異変の始まりにて②
リンに治療をしてもらうために俺は上半身を起き上がらせる。
痛みが引くことはない。ただただ痛みが抉れた場所を中心に広がっていたが、これくらいで済んだだけましだろう。
なんせ、ペガサスの後ろ蹴りをもろに食らったのだから。
リンが流石の手際で治療を終わらせていく。
 
その間、俺はボーッと今だに煙立ち込めるペガサスのいた場所を見ていた。
「さて、生きてるか、もはや粉々か……」
煙が風に流されていく。
そこにいたのは……
「ははっ、まさかの裏ボス登場かよ」
そう、そこには、全く傷を負っていないペガサスと……
その刻印を守るように薄ら笑いを浮かべる少年の姿があった。
少し宙に浮いた彼は、シルクハットを目の位置までかぶっていて、そこから真っ赤な眼光を光らせていた。
普通ならそれを見れば怯むかもしれない。
だが、その異常さには嫌という程付き合わされた俺は、今更怖気付かない。
俺は、治療もそこそこに痛む場所を抑えながら立ち上がる。
そして……
一気に刀を抜いて走る。
両手で刀を持ち、一直線に。
「ブラッドォオ! そろそろ失せろ!!」
この惨劇を引き起こしたこと、死ぬほど後悔させてやる。
俺は、横腹の痛みを抑え込み、吹き飛ばされた位置からブラッドのもとまで走り寄っていた。
そのまま刀を横に一閃……
  
「……おや、久しぶりだね? お兄さん」
フワリ……
そんなことを言いながらブラッドは上空へと飛んだ。そばにいたペガサスも同じように上空に駆け上がる。
刀が空を切る。
「チッ、降りてこい! 目的は何だ!」
「目的? もう感づいてるんじゃないかな?」
刀を上に構えたまま、その目的について考える。
ブラッドがこの森で神獣、ペガサスを使役した理由……
一言、俺は確認する。
「カオス……か?」
「あったりー、やっぱり勘が鋭いね! その通り」
やっぱりか……
ブラッドは続ける。
「カオスなんて便利な生物がいるなら、それを復活させて、人間をやっちゃおうってね」
ブラッドはさも愉快なように笑いながら答えた。
奴はペガサスのもとまで行くと、背中に腰を下ろして足を組む。
「一番手っ取り早いのが龍帝を殺すことなんでしょ? それが無理ならこの森の魔物の始末によるカオス自身のレベルアップ……」
「なぜお前がそれを知ってる!!」
カオスの情報すら知っている者達は少ない。なにより、その封印の解除方法など知っている人間は厳選されているはずだ。
すると、ブラッドは人差し指を立て、ある方向を指差した。
「そこにいるオッドアイのおねえちゃん……ヨシミ? だったかな、に教えてもらったんだよ」
  
「……な!?」
ヨシミ!? まさか裏切り……
俺はブラッドとは面識のないはずのヨシミを見る。
すると、彼は冷や汗をタラタラと流しながら「やっちまった……」と聞こえてきそうな顔をしていた。
バカミのやつ、何か知ってるな……
すると、ブラッドがヨシミの顔の理由を楽しそうに言い始めた。
「この前、駐屯地に行く彼に、どうして森に入って狩りをしちゃいけないの? って聞いたら、懇切丁寧に教えてくれたんだ」
「バカミ……あとで説教な?」
「うっ……あの時はイライラしてた。我は無罪」
やっぱりヨシミのせいだったのかよ……
ヨシミにあとで死ぬほど後悔させることは置いといて、兎にも角にも今はこの現状をどうにかしなければならないだろう。
俺は標的を切り替えて、ブラッドを睨む。
「そこで待ってろ! 首をかっ裂いてやる!」
俺は、有無も言わせず地面に【巨大壁】を展開した。
「おや、なら選手交代といきましょうか」
ブラッドがそう言うと、ペガサスがこちらを睨んできた。
その上空では、雪を降らせた薄暗い雲が集まってきていた。
その色は薄暗いと言うよりは、もはや真っ黒と言った方が相応しいような状態になっている。
「まさか……な」
ペガサス……神話ではカミナリを運ぶ存在としても描かれた伝説上の生き物だ。
  
だからって、イナズマに飽き足らず、本当にカミナリを操ることなんて出来ないだろう……
そう思いたいのだが、現状を見る限りあの雲から嫌な予感しかしない。
すると、その嫌な予感が確定する知らせが龍帝によってもたらされた。
「領主! 気をつけよ、空からくる雷に村もエルフも滅ぼされかけたのじゃ!」
やっぱりかぁ……
「リン、シア! 龍帝を連れて遠くへ逃げろ!」
俺はそれだけ言い残すと巨大壁に乗って、ヨシミに近づく。
そしてそのまま、一人取り残されてオロオロしていたヨシミを小脇に抱えた。
「飛ぶぞ! 下を見るなよ!」
「えっ! ちょっ、どうするのだ!?」
俺の腕の中で腰を持たれて、ぶら下がった状態になっているヨシミは、今の状況がいまいち掴めていないのか、アワアワキョロキョロしている。
  
それじゃ、早速味わっていただこう……
「飛ぶぞぉおよしみぃい!!」
俺は、ヨシミを片手で抱えたまま、巨大壁を一気に浮かばせた。
景色が一気に変わり、ペガサスとブラッドとの距離が近づく。
すると、脇の辺りから甲高い叫ぶ声が響いてきた。
  
「いぎゃぁああ!! と、飛んでる!! 浮いてる!」
だから、飛ぶと言ったのに……騒がしい奴だ。
「うるさい、バカミ! お前は俺の砲台として魔術を発射しろ!」
そう叫んだ瞬間だ……
バリィイイイイイインッッッツ!!
ゴロゴロッという音とほぼ同時に、巨大壁で飛行する俺たちの真横を雷が通過した。
「ひゃぁあああ!!! これはやばいっ避けろ、避けて!!」
「分かってるよ! このスキルは扱いに集中しないとダメなんだよ! お前は黙って魔術の詠唱してろ!」
ギャーギャーうるさいヨシミを一喝して黙らせると、俺は次から次に落ちてくる雷を左へ右へと躱す、躱す、躱す、躱す……
くそっ、ふざけんな! こんな予想しようのない攻撃どうしろってんだよ!
そうして十数本の雷を見事(と言うには運要素が強かったような気もするが)躱した頃、小脇に抱えた砲台ことヨシミが詠唱を完了させた。
俺は、ヨシミを少し前に突き出しながら叫ぶ。
「たまには役立てヨシミィイ!!」
「おりゃあ! 泣きの【フレイムファイアードラゴン】!!」
ファイアーフレイムドラゴン……いつか見た真っ赤な炎で出来た龍がそこに顕現する。
こいつによる攻撃は確かに破格の強さがある……が、ペガサスとブラッドのコンビに通用するか?
きっと無理だろう。これまで同様弾かれて終わりだ。
なら……
「おいヨシミ! 今からこの巨大壁を重力に任せて落下させる! お前はうまく脱出して逃げろよ!」
そう言うと、俺は巨大壁にヨシミを残してファイアーフレイムドラゴン……その名の通り炎の龍に飛び乗った。
普通の人間なら焼け死ぬような業火ではあるが、熱耐性(極)を手に入れた俺に恐れる炎はない。
「え!? ちょ、ちょっと待て……お、ゆるさ……」
最初はすぐそばで聞こえたヨシミの声が、次第に遠くなってくる。
ヨシミは無事地面にたどり着いただろうか?
ま、いいか……
俺が【巨大壁】を解除すると、負担が一気に和らいだ。
「行け、フレイムファイアードラゴン! あれ、ファイアーフレイムだっけ?」
命がない龍だ、俺の言葉に返答などするわけもなく、ただ敵を倒すためだけにペガサスとブラッドに向けてその矛先を向けて突撃する。
ギュルァァァア!!!!
そんなたくましい咆哮を味方につけ、一気に目標へと差し迫る。
お陰で、ブラッドの声がより鮮明になる。
「おや、まさかこんな強力な魔術が使えるとは……それより、どうして兄さんはその上で平気なのかな?」
ペガサスに近づくにつれて雷の量が増えていく。
それに、的確に俺を仕留めに来ていて、時々俺の乗るフレイムファイアードラゴンにも命中する。
「あっぶねぇな……もし俺本体に命中したら流石に死ぬぞ」
雷は高いところに落ちるというのは本当なのだろうか? とにかく、俺は少しでも体を低くして炎に体を埋める。
そして、結果として数回の雷が命中した時……
ついに奴らの目の前まで到着した。
「よくこの雷の雨をぬけてたどり着いたね! 感心するよ」
「ああ、おかげさまで俺は一部負傷して全身焦げたがな!」
ブラッドとの会話が成立するまでの距離に来ていたのだ。
その体はあちこちに焦げ跡がある。
これは、フレイムファイアードラゴンによるものではなく、雷の直撃によるものだった。
俺は体を起こしつつ、命なき龍に向かって声をかける。
「いったれぇええ!! 相棒!!」
優雅に飛行するペガサスに、フレイムファイアードラゴンが大きな口を開けて突撃する。
そのまま俺も乗っていては道連れを食らうだけだ。
俺は、そのドラゴンよりも高く、ペガサスやブラッドよりも高くドラゴンの頭から飛び上がった。
「ほんと、落ちたら死ぬだろうに……君の行動は常軌を逸しているよ」
「こちとら、そうでもしないと生きていけないんだよぉ!!」
高く上がった俺の下で、フレイムファイアードラゴンがペガサスとブラッドを飲み込んだ。
標的を取り込んだドラゴンは、そのまま燃え盛る業火となる。
普通ならこれで終わりだろうが、俺は知っていた。
ここでブラッドたちを無視していては、結局始めからやり直しだということを。
高くジャンプした俺は、刀の先を下に向け持つ。
そしてそのまま重力に任せて、いまだに炎が吹き荒れるブラッドたちのもとに自由落下する。
刀を真下に向けているのは、このままどちらかには刺さるだろうという魂胆だ。
「どっちか当たれば大当たりぃい!!」
俺は、そんなことを叫びながら意気揚々と炎に飛び込んでいく。
そして……
 
「残念、大ハズレ」
……な!? 防がれた!!
俺のすぐ真下で、大当たりのはずのブラッドの声が聞こえた。
これは……ステッキか!!
ペガサスに乗った彼は、手に持っていたステッキでいとも簡単に俺の攻撃を防いでいた。
「くそったれぇえ!!」
もともと落下の力にだけ任していた俺は、ブラッドに軽く防がれ、そのまま体が下に落ちていく。
よく見ると、極大魔術であるフレイムファイアードラゴンの攻撃は二人に対して何の意味もなしていなかったらしい。
無傷な一人と一匹がそこにいたのだ。
やっぱり、ペガサスには何かしらの魔術耐性がついていたのか……
最初にヨシミの攻撃が防がれた時点で気付けばよかったものだが、今更確信してしまう。
ブラッドがあの炎に焼かれて無事だったのも、ペガサスが翼で塞ぎでもしたのだろう。
このまま落ちれば痛いじゃ済まないだろう……
あぁ……嫌だなぁ……
そもそも、なんで俺はこんなことやってんだか……
美人の龍帝がピンチってことで、思わず走ってきたけど、これだと割りに合わないな……
もし生きてたら、龍帝に色々してもらわないとな……そう、イロイロ……
まぁ、ここまでしてやったんだからな……
そう、ここまで……
「……ふふふふふっ」
思わず漏れた笑いのあとで、俺は口を大きく開いた。
「……この勝負、俺たちの勝ちだ!!」
真っ逆さまに落ちながら俺はブラッドにこれでもかというほどの大声を上げる。
今俺が素直に落下していっているのには訳がある。
本来なら、お得意の【巨大壁】を展開してそこに乗っかれば助かることも容易いだろう……が、今の俺はそれができない理由があった。
理由は簡単だ。
【巨大壁】は一つしか展開できない……そして、今、現在進行形でそれを展開しているからだ。
「俺の【巨大壁】弾丸バージョンはさぞかし痛いだろうな! ペガサスよぉ!!」
これから死ぬかもしれないというのに、笑いが止まらない。
そもそも、フレイムファイアードラゴンはただの目くらましにしか過ぎなかったのだ。ヨシミの攻撃じゃペガサスに攻撃が通じないことくらい分かっている。
俺の本命は、前に一度試した最小の【巨大壁】をペガサスの右もも、刻印に命中させることにあったのだ。
本来なら防がれていたかもしれないその攻撃も、流石に炎の中なら防げなかったようだ。落ちる寸前に発射した弾丸は綺麗に刻印に命中して右ももを抉った。
「つまり、大当たりなんだよ! ハッハッハッッッァアアぁあ落ちるぅ!!」
地面が近くなってくるにつれて、自分が死ぬという実感が湧いてきた。
いくら俺が丈夫でも、ここにくるまでにすでにボロボロの体だ。この落下の衝撃で死なない確率の方が低いだろう。
「あぁ……最期にフェデルタに謝っときたかったな」
俺は、そのまま目を瞑った。二度とこの目が開くことは無いのだろう……
そろそろか? そんなことを思った時、頭の上から声が聞こえた。
「なら、今謝れば良いではないか……主人殿?」
……え?
この声は聞き覚えがある……そもそも、俺のことを主人殿と呼ぶのは世界広しと言えどもたった一人だ。
俺は、もう開かないだろうと思っていた目をゆっくりと開いた。
「フェデ……ルタ……?」
「ああ、主人殿に助けられた首なしデュラハンの騎士……フェデルタだ」
たしかに俺の目にははっきりと、真っ白の髪を持った黒鎧の騎士、フェデルタが写り込んでいた。
しかし、その姿は上半身までしか確認することができず……
「っておい! これお姫様抱っこじゃないか!」
そう、俺は女性であるフェデルタにあろうことかお姫様抱っこされていたのだ。
背中にもしっかりとフェデルタの腕の感触がある……なにより目の前には大きなたわわなものがあった。
「空から落ちてくる主人殿を受け止めたのだ、このような体勢なのも無理ないだろう?」
受け止めた……?
ああ、確かに俺は無事地面に着陸していたようだ。周りを見ると、いつもの高さに木々や草花があった。
俺は、死ぬ覚悟をしていたからだろうか、まずフェデルタに伝えたかった言葉が出てきた。
「フェデルタ、あの時は怒鳴ってすまなかった……それと、こんな頼りない主人ですまん」
すると、フェデルタから予想外の言葉が飛び出した。
「気にするな、それに、私の方こそ申し訳ない……あれは確実に私の身勝手だ」
そう言って、彼女は俺のことを降ろしてくれる。
「私は主人殿を失うのが恐ろしいとともに、自分の役割に意味が無くなって存在意義がなくなることが怖かったのだ……」
「それは……」
違う、そう言おうとした俺の口をフェデルタは人差し指で閉じる。
「それから、『こんな主人』……なんて言い方するな。そんな主人だから私たちは付いていくんだ」
「私たち……?」
俺は、その言葉に引っかかって周りを見渡すと、確かにもう一人いた。
彼女は黒いドレスに真っ白なエプロンをして……いわゆるメイド服を着ていた。
少し離れた位置にいた彼女は、一つ礼をして口を開く。
「どうも、完璧メイドのイチジクです。ヒーローは遅れてやってくる……というわけで危機一髪のタイミングで華麗に参上しました」
こいつ……
何か一言言ってやろうとしたところで、フェデルタが俺の耳元に顔を寄せて笑いながら耳打ちしてきた。
「あんな余裕ぶったこと言ってるが、ここにくるまではずっと眉間に眉を寄せて焦ってたのだぞ?」
ほう……
俺はイチジクのもとまで進むと、同じく軽口を飛ばす。
「メイドでヒーローとは、キャラぶれすぎじゃないか?」
「おや? 変態でメガネ好きなマスターにそんなことが言えるのですか?」
「おい、俺は変態でもメガネ好き……はそうかも知れんが、半分は間違ってるぞ」
「すみません、露出魔というのが抜けていましたね」
「誰が露出魔じゃ!……って、確かにこのままじゃ否定もできないな」
さっきの戦闘で俺の服はほとんど燃え尽きていた。
「スキル【レザークラフト】」
俺は、それで出した服を素早く着ると、周りを見渡す。
「ペガサスとブラッドは……」
「ペガサス? 神獣のことですか? 神獣ならどなたかが破壊した刻印のおかげでブラッドのもとから逃げ出して、今は龍帝を守っていますよ」
ペガサスが龍帝を!?
いや、もともと龍帝たちとペガサスは良好な関係を築けていたはずだと言っていた。
ペガサスに使役時の記憶があるのだとしたら、龍帝を守るというのは正しい判断だろう。
「なら、ブラッドは龍帝を殺すためにあいつらのところか?」
「そうでしょうね……私たちもきちんと見ていたわけでないですが」
そうと決まれば助けに行くしかない
ってどこに……
その時、どこかで見たことのある炎の龍が少し北の森の中で立ち上がった。
「ヨシミのやつ、森が燃えたらどうするつもりなんだか……」
まあ、とにかくこれで彼らの場所は分かった。俺はすぐにそっちに足を向ける。
「おや、主人殿……また一人で行くつもりか?」
「流石に怪我人に戦わせるわけにはいきません」
進もうとした瞬間、二人同時にそう言って肩を掴まれた。
「そうだな……俺は戦闘力とかほとんどない。正直すぐに帰って寝たい状況だ……」
しかし、ここまできてそれは出来ない。
なら、どうするか……
簡単だ。
人に頼ればいい。
……決して、面倒臭いから人にやらせるんじゃない。
俺一人じゃどうしようもないからだ。本当だ。
ここまで来れたのは、他の奴らの力があったからだ。だから、今回も最大限にそれを利用する、それだけだ。
俺は自らの意思を肯定すると、言葉を紡ぐ。
 
「だから、ここからは頼んだぞ……イチジク、フェデルタ!!」
「はい、任されました」
「ああ、任された」
こうして、俺たち三人は龍帝たちがいるであろう方向に向けて走り出した。
いつのまにか雪は止んで、西に傾いた太陽が見える。
太陽の光に雪が反射して、キラキラと光り輝く。
そんな中を走り抜け、ヨシミの魔術が見えた場所を目印に進むと……
五分もしないうちに俺たちは見つけることができた。魔族のブラッドと、それを取り囲むように立つエルフのシアとリン、フードを被ったのヨシミ、翼を持つ馬のペガサスの姿を。
龍帝は、その後ろで苦しそうに息をしている。
「うーん……やっぱり、厳しそうだな」
唯一の味方がいなくなったブラッドではあったが、やはり彼の力は段違いなようだった。
シアによる矢も、ヨシミによる魔術も……すべて弾かれていたのだ。
なぜ俺はそんなことを冷静に見れているのかというと……
その戦闘の様子を、俺たちはそこから遠く離れた木の上から見下ろしていたからだ。
何も律儀に面と向かって戦う必要はないということで、遠くから遠距離攻撃をすることにしたのだ。
俺は、幹を支えにして隣の枝に立つイチジクの方を向く。
「イチジクいけるか?」
「はい」
それはたくましい。俺とフェデルタがイチジクから少し離れると、彼女は腕の形を変形させ始めた。
右手を前に突き出し革手袋をはずすと、形を銃に変えてゆく。
  
その姿は、右手を銃にした人間そのものだ。
彼女は、ブツブツと標的までの位置を計算すると、片目に十字の照準器を浮かび上がらせた。
頼むから他の奴らには当てるなよ……
そんなことを思いながら、再び遠くの戦闘現場を見ている……
と、突然構えていたイチジクが銃を降ろして俺とフェデルタに飛びかかってきた。
ガサガサッ……その反動は枝を揺らし、思わずバランスを崩して、地面に落下しそうになる。
「なんだ突然!? 落ちるだろ!」
すると、俺の胸元でイチジクが早口に言った。
「気づかれました! 木から降ります」
ジュッツツ!!
突然、何かが溶ける音がすぐそばからした。
慌てて音のした方を見ると、俺たちのもといた場所の木が溶けていた。
「な!?」
思わず驚きの声を漏らすと同時に、フェデルタの声が聞こえた。
  
「これは……間違いない、吸血鬼の血だ! 奴らは血を使って戦う魔族なのだ」
その解説を聞いても、にわかに信じがたい。
「それだと、あの位置から的確に俺たちに発射してきたことになるんだが!?」
俺たちとブラッドの距離は、学校の校舎四つ分は離れている。
まさか、この距離の攻撃が可能なわけ……
そう思ったが、フェデルタがゆっくりと首を縦に振った。
「ああ、その認識で間違いない。前にも言ったはずだ。ブラッドは魔族の中でも相当上のクラスだと」
まじかよ……もしかしなくても、とんでもないやつを相手にしたんじゃ……
そんなことを言っても今更後には引けない。俺は二人にゲキを飛ばす。
「とにかく、バレたらここにいる意味はない! すぐにでも援護に向かうぞ!」
今更ビビって何になる!
そう切り替えた俺は、下の枝に足を引っ掛ける。
そして、そのまま木から降りて、ブラッドのもとへ走り出した。
それから五分もしないで、俺は立ち止まって息を整えていた。
「はぁ……はぁ……」
  
「おやおや、ついに厄介な三人まで到着しちゃったみたいだね……」
俺たちは、ブラッドの目と鼻の先にまで到着していたのだ。
それを取り囲む仲間たちは皆ボロボロで、立っているのがやっとの状態だ。
「フェデルタ、イチジク、遅いぞ」
ヨシミが肩で息をしながらそんな悪態を吐く。
「すまない、遅くなった」
フェデルタがそう言うと、ヨシミがジト目で俺のことを見てくる。
 
「ちゃんと謝ったって! それより、ほら! そろそろ決着をつけるぞ」
改めてブラッドの方を見ると、彼は左の手のひらから血を垂れ流していた。
あれが攻撃の要か……
俺はどの仲間よりも前に出て、ブラッドと向かい合う。
「また会えたな、ブラッド」
「ははっ、君たちは本当に面白いね! 僕をここまで驚かせたのは君たちが初めてじゃないかな?」
「軽口もこれで終わりだ……そろそろお前の息の根も止めてやる」
「是非ともやってみてよ! 殺れるもんならね」
次の瞬間、ブラッドはその左手をこちらに振ってきた。
血飛沫が意識を持ったようにまっすぐ俺の方に飛んでくる。
「テメェの血なんぞ怖かない!」
俺は、ここは防御より攻めだと一直線に走り出した。
カッコつけたことを言っているが、内心はビクビクだ。
ただ、防御したところであんな小さな粒、躱すことはできないだろうと攻めに転じただけだったのだ。
……ジュゥゥウウウ!!
すぐ耳元で肌が溶ける音が聞こえる。それと同時に、肉の焼ける匂いがした。
「俺を傷つけるとは、なかなかじゃないか!」
死ぬほどいてぇえぇええええ!!
肌溶かすとか、まじ意味わからん! 綺麗な柔肌が蒸発したじゃねえか!!
それでも、虚勢をはる。
「だが、まだまだだな!」
心臓はバクバクとうるさいが、余裕ぶってブラッドに威圧をかける。
「おや、僕の血の攻撃すらこの程度とは……本当に何者なんだい?」
「そんなことどうだっていいだろ! 次は俺の番だ」
本当なら帰ってすぐにでも愛しの妻……布団にくるまって慰めてもらいたい気分だが、そうは言ってられない。
もともと刀の使い方などろくに知らない俺は、突っ走って刀を縦にふるった。
……が、当たり前のようにそれはブラッドのバックステップで躱される。
「本当、剣術は皆無なんだね」
ブラッドの辛辣な言葉に多少傷つきながらも、俺はそのまま膝を曲げた。
「うるさい! いいぞ、イチジク!!」
俺がしゃがんだことで、イチジクとブラッドの間に遮蔽物のない空間ができた。
「くらいなさい、【荷電粒子砲】発射」
……ビュンンンンンッッツ
頭上を高エネルギーの何かが通る。
ちらりとブラッドの方を見ると、笑顔を引きつらせていた。
  
そして、その荷電粒子砲がブラッドにあたる直前、奴の少し焦った声がする。
「こ、これは……流石に死んじゃ……」
 
イチジクの攻撃が無事に届いたことを確認し、俺は体を起こす。
「終わりだな……」
ビームが止むと、俺の目の前には真っ黒になった人型の何かがあった。
プスプスと煙を上げるそれは、もはや誰かすらわからない。
するも、勝利の余韻に浸ろうとしていたところで、背後からシアの声が聞こえた。
「領主さまぁ! 下がってくれるぅ?」
 
何故だ……?
とにかく、俺は一歩後ろに下がった。
……その瞬間
ザクッ……
目の前にあった人型の何かに巨大な矢が刺さった。
それに火炎系の付与効果がなされていたのか、矢の先を中心にして燃え始めた。
ゴロゴロ……ピシャァア!!
それに続くように、空から雷が降ってきてブラッドを打った。
何が何か分からずにいると、シアと同じようにヨシミの声も聞こえた。
「ナベ! もっと下がるのだ」
「え、? なんで……っておい! それどうするつもりだ!」
ヨシミの方を見ると、例の赤と黒のエネルギーの球を杖の上方に溜め込んだヨシミがいた。
「ふっ、こうする……」
そう言って、ヨシミは杖を振り下ろす。
……ドゴォオオオ!!
そんな音とともに、ビームが解き放たれ、それはブラッドの亡骸を飲み込む。
後数歩前にいたら、俺も巻き添いを食らって死んでいただろう。
「……!!!!」
最後の極め付けには、リンがもはや何も残っていないようなブラッドの亡骸にまで近づくと、手に持ったクナイでそれを切り刻み始めた。
「お、おーいリン? お前、大丈夫か? そりゃ腹立つのも分かるけどさ」
それでも彼は攻撃をやめない
相当怒りがたまっていたのだろう……
ま、大切なものを壊されたのだ。
気の済むまで見届けよう……そう思って彼の様子を見ていると……
声がした。
それは、たしかに聞き覚えのある声。
「ふふふふっ! やっぱり君たちサイコーだよ」
そんな声がブラッドの亡骸から聞こえてきたのだ。
「おいおい……嘘だろ」
その声はどこか愉快げで、焼け焦げて死んだ者から出てくるようなものではない。
リンが素早く俺のそばに飛ぶと、そのブラッドだった真っ黒の灰が空中に浮かび上がった。
それは空中で渦を巻くと、少しずつ人の形に変わっていく。
「まさか……ここまでしても?」
そして……
「そうだよ! 残念だったねぇ……僕は吸血鬼……不死身の存在なのさ!! この程度じゃ死なないよ」
ブラッドは、完全なる復活を遂げていた。
空中に浮く彼は、お気に入りのシルクハットを被り、あいも変わらず腹の立つ微笑を浮かべている。
リンやヨシミたちはこれを知っていたから、最後まで攻撃していたというわけか……
「傷ひとつないじゃないか……」
「まぁね? だから言ったでしょ、殺れるもんならって」
そこで、俺はある違和感に気がついた。
「だが、完全に復活はできないみたいだな……お前、片目なくなってるぞ?」
そう、ブラッドは右にあるはずの眼球を失っていた。俺たちが倒す前は確かにあった物だ。
右目にぽっかりと空いた穴……
本来ならそんなグロテスクなもの見たいと思わないだろう。しかし、今はそこに希望を感じた。
余裕ぶっていたブラッドもそのことに気がついたのか、一瞬で真顔に変わる。
「おや? おやおやおやおやおや……これは……やってくたねぇ」
ブラッドは、自分の右目に指を突っ込んで確かに無いことを確認すると、それを前髪で隠した。
「これからが楽しいところだけど、今日はこの辺で終わりにしよう……あぁ、最後にカオスだけ復活させるね」
こいつ、まだ諦めていなかったのか!
ブラッドはここまでしても死ななかった魔族だ……
……だが、
「させる思うか?」
ブラッドを倒す最大のチャンス……それが今だ。
俺は【巨大壁】弾丸バージョンを作り出すと、凄まじいスピードでブラッドに向けて放った。
「無駄無駄、再生しておしまいさ」
確かに心の臓を貫いた俺の攻撃も、その一言で意味のなかったことだと分かってしまう。
「ちっ! なら、死ぬまでまやるぞ! 幸い、今お前が操っている魔物はいないようだしな!」
ブラッドお得意の使役魔術を使ってない今、勝算は数倍に膨れ上がっていた。
ブラッドは、それでも笑みを浮かべると、龍帝に狙いを定めた。
「僕の勝ちはカオス復活、それってそんなに難しいことかな?」
まずい! 龍帝狙いか!
それにすぐさま反応して守りに行こうとしたところで間に合わない。
俺は攻めに焦りすぎたのだ……
そして、ブラッドはその左手から血を一滴垂らすと、素早く龍帝に飛ばした。
普段の龍帝ならこの程度の攻撃、たわいもないだろう……が、今はこのブラッドとペガサスのせいでカオスのレベルが上がり、龍帝は封印に苦しんでいる状態だ。
「龍帝! 逃げろぉお!!」
そう叫ぶ俺の前で……
「ナベ、慌てすぎだ! 我らがいるのだぞ?」
「そうよぉ、何のために私たちがいると思ってるのぉ?」
その攻撃は、見事ヨシミとシアによって撃ち落とされていた。
龍帝のそばではさらにリンが守りについている。
それを見ると、ホッ息が漏れ出た
「そうだ、俺は一人じゃないんだよな」
ならあとは、俺とフェデルタ、イチジクの三人でブラッドを倒すだけだ。
「おい、ブラッド……お前の負けだ」
俺の早めの勝利宣言に、奴は言った。
「……いいや、僕の勝ちだね」
ブラッドの勝ち? どこが……
ドサッ…………
何かが倒れた音がした。
「ペガ……サス?」
 




