馬車の中にて
「それでシアとシル、二人の具合は?」
俺の質問に、フェデルタが答える。
「正直、生きているのがおかしいほどの重傷だ」
つまり、少なくとも生きてはいる……
王都を飛び出した俺は、無事にアプルの森近くの待ち合わせ場所に辿り着いていた。
俺が時間を稼いだおかげか、リン、シア、シルの三人も無事馬車に到着していたのは不幸中の幸いと言えるだろう。
今は、重傷の二人は馬車の椅子の上に寝かされている。
「しかし、合流するのは明日の朝だったはずだ。何故こんな真夜中なのだ? それに、こんなボロボロで……」
フェデルタがシルの脈を取りながら、そんなことを聞いてくる。俺は、レザークラフトで新しい服を作りながら口を開いた。
「盗みに入ってそのまま逃げてきたんだよ」
俺はあえてボロボロの理由を言わなかった。言う必要がないと思ったのか、もしかしたらフェデルタに失望されるのが怖かったのかもしれない。
「王城にだと?! 王城はこの帝国の要、かなり厳重な警備が成されていたはずだ」
「あぁ……強かったよ」
しかし、結果として目的のものは手に入ったのだ。多くのものを代償にしながら……
「はぁ……また無茶をする。それで、これからどうするつもりなのだ?」
その質問に、レザージャケットに袖を通しながら、質問で返す。
「今からペイジブルに帰って、それからこの二人を治療しても間に合うか?」
シアとシルが重傷なのは目で見ればわかるが、それがどのレベルで命に関わってきているのかが分からない。
一番いいのは、ペイジブルに直帰して指輪を龍帝に渡す。それと同時にシアとシルの治療を最優先で始めることなのだが……
目を閉じたまま開かないシアとシルの顔を見て、すくに目線を逸らす。フェデルタの答えを待つ。
「私も医療に詳しいわけではないが……町まではもたないだろう。ましてや揺れ動く馬車の中だ、悪化するのは目に見えている」
フェデルタがそう言った。
「そう……か」
そう静かに告げると、俺は思考の海に飛び込んだ。
なら、シアとシルをイーストシティにおいて治療してもらうか?
……いや、それだと騎士団にバレるのは時間の問題だ。
王都から知り合いを探して事情を説明するっていうのも手だが、その時間すら惜しい。
なら、無理やりペイジブルまで帰るか? ダメだ、二人が死んでしまう。
ならどうする?
フェデルタに指輪は任せて俺は治療を……
ダメだ、治療なんて出来るわけがない。俺は医者でもなんでもないんだ。
どうする……知らない。
どうすれば……分からない。
次第に脳がその機能を停止させていく。解決策を考えることが出来なくなり、最悪の未来ばかりが頭をよぎる。
このままここでグダグダしていれば、龍帝が死んで、同時に町の人々も死ぬ。仮に進めば、シアとシルが確実に死が訪れる。
これはもう決定事項なんだ、どちらか二つしか選べない。
俺に選ぶことは出来ない。
みんな助かる方法? そんなものない
どちらが正解だ? 指輪を届けることだろう
ならなぜ悩む? 俺が連れ出したこの二人が死んでしまうから。
誰か……誰か俺を助けてくれ!
深い思考の海に溺れる俺の瞳に、ある騎士が写り込んだ。
俺はフェデルタに問いかける。
「なぁ、フェデルタ……どうすればいい? 分からない。分からないんだ……教えてくれ! 俺はどうしたらいい?」
それは親にすがる子供のように、後のことを託すように、フェデルタの方を見て答えをすがる。
しかし、彼女はひとつ息を吐いて、俺の求めていない答えを提示する。
「主人殿……そんな方法、私は知らない。だが、主人殿なら分かるはずだ……これまで何度も困難を乗り越えた主人殿なら」
俺なら分かる? 何をバカなことを言ってるんだ。
これまでなんとかなってきたのは、別に俺の力じゃない。周りの奴らが凄かったからだ。俺はただ、そのすごい奴らの中に紛れ込んだ一般人なのだ。
「俺なんかが、どうにかすることなんかできないだろ……」
俺に、出来ること……
そう考えた時、すごくシンプルな答えが帰ってきた。
それは、何よりも簡単で、何よりも効率的で、何よりも俺にふさわしい行為だった。
俺は、ポツリと呟く。
「そうだ……そもそも、どうにかしようとするのが間違いだったんだ」
俺は、非力で非道で善行が大嫌いな人間だ。
そんな俺に残された手段……
俺は、自嘲気味に笑った。
「この場から……全部、全部ほっぽり出して逃げればいんだ」
そうだ。なにも、俺がどうこうする必要なんてない。きっと誰かが……誰かがどうにかしてくれるはずだ。
俺なんてもんが首を突っ込むからいけないのだ。もっと上手くやるやつらなんて、この世界にはごまんといる。
それがいい、領地もシアたちも、龍帝もカオスも全部から逃げればいい。
すると、シアとシルの治療をしながらそれを聞いていたフェデルタが、スクッと立ち上がった。
そして、彼女はその美しいまなこで俺をとらえる。
それは静かに始まった。
「主人殿……リンは今、魔物をここに近づけさせないために馬車の外で一人戦っている。私は今、自分に出来る最大限の治療を二人にしている。ペスは今、いつでも出発できるように馬車の前で待機している」
そこで、フェデルタは二人のもとから、俺の方にゆっくりと歩いてきた。
馬車のギシギシと軋む音が、静かな夜にはやけに響いた。
「だが、主人殿は今何もしていない」
フェデルタは、俺の胸ぐらを掴むとその整った顔を、鼻先が当たる距離まで近づけた。
「しかし……しかしだ! この状況をどうにかできるのは、シアでもシルでも! リンでもペスでも私でもない!!」
声が大きくなり、その迫力が増していく。
「主人殿、お前だけなのだ!! 私たちにはどうにかする力などない! だがな、お前はこれまでだって、こんなピンチ何度も乗り越えてきたはずだ!!」
俺がこの状況を打破する? 無理だ……そんなこと出来るはずがない。俺はただの鍋蓋なのだから……
「考えろ! その方法がどんなに無様だって、汚くたって……誰からも認められなくてもいい! 私は主人殿の素晴らしさを知っている! その行為を否定などしない!」
そんなことを言ったって……
「頼む、私たちを導いてくれ! それが領主の……シルドーとしての役目なのだろ!?」
その時、何か冷たいものが俺の頬に当たった。それは、頬に当たるとそのまま滑り落ちていく……
これは、水滴……?
「お、おいフェデルタ……お前なんで、泣いてるんだ……?」
水滴の正体、それはフェデルタの涙だったのだ。彼女は涙で目尻を濡らし、それでも必死に俺を説得していた。
「泣いてなどいない。ただ、これだけは理解して欲しい。主人殿、あなたならこの状況をなんとか出来るはずだ! これまでみたいに私たちを導いてくれ!!」
そう言い切ったフェデルタは、確かに泣いていた。鋭い眼が俺を捉えて離さない。
俺は、一歩たじろぎながら無理やり目を逸らした。
「フェデルタが俺にどんな期待をしているのか知らない……だが、俺はただの人間で、鍋蓋なんだよ。これまでだって、たまたまうまくいっただけだ、俺は何もすごくない!」
はじめは弱々しかった声も、開き直れば偉そうに、大きな声で言うのは簡単だった。
「そもそも、俺はこんな大ごとに首を突っ込むような奴じゃないんだよ! 勝手に期待したのはお前らだ、俺はその責任を取る気は無い!!」
俺は最後にそう叫ぶと、胸ぐらを掴むフェデルタの手を振り払った。
フェデルタの手は思ったよりもか弱く、簡単に離れていった。
フェデルタは、俯きながら呟く。
「そうか……だが、私は今の主人殿の指示に従うことはできない」
「勝手にしろ……」
俺はそれだけ言い残すと、馬車を飛び出した。外は真っ暗で、星の灯りが唯一の明かりだった。
飛び出した瞬間、警備をしていたリンと目があったが、彼が俺を止めてくることはなかった。
……俺は、そのまま足を進めて深い闇の中に消えていく。




