リューの記憶にて②
鬼に襖の奥に投げ飛ばされ、次に目を覚ました俺が見たのは、緑の世界だった。
ここは……森の中か?
よく見れば、その青々とした色は葉や草で、生命の力というものを感じさせる。
うぅ……とりあえず、喉渇いたな……
人間が生きていくためには、何より水が必要だ。幸い、ここは森のようだし、小川の一つくらい流れているだろう。
そう思って、なかなか働かない脳を放置したまま、足を動かす。
あれ……にしても、この辺の木はみんな背が低いんやな……それに、なんや半透明な板? がずっと見えるのはなんなんや?
よう分からん文字?みたいなのも書いとるし……まぁ、ええわ。気にせんかったらええ話や。
そんなこんなで、ひたすらに歩いた俺は、ようやく小さな川を見つけることが出来た。
急ぎ足でそこに行った俺は、直に飲もうと、顔を水面に近づける。
……ん?
これは……?
驚きで、初めからほとんど動いていなかった思考が、一時的に停止する。
理由は簡単……
その水に、反射したモノノケの類が写り込んでいたからだ。
「グルゥゥォオオオオオオ!?!?」
思わず叫び声をあげたつもりだったが、それは声にならない雄叫びへと変わる。
……はっ!! まさか!?
ある男の声を思い出した俺は、再び水面へとその体を動かす。
すると、やはりそこには例のモノノケが映っていた。
それは、頭に鹿のような立派な角を二本生やしていて、その少し下の眼光が鋭く光っている。
顔はなんとはなく大蛇のそれと似ていて、鼻息で水面が揺れた。
これが……俺、なんやな
その現実を突きつけられ、思わずたじろぐ。
すると、追い討ちをかけるように、体にも目が向けられた。
そこにあったのは、鱗がビッシリと美しく生えた緑の肌。脚は二対あり、その脚の先には、何者をも切り裂くであろう鋭い三本の爪が存在を主張している。
そして、何より目立ったのは、ゴツゴツとした背中から生えた、広げれば体の倍の大きさはするであろう『翼』だ。それは、鳥のように羽が生えたものではなく、骨格に膜がはったような見た目をしていた。
これが現実……あの男が言うとったように、俺は龍(……と呼ぶには、思い描く龍とは違ったが)になったんやな。
どうやら、この森の木々が小さいのではなく、俺が大きかったらしい。
現状の確認も終えたところで、こうして生まれ変わった理由を思い出してみる。
確か、文明を築けってことやったか……?
そんなこと、出来るわけがない……
これが俺の純粋なる意見だった……が、同時にこんなことも思ってしまった。
でも、この規格外の存在なら、それもできるんじゃないのか?
  
なんたって、今の俺は圧倒的な力を持つ龍なのだ。
一度そう思ってしまったら、もう歯止めは効かない。密かにあった、男なら誰でも持つ野望というものに胸が高鳴るのを感じる。
作ってみよかな……新しい世界ってやつを
この龍の一考が、のちに、この世界の始まりとなることを、本人はおろか、誰も知らない。
決意してからは、がむしゃらに頑張った。
まず、この世界のことを徹底的に調べ上げた。分かったこととしては、この森が全てにおいての『始まりの森』であることだ。世界の草木や山は、この森で群生する植物の種からできていて、はるか先の海でさえ、この森からの川で形成されていた。
もう一つ、調べるまでもなく、この世界には、多くの凶暴な生物がいることだ。彼らは、考える知力の足りていない獰猛な奴らばかりで、出会っただけで襲いかかってきた。この龍の力がある以上、そうそう負けることは無かったが、それなりに傷つきもした。
ある程度この世界のことが分かると、本格的に文明を作るための方法を考えた。
必要なものとしては、食料と安全性、それから『人』だろう。
食料は、水も含めてこの森……これからは始まりの森とでも呼ぼうか? にある。
安全性は、ひとまずは俺が守ってやればいい…………が、決定的に足りないものがあった。
知能を持った生き物おらへんねんなぁ……
そう、いくら食料があったって、それを食べる者がいないのだ。いくら守ろうとしても、守るべき存在がいないのだ。
そうして、手詰まりになること数年……
どうしようもなくなって、始まりの森で『数年という長すぎる昼寝』をしていた時のことだ。
どこからか声が聞こえて、俺は目を開いた。
すると……
そこには、ボロボロの布切れを身にまとった小さな童が呆然と立ち尽くしていた。
…………人間!?
「グルゥゥァァア」
それを見た瞬間、俺は嬉しさのあまりに咆哮をあげていた。
すると、目の前の少女は何やら聞きなれない言葉を使いながら、必死に謝ってきた。
額には汗を浮かび上がらせ、その鋭く尖った耳をパタパタと忙しなく動かす。
ん? にしても、この子の耳、長すぎとちゃうか?
その耳は、明らかに自分の知っている人間のものとは違うかった。
「グルゥウ?」
その耳について聞こうと言葉を投げかけるが、そもそもその意思は届かない。相手の言う事がわからないのだから、その逆もまた然りだろう。
それでも、少女は地面に棒切れで絵を描くなどして、必死に何かを伝えてきた。
そうして分かったこと……それは、この子が『生け贄』としてこの場に送られてきたことだ。
どうやら寝ている間に、この先に小さな集落ができたらしく、そこの住人が、ここに定住していた俺に恐れをなして、この童を送ってきたらしい。
いや、別に生け贄とかいらんのやけど?
  
人肉なんか食べたくないし、何よりそんな知能を持った人間がいるのなら、友好関係を築きたいものだ。
よく見ると、その少女は震えていた。
まぁ、一人でこんな怪物の前に来させられたんやもんな……怖いに決まっとるわな
とりあえず、友好関係を築くためにも、仲良くなろうという意思を伝える方法を考える。
うーん……仲良くなら方法か……金平糖でもあれば、子供の機嫌をとるくらい簡単なんやけどなぁ
ここはイセカイということころで、そんなものあるはずもない。魔物の肉でよければ、たらふく……
そこで、もう一度怯える少女へと目をやった。
そういえば、この子は生け贄として食べられに来たわりに、全然肉つきとかよくないな?
生贄というのは、その生贄を捧げる対象の機嫌を損ねないように、割と発育の良い個体を捧げるはずである。にもかかわらず、彼女は疲弊しきっていた。
それを見て、考えを巡らせる。
もしかして、この子……いや、この子の集落に必要なのは、金平糖なんかじゃなくて、もっとちゃんとした生きるための食べ物じゃないんか?
そう思った俺は、むくりと起き上がると、側の茂みでこちらの様子を伺っていたイノシシのような生物へと体を向けた。
そして、そいつが逃げ出す前に、巨大な前足をそちらに向けて、爪を立てる。
ザシュッ……
そんな音とともに、イノシシ型の魔物の命を刈り取ると、その肉を、爪でヒョイっと持ち上げて、その少女の前に置いた。
すると、少女は何が何だか分かっていないのか、目を白黒させてこちらを見てくる。
「グルゥウア」
このままでは、ラチがあかないと、俺はその肉を鼻で少女に押し付けた。
目と鼻の先にきた小さな少女は、恐る恐るとその肉を持ち上げようとする。
しかし、大きなイノシシを少女一人で持ち上げることは難しかったようだ。肉はピクリとも上がらず、少女の荒いふんすっという鼻息が聞こえるのみだ。
はぁ……しゃあないな
俺はもう一度爪を立てて、イノシシを細切れにした。
すると、少女は初め迫り来る爪にビクリとしていたが、俺がすぐに手を引っ込めると、安心したようで肉を持ち上げた。
ふぅ……とりあえず、今日はこのまま帰ってもらうかな。
少女が肉を持ったことを確認した俺は、再び元の位置に戻り、首を斜めに振って帰れと指示を出す。
……が、少女はまだよく分かっていないのか、肉を抱えたまま突っ立っている。
どうしたもんか……とりあえず、もう興味がなくなったふりをしたら、帰ってくれるか?
そこで、寝たふりを決め込むことにした。足を折り曲げて、体を地面につける。翼を折りたたんで、瞳を閉じた。
それから、数時間経ったころだろうか? 辺りが真っ暗になり、本当に眠りこけていた俺が目を開けると、もうそこには少女はいなかった。もれなく肉も無くなっており、少女が書いたのだろうか? 地面には読めない文字が書いてあるばかりだ。
これで、仲良くなってくれたらいんだけどな……
結局、その日の晩御飯もなくなった俺は、再びゆっくりと真子を閉じたのだった。
  
そして次に目を開けると、もう太陽は天高くに登っていた。心地よい風が鼻腔をくすぐる。
「グゥゥアアア」
こんな音だが、これは立派な欠伸なのだ。
すると、その爆音に反応する影が見えた。
先ほどまで寝転んでいたようなそれは、音に驚いてビクリと起き上がったようだ。
……って、昨日の生け贄少女やないか!!
彼女は、目をゴシゴシとこすりながら、左手に何かを持って、こちらにトテトテと歩いて来た。
呆然としてその様子を見る俺の前に来た少女は、その左手に持ったものをグイッと突き出して来る。
これは、ちょうど俺が昨日、少女に肉を突き出した構図とよく似ているように感じる。
一体何を差し出されたのか? それを確認するために、首を下に向ける……と、そこには何やら色彩豊かなものがある。
これは……花か?
そう、彼女の手にはいっぱいの花が握られていた。これは確か、この森であってもなかなか咲いていないもののはずだ。少女の泥だらけの手から見るに、恐らく自力で探したのだろう。
まさか……昨日のお礼をしてるのか?
伝わるはずもない意思ではあるが、少女はなんの汚れもない、純粋な笑みを浮かべてそれに答えてくれる。
この子は、きっと俺を見て怖いはずや。なのに、それでも「ありがとう」を言うために、また戻って来たんか……
なんだか嬉しくなった俺は、頭を地面につけて、その子を頭上に乗っけると、そのままぐんぐんと上昇していった。
耳のすぐそばで、笑い声と歓声が聞こえる。
……ふふっ……ふっはっは!! なら、これはどうだ?
そんな調子で、少女の笑顔に踊らされたドラゴンは、そのあと日が沈むまで、その女の子と遊ぶことになるのだった。
その次の日も、生け贄少女はやって来た。そのまた次の日も、さらにその次の日も……毎日毎日やって来た。彼女は、一人でやって来ては、おしゃべりを始める。
何を言ってるかは分からないが、それでも俺は楽しかった。子供などできたことはないが、もしいれば、こんな感じだったのか? そんな親の視点で、少女をずっと見守った。
一緒に狩りに出かけたり、昼寝をしたり、時には、大空を飛ぶ……のは怖かったから、高い丘の上に散歩したりもした。
そして、それから長い、長い月日が経ち……
 




