89話 魚のつみれ汁
「ごきげんよう」
「こんにちは」
イリスが向日葵を訪ねると、すでに猫霊族の女性……スズの姿があった。
特に約束をしていたわけではないが、イリスは彼女との相席を選ぶ。
そしてまたスズもイリスを笑顔で受け入れた。
料理を愛する者同士、なにか通じ合うものがあったのだろう。
「さて、今日はなににしましょうか?」
メニューを見ると、イリスは軽く微笑む。
向日葵のメニューは豊富で、料理の種類は百を超える。
毎日一つずつ食べても100日以上かかる。
なんて素敵なのだろう。
「今日はさっぱりとしたものを食べたい気分ですわね」
「それなら、これなんてどうですか?」
「『魚のつみれぇ汁』?」
「このお店のつみれ汁はとてもさっぱりしてて、でも味わい深くて美味しいですよ。なによりも、お魚は正義です。みゃん♪」
「なるほど」
スズは猫霊族だから魚を推しているのだろう。
でも、それを抜きにしても、彼女の説明には心を揺さぶられてしまう。
「では……チサトさん。『魚のつみれぇ汁』をお願いしますわ」
「承りましたー!」
料理ができるまでの間、スズとおしゃべりを楽しむことにする。
「ところで、スズさんは……娘さんがいらっしゃるのですね?」
「ええ、そうですよ。とても元気な子なんですけど、元気すぎて里を飛び出してしまって……まったく。今頃、どこでなにをしているのやら」
「元気なのは良いことではありませんか? きっと、今も元気に旅をしているのではないかと」
「そうだといいんですけど……あの子、ちょっと抜けていますからね。空腹で行き倒れたりしていないか心配です」
「ふふ」
思わずイリスは笑ってしまう。
今の時代、空腹で行き倒れるなんてありえない。
そんなあほな子はいないだろう。
スズは冗談がうまいな、と思った。
「あの子もお魚が好きなので、お魚が食べられるこの街にいるのでは、と思ったのですが……」
「見つからないのですね」
「はい。本当、なにをしているのやら……これはもう、きついおしおきが必要ですね」
「っ!?」
ゾクリと悪寒を覚えて、イリスは思わず震えてしまう。
一瞬。ほんの一瞬ではあるが、スズはとてつもない怒気を放った。
天族であるイリスを怯ませてしまうほどの、圧倒的な迫力だ。
封印される前に戦った精霊族と似ている。
「もしも私に似た子を見かけたら教えてくださいね?」
「え、ええ……それはもう、もちろん! すぐにお伝えしますわ!」
自分のため、イリスは見知らぬ猫霊族の子供を売る決意をした。
「おまたせしましたー!」
と、ちょうどいいタイミングで料理が運ばれてきた。
「これが、『魚のつみれぇ汁』……」
綺麗な模様がついたお椀に澄んだスープが注がれていた。
いくらかの野菜ときのこ。
そして、なにやら丸い塊が入っている。
「はて?」
なんだろうこれは。
不思議に思いつつ、イリスはまずはスープを口に含む。
「んっ! これは、なんて素晴らしい!」
どちらかというと味は薄い。
しかし、ただ浅いのではなくて、その味はとても深い。
野菜の旨味、きのこの旨味、魚介の旨味……
それらがスープに溶け出している。
しかもバラバラになっているわけではなくて、見事に調和が取れていた。
これは料理人の手腕が大きいだろう。
最後に塩などの調味料で味を整えて、まとめているに違いない。
「では、次は野菜ときのこを……はむっ」
イリスは目をキラキラと輝かせた。
野菜はしっかりと火が通っているものの、通り過ぎているということはない。
しっかりとした歯ごたえ、シャキシャキした感じが残っている。
さらにスープが染みていて、野菜の甘味がうまく引き出されていた。
きのこも美味しい。
ぷりっとした食感。
そして、スープをまとうことで最後まで楽しく食べることができる。
「このおだんごが謎ですが……魚でしょうか? はむっ」
イリスは、再び目をキラキラと輝かせた。
見たことのない団子の正体は、魚のすり身をまとめたものだった。
貴重な魚をすり身にしてしまうなんてもったいない。
焼くなり刺し身にするなりして、そのまま食べるのが一番。
……なんて思っていた自分が恥ずかしい。
すり身にすることで魚の甘味、旨味が前面に押し出ていた。
なるほど。
あえて潰してしまうことで、その身に閉じ込められていた味を解放したというわけか。
しかし、そのままにしたら外に逃げてしまう。
それを防ぐために団子状にしているようだった。
「これは……生姜でしょうか?」
ほんのりと鼻に香る独特の匂い。
それは生姜によるものだ。
ただ魚の身を団子にするのではなくて、そこに塩を加えて、生姜を足す。
そうすることで香りが身について、それと、ほのかな辛味もある。
それらは絶妙なスパイスとなり食欲をそそられる。
旨味たっぷりのスープ。
旨味たっぷりのすり身。
それらを一緒に食べると、口の中は幸せでいっぱいだ。
「ふふ、本当に美味しそうに食べますね」
「このようなもの、今まで食べたことがなかったので」
「では、これからたくさん食べないといけませんね。まだまだ私のオススメはありますよ?」
「ぜひ、ご教示願いたいですわ」
イリスはにっこりと笑い、スズと一緒に美味しいご飯を楽しむのだった。




