173話 天使少女の現代旅行記・その24『誘拐』
午後の授業中。
「……ふむふむ」
意外というべきか、イリスは真面目に授業を受けていた。
今は現代社会の時間だ。
教師が壇上に立ち、1700年代の歴史について語っている。
基本、歴史の授業は暗記になる。
テスト対策も暗記になる。
そのため、興味を持たない者はどうしても退屈だ。
半分くらい、クラスメイト達は寝ていた。
教師は、今更それを咎めるつもりはなくて、淡々と授業を進めていた。
そんな中、イリスはとても真面目に授業を受けていた。
(異世界の歴史……とても面白いですわ!)
イリスがいた世界とは、まったく異なる道を歩んでいる。
魔法という概念はない。
しかし、代わりに技術が極限にまで発達していた。
今、授業で話されているのは、第一次産業革命だ。
後々の科学に繋がる、大きな転換点。
イリスは科学者ではないものの、まったく知らない知識と技術の話に思う存分に食らいついて、貪欲なまでに学習をしていた。
「……失礼します」
ふと、教室の扉が開いて、今は職員室にいるはずの担任が姿を見せた。
なにごとだろう? と、起きている生徒達が不思議そうな顔をする。
「柚木さん」
「はい?」
「少しいいですか?」
「えっと……わかりました」
現代社会の教師の許可を取り、芹那は廊下に出た。
なにか問題が起きたのだろうか?
芹那の友達が心配そうな顔に。
(……ふむ?)
イリスは軽い胸騒ぎを覚えた。
ただ、いざという時のためにお守りは渡している。
緊急時の行動、身の守り方も教えている。
そうそう滅多なことにはならないと思うが……
(少し気を引き締めた方がいいかもしれませんわね)
――――――――――
……結局、芹那は戻ってこなかった。
全ての授業が終わっても、彼女の席は空のまま。
担任がやってきて、帰りのショートホームルームが始まり、そして終わる。
「先生」
ショートホームルームが終わったところで、イリスは担任教師に声をかけた。
「芹那さんは、どうされたのですか?」
「それは……あ、そういえば」
担任教師は思い出した様子で言う。
「そういえば、イリスさんは柚木さんと一緒に暮らしているんですよね?」
「はい。彼女の好意に甘えて、同居させていただいていますわ」
「家族みたいなものなら……そうですね、イリスさんになら構いませんか」
イリスは胸騒ぎがした。
「同居しているのなら知っていると思いますが、九丁さんを知っていますね?」
「はい、もちろんですわ。芹那さんのメイド……というか、お手伝いさんですわ。わたくしも、色々と助けられています」
「その九丁さんが、倒れられたようです」
「えっ」
ついつい驚きの声をこぼしてしまう。
なぜなら、それはまったくの予想外の展開だから。
(九丁さんが倒れた? 昨日も元気で、今朝も、笑顔で見送りをしてくれていたのに……?)
「……あの、それは、どうしてですか?」
「私も詳しいところまでは。ただ、配達業者の方が訪問した際、いつもなら迎えてくれるのになにも返事がないところを不思議に思い、家の中を覗いてみたところ、九丁さんが倒れていたとか」
「……」
ますます怪しい、とイリスは眉をひそめた。
確かに、柚木家には日々、たくさんの配達業者が訪れる。
芹那は、あれで通販を多様する癖があり、そのせいだ。
吉乃もそれを理解していて、なるべく家にいるようにして、対応にあたっている。
しかし、それでも不在の時はどうしても出てしまう。
そういう時のために、配達ボックスを用意している。
一メートルを超える巨大サイズの配達ボックスだ。
普通の業者はそれを利用する。
馴染みがない業者だとしても、それを利用するだろう。
わざわざ吉乃を心配して家の中を覗く、なんてことをする者がいるとは思えない。
どんどん嫌な予感が広がっていく。
「……その連絡を受けたのですか?」
「はい。九丁さんは、芹那さんにとって家族のような方ですから。連絡するのが当然かと」
「……吉乃さんが倒れた、という連絡を受けたのはいつですか?」
「えっと……昼過ぎ、13時くらいですね」
ますますおかしい。
その時間、吉乃は、大抵、外出をしている。
彼女は、昼を外で済ませることがほとんどだ。
仕事上の問題というわけではなくて……
近くにある喫茶店に通っているらしい。
そこの料理と紅茶が絶品で、店に通うことが半ば趣味になっているのだと。
嫌な予感が最大限に。
「……わかりましたわ。色々と教えていただき、ありがとうございます」
「はい、どういたしまして。九丁さんのお見舞いをするにしても、イリスさんも、気をつけてくださいね」
「了解ですわ」
イリスは担任教師と別れて、スマホを取り出した。
芹那の番号を呼び出すものの……
「……やはり繋がりませんか」
念のため、メッセージアプリを起動してみるが、やはりこちらも反応がない。
「わたくしとしたことが……少し油断してしまったかもしれませんわね」