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2 王太子殿下

 追い出されるように応接室を出たフィリアはぼんやりと王宮内の廊下を歩いていた。


 歩きながらフィリアはこれからの事を考える。


 商売に忙しく、あまり家に寄り付かない父親には手紙で報告をするとして、婚約破棄に関係する書類は父親が帰国してからでないと進められない。


 これからは私的にランドルフと会わなくて良くなったのは嬉しい。けれどもフィリアは心の中に大きな穴を開けられたような気分だった。


(何だか、虚しいわ。)


 12歳から6年間ランドルフと婚約関係を結んできたのだ。良いことなんてひとつも無かったけれど、全てをランドルフありきで将来を想定してきた。


 白い結婚を要求される事は予想していたが、婚約を破棄される事までは考えつかなかった。それに解消ではなく破棄とはどういう事だろうか?フィリアには婚約破棄に繋がるような事は何ひとつしていない。


 あんな顔だけの男に自分の貴重な時間を奪われ、フィリアなりに従順にしてきたというのに、醜聞以外は何も残らなかった。


(……悔しい)


 拳を握り締めたフィリアは、無意識に唇を強く噛む。鉄の味が口の中で広がった。


 これまで権力という名の元、言葉の暴力に晒され、冷遇される事に耐えてきたのに、ゴミのように扱われ、汚らわしい婚約だと吐き捨てられた上で簡単に捨てられた。


 そう思うと喉が詰まり、目頭が熱くなってしまう。フィリアは立ち止まって呼吸を落ち着かせようとした。


(ここは王宮の中よ。こんな所で泣いたらだめ。せめて馬車まで持たせないと、こんな泣き顔を誰かに見られたら、どんな噂をされるか分からないわ)


 フィリアは立ち止まって俯いていたが、フィリアの向かう先から、数人分の足音が聞こえてきたので、慌てて壁際に寄り、深く頭を下げた。


 カツカツと足早に聞こえてくる足音は男性のものだろう。硬質な革靴らしい音は騎士達のものだろうか?


 フィリアは彼らの邪魔にならないように更に壁際へ、一歩下がった。

 

 足早が間近に迫ってきた。足音の正体は数人の男性なのが気配で分かった。フィリアは壁に同化したつもりになって彼らが通り過ぎるのを待っていたのだが、目の前で突然何の前触れも無く足音がピタリと止まった。


「………」


 彼らが誰なのか分からないので、迂闊に顔を上げられない。


 フィリアが王宮へ赴くのは月に一度のお茶会と王家主催の大きな夜会だけなので、王宮勤めの騎士に顔見知りはいない。


 ランドルフがエスコートしてくれるのは最低限だし、ランドルフとは夜会でダンスを踊った事も無いので、第三王子の婚約者としてのフィリアの顔はあまり知られていないはずだ。


 回廊の真ん中で止まっていた彼らのうちの一人が更にカツカツと音を立てながらフィリアの前までやってきた。


 俯くフィリアの視界に、磨かれたブーツと黒いトラウザーが見える。トラウザーは生地が一級品のもので、自分の目の前に立つ人物が身分の高い相手だと分かり、フィリアは息を呑んだ。


 自分は何か失礼な事でもしてしまったのだろうか?緊張からフィリアの胸の鼓動が早くなる。


 ふと落ち着いたウッディ系の香りが鼻腔をくすぐる。汗臭い香りは一切感じられず、目の前の人物は高位貴族の可能性が高い。


「顔色が優れないようだか、どこか調子が悪いのか?」


 低い若い男性の声が頭の上から降ってきた。フィリアを労るような優しい声色にフィリアは思わず顔を上げてしまったら、その人物と目が合ってしまった。


 濃いめの青い瞳に、漆黒に染められた髪を撫でつけたヘアスタイル。精悍な顔立ちは中性的な容貌のランドルフとは全く違っていて、男性的な美しさを醸し出している。


 夜会の時に遠目に見掛けた事があるだけの人物。


(王太子殿下っ!)


 いずれ賢王になると言われ、この国で最も尊い血を受け継ぐ王子。ランドルフの婚約者として会った事は一度も無かったのに、婚約を破棄された直後に会ってしまうとは思わなかった。


「殿下、お時間が迫っていますっ」


 側近と思われる人物が後ろから咎めるような声を上げる。フィリアは我に返って再び頭を下げた。止めようと思っても腕の震えが止まらない。


「そのような荒げた声を出すな。令嬢が怯えてしまったではないか。……大丈夫か?」


 最後の言葉はフィリアに向けられたもので、優しく温かな口調だった。それはランドルフによって傷付けられた心に染みわたるように広がっていく。


 すると氷が溶かされたように、フィリアの瞳からはぽろぽろと涙が溢れ出す。こうなったら多分もう止まらない。


 先ほどランドルフに手酷く婚約破棄だと言われても耐えていた涙が、ここで限界を越えてしまった。


(どうしよう、どうしよう。こんなところで泣くなんてきっと誤解されてしまうわ)


「申し訳ございませんっ、失礼します!」


 それだけ言うとフィリアは馬車の止まった玄関に向けて走り出していた。


 側近たちは王太子を前に突然走り出したフィリアを不敬に問うべきか、無かった事にして先を急ぐべきか、指示を仰ぐべく王太子に視線を送る。


「今の令嬢をすぐに追いかけて馬車までお送りしろ」


 先ほど王太子を咎めた側近に指示を出したが、側近は王太子に言い返す。


「今の令嬢の態度は不敬に問うべきだと思います」


 王太子はスッと目を細める。下の者を咎める時、彼はよくこの表情を浮かべる。


「今の令嬢はポナー伯爵令嬢だ。ランドルフと何かあったのかもしれない。泣かせた責任を取ってこい」


「えっ、あれがポナー令嬢だったのですか?」


「ランドルフの婚約者の顔くらい覚えておけ」


「も、申し訳ございませんっ」


 側近は慌ててフィリアを追いかけて行った。地味な服装をしていたので、彼はフィリアを侍女だと思っていたのだった。


「行くぞ」


 側近がフィリアを追いかけるのを見届けてから王太子は他の側近達を連れて再び歩き出した。

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