、ローラと呼ばれた侍女は何をしようとしていたのかまでは頑なに話そうとしない。
ここでクリフォードが動いた。顔には微笑みを浮かべているが、フィリアに微笑む時とは違い、目が笑っていない。
「私はキミが何をしようとしていたのか知っているのだけど、キミの口からも教えてくれないかな?」
「クリフォード様、その笑顔、余計に怖いですよ……」
泣きながら震える侍女を取り押さえていたイーサンが、小さな声でぼそりと呟く。
侍女が大きく震えだした。
「もっ、もうじわけ、ございまぜんっ!」
侍女が泣きながらクリフォードに頭を下げる。クリフォードは微笑んだまま話す。
「その毒薬をさっき、私のグラスに入れたんだよね?」
侍女が力無く首を縦に振った。
クリフォードは皆に聞こえるように話す。
「実は先日、王太子殿下に毒が盛られた時に、私もその場にいた。私と王太子殿下は赤ワインを飲もうとし、私が飲む前に王太子殿下がお倒れになった。調べた結果、ワインのボトルの中に毒が混入されており、私が今夜の乾杯で飲む筈だったワインにも同じ毒が入っていた」
静かに成行を見守っていた貴族達の間で動揺が走り、この日何度目かの騒めきが起こる。
王妃が第二王子を、自分達の目の前で殺めようしていたのだ。冷静でなんていられない。
害されようとしていたクリフォードがこの場の中では一番冷静だった。クリフォードは静かに王妃を見下ろす。
「今日の乾杯の時、私は白ワインかシャンパンを所望していました。なのに渡されたのは赤ワイン。仕事が早いですね。控室でランドルフの出生の事を匂わせただけで殺そうとするなんて早計ですよ。公爵は手強かったが、あなたは違いましたね」
そう言ってクリフォードは穏やかに笑った。
『王族の証明』を飲み、ランドルフが倒れてからはずっと茫然としていた国王は、王妃がクリフォードを毒殺しようとした事を知って青い顔色をしていた。
「誰か陛下を控室へ。王妃は貴族牢へ連れて行け!」
そうフレデリックが指示をすると、騎士たちと国王の側近が動いた。
フレデリックは改めて会場の貴族たちに向き直る。
「このような事態となり、夜会は中止とする。皆には大変申し訳無いと思っている。今回の事で王家に対して不信感を抱く者もいるかもしれない。今後どのようにしていくのかは、皆で話し合っていきたいと思う」
ふとフレデリックが、クリフォードとフィリアをチラリと見て、不敵な笑みを浮かべた。
「そして私が毒で苦しんでいる間は、ここにいるクリフォードが執務を始め、様々な面で王太子としての私の務めを支えてくれた。今後もクリフォードには弟として私と王家を支えていって欲しいと思っている!」
クリフォードに向かって大きな拍手が上がった。
(王太子殿下に先を越されたわ……)
フレデリックの最後のスピーチはクリフォードにとっては想定外だったらしく、苦虫を噛み潰したような顔を一瞬浮かべた後に、フレデリックに恭しく礼をした。
「これまで表に出る事が少なかったこの身ですが、今後は王太子殿下を婚約者と共に臣下としてお支えしていきたい所存でございます」
臣下に下ると言えた事だけが、クリフォードにとっての精一杯の抵抗だった。




