謎の男と山にて
走る走る走る……暗闇で前は見づらいが、そんなことは、立ち止まる理由にならない。
進むべき道の先には山がそびえ立ち、俺の障害物となって立ちはだかる。
「あの山って、あんなにデカかったっけ?」
その山は、ペイジブルで普段から見慣れたもののはずだが、今日は一段と高く見えてしまう。
そして太陽がその顔を出す頃、俺はようやくその山の麓に到着していた。
薄暗い中で、木々は意思を持ったように風で揺れ動き、ザワザワと不快な音を鳴らしている。
「さて……久しぶりの山登りだな」
それに、タイムアタックだ。一分一秒でも早くこの山の向こう側、すなわちペイジブルに辿り着く必要がある。
向こう側の状況がわからない以上、最悪の場合を予想して速やかに行動するべきだからだ。
俺は、レザージャケットの袖を数回折り曲げて、軽く足を振った。
「じゃあ、よーいどんっ」
誰の声もしない山の下、そこに一人の男の声がこだました。
俺は、それを合図にして一気に駆け上がる。最初からこんなに飛ばしていたら、途中で息切れするのは分かっている……だが、そんな悠長なことを言って手遅れになったら困る。
登り始めてすぐ、目の前にいつか見た鳥型の魔物が現れた。
「邪魔するな!!」
「キ、キィイイェエエエ」
俺は、それに苦戦することもなく、刀一振りで真っ二つにして先に進んだ。
「おお、俺もちゃんと成長してるのか?」
こんな簡単に倒せるようになっているとは……
その後、何度か魔物に遭遇したが、俺は特に苦戦することもなく切り抜けた。
そして、数時間後……
「ここらで……ハァ……ハァ……山頂か」
膝に手をつき、俺は肩で息をしていた。そんな息も絶え絶えの中、俺は周りを見渡しながら山の形状を確認する。
この辺から、急に斜面の向きが変わっていた。ここまでは上り坂だったのに、ここからは下り坂が目につく。
「しっかし……無理を、しすぎたかもな……」
もう太陽も真上に差し掛かっていて、その日差しが容赦なく俺の体力を蝕んでいた。寝不足と最近の無理が祟ったのか、体が思うように動かない。
「はぁ……はぁ……」
俺は、ひとまず息を整えながら、折り曲げた袖で額に照る汗を拭う。
やばい……クラクラする
これからが大変だっていうのに、自分の体力の無さが悔やまれる。
そうして荒い息をしていると、ふとある木が目に入った。
その木は優しい色をしていた。側によるだけで癒されそうな、そんな色。
それだけではない。そんな木のそばには、椅子にするのにピッタリな石が、ゴロンと転がっている。
ゴクリッ……
「ちょっとだけ……ほんの、ちょっと、だけ……」
誰への言い訳だろうか、そうつぶやきながら、俺はその楽園までふらりふらりと歩き始めた。
今は、その場所以外目に入らない。
少し休むだけだ。大丈夫、すぐにまた走り出す……だから、だから少しだけ……
そうして、俺はなんとか石に腰掛けると、木の幹にもたれかかった。
それだけで体の疲れが取れていくような気がした。一つ大きく息を吐くと、視界が狭まっていく。
あれ……もしかして、寝ようとしてるのか?
ダメだ、すぐに立ち上がって走らないと
いや、でも、あと少しだけ……
い、いやいや! 何を呑気な!!
あれ? 目が……目が閉じていく
すこ……し、少しだから……
「待ってろよぉ……」
そして俺は、あろうことか山頂で居眠りを始めたのだった。
それは、逃れられない欲求。人間が生きようとするうえで、なくてはならない欲求……そして今、引き起こすべきではなかった欲求。
真っ暗な世界の中、何かと何かが衝突する音が聞こえる。
それは、一度や二度ではない。何度も、何度も……
ドンッ……
バコッ……
ドォォオンッ……
あぁ……人が寝てるのにうるさいな?
「……ギャァアア!!」
なんだ? 魔物の声が聞こえる……それもすぐ側から。
「ギ、ギェエェエ……」
ドスンッ……
続いて何か大きなものが地面に叩きつけられる音も、聞こえてきた。
だから、うるさいな……人が寝てるのに。
それから、少し静かになったと思ったら、人間の声も耳に入ってきた。
「おい、領主! お前、いつまで寝とんねん」
……んぁ? 領主呼ばれてるぞ……って、それは俺か
「そろそろ起きてもえんちゃうか? 十分睡眠はとったやろ」
誰だ、この騒がしい関西弁の男は……
俺は、その人物を確認するために、重い瞼をゆっくりとこじ開けた。
ぼやける視界、全体的に赤いのは、夕方だからだろうか?
っていうか、ここは……
そこで、何があったのかを思い出した俺は、目を完全に開くと、勢いよく立ち上がる。
「しくった! 完全に寝てた!!」
お尻が冷えて、痛くなっていることから、かなり長い時間この石の上で寝ていたことがわかる。
すかさず俺はあたりの確認をする。
すると、そこには魔物、魔物、魔物……数十体の魔物の死骸が転がっていた。
そして、俺の正面には一人の男がこちらを向いて、仁王立ちして立っている。
こいつが声の主か……
「お前は……誰だ?」
そいつは、ガッチリした体格をした男だった。
しかし、勇ましい体型には似合わず、お尻からは細長い尻尾をぷらんぷらんさせている。
どういうわけか、ボロボロの布切れを身にまとっており、何より目立つのは、その頭のてっぺんから首にかけてつけた浪人笠だった。
顔をすっぽりと覆い隠す竹で出来たそれは、時代劇なんかでつけてるのは見たことあったが、本物は初めて見る。
こいつは、俺を魔物から守ってくれていたのか? 見たところ獣人だが、俺はこいつを町で見たことがない。
すると、その男は一つため息をついて、その場にドカッと腰を下ろした。
「はぁ……ほんま、お前も無理すんで。俺の名前は、せやな……リューとでも読んでもらおか」
リューはそう言うと、浪人笠をより深くかぶった。
な、なんだ、こいつ……
「じゃあリュー、お前は何だ? 何故俺が領主だと知っている? それに、どうしてこんなところにいるんだ?」
目の前の男は、何から何まで怪しすぎたのだ。恐らく、リューという名も偽名なのだろう。
「おいおい、俺はお前をオネンネさせたるために、ずっとここで魔物退治しとったんやで? その恩人に警戒しすぎちゃうか?」
「ますます信じられないな、なんでそんなことしたんだ?」
「そりゃぁ、あんなフラフラの領主、山の下に送り出すわけにはいかんかったからなぁ」
こいつ、山の下で何が起こってるのか知っているのか!?
「リュー、始まりの森で何が起きてるんだ!」
俺がここまでの質問を無視してそのことを尋ねると、リューは上を指差しながら言った。
「自分で見た方が早いんとちゃうか?」
そうか、巨大壁!!
この際、なぜリューがそのスキルのことを知っているかなどどうでも良い。
「【巨大壁】!!」
俺はすかさず巨大壁を地面に展開すると、それに飛び乗った。
次第に体が上昇していく。
木々の葉を超え、さらに上へ……
木を抜けた時、西に沈みゆく太陽の光が一斉に目に飛び込んできて、思わず目を閉じてしまう。
「やっぱり、もう日が沈むのか」
俺は、目をじっと細めながら、ペイジブルの方を見た。
……すると、そこにはとんでもない景色が広がっていた。
「森が……始まりの森が……動いてる!?」
そう、森が動いていたのだ。これは比喩でも何でもない。本当に森が動いていたのだ。
木々は好き勝手に伸び縮みし、蔦があちこちで踊るように動いている。地面も好き放題に隆起し、植物のように成長しているではないか。
川の水は、その形を変え蛇のようになると、自由自在に動いている。
その信じられないような光景を目の当たりにして、かつての龍帝の言葉が蘇る。
「始まりの森がカオスって生物、か……」
あの時は、正直半信半疑だった。しかし、本当にこんな有様を見せられると、今更ながら真実だったのだと思わされる。
始まりの森はそんな有様だったが、だからといってペイジブルに何かしらの被害が及ぼされているようには見えなかった。
「急いで山を降りないと……龍帝のことも気になるし」
カオスが復活したと言うことは、龍帝の死を意味するはずだ。
俺は、一旦元いた場所に降りる。あの怪しげな獣人、リューなら何か知っていると思ったからだ。
下に降りると、相変わらずリューは同じ場所に腰を下ろしていた。
「リュー、お前何か知ってるだろ? さっさと吐け」
それは自分でも驚くほどに乱暴な言い方だった。
「おいおい、えらい怖い顔しとんな? なんや、アレが復活してイライラしとんか?」
「やっぱり、カオスを知ってるんだな? 教えろ、何を知ってる?」
「普通、人にものを尋ねるときは、まず自分の名前くらい言うもんちゃうんか?」
「お前……どうせ知ってるんだろ」
「さて、何のことか? まぁええわ、とにかく俺はな? シルドー、お前の敵じゃない」
「やっぱり知ってるのか……それで、敵じゃなって言うなら、カオスのことは教えてくれるんだよな?」
リューははぁ、とため息ひとつついて、やれやれといった風に応える。
「あぁ、そうやな。ただ、それはペイジブルに着いてからでええやろ? アレは封印から解かれたばっかりで、まだ力を取り戻してないみたいやし」
それはつまり、あの森が力を取り戻したら、ペイジブルに危険を及ぼす可能性があるということだろう。
とにかく、今は現状を知るためにも急いで山を降りることが先決だ。
「リュー、俺はスキルで山を下るが、お前はどうする?」
「俺か? 俺はなぁ……走る!」
それから、俺とリューのレースが始まった。互いに、競争しよう! なんて言うわけがない。ただ、俺もリューも相手に負けたくなかったのだ。
「おーい、リューさん? 遅いんじゃないか?」
「はっ! 何言うとんねん! お前、さっき木にぶつかって頭から地面に落ちたくせに」
俺たちは、ただひたすらに山を下った。
俺は【巨大壁】を使ってサーファーのように山を下っていく。
にしても、俺のスキルに着いてくる身体能力って……リュー、こいつは一体何者なんだ?
「あれは落ちたんじゃない! 降りたんだ」
「どこに頭から降りるやつがおんねん! ありゃ痛そうやったなぁ……じゃ、そろそろ先に行かせてもらうで?」
「うるさいな! ……ってマジか!!」
リューは、俺の方を見て余裕の笑みを浮かべると、そのまま一気に加速して、薄暗くなった山の中を駆け抜けていく。
「ちょ、待てって!!」
こいつ、まだスピードアップするのか!?
バケモンだな……あれは……
小さくなっていくリューを見ながら、俺は一言だけそう呟いた。
そして月が東の空から登り、夜の帳が下りた頃、俺は無事山を下りきった。
リューは、遅れて平原にたどり着いた俺を待っていた。
「シルドー、遅すぎやろ? そんなんでアレに勝てると思とるんか?」
「はぁ……はぁ……お前は、どんな、体してんだよ」
俺は、息も絶え絶えにリューの方をキッと睨む。
「ほんま、この体はすごいわ」
「はぁ? 自分の、体だろ?」
「え、あぁ、そうやけどな」
こいつは何を言ってるんだ。
突然の自画自賛に、どこか違和感を覚える……が、今はそんなことどうだっていい。
「それで、俺はこれから現状を確認しに領主の館に行くけど、リューも来るか? なんかお前知ってそうだし」
「おっ、ええんか? なら、今晩はお邪魔させてもらおかな」
結局その訳のからない男、リューを連れて俺は屋敷に歩き始めた。
町は何の被害も無いようだったが、シンッと静まり返っていて、慣れ親しんだ場所が、初めて来る場所のように思えた。
時たま、家の窓を風がガタガタと叩く音が耳を刺激する。
「いやぁ……ここまで完璧に避難させるとか、シルドーんとこの家来もなかなかのもんやなぁ」
「これは、家来じゃない……メイドの仕業だよ」
「メイド? そりゃまたけったいなメイドがおるもんやな」
ああ、それはもうけったいな……おかしなメイドだ。メイド服を着ていなければ、メイドだとはわからないだろう。
「ほんと、何が起きてるんだよ……イチジク」
そう呟いた俺の声は、静かな夜にはよく響いた。




