懐かしの地にて
「あーぁ、何やってんだか……」
静かな闇の中、俺は誰へ向けてでもなくそう呟いた。気まずくなって飛び出してきたものの行くあてもなく、だからといってジッとしていられなくて、俺は一人歩いていた。
「みんな勝手すぎるんだよ……何が導いてくれ! だ、そんなこと無理に決まってるだろ」
俺は前世ではただのボッチ学生だったのだ。それが気がつけば異世界で鍋蓋になって、領主をしている……そんななんの取り柄もないような俺に、この状況を打破することなど到底叶うはずもない。
「でも、フェデルタ、泣いてたよなぁ……」
あの涙の意味など、俺が知る由もない。しかし、ただあれが俺の胸を苦しめているのは明らかだった。
ふと上を見上げると、満点の星空が輝き、少し……ほんの少しだけ現実を忘れさせてくれる。
「懐かしいな……この星空。俺が八年間見上げてきた空だ」
俺が本当の意味でただの鍋蓋だったころ、ここ、アプルの森にあるゴブリンの集落で八年間、鍋の上に乗ってきた。
その時、夜に見上げたら見えるこの空は、どれだけけ見てても飽きなかったのだ。
「ゴブリンたち、元気かな……」
現実逃避のさなか、かつての記憶が蘇る。
ルビィドラゴンの一件以来、あのゴブリンたちには会っていない。
まぁ、ゴブリンからしたら鍋蓋が一つなくなったというだけの話なのだが……
「そういえば、あの集落もこの辺りだったよな?」
一人だとなんだか寂しくなって、独り言が止まらない。
彼らはアプルの森の浅瀬に住処をこしらえ、生活していたはずだ。俺の記憶が正しければ、近いはずなんだが……
俺は立ち止まると、一周回ってあたりを確認する。
……が、周りに見えるのはなんの変哲も無い木ばかりだ。目印になるようなものなど何もない。
「いや……何かいるな?」
歩いていれば気づかなかっただろう何か生物の反応。すぐ側の草木が不自然に揺れて、視線も感じた。
なんだ……? 魔物か、騎士団か?
もしかしたら騎士団の追っ手かもしれない。今は仮面を外しているが、夜にこんなところにいれば間違いなく怪しまれるだろう。
俺は、刀の柄に右手をかけつつそちらに向かって叫ぶ。
「そこにいるのは分かってるぞ! 争う気はない、出てきてくれ!」
戦うような気分ではないが、そうも言ってられない。もし人間ならこの一言で出てくるはずだが……
「出てこないということは魔物か……」
それなら対話も不要と、俺は刀を引き抜いた。次の光に照らされて、刀身が鈍く光る。
「イライラしてるんだ……憂さ晴らしに付き合ってもらうぞ?」
刀を両手で持ち、茂みに向かって走る。先手必勝はイチジクの教えだ。
走ると、耳元でビューという風の音が通り過ぎ、他の音が薄くなる。
「もらったぁあ!!」
茂みの奥、そこに何かの存在を確認した俺は、刀を右上に振り上げ、そのまま振り下ろす。
「って、躱された!!」
その振り下ろした先にあったのは地面。斬ろうとした物体は、バックステップで攻撃を軽々と避けたのだ。
そして、その影は攻撃に転じる。棒状の何かを取り出し、攻撃直後でバランスの悪い俺の、頭めがけてそれを振るう。
反射神経が特に優れたわけでもない俺は、それをただ見るしかなかった。
ガコンッッツ!!
そんな音が静かな森に響き渡る。棒状のものは、どうやら棍棒の類だったようだ。
それは、俺の脳天に直撃し、脳を容赦なく揺らす。
いてててて……ってか、道具!?
ということはこいつ、魔物じゃないのか!!
俺は、そう分かった瞬間、痛む頭を抑えながらも数歩後ろに下がった。
「お前、人間だろ!? 一旦落ち着け!」
しかし、敵は止まらない。一気に俺との距離を詰めて、懐に飛び込んでくる。
「止まれ、って!」
俺は素早く刀を前に構えてその攻撃をいなして、再び距離を開けた。
二人の間を冷たい風が吹く。
距離が開くと、その敵の存在がしっかりと見え始める。
それは、俺の背丈の半分程度の大きさで、体とほとんど変わらないサイズの棍棒を右手に持っていた。顔は歪で、その中心には大きな鼻、少し上にはひん剥いた目……そして、口元には尖った歯がある。
概ね人間の容姿だが、人間ではないことが見て取れる。
「ゴブ……リン?」
それは、紛れもなく、俺が八年間見てきたファンタジーの存在……ゴブリンだった。
「ギギャァア!!」
そう叫んだゴブリンは、俺の目を睨んで離さない。棍棒をきつく握りしめ、戦う決意が見て取れる。
俺は、それを見て刀をしまい、恐る恐る口を開いた。
「ギ、ギギァ……通じてる?」
「ギャ、ギャァア?」
「ギャァギャァ! ギギァ!」
「ギャ! ギャギギ!!」
夜の空に響く、おおよそ理解しがたい二人の呻き声……しかし、俺と目の前のゴブリンには、それだけで十分だった。
そう、俺は例のゴブリン村での八年間で身につけた能力、『ゴブリン語』を駆使して目の前のゴブリンと会話していたのだ。
さっきの会話としてはこん感じである。
『こ、こんばんは……(通じてる?)』
『お前、喋れる、のか?』
『うん! 話を聞いて欲しい』
『通じ、てる! お前、何者だ!!』
わずかな間違いはあるかもしれないが、どうやら俺の拙い喚きも、きちんとゴブリンには届いたようだった。
これまでは聞くだけだったが、自分の声に出していることに違和感を感じる。
『俺は、敵じゃない! 遠くの町の領主をしている』
『領主? なぜ、一人で、ここに、いる』
『……たまたまだ』
フェデルタとのことは言っても通じないだろうし、言ったところで無駄だから言わなかった。
『怪しい、奴め……なら、敵じゃない、証拠、出せ!』
……証拠!?
まぁ、たしかにどこぞの町の領主が、護衛も付けずにこんなところにいるはずがないか……
事実なのに……
しかし、だからといって証拠などあるはずもない。
どうしたものか……
そうして、何かないかと頭を働かせていると、一人のゴブリンの顔が頭に出てきた。
『ゴブ郎……ゴブ郎という者を知ってる』
俺はひとまず、唯一知るゴブリンの名前、ゴブ郎の名前を出してみる。
あの裸ゴブリン……元気にしているのだろうか?
すると、俺の質問に、ゴブリンは驚いたように目を開いた。
『ゴブ郎様!? 我が村、ボス……知り合い、なのか?』
ボス!? あの露出狂が?
たが、まぁこの際、それは好都合だ。
知ってるも何も、俺をゴブリン村に持っていった本人、知らないわけがない。
『知ってるぞ、昔世話になったことがある』
俺がそう言うと、ゴブリンはしばらく考えて、くるりと反対を向いて言った。
『ついて、こい……ボスに、会わす』
どうやらこのゴブリン、ゴブ郎のもと……すなわち、あの集落に道案内をしてくれるようだ。
別に会う必要もないのだが、行く宛もない身だ。故郷を守るためにあのルビィドラゴンと戦った、戦士ゴブリンのことを伝えるくらいしてやろう。
彼がどう言った生き様を描いて見せたのか、俺の見たままのことを教えてやろうと思ったのだ。
そこで、一つ頷いた俺は、ゴブリンの後をついていく。
その、灯りがともる集落……いや、もう村というべきか? には数分もしないうちについた。やはり、俺が彷徨っていたところの近くにあったらしい。
『ここが、我が村、お前、敵違う……説明して来る、ここで、待て』
ゴブリンは俺をゴブリン村の近くに置いて、入り口に向かってかけていった。
ゴブ郎、あの集落を立派にしたものだ。
あの頃はボロボロだった柵も、今では石を積み重ねたものに変わり、立派なものとなっている。
「ゴブ郎も頑張ったんだろな……」
しばらくそうして懐かしい風景を見ていると、門の方からいくつかの松明が闇を照らし、こちらに向かってきた。
「おいおい、あのゴブリンちゃんと伝えたんだよな?」
そう呟くのも無理はない。松明に照らされるゴブリンは皆武装しており、これからどこかの人間と戦うような格好をしていたのだ。
ゴブリンたちは近づいてくると、声を上げた……が、一斉に雄叫びを上げられても、ゴブリン語初心者の俺だ、ほとんどのセリフは聞き取れない。
ただ、そのどれもが好意的ではないことは読み取れた。
俺がそのゴブリンたちの反応に困っていると、一人のゴブリンの大声がそれら全てを黙らせる。
『お前ら、黙れぇええええ!!』
その野太い声には聞き覚えがあった。
ゴブ郎……だよな?
その声とともに、ゴブリンたちの中心が二つに分かれた。そこから一人のゴブリンがやって来る。
彼は他のゴブリンと違って、何も着ていなかった。所謂、真っ裸スタイルである。
彼は、周りの止める声を無視して俺の目の前まで歩いて来ると、その口を再び開いた。
『俺、ここのボス、ゴブ郎……人間、お前は?』
それは俺を試したような言い方だった。本当に言葉が通じているのか見極めるつもりなのだろうか?
『俺は、ペイジブルという町の領主をしている、シルドーだ! 実はお前のことを知ってる』
俺は、きちんと話せることを主張するためにも、いろいろな情報を混ぜて話した。
『うむ……本当に、喋れる、らしい』
それを納得してもらえた俺は、続いて要望を伝える。
『武器を降ろすよう言ってくれないか? これじゃ落ち着いて話しもできない』
そこで、しばらくの静寂が訪れた。そして呼吸を三回した頃、ゴブ郎は俺の方をジッと見てから言った。
『……それは、無理だ。人間は、我が村を、襲う、敵……俺は、お前を知らないし、信用、出来ない』
まぁ、そうなるよな……
俺がゴブ郎の立場だとして、そうやすやすと仲間を危険に合わすような真似をするわけにもいかない。
だが、もちろん、ここで待っている間、無策でのうのうとしていたわけではない。
こうなることを見越して、一つだけ作戦を用意していたのだ。
これは、知能レベルが低いゴブリンにだからこそ通じる作戦。
「なら、嘘でもつくしかないよな……」
人の言葉でそう呟いた俺は、自分の足元に【巨大壁】を展開した。
この透明の壁、本当に便利なのである。
俺はそれの上に乗ると、ゆっくりとそれを浮かび上がらせた。それと同時に体も上がっていく。
その瞬間、ゴブリンたちが、警戒……とは違う、驚き慄くような反応を見せた。目を大きく開いた顔が松明の炎に揺らめき、全員が一歩後ろに下がった。
巨大壁の見えないゴブリンたちには、突然俺が浮かび上がったようにでも見えているのだろう。
ここまでは作戦通り……
味を占めた俺は、彼らに向かって叫ぶ。
『控えろ、ゴブリンたちよ! 私は……』
俺は、ゴブリンたちが何か言い始める前に見下した姿勢で、言葉を紡ぐ。
『伝道師だ!!』
ゴブリンたちがざわつく。
『静かに! 私がゴブリンの言葉を解するのも伝道師が故だ! 今日はこの地にゴブリン伝説を伝えに来たのである!』
嘘と真実を織り交ぜて、俺は言葉を続ける。
『これは数か月前に遡る! あるゴブリンの集落に、狩りにおいて新人のゴブリンがいた。彼はその日、初めて狩りに出たような奴だ』
そこで一度大きく息を吸う。
『彼はずっと故郷の役に立ちたかった! しかし、彼の狩りでは失敗ばかりで、微塵も役立てなかった……』
それからも俺は彼らに語りかけた。夜見回りに出かけたこと、強大な敵に立ち向かったこと。
いかに素晴らしいゴブリンがいたのかを、いかにあなたたちゴブリンが素晴らしい種族であったのかを。
『そこで彼は息を引き取った……最後はボロボロだったが、笑顔だった! 私はあの笑顔を一生忘れないだろう!!』
そこまで語り終えた俺は、ゆっくりと地面に降りていった。
今、俺に対して武器を構えたゴブリンはいない。皆、武器を地面におき、膝を折り曲げてこちらを見ていた。
『……では、この新人ゴブリンの伝説を心に留めて、よりこの村の発展に勤しんでくれ』
こんなところで何をやってるんだか……
ふと冷静になると、そんな感想が心の中に浮かび上がる。
「これでお前も英雄だぞ……新人ゴブリン」
もうこの村に用はない、俺はそのまま踵を返そうと後ろを向いた……が、それはゴブ郎の声によって中断させられることになる。
ゴブ郎は、また一歩俺に近寄ると、言ったのだ。
『本当に、伝道師様、なのですか?』
『あの話を聞いてもまだ疑うのか? だがまあいい、この地への用は済んだ』
やはり俺は足を進めようとする……が、ゴブ郎は帰してくれるつもりはないようだ。
『お、お待ち、ください!』
「なんだ、まだあるのか?」
つい人の言葉でそう言いながら、俺は止まった。
『伝道師様は、偉大な、お方……』
『いや、別に偉大とかでは』
『どうか、私たちを、救ってほしい!!』
救う……? それはどういうことだ?
俺は思ったことをそのまま質問する。
『どういうことだ? 説明してくれ』
『この村は、人間の襲撃、厳しい……このままだと、滅ぶ』
『そうなのか? 石の柵までこさえて、なかなかの防衛力だと思うが?』
『ダメ、一瞬で破壊……ゴブリン、弱い。淘汰される、摂理』
まぁ、たしかにゴブリンは弱い。冒険者に成り立てでも簡単に倒せる相手で、その討伐報酬の少なさがそれを証拠付けている。
しかし、逆を正せば冒険者にとってはなんの旨味もない存在なのだ。
それでもここのゴブリンが襲われる理由……
『ここが、街に近いから……か?』
『あぁ、その通り。私たちは、昔、もっと、森の奥に、住んでいた。でも、数年前、強い魔物が、山から、降りてきた』
これは紛れもなく、ブレッドのせいだろう。
ルビィドラゴンをはじめとする強力な魔物たちをブレッドは魔術を用いてイーストシティ方面に侵攻させたと聞いている。
『そのせいで、私たちは、逃げた、この場所に。でも、こっちには、人間がいた。人間は、強い……ゴブリンじゃ、到底、勝てない』
『それで、手詰まりだから助けてくれと?』
俺の質問に、ゴブ郎は黙って頷いた。
そうか……ゴブ郎も苦労しているのだろう。同じく土地を治めるものとして、その責任と苦労は痛いほどわかる。
そして、今の俺と同じように、「どうしようもない状況」を迎えているその気持ちも。
ゴブリンたちの縋るような目が俺に集中する。
正直、「無理だ!」とだけ言って立ち去りたい……が、そう思う度にあの新人ゴブリンの最期の顔が脳裏に浮かぶ。
なら、助けるとしたらどう助ける?
松明がパチリ、パチリと弾ける音が静寂に響く。
助ける……か、この俺が?
いやいや、一方的に助ける? それは割に合わない。
なら、一方的でなくすれば……
そう考えた時、一つ……俺もゴブリンたちもこの状況を打破できる案が一つだけ思いついた。
『ゴブリンたちよ……俺は領主もしていると言ったよな? そこに来ないか?』
俺の発言にザワザワとゴブリンの声が溢れ出る。
『町の近くに始まりの森という場所もあるし、人間と協力しあって生きていけるはずだ』
『そ、それは、私たちは、襲われ、ないのですか?』
『勿論だ! 俺が領主として責任を持ってお前たちを守ろう』
俺の言葉に、歓声が上がる。
『だがな……二つ、条件がある!』
そう続けると、騒がしかった森が、シーンッと静まり返った。
俺は、人差し指を一本ピシッと立てて、そのゴブリンたちに向けて叫ぶ。
『一つ……人間を襲わないこと! これは協力関係を築く上での絶対条件だ』
すると、それを聞いたゴブリンたちは黙って息を飲んだ。
続いて、俺は人差し指と中指を立てて、仮に見せた。
『そしてもう一つ……ここに俺の仲間が四人来ている。その中の二人が重傷を負っているんだが、それの手当てをしてほしい』
言うまでもなくシアとシルのことだ。
ゴブリンが町に来ることに特にデメリットは存在しない。ゴブリンは労働力になるし、狩りの技術も一人前だ、特に断る理由はない。
俺がそう言うと、ゴブ郎が座ったままお辞儀して言った。
『条件、了解した……これから、よろしく、頼む』
『そうか……よろしく頼む、ゴブ郎!!』
ホッと一息つき、ゴブ郎と手を握った。
こうして、ゴブリン総勢約百名が領民となったのだった。




