戦いの後にて③
俺が目覚めてから、三日後の朝……
「よっしゃぁあ!! 久しぶりのお天道様だ!!」
俺は、自分の足で大地の感触を味わいながら、思い切り伸びをした。
うん……やっぱり、外の空気は最高だな
それに、呆れたような声が後ろから聞こえた。
「本当にマスターは、バカがつくほどに丈夫ですね? もう少し寝ていれば良かったのに」
「なんだ? イチジクは、俺がこうして動いてることが不満なのか?」
この三日間は、ひたすらにお世話され続けたのだ。
俺としては、ようやく一人でなんでもできるようになって、いい気分なのに……
「はい、私としては、ずっとあのままでも問題なかったですよ?」
あのままとは、お世話され続けることか?
分からなかった俺は、イチジクに尋ねる。
「それは、どういう意味だ?」
「さて……どう捉えるかは、マスター次第です」
イチジクのやつめ……そんなに俺が苦しむ姿が見たかったのか?
しかし、そんないつものイチジクの毒舌も、今日という日には許せる気になってくる。
 
俺は外との再会を喜ぶように、もう一度深く深呼吸した。
大きく息を吸い、吐き出す……そこでゆっくりと目を開くと、前方からこの領主の館へも歩いてくる者がいることに気がつく。
あれは……
「マッソー!! 久しぶりじゃないか!!」
「ああ! よく生きてたじゃねぇか、親友よ!」
そう言って、豪快に笑いながらやって来るのは、斧を背中に担いだ、いかつい男だ。
彼は、カオス討伐のために南の村からやってきた、イーストシティを拠点として活動する巨大冒険者パーティーのリーダー、マッソーだ。
俺の前までやってきたマッソーは、そのたくましい腕を突き出した。
「会いたかったぞ、マッソー」
マッソーの腕を見て、俺も手を前に出して、握った。
「それにしても、あの怪我から復活するとは……なかなかにやるなぁ! ガッハッハ」
「いやいや、あの程度の怪我、マッソーなら三日で直せただろ?」
「……あ、あぁ! あたりめぇじゃねえか! あの程度、ちょちょいのちょいよ!」
うむ……さすがはマッソーだ! 痺れるぜ!
俺は、尊敬の眼差しをマッソーに向けながら、そうだ! と、話を切り出す。
「マッソー、マッソーと仲間たちの報酬だが、何か望むものとかあるのか?」
マッソーたちは、慈善活動でここまできたわけではない。あくまで、魔物を倒す冒険者としてここにきたのだ。
報酬を払うのは前提としても、マッソーほどの人物に、一体何を差し出せばいいのか分からない。
すると、マッソーはその蓄えたあごひげをさすって、考え始めた。
「そうだなぁ……もう前払いはもらってあるからなぁ」
前払い? そんなもの、払った覚えはないが……
引っかかりは覚えたものの、マッソーの答えを待っていると、彼は一つ閃いたようで、言い始めた。
「そうだな、シルドー、これからこの町はもっと発展する……ちげぇねえな?」
「あ、ああ……誰もが羨む町にしてみせる……と思う。いや、思いたい」
俺が最初は自信満々に、最後は自信なさげにそう言い切ると、マッソーは笑った。
「ガッハッハッ、正直だな! なら、こうしよう……」
何を言われるのか、黙ってその続きを待つ。
「この町が大きくなれば、恐らく中央のもんが、『ギルド』を置こうとするだろぅ? そのとき、冒険者ギルドもできるはずだ」
「まあ、そんなこともあるだろうな」
「そのとき、俺らのパーティーを、そこの会員番号の一番として登録して欲しい……これでどうだ?」
それを聞いた俺は、ただただキョトンとするしかなかった。
「金でも名声でもなく、会員番号?」
「ああ、そうだ! シルドーは知らねぇだろうが、縄張り争い的なのが冒険者にはあるんだよ! その町で、昔からいて力のある奴らが、そのあたりの一番いい狩場を独占するってわけよ」
なるほど、マッソーはこの町でのその力が欲しいのか……
「でも、本当にそれでいいのか?」
「問題ねぇよ! カオスが死んだ今、始まりの森は、入り放題、狩りし放題だろ? あの森の狩場は、それだけの価値があると踏んだのよ」
ほほう……そこまで考えていたのか
「さすがは、マッソーだな! ならそれで良しとしよう! ところで……」
俺は、最初から気になっていたことを聞くことにする。
「さっき言ってた、前払いってなんだ? そんなもん、払った覚えがないんだが」
そう尋ねた瞬間、マッソーは悪い顔をしてニヤリと笑った。
「……ちょっと、耳貸せシルドー」
「……ん?」
よくわからないが、他には知られてはいけない話らしい。
 
……って言っても、ここにいるのは俺とマッソー、あとは後ろで立っているイチジクくらいなものなのだが……
俺は、不思議に思いつつも、マッソーの方へ耳を傾ける。
マッソーの顔が次第に近くなり、やがて耳元へとたどり着く。
彼は、ごしょごしょと話し始めた。
「ゴブリン……もう見たか?」
……は? ゴブリンたちなら、復興に協力してくれているところを、窓から見ていた。
「あぁ、もちろん、あの筋肉隆々ぶりを見せびらかしたイケメンだろ?」
少しトゲのある言い方にはなったが、仕方ない……だって、イケメンが嫌いだから
「おう、その通り……で、だ! それは、男のゴブリンだ、ちげぇねぇな?」
「……? まぁ、そうなんだろうな」
そこで、マッソーは、よりその声を小さくして言った。
「じゃぁ、シルドー、女のゴブリンは見たことあるか?」
女の……ゴブリン……
ゴクリ……
喉を唾が通っていく。
彼は言う。
「男はイケメン……なら、女の方はどうなると思う?」
……ま、まさか!?
「マッソー、まさか、見たのか?」
「ああ、今はこの町の時計台で、炊き出しの手伝いをしてるからなぁ……あれは、すごいぞ?」
す、すごい……
「それは、具体的にどんなふうに、だ?」
「そりゃ、おめぇ……ボンでキュッでボンだ」
「ボンで……キュッで……ボン……」
マッソーの言ったことが、頭でリピートされる。
「それに、だ! ゴブリンたちは、男を含めて、どうも貞操観念が薄い……つまり、な? そういうことだよ」
貞操観念の薄い、ボンでキュッでボンの美女……
マッソーのやつめ、前払いってのはそういうことか……
そりゃぁ、そんな絶景を見れたのなら、たしかにどんな大金もはした金に過ぎないだろう。
「……おい、マッソー……俺たち、親友だよな?」
「当たり前だろ? 相棒」
「なら、もちろん一緒に行くよな?」
「……ふんっ、今日の昼前、時計台の前の路地裏に集合だ」
男たちはそう密談し、互いに固く腕を結んだのだった。
俺は、マッソーから離れながらイチジクへと顔を向ける。
「イチジク、今日の昼飯は、マッソーと時計台に……「許しませんよ?」」
俺が言い切る前に、イチジクがめがねをクイッと上げて、そんなことを言ってきた。
「……なんでだよ! 飯くらいいいだろ?」
「ダメです。マスターは、まだ病み上がりの身……力仕事をする人と同じ濃いめの食事は、体に悪いです」
「うーん……なら、昼飯は早めに館で食べるから、昼の間だけ……」
その続きを言おうとした時、イチジクがこれまでにない冷たい目を浴びせてきた。
「昼飯はここで食べるのに、なぜ時計台に? 今、あそこは炊き出しが行われているだけですよ?」
「……いや、その……野暮用だよ」
「ほう……野暮用? 先ほど動けるようになったマスターに、いったいどんな野暮用が?」
「え? それは……あれだよ、あれ……」
困った俺は、マッソーを横目で見て、助けを求める……が、マッソーは、手を頭の後ろで組んで、下手な鼻歌を歌っていた。
「な、なぁ、マッソー? 俺たち、やらなきゃいけないことがあるよな!?」
ここは、強引にでも助けてもらうしかない……そう思って話を振るが、マッソーは目線をそらしつつ、とぼけたことを言う。
「そ、そ、そんなことあったかなぁ? あったようなぁ、なかったようなぁ……あっ、でも言われてみればあったようなぁ?」
マッソーが苦し紛れにそう言うと、それに対してイチジクがピシャリと言い放った。
それは、心が冷え冷えする冷たい声だった。
「……まさか、メスゴブリンを見に行くなんてこと……ありませんよね?」
その瞬間、空気が凍った。
そして、しばらくの静寂の後、マッソーがすぐさまその氷を凍結するために裏切った。
「あっ、そういえば、予定なんてなかったな! じゃ、俺はここで行くから! 元気でな!!」
早口にそう言うと、マッソーはイチジクに深々と礼をして、走り去った。
相変わらず、マッソーはイチジクに対してかなりの恐怖感を覚えているようだ。
マッソーの後ろ姿を見ながら、俺は呟く。
「……マッソーの野郎、裏切りやがったな」
すると、先ほどまでのように、冷たい声が、俺の背筋を打った。
「あの冒険者が、何を裏切ったのですか?」
「……いや、なんでもないですぅ」
出てきたときは、晴れ渡る空の下で気持ちよかったのに、なんだか急に寒くなってきた俺は、くるりと反転して、領主の屋敷へと向いた。
俺は、イチジクが戸を開くのを待ちながら、据わった目をして呟いた。
「……それじゃ、早速領主としての仕事を始めますかね」
「…………はい」
その日の午前中、昼食になる前に、領主命令で、一つの約束事がペイジブルに増えた。
『ゴブリンたちは、衣服をきっちりと着ること』
……と。
この後、マッソーたちを含む、この町の男どもの服の袖が涙で濡れたことは、言うまでもない。
 




