38話 とある少女の思い出・その7
「おかしい……ですわね」
屋上に洗濯物を干して……
そのまま、イリスは天族が暮らす街を眺めた。
石の台の上に木を組んで作られたシンプルな家が並んでいる。
快適な居住性は求めておらず、雨風をしのげればそれでいい。
そんな感じの、本当にシンプルな家だ。
魔族との戦争の後なので、贅沢をすることが許されていないというのもあるが……
天族がそういった贅沢を求めない性質も関係していた。
人間を守る、という使命を守るためなら他はわりとどうでもいい、というストイックな種族なのだ。
そんな天族の家を見て、イリスは小首を傾げた。
「行方不明になる方が多すぎますわ……」
謎の失踪事件。
それは解決されるどころか悪化する一方で、すでに三分の一ほどの天族が姿を消していた。
なにかしらの問題が起きている。
しかし、どうしていいかわからず、なにもすることができない。
もどかしかった。
「イリス」
「オフィーリア姉さま!」
追加の洗濯物を持ってきたオフィーリアに、イリスは抱きついた。
「イリス?」
「仲間達が次々と消えています……いったい、なにが起きているのでしょうか? わたくし……怖いです」
「……大丈夫ですよ」
オフィーリアは洗濯物を置いて、妹を優しく抱きしめた。
「なにが起きているか、それは私もわかりません。ただ……」
「ただ?」
「イリスは、私が守ります」
「……オフィーリア姉さま……」
「あなたは、大事な大事な妹ですからね」
そう言って、オフィーリアは笑った。
優しく、静かに……女神のような笑みを見せるのだった。
――――――――――
「あ……あああぁ……」
街が燃えていた。
自分達の生活にそれほど興味がない天族ではあるけれど……
それでも、生まれた時から育った場所となれば、それなりの思い入れがある。
父と母。
そして、オフィーリアと一緒に暮らした家が燃えていた。
たくさんの思い出の詰まった家が崩れていく。
広場の噴水が粉々に砕かれた。
緑が薙ぎ払われて、大地に裂傷が刻まれていく。
友達とのんびり日向ぼっこした思い出が汚されていく。
炎が舞い上がり、空が赤に染まっていた。
優しい陽が降り注いでいた光景は消えて、この世の終わりのような絵面となる。
青く澄んだ空を、仲間と共に飛んだ思い出が汚されていく。
子供達の悲鳴が響いた。
人間達に追い立てられて、必死になって逃げている。
みんなで一緒に笑顔を浮かべていた思い出が汚されていく。
「どうして、こんな……」
目の前の光景を受け入れることができず、イリスは、その場にぺたんと座りこんでしまう。
今日は記念となる日のはずだった。
戦争以降、人間達とは微妙な関係が続いていたものの……
その関係は、今日、改善されるはずだった。
人間達は謝罪してきたのだ。
今まですまなかった、無茶を言ってしまった。
そのお詫びをしたい。
ぜひ、城に来て欲しい……と。
街を代表して、数少ない大人達が城へ向かったはずなのに。
両種族の友好を、改めて確認しているはずなのに。
それなのに、なぜ、天族と人間は争っているのか?
否。
争っている、というのは誇張表現だ。
これは、一方的な蹂躙でしかない。
里に残っているのは、女子供と老人だけだ。
最強種故に、多少の戦う力はあるものの……
数千、数万で攻撃をしかけてくる人間達を退ける力はない。
抵抗することは許されず、一人、また一人と、仲間達が人間に捕まっていく。
「殺すのではなくて……捕まえる? わたくし達、天族が目的……? ですが、どうしてそんな……」
「イリス!」
振り返ると、オフィーリアの姿があった。
当たり前ではあるが、いつもの無表情ではなくて、とても険しい顔をしていた。
「オフィーリア姉さま、これはいったい……?」
「……人間が裏切りました」
「え?」
「最近、仲間達が姿を消していましたね? それは人間の犯行でした」
「そんな……なぜ、そのようなことを……」
「わかりません。ただ、おそらくは私達の力を……いえ、考察は後にしましょう。今は、とにかく逃げないといけません」
「は、はい!」
オフィーリアに手を引かれて、イリスは駆け出した。
なにがなんだかわからない。
ひたすらに混乱して……
そして、今度こそなにもかも失うという絶望に、胸は悲しみでいっぱいだった。
それでも。
オフィーリアがいてくれる。
繋いだ手の温もりが、私はここにいる、と教えてくれる。
なら大丈夫だ。
まだ絶望しなくていい。
一人じゃないと、安心することができる。
ただ……
「いたぞ! ガキと女だ!」
「逃がすな、一匹残らず捕まえろ!」
「天族の連中は、俺達人間のために役立つべきなんだ、そうすることが正しいんだ!」
武装した人間達に見つかってしまう。
いずれも悪鬼のような恐ろしい表情を浮かべていた。
イリス達を見つけると、親の仇と相対したかのように怒声をぶつけてくる。
「ひっ!?」
悪意や殺意を向けられたことのないイリスは、怯え、足がすくんでしまう。
「イリス!!!」
「……あ……」
そんなイリスを現実に引き戻したのは、オフィーリアの強い声だった。
オフィーリアは、イリスと繋いだ手に力を込めた。
絶対に離してたまるものかと、強く強く握り……
そして手を引いて、走る。
「大丈夫です。あなたは、私が守ります」
「……オフィーリア姉さま……」
「妹を守るのは、姉の役目です!」
「はい……はい!」
「このまま逃げましょう。そして、どこか静かな場所で一緒に暮らしましょう。誰にも見つからないようなところで、二人で、ずっと一緒に……」
オフィーリアはイリスに笑いかけて、
「かはっ!?」
直後、その背に矢が突き刺さった。




