149話 かき氷
「……暑いですわ……」
イリスは汗を流しつつ、げんなりとした様子でつぶやいた。
その頭上では、太陽が燦々と輝いている。
街全体を明るく照らして。
ついでに、うんざりするような熱波を撒き散らしている。
「マジ暑いですわ……マジ死んでしまいますわ……」
あまりの暑さに、ちょっと言葉遣いがおかしくなっているイリスだった。
なにがあろうと優雅な微笑みを。
しかし、今は優雅とは程遠く、溶ける寸前のスライムのようだ。
「こういう時は、冷たいものを食べるのが一番ですわね」
イリスは公園に移動した。
こんな暑い日は、大体、あの露店が出ているはずだ。
「えっと……あっ、ありましたわ」
行列を作る露店。
その店が扱う商品は……『かき氷』だ。
氷を削り、甘いシロップをかけただけのシンプルな氷菓子。
あまりにシンプルなので物足りなさはあるが、今日みたいな暑い日に食べると最高だ。
頭がキーンとなる感覚が懐かしい。
「まあ、かき氷なんて、所詮、子供だましではありますが……今日は、それで我慢いたしましょう。暑いですし」
イリスは列に並ぶ。
本来なら、人間ごときが! と蹴散らしてもいい。
しかし、最強の中の最強である天族が、かき氷のために人間を蹴散らすのはいかがなものか?
後の歴史書に、『天族はかき氷を欲するあまり酷いな行いをした』なんて記されたら悶絶ものである。
故に、イリスはきちんと列に並び、自分の番がやってくるのを待った。
ただ、正直なところ味には期待していない。
「かき氷なんて、所詮、氷を削り、シロップをかけただけのお手軽氷菓子。涼を求める分にはかまわないのですが、味を求めてはいけませんわ」
イリスは知っている。
かき氷のシロップは……全て同じ味なのだ!
香料や着色料が違うだけで、根本的な味は全て同じ。
メロンとかいちごとかレモンとかブルーハワイとか、色々あるけれど、全て同じでどれを頼んでも変わりはない。
「子供だましのような氷菓子ですが……まあ、たまにはそういうのも悪くありませんわね。暑いですし」
暑さをとても気にしているイリスだった。
ほどなくして列がはけて、イリスの番となる。
「ふむ」
メニューを見ると、いちご、レモン、メロンの三つだった。
なるほど。
この露店も例に漏れず、とてもシンプルなところのようだ。
しかし、贅沢は言うまい。
今は一時の涼を取れるだけでも嬉しい。
「いらっしゃいませ。どれにしますか?」
「では、いちごをくださいな」
「はい、いちごですね? 少々お待ちください」
所詮、露店のかき氷。
大して期待をしていないイリスは、明後日の方向を見つつ待つ。
今日はとても暑いですわ。
でも、翼を出せば、いい天日干しになるかもしれない。
後で人気のないところでくつろぐというのもアリかもしれませんわ。
それにしても、かき氷、遅いですわね?
氷をちゃちゃっと削り、シロップをかけるだけなのに。
「おまたせしましたー!」
若干、苛ついていたきたところで、待ち望んだ声が聞こえてきた。
イリスは笑顔で振り返る。
「待っていました……わ?」
銀貨を渡して、かき氷を受け取る。
ただ、そのかき氷は予想していたものとぜんぜん違う。
イリスが予想していたかき氷は、ギザギザに削られた氷。
そこに適当にかけられた、赤いいちごシロップ。
ストローを少し改良して作られたスプーン。
それだけ。
そんなものを想像していたのだけど……
「な、なんですの、これは……?」
木の器に、いちごのかき氷が盛られていた。
山盛りだ。
しかも……それは、ただの氷ではない。
なぜか赤く染まっている。
「これはシロップ……? いえ、違いますわ……まさか!?」
イリスは顔を近づけて、すんすんと匂いを嗅いだ。
いちごの香ばしい匂い。
それは、あふれんばかりにかき氷にまとわれていて、周囲を魅了してしまうほどだ。
その理由はなぜか?
答えはシンプルではあるが、しかし、誰も考えないようなこと。
このかき氷に使われている氷は、普通の氷ではない。
いや。
そもそも氷ではない。
いちご、なのだ。
いちごを固めて、凍らせて。
そして、それを氷の代わりに削り、盛り付ける。
凍らせたいちごの果肉が氷の代わりに使われているため、これほどまでに濃厚な香りがしたのだ。
それらを覆う練乳は雪のごとく。
さらに、綺麗にカットされたいちごが器の周りに並べられていて……
トドメとばかりに、てっぺんに巨大サイズのいちごが乗せられていた。
いちご、いちご、いちご。
なにもかもいちごを使った、いちご尽くしのかき氷だ。
「な、なんということでしょう……」
どこかで聞いたような台詞を口にしつつ、イリスは震える手でスプーンを取り、かき氷をそっと口に運ぶ。
「っ!?!?!?」
衝撃が走り抜けた。
いちごの果肉を凍らせて、削った部分は、確かにかき氷だった。
しかし、味の濃厚さは普通のかき氷と比べて段違いだ。
いつものかき氷が1としたら、これは100。
口に入れた瞬間、ふわりと溶けて……
いちごの甘み、酸味がぶわっと一気に広がる。
そして花に抜けていく香り。
それでいて、シャキシャキとした感触と、キーンと頭が痛くなるような冷たさ。
これは、まさしくかき氷だ。
「いちごをトッピングするかき氷は見たことありますが……まさか、苺そのものを削り、かき氷としてしまうなんて……めちゃくちゃですわ」
かき氷の常識を完全にぶち壊している。
伝統もなにもかも無視だ。
でも、それがどうした?
このかき氷は美味しい。
最強だ。
口に運ぶ度に、いちごの濃厚な旨味が伝わる。
一口一口が幸せだ。
自然と笑顔になり、もうかき氷のことしか考えられない。
――――――――――
笑顔でかき氷を食べるイリスを見て、露店の店主はニヤリと笑う。
彼女は去年まで冒険者をやっていたが、怪我で引退。
これからどうしようか? と考えていた時、気まぐれに露店のかき氷を食べて……そして、なんか違うな、と思った。
というのも、彼女は常々不思議に思っていたのだ。
最近は、色々な高級店が多い。
高級おにぎり、高級ハンバーガー、高級パンケーキ。
庶民の食べ物が次々とアレンジされて、立派な料理へと昇華されている。
ならば、自分の好きなかき氷も同じように昇華できるのでは?
そうして、彼女は研究に研究を重ねて、このかき氷を完成させた。
果肉を凍らせて削るという他の者にはない発想。
たちまち評判となり、銀貨一枚という強気な値段設定にも関わらず、連日、長蛇の列を作っていた。
彼女は奇抜な発想で新しいかき氷を作り出したものの、それだけが成功の秘訣ではない。
彼女は、かき氷を愛していた。
子供の頃に、お祭りで食べたかき氷が大好きで、その味をいつまでも覚えていた。
だからこそ、それ以上のものを作りたいと思い。
また、かき氷を極めたいと思い。
冒険者を引退した後、修行に修行を重ねて。
また、試食を重ねて。
新鮮でフレッシュないちごを譲ってくれる農家を探して、何度断られても契約を望み、なんとか交渉を成功させて。
……このかき氷は、彼女の血と汗と涙の結晶なのだ。
それが美味しくないわけがない。
だからこそ、人々は笑顔を浮かべる。
そして……
「ふふ」
彼女もまた、笑顔になる。
美味しいかき氷を食べて笑顔になる。
それが彼女の夢であり、生きがいなのだから……
――――――――――
「はっ!?」
イリスは夢中でかき氷を食べて……
気がつけば空っぽになっていた。
ほぼほぼ記憶がない。
残っているのは、美味しいという幸せな舌の感触だけ。
「あぁ、もったいないですわ、寂しいですわ……」
いつの間にか食べきってしまったことを惜しみ……
でも、イリスの胸には不思議な充実感があった。
満たされていた。
真に美味しいかき氷を食べることができた。
とても素晴らしかった。
「ふふ……人間もやりますわね。このかき氷に免じて、滅ぼすのはまた今度にしてさしあげましょう」
こうして、名も知れぬかき氷店の店主により、人間の滅亡は回避されたのだった!