36話 とある少女の思い出・その5
魔王を討つことができて、人類を守ることができた。
天族の使命を果たすことができた。
しかし……
リリーナが死んだ。
たくさんの仲間が死んだ。
父と母も死んだ。
あまりにもたくさんの血が流れた。
計り知れないほどの犠牲が出た。
「……」
それらのショックは大きく、イリスは部屋に引きこもるようになってしまった。
外に出ると、昔のことを思い返してしまう。
キラキラと輝いていた思い出。
もう二度と、手に入ることのない優しい時間。
それらと直面するのを恐れて、イリスは外に出ることができなくなっていた。
「イリス」
コンコンと扉がノックされて、オフィーリアの声が響いた。
幸いというべきか、彼女は無事だった。
イリスと同じく将来を期待されていたが……
今は大した力を持たないため、戦場に駆り出されることはなかったのだ。
「……」
イリスはベッドに寝て、頭から布団をかぶって丸くなっていた。
聞こえていないことはないだろうが、反応はしていない。
「イリス、入りますよ」
扉が開いて、オフィーリアが入ってきた。
その手に、料理が載せられたトレーを持っている。
「ごはんを持ってきました」
「……」
「もう一週間もなにも食べていません。最強種とはいえ、このまま食事をしないと死んでしまいますよ?」
「……」
イリスは応えない。
布団にくるまったまま、身動ぎ一つしない。
「イリス」
「……」
「辛い気持ちはわかります。私も辛いです」
「……」
「ですが、残された私達はしっかりしないといけません。そのように塞ぎ込んでいたら、仲間に……それと、先だった人達にも心配をかけてしまいますよ?」
「……」
もぞっと、イリスが動いた。
ゆっくりと布団から顔を出して……
泣き顔をオフィーリアに見せる。
「……イリス……」
滅多に表情を変えないオフィーリアが、沈痛そうな顔になった。
それほどまでにイリスはボロボロだった。
愛らしい笑顔を浮かべていた顔は、あちらこちらが涙で濡れている。
目の下は隈。
瞳は涙を流し続けたせいで腫れていた。
「わかって……います」
イリスは泣きながら口を開いた。
涙は止まらない。
それなりの時間が経ったのだけど、悲しみは消えてくれない。
むしろ増していく。
「いい加減に立ち直らないと、前を見ないと……わかってはいるのです。ですが……」
イリスは自分を抱きしめる。
その手は震えていた。
「怖いのです、寂しいのです、悲しいのです……」
「……イリス……」
「わたくし達の使命は人間を守ること。リリーナお姉さまも、同じ使命を持ち、それを果たしました。ですが、そのことを喜ぶことができなくて……」
ぽろり、ぽろりと涙がこぼれる。
魔王を討つことができた。
人間を守ることができた。
使命を果たすことができた。
本来なら喜ぶべきことだ。
しかし、そんな気持ちになることができない。
家族を失った。
友達を失った。
姉と慕う人を失った。
まだ幼いイリスは、それらの事実を受け止めることができないでいた。
「イリス」
「……あ……」
オフィーリアは、そっとイリスを抱きしめた。
「ゆっくりで構いません。ゆっくり、前を向いていきましょう」
「……オフィーリア姉さま……」
「たくさんのものを失いました。大事なものが消えました。ですが、全てをなくしたわけではありません」
「……」
イリスは、そっとオフィーリアの背中に手を伸ばした。
触れる。
確かな温もりを感じた。
「温かいです」
「ええ。私は、ここにいます」
「……はい……」
「ここにいますよ?」
「はい」
「ずっと、一緒です」
「……はい!」
イリスは……
もう少しだけ、オフィーリアの胸で泣いた。