とある少女の視点にて④
太陽が目に見えて西に傾いた頃、午前の見回りを終えたわたし達は、少し遅めの昼食を食べるために、警備ギルドの館内へと戻ってきていた。
「アン様は……っと」
そう呟きながらわたしはギルドのダイニングでキョロキョロと周りを見渡す。
そんなわたしの手に持ったお盆の上には、小麦色のパンと、湯気を立てるスープが乗っていた。
「あっ、いたであります」
部屋の奥にいた彼女を見つけ、お盆の上のものをこぼさないように注意しながら、アン様の待つ机の方へと足を進める。
遠目に見たところ、アン様はまだ食べずにわたしのことを待ってくれているらしかった。
それを見て一層こぼさないようにしながらも、少し前へ進める足を早める。
すると、後ろから声をかけられた。
「あれ、マユコちゃんも今からご飯っすか? 実は俺もなんっすよ!」
うげぇ……この男の声は……
わたしは、体を前に向けたまま首だけを斜め後ろに向ける。
「だからなんでありますか……モブシー殿」
「だから、俺はモブシーなんて名前じゃないっすよ!! それに、なんすか! そのあからさまに嫌な顔は」
わたしの目には、前髪を真っ直ぐに揃えた男が映り込んでいた。彼の本名をわたしは知らない。なんでも『モブシー』っていうのはあだ名らしいのだが、そう呼ばれているのしか聞いたことがなく、わたしの中ではそれで定着している。
「……では、失礼するであります」
それだけ言うと、わたしは再びアン様の方へと目を向ける。
一応先輩にあたるから返事はしたが、それ以上に絡む気はない。なんたってこれからアン様との楽しい食事タイムなのだ。男なんて種族に邪魔されてたまるかという話だ。
「ほんと、つれないっすねぇ? ここは、一緒にご飯を食べる流れっすよ!」
「そんな流れはないであります。あってもわたしがせき止めるであります」
わたしは、そう言い捨ててスタスタと足を進める……が、後ろの男は付いてくる。
「そしたらまた流れを作るだけっすよ! さぁ、アンちゃんも含めて三人でレッツランチっす!」
「しつこいであります。わたしは、アン様と二人っきりで楽しく優雅に食べたいんであります」
そうして、ああだこうだ言い合っていると、ついにアン様の待つテーブルに着いてしまった。
アン様は、私たち二人を見上げてから、クスリと笑った。
「ふふっ、お二人は仲が良いんですね! マユコさんも少しずつ男性の方に慣れているみたいで、嬉しいです!」
わたしがこんな男と仲良く? 何を言っているのだろうか?
「アン様、わたしはこんなしつこい男と仲良くなった覚えなどないであります!」
わたしがそう言い張ると、アン様は少し眉を傾けた。
「そう……でしたか、それは少し残念です……」
少し上目遣いにアン様の瞳がこちらを見る。
この顔は……ずるい。アン様にこんな顔をされては……
わたしは、アン様から少しだけ目をそらしつつ、口を尖らせる。
「ま、まぁ、多少は仲良くなったかもしれなくもないかもしれないであります」
すると、それを聞いたモブシーが後ろから顔をのぞかせた。
「ってことは、マユコちゃん、もちろん一緒にご飯を……」
「…………んぐぅ……はぁ、勝手にするであります」
「やったっす!」
わたしはこれ以上アン様を待たせるのも悪いと、机の上にお盆を置き、彼女の隣にあった椅子を引いてそこに腰かけた。
「さて、では食べましょうか!」
わたしとモブシーが椅子に腰かけたのを見て、アン様が笑顔になる。
「はいであります!」
アン様の笑顔を見て、元気に返事をする……が、次にわたしから漏れたのはため息だった。
「はぁ、アン様のこの笑顔をしばらく見れないでありますかぁ……」
そう言って、手前にあったスプーンを手に取ると、スープの中に突っ込んだ。
そうなのだ。実は明日からしばらくの間、わたしはアン様のもとから離れることになっている。
そのことを考えて億劫になっていると、前に座ったモブシーがパンをちぎりながら口を開いた。
「あぁ、確か明日出発っすね『ペイジブルへのお出かけ』」
「お出かけって……そんな良いものではないであります。わたしの任務は、祭りが行われるペイジブルの警備に問題はないか視察すること、それ以上の意味などないであります」
というのも今回、ペイジブルとイーストシティの街道の開通を記念して、ペイジブルで祭りを開催するらしいのだ。そして、わたしが任されたのは、その際の観光客の警備に今のペイジブルで問題ないか確認することだ。
本来ならこんなことイーストシティ支部の自警団ギルドがすべきことでもないのだが、どうもこの祭りにはこの国の王、ヴェリテ王が一枚噛んでいるらしく、決して失敗させるわけにはいかないのだそうだ。そこで駆り出されたのが、警備に関して王の信頼も厚いわたし達イーストシティの自警団というわけだ。
すると、アン様が今朝訓練場で見たような、憂いに満ちた表情を浮かべた。
「はぁ……ペイジブル、ですか……」
この反応……ペイジブルに何かあるのだろうか? 聞きたいような、一層聞きたくないような……
すると、そんなこと気にした様子もなく、モブシーがいつもの調子で言った。
「ペイジブルっていったら、やっぱりアニキっすよね! まっったく連絡ないっすけど、元気なんすかねぇ?」
「元気ですよ……きっと……だって、この街に『マヨネーズ』なんてものを広めたのもあの方らしいですから」
「ははっ、ほんとにあの人は何をやってるんっすかね!」
「まぁ、あの方らしいですけどね」
アン様とモブシーはある人物について楽しそうに話す。
アン様が知っていて、モブシーも知っている人……しかし、わたしは知らない人。
そんな存在に、少しだけイラッとする。決してこの二人もわたしをのけものにしようだなんて考えていないだろう。だが、実際にそうなっているのだ。
わたしは、思い切って尋ねることにした。
「待って欲しいであります! わたしにもさっきから話に出てくるその人物について教えて欲しいであります!」
それと同時に、彼らは話すのをやめて互いに目を合わせた。
「そっすねぇ……一言で表すなら、『変態』っすかねぇ」
最初に口を開いたのはモブシーの方だった。顎に手をあてて、あろうことか『変態』と口にする。
それに続いて、アン様が声を上げる。
「まぁ、それは否定しませんが……それよりも、『完璧』ではないでしょうか?」
変態……? 完璧……?
どちらも印象としては正反対では……?
「な、なんだか、よく分からない人物でありますな……?」
「いえいえ、単純明快ですよ? あの方は、優しく、強く、カッコいい。そしてなにより、こんな私を最初に受け入れてくださった恩人なんです!」
「あっ、あとモブシーの名付け親でもあるっすよぉ」
モブシーの言うことはいいとして……アン様の方は気になる。
まずは、今のアン様の顔だ。彼女は両手を胸の前で合わせて目をキラキラさせ、まるで恋する乙女のような顔をしている。
ジャニーさんやどんなハンサムを前にしても動じなかったあのアン様が……だ。
「あ、アン様……? まさか、アン様がどんな貴族にもなびかないのは、その人物と関係が……?」
その時のアン様の反応は見事だった。閉じていた目を大きく開き、首元から頭のてっぺんに至るまで、一気に真っ赤に染め上げた。
頭の端からシュゥ〜と煙の音がしそうなほどだった。
「え……、え!? その反応、本当なのでありますか!?」
机に両手をバンッと叩きつけて、立ち上がる。
すると、私がじっと見つめるアン様とは別の方向……モブシーの方から声が聞こえてきた。
「はっはっ! そうっすよね! 自警団に入ってからのアンちゃんしか知らない人からすれば、恋するアンちゃんなんて信じられないっすよねぇ」
悔しいがその通りだ。あの『半魔の英雄』として人々から憧れるアン様が、恋をしているなんて……
「で、でも、その男、アン様を放ってこの街を出て行ったんでありますよね! 本当に、アン様に相応しい男なのでありますか?」
わたしの敬愛するアン様に関するこの話を否定する気持ちで、わたしはモブシーの方を向いた。
「……んぐっ、まぁ、悪い人ではないっすからねぇ……」
悪い人ではない……つまりは、良い人とは言い切れないような人なのだろう。わたしは、食事中ということを思い出し、椅子に座りなおした。
「……というより、良い人かどうかは、マユコちゃんが身をもって体験してると思うんっすけど?」
「……? 身を以て体験?」
モブシーは何を言ってるのだろうか? わたしはそんな人物、これまでに出会った記憶がない。それを、身を以て体験するなどと、あり得るはずがない。
わたしは、首をコテンと傾けて考えてみる……が、やはりそのような男は出てこない。
「あぁ、そう言えばマユコちゃんは直接会ってないから知らないんっすね!」
「……? だから、それはいつの話をしているんでありますか?」
わたしがなかなか答えをじらせてくるモブシーを見て目を細める。
すると、今度はアン様が手にスプーンを持ったまま、ポツリと呟いた。
「ウェスト王国の誘拐事件……」
何故今その言葉が……?
わたしの顔はモブシーからアン様へと移る。
「もしかして、その時にわたしを助けてくれて……? いや、それはないであります。わたしたちを助けてくれたのは、『アン様』と『イチジク様』、どちらも女性でありま……」
そこで、一つの答えが生まれた。
あの事件の時、わたしのことを助けてくれたが、直接会っていない存在……
「ま、まさか、イチジク様は男!?」
「「ないない」」
しかし、その考えも二人によって速攻で否定された。
「なら、わたしが何を身を以て体験したんでありますか!」
すると、アン様がゆっくりとこんこんと話し始めた。
「マユコさん……例の事件、実は私より……イチジクさんより……誰よりも傷ついて、誰よりも活躍して……そして、誰よりも目立たなかったヒーローがいるんです」
「それが、アン様の愛する人物……?」
「そおっすよ、アニキは馬鹿っすから、たった一人でウェスト王国の兵と帝国の騎士団を相手取って大立ち回りをしたんっす。まぁ、俺が迎えに行った時には、ボロ切れみたいになってたっすっけど」
そんな男が……?
正直信じられないが、アン様がいうことなら信じるしかないだろう。
「そんなことがあったんでありますか……ですが、やはり男は男、何か裏があったに違いないであります!」
わたしがそう言い切ると、アン様がスプーンにすくったスープを一口飲みながら、苦笑いをした。
「そう否定するものでもありませんよ? マユコさんにも、一人くらい惚れた男性がいたりしないんですか?」
惚れた男性……いるわけがない。男はいつだって己の欲に生きる浅ましい人種なのだ。
そう、一人だっているはず……
その時だ。頭の中に一人の影が映った。
『彼』は、漆黒の夜の中では目立つ真っ白な仮面をしていた。それとは対照な真っ黒な革でできた服は破れ、血が流れていた。腰には見たことのない形の剣をぶら下げ、のんびりとした口調で「フラグが……」やら、「かわい子ちゃん……」なんて甘い言葉を投げかけてくる。しまいにはお姫様抱っこをして空を飛ぶのだ。
「……はっ!? いやいや、そんな男など断じていないであります!!」
一瞬頭に出てきた男……いつかの『怪盗』を無理やりねじ伏せて、わたしは言い切る。
別にあんな奴、惚れたとかそんなものではない。誰があんな訳の分からない素性の知れない男に好意などもつかという話だ。
すると、わたしの大げさなリアクションを見て、アン様は笑った。
「ふふっ、そうですか」
「そうであります!」
自信満々にそう返事をすると、わたしとは対照的に落ち着いた声で、アン様がゆっくりと言う。
「……ペイジブルには、私は副団長の身なので行くことはできませんが、祭りが上手くいくように頼みますね?」
それを聞いて、体が喜びに満たされるのを感じた。
「…………はい! 任せるであります」
わたしは、最後に残ったパンを口に放り込むと、お盆を持ちながら立ち上がる用量で両膝で椅子を押した。
「あっ……そういえば、ペイジブルで有名な実力者などはおりますか?」
警備の実態を知る上で、やはりその町の実力者くらいは知る必要があるだろう。それは冒険者でも、警備隊でも、門番でも……なんでもいい。
すると、椅子に座るアン様とモブシーは、わたしを見上げると、口を揃えてこう言った。
「「領主 ……」」
「……様ですね!」
「……っすね!」




