40話 とある少女の思い出・その9
「……う……」
地面に倒れていたイリスは意識を取り戻して、ゆっくりと起き上がる。
馬車酔いをしたような感じで頭が重い。
気分も悪い。
強引な方法で転移ゲートを潜ったからだろう。
神族ではないのだから、あのような転移は普通はできないのだ。
「あっ……オフィーリア姉さま!?」
イリスは慌てて周囲を見た。
大きな湖が見えた。
湖底が見えるほど澄んでいて、鳥が水面を泳いでいる。
「ここは……街の裏手にある山?」
見覚えのある場所だった。
家族や友人。
そして、オフィーリアと一緒に何度か遊びに来たことがある。
暑い日は、ここで水浴びをしたものだ。
「……」
そんなことをしている場合ではないと思いつつも、イリスは昔の思い出に浸ってしまう。
あの時は楽しかった。
とても楽しかった。
父と母がいて、友達がいた。
オフィーリアがいた。
みんな笑顔で、幸せとはこういう時間のことを言うのだろうと、そう思うことができた。
それなのに今は……
「……人間め」
イリスは低い声でつぶやいて、拳を強く握り締めた。
憎らしい。
恨めしい。
どうして、このようなことをするのか?
人間の守護者であり続けようとしたのに、このような仕打ちはあんまりだ。
イリスの中で、人間に対する信頼は急速に失われていき、代わりに怒りが積み重ねられていく。
「でも……今は、街へ戻り、オフィーリア姉さまを助けないといけませんね」
街まで一キロ近く。
戦闘能力は低くくても、それくらいの距離ならすぐに移動できる。
イリスは翼を広げて、空に飛び立つ。
「オフィーリア姉さま……どうか、ご無事で! わたくしを、姉を犠牲にして生き延びた妹という、恥知らずにしないでくださいませ!」
イリスは必死に祈りつつ、街を目指してまっすぐ飛んだ。
とんでもないことになったけど、まだ大丈夫。
きっとオフィーリアを助けることができる。
その後は、どこか遠い場所に逃げよう。
そして、姉妹で二人、ひっそりと暮らそう。
たくさんのものを失い、奪われてしまった。
でも、オフィーリアがいればいい。
耐えることができる、我慢することができる。
悲しみに押しつぶされることはないはずだ。
もちろん、甘えてばかりではいけない。
しっかりとオフィーリアの助けにならないと。
ああ見えて、オフィーリアは抜けたところがある。
家事は万能で、なんでもできると言っても過言ではない。
ただ、対人関係に難があるため、初対面の人だと誤解を与えてしまうことが多い。
そういったところをフォローしていけばいい。
そうやって、また笑顔があふれる生活をしよう。
一緒に笑おう。
イリスは、そんなことを願っていたのだけど……
「……嘘ですわ……」
街へ戻り、イリスが見たのは……
「……」
あちらこちらが傷ついて、流れる血で服が赤く染まっている。
純白の翼は土と血で汚れ、黒く変色してしまっていた。
綺麗な顔は見る影もない。
そうやって、ボロボロになった状態のオフィーリアを見つけた。
まだ死んではいない。
わずかに動いているところを見ると、生きているようだ。
ただ、生きているだけ……と言った方が正しいかもしれない。
「くそっ、手こずらせやがって」
「おとなしく捕まれよ、この! 俺達、人間のために尽くすのが天族の使命だろう?」
「気持ちはわかるけど、やめておけ。こいつは、貴重な実験材料だ。下手なことをして死なれたら困るからな。まあ、それはそれで、死体に利用価値もあるが」
ボロボロになったオフィーリアを人間達が囲んでいた。
罵倒して……
時折、まともに動くことができないオフィーリアを蹴りつけている。
小さな悲鳴。
もうまともに悲鳴をあげる力さえ残っていないのだろう。
「……こ、のっ!!!」
イリスの心が激情に支配される。
許さない。
許さない。
許さない。
「オフィーリア姉さまから……離れろぉおおおおおおおっ!!!!!」
イリスは翼を広げると、一気に急降下して……




