戦いの後にて⑥
大丈夫、時間ならまだある……のだが、今しかない。これを逃せば、俺の負けだ。
リューと離れた俺は、領主の屋敷の中の廊下をスタスタと歩いていた。廊下には魔術による光がともり、足元を照らす。
窓の外では、町の者たちが揃ってどんちゃん騒ぎをしている。
「ミッションの制限時間は約五分……」
ふっ、これだけあれば余裕だ。
そんな風に笑ってはみるが、そううまくはいかない……廊下の向こう側から、誰かが歩いてきたのだ。
「ちっ……こんな時に」
それは、マッソーたち冒険者だった。
彼らは皆薄着で、武器もぶら下げていない。
俺と目が合うと、片手を上げて詰め寄ってきた。
「おう! シルドーじゃねぇか? お前も『風呂』行ってくるのか?」
「……ああ、ちょっと汗かいてな?」
「しっかし、今は男湯だが、あと数分もすれば、女湯になるはずだろ?」
……その通りなのだ。
だから急いでるんだよぉぉおお!!
まず、俺の目的地は今日だけ町の者の使用が解禁された浴場にあった。しかし、先ほどマッソーが言ったように、男湯である期間はあと数分……それを過ぎれば、一つしかない浴場は、女湯へと変わるのだ。
俺は少し声を荒げる。
「そう! だから、急いでるんだ! じゃあな!」
「あっ、てめ! そう言えば、領主命令でメスゴブリンさんたちの服の着用を強制しやがったな!」
走り出した俺を、マッソーのたくましい腕が掴む。
……っ、マッソーの野郎しつこいな!!
「マッソー……離せ! 領主命令だ!!」
「……なっ!?」
俺の言葉にマッソーがたじろいだ瞬間、俺は飛び出した。浴場へと向けて、全力疾走だ。
ちっ、無駄な時間を使っちまった……残り時間三分……間に合うか!?
その後、誰にも邪魔されることなく浴場についた俺は、自らの着ていたレザージャケット一式をすぐに脱ぎ、『ゴミ箱』に捨てた。
「……よし! これで、問題ない!!」
脱水場を抜けた俺は、いよいよ風呂の扉の前まで来ていた。
片手をドアノブにかけ、一気に押して中へと入る。
目の前が真っ白になり、暖かい蒸気が体全体を包み込んだ。
「ウッヒョォイ!! もう男どもはいないな!?」
流石に、入れ替わり二分前に風呂にいるやつはいないだろう。
ドプンッ……
辺りを見渡して、自分一人であることを確認した俺は、急いで浴槽へと体を沈める。
ほぉぉ……というため息にも近い息が漏れ、快楽が骨身にしみる……が、今はそんなことをしている場合ではない。
俺はそこで、今回の作戦のキーワードを唱える。
「【進化】鍋蓋!!」
  
その瞬間、眩い光が浴場を包み込み、浴槽には、一つの鍋蓋が沈み込んだ。
『ムフフフフッ……これは、鍋蓋である俺にだけ与えられた特権なり!!』
兼ねてから計画していた今回のミッション……それは、『鍋蓋で女湯覗こう大作戦』だ!!
俺の正体を知らない彼女らは、俺をただの鍋蓋として、見つけても放置するだろう!!
つまり……俺は女湯見放題なのだ!!!!
これを考えついた時、俺は初めて鍋蓋に生まれてよかったと思った。
もともと、今回、みんなを浴場へと招待したのも、この作戦を遂行させるためなのだ!!
『さぁ……ケモミミ、エルフ、冒険者のお姉様方! それに、見そびれたハイゴブリンの皆様方!! キャモォオン!!』
  
心臓はないのに、ドキドキという鼓動とワクワクが止まらない。
それはまるで、初めてちょっといかがわしい本を拾った中学生のような……
『ウヒヒヒヒ! さぁ、誰からくるのかな!?』
期待に胸膨らましたその時だ。
……キィイ
  
ドアを開く音がした。レザージャケットは捨てたから、まさかここに誰かいるとは思わないだろう。
誰か来たァァア!!!!
脳内で、歓喜の咆哮を鳴り響かせる。
 
  
ピタリ……ピタリ……
そんな水音が僅かながら聞こえる……ような気がした。
 
『あれ? 一人じゃないな……』
その足音は、どうも一人ではないようだった。複数の足音が聞こえたのだ。
ふっふっふ……これがイチジクたち、なんてオチは存在しないからな!!
 
俺が鍋蓋であることを知る女性たちのことは、十分に対策済みだ。
イチジクには、酔っ払った奴らの介抱をお願いしたし、フェデルタには、ペスが女性にちょっかいをかけないように見るよう指示を出している。
それに、龍帝たちは仲良く談笑していた。
『我が作戦に抜かりはない!! さぁ、いでよ美女!!!!』
次第に足音は近くなり、いよいよ水面上にモヤモヤとした人影が映り込んだ。
おや? この人たちは体を洗わずに入ろうとしているのか?
本来ならダメだと注意してやりたいが、今はそれどころではない。
  
さぁ、入ってこいやぁあ!!
その瞬間……
トポンッ……
そんな音ともに、何か煌めくものが水の中に飛び込んできた。
俺が魚であれば、鳥のくちばしのような……
予想外のものが入ってきて、何が何かわからないでいると、次は人の手が入ってきた。
その手は次第に俺に近づき……
『まさか、嘘だろ!?』
俺を指二本の力で、持ち上げたのだった。
ただの鍋蓋に抵抗などできるはずもなく、水の中を上昇し、ついには空気中へと持ち出された
『だ、誰だ…………って……えぇ……』
そこにいたのは、一糸まとわぬ姿を……していない、がっつり服を着込んだ女性だった。
彼女は、俺を持ち上げていない方の手の人差し指で、自分のめがねをクイッと持ち上げて言った。
「おや? なぜ、このようなところに鍋蓋が? フェデルタ、理由を知っていますか?」
すると、その隣に立っていた顔以外鎧という、風呂には不釣合いな女性が、氷点下の目線をこちらに向けてきた。
「はて? どうしてなのだろうな? お前こそ心当たりはないのか、イチジク?」
二人とも、その言い方からは生気を感じられない。
な、な、なんでだよぉぉおおお!!!!
確かに確認したはずだ! 二人がここに来ないであろうことは……
だが、現に目の前にはいるのだ。メイド服を着たイチジクと、今日は刀をもった騎士、フェデルタが……
『ってまて、フェデルタの持ってる刀、なんか見たことあるぞ?』
どう見ても、フェデルタの持つ刀は、俺が苦楽を共にした相棒だったのだ。
いや待て! 相棒は、先日の戦いで真っ二つに折れたはずだ……つまりあれは、ただのレプリカか何かだ!
その時だ。俺の体が、動き出した。
理由は簡単、イチジクが風呂の出口に向かって歩き始めたからだ。
『いや、いやだぁあ!! 俺が、この時をどれほど楽しみにしたことか!!』
しかし、その声は届かない……
やがて、俺は二人に連れられて、誰もいない食堂に連れてこられた。
「……さて、では始めましょうか」
「そうだな、この鍋蓋の切断式を」
……切断式!?
『なんだ、その物騒な催し物は!?』
動けない俺は、頭の中で叫ぶ……が、そこで一旦冷静になった。
いや、まてよ……俺の防御力は仮にもSS級のドラゴンに匹敵するんだぞ?
そんじょそこらの物で俺が切れるとは思えない。
『ここは、ただの鍋蓋として、乗り切りさせてもらうぜ!?』
このまま黙っておいて、二人が諦めるのを待とう……
そんなことを考えるが、もし切断できなくとも、その段階で丈夫さから己自身であるとバレることにも、この時の俺は気付かなかった。
そんな俺に、絶望的な知らせが舞い込む。
「さて、じゃあイチジクは離れていてくれ……ここからは、この刀の出番であるからな」
そう言って、イチジクが近寄ってきたのだ。
いや、まて……これは、ダウトだ!!
なにせ、その刀は俺がカオス討伐で折ってしまったのだから! 確かに、例の刀なら俺のことを一刀両断出来るだろう……が、それは存在しないはずた。
「……などと、この鍋蓋は考えているのでしょうか?」
考えが終わった瞬間、イチジクが俺の思考を完全に読んできた。
相変わらずのテレパシーぶりだ。
しかし、だからと言って……
「鍋蓋? 貴方は勘違いしています……貴方はこの刀の唯一無二のスキルを忘れたのですか?」
  
唯一無二のスキル……?
「思い出してください、なぜこの刀がルビィドラゴンの体内でも無事だったのかを」
…………ハッ!?
『そうか、【自己修復】だ! この刀は、いくら壊れても、自らの力で修復するんだ!!』
ってことは……
俺がフェデルタの方へと視線を向けると、ニヤリと微笑んだフェデルタが、美しく光る刀身を鞘から引き抜いた。
『完全に元どおりになってるぅう!!!!』
その瞬間、俺のするべきことは決まった。
【進化】人間!!
「すみませんでしたぁぁあ!!!!」
人の姿になった俺は、裸だろうが何だろうが気にせずに頭を地面にこすりつけた。
土下座だ。
すると、そんな俺の頭の上で、声が聞こえた。
「おやおやおや……どうしてこんなところにマスターが?」
「主人殿、そんな格好で風邪をひくぞ? そんなに水浸しでどうしたのだ?」
こいつら、分かっててやってるな……
確かに、風が体にあたり、体が冷えていくのがわかる。
「【レザークラフト】」
静かにそう呟いた俺は、出てきたレザージャケット一式を身につけた。
「それで、マスター……何か申し開きがありますか?」
「………かった……よ……」
悔しげに言った声に、イチジクが反応する。
「なんですって?」
「見たかったんだよぉお!!」
その瞬間、訪れる静寂……
ポタリ、ポタリという俺の髪から水のしたたる音が、室内に響く。
「マスター……」
「主人殿……」
俺の宣言に、感傷的になった声が聞こえ、両肩を二人にに叩かれた。
「お前ら、分かってくれたのか……」
そんな期待を胸に、前を向くと、二人の作られた笑顔があった。
「それ、犯罪ですよ?」
「それ、犯罪だぞ?」
「ですよねーー」
よく見ると、そんなイチジクの両手には縄が握られていた。
なるほど……
「ところで、なんで俺があそこにいるって分かったんだ?」
「なに、簡単ですよ……」
「それは、私とイチジクがな?」
そこで、二人は顔を見合わせた。
「常にマスター(主人殿)を見ているからですよ(だ)」
「……なんだそれ」
ようは、常に監視されてるってことなのか?
「参りました……」
 
その日、縄で縛りあげられたペイジブルの領主が、自身の館から一晩中吊り下げられたという。
 




