異変の始まりにて①
その日、家の外では真っ白な綿毛……いや、雪が降っていた。空はどんよりと曇り、雨とは違って一粒一粒が視界に映り込む。
「うへぇ……寒すぎる」
「この雪のせいで洗濯も干せません。困りました」
部屋の中だというのに、手のひらがかじかんでなかなか開こうとしない。
俺はその手を口元に持っていき、息を吹きかける。そこで少しだけ手が暖かくなったのを感じてから、横で窓の外を眺めるイチジクに声をかけた。
「昼の一時から、屋敷のみんなでミーティングだったよな?」
「はい、今日のお茶請けはドーナツでよろしいですか?」
「ああ、もう作り方を習得したんだな」
「はい、完璧メイドですので」
「そういや、イチジクはメイドだったな」
「それはどういう意味ですか?」
そう言ってイチジクは指の形態を変化させる。それはまごうことなき銃だ。
「い、いえ、何でもないですよイチジク様」
俺は両手を上にあげて引きつった笑みを浮かべる。
だから、普通主人にこんなことするメイドいないだろって話なんだよ!!
すると、イチジクはその手を再び人のものに変形させつつ言った。
「まぁ、いいでしょう。私は準備にとりかかるのでちゃんと来てくださいね」
それだけ言うと、イチジクは部屋を出て行く。
「ほんと、あいつとは長い付き合いだが、未だによくわからん奴だなぁ……」
そして、時計の針が一を指す頃、食堂に五人の姿があった。
「それじゃ、第63回の会議を始める」
「シルドー、前は65回って言った」
そうジト目で見てくるのは、真っ黒なフードを頭に被り、指ぬきグローブをはめたオッドアイの少年、ヨシミだ。
「そんな些細な問題気にするなよ、ハゲるぞ?」
「ハゲっ!? 失礼な!」
「まぁ、そんなこといいだろ? イチジク、ひとまずこの町の発展具合の報告を頼む」
俺は相変わらず突っかかってくるヨシミをスルーして、イチジクに尋ねる。
「はい、まず以前から進めていた町の境界の柵の作成ですが、境界のおよそ3分の2の場所における柵の設置が完了しました。ただ、柵といっても脆い素材ですから、補強が必要かと」
「でも、ないよりはマシだ! ……コダマも喜ぶ」
これは、前々からしなければらないと思っていたところで、ヨシミの後押しがあったから進めていた計画だ。
この結果にはヨシミも満足げだ。
「壁の強化は、今後の課題だな……じゃ次に貿易ラインの件はどうなっている?」
「はい、報告によりますと着々と作られているとのことです。きちんと獣人たちも適正の給料や休暇を貰っているそうですよ」
そうか……ようやく他の街との交易路を確保することが出来るのか
本当にようやくだ。マーチャンドと話がまとまった後、色々あった。
交易路とは関係なしに特に大変だったのが二つ……
一つはフェデルタの馬探しだ。まぁ、結局見つかっていないのが現状なのだが……
二つ目は、始まりの森の魔物狩りだ。始まりの森に凶暴で強い魔物が出た時、それを森の外で駆除するといったものだ。そうしなければ、その魔物が森で大暴れして、多くの魔物が死ぬ……すると、そこで得られた経験値は全てこの森の脅威『カオス』に注がれてしまうからだ。
何が大変って、強い魔物は経験値も多いから森では殺さないように注意を払って、森の外に誘き寄せなきゃいけないからなぁ……
普段はあれをエルフたちだけでやっていると考えたら、エルフの戦闘能力の高さが垣間見える。
ま、とにかくだ。そんな辛かった思い出だけではない。
貿易ルートの確保する計画によって、多くの利点が生まれたのだ。
「最近じゃ、交易路作成に働きに出た人たちのもらう給金とかで町の経済が回り始めてるし、それで税金も納められるようになってきたからな」
「そうですね、そのおかげでこの町自体に注ぐことのできる公的な資金が潤ってきています」
もしまだ税金を取ることが出来ていなければ、柵を作るなど夢のまた夢の話だっただろう。
そのタイミングで、真っ黒な鎧を着た白髪の騎士が口を開いた。
「だが、交易路が完成した後、働きに出た者たちはどうするのだ? 今は仕事があるからいいが、その後のことは考えてあるのか?」
俺は、それに返答すべくフェデルタの方を向いた。
「それこそ、この町で働いてもらうよ。この町は修繕する場所が山ほどあるし、もっと豊かにしていかなきゃダメだからな」
すると、俺の言葉に納得したのか、フェデルタは一つ頷いて引き下がる。
「とにかく、このままいけば食料も他の町から輸入可能になるし、始まりの森から無理に貰う必要がなくなるだろ」
「そうだな、ここまで軌道に乗れば、後は民の力でどうとでもなるのだろう……さすがは主人殿だ」
フェデルタとの会話が収まったところで、俺はさっきからずっと黙っている……いや、正しくは会った時からずっと黙っているエルフの方を見た。
「リンは何か報告することとかってあるか?」
「……。」
どうやら何もないらしい、彼は首を横に振って意思表示をしてくる。
そうとなれば、議題も特になくなった。
それからドーナツを皆で談笑しながら食べ、最後の一口を口に放り込んでから、俺は椅子から立ち上がった。
「よし、なら第62回の会議を終了する! イチジク、ドーナツうまか……」
ったぞ、そう労いの言葉をかけようとした時だ。
パリィッッン……
そんな、甲高いガラスの割れる音が空気を引き裂いた。
「なんだ!?」
俺がそう言って音のした方を見た時には、すでに俺を守るようにしてイチジクとフェデルタがそれぞれの武器を構えていた。
俺もすかさず側にあった刀を手繰り寄せて、その刀の塚に手を当てる。
どうやら、割れたのは食堂の奥にある窓らしい。本来ガラスのあるはずのその場所に今は何もなく、冷たい風がビュービューと入ってくる。
「割れた原因はなんだ?」
  
見ようと首を伸ばすが、ソファに隠れて、その窓を割った存在の姿が目に見えない。
ごくりと唾を飲み込む……
まさか、暗殺者!?
運動もしていないのに心臓が速いペースで動く。刀を握る手にも、自然と力が入った。
歩いて近づくと、人の足が見える。
「なんだ? 傷だらけのようだが……」
次第に体が見え始めた。体つきは小さいようだが、しなやかな肢体をしていて、女性だということがわかる。
その白い肌のあちこちには真っ赤な傷が無数につき、痛々しく感じてしまう。
そして、ついにその顔が明らかになった。
「……!? おい、シル! シルじゃないか! どうしたんだ!!」
そう、その顔はこの町に来てから度々お世話になった小さなエルフ、シルだった。
彼女は眉を顰めて苦しげに目を瞑り、荒い息をしている。
「はぁ……はぁ……」
「……!!!!」
俺の叫び声を聞いて、リンが一瞬でこちらにやってきていた。シルの上半身を優しく持ち上げ、何があったのか聞こうとしている。
「リン……? そうか、私は着いたのね……」
  
リンの後ろからシルの顔を覗き込んで声を荒げる。
「おい、シル! どうしたんだ!!」
彼女は、おぼろげな目を俺の方に向けた。
「領主、助けて……このままじゃ龍帝様が死んじゃう」
息も絶え絶えにシルはそう呟くと、少し安心したように、その開きかけた目を閉じてしまった。
龍帝が死ぬ……
その時、俺の感情は「無」だった。
こんな光景を見せられて、普段の面倒くさいとか、関わりたくないだとか、そんな考えは浮かばない。
突然の出来事すぎて頭の中で情報がパンクを起こしていたのだろう。いや、もしかしたらシルの普段言わないセリフにその危機感を煽られていたのかもしれない。
ダメだ、落ち着け俺……俺はなんだ? 俺は鍋蓋だ、盾だ。
なら、盾はなんのためにある? 人を守るためだ。
なんだ、なら行動は簡単じゃないか。
「誰か、シルの治療を頼む」
俺はそれだけ言うと、刀を持ったままシルが飛び込んできた窓に向かって走り出した。
そしてそのまま窓から飛び出そうと、足を窓の桟にかけたところで……
何かに刀を持っていない方の手を引っ張られた。
「主人殿! どこへ行こうというのだ」
フェデルタだ。フェデルタが半分外に出た俺を部屋の中に戻そうと左手を引っ張ったのだ。
こいつ、何を当たり前なことを……
「龍帝のところに決まってるだろ!?」
「それは認められない! 龍帝は、カオスを封印せし者……確かに早急な対策をする必要がある」
そうだ、龍帝の命も大切だが、彼女の常に行なっている封印も大切だ。この町、いや俺を含めたこの国の人民の命がかかっているのだから。
「なら、なんで……」
引き止める、そう聞こうとしたところでフェデルタが叫び声をあげた。
「主人殿は、本当にバカだ!! 前、言ったはずだ! 私は主人殿の騎士だと! 騎士の最優先事項は主人を守ることだと! 危険な真似はしないでくれと!」
フェデルタの初めて見るすごい剣幕に驚いてしまう。俺が流石に放って置けないと後ろを振り向くと、彼女は俯いていた。
「私はあれでちゃんと伝わっていると思っていた……が、違ったのだな。主人殿は何にも分かっちゃいない」
その言葉とともに、俺の手を握るフェデルタの力が弱々しくなっていった。
なんだ、フェデルタは何が言いたい?
俺はただでさえ龍帝の状況にイライラしていたのに、突然フェデルタに訳の分からないことで待ったをかけられて、焦りで余計に怒りが募る。
「俺はちゃんと分かってる。俺は盾だ、領主だ。だから、その役割を果たしにいくんだろ? なんで文句を言われなきゃならないんだよ」
「それが分かってないというのだ! 私は騎士だ、主人殿を守ることで意味を得る!」
こいつ……
「そもそも、俺はそんなこと望んじゃいない!! 盾に騎士なんか不要だ!」
「そんなこと言って、守ってもらわないとすぐにボロボロになるだろう!!」
「あぁ、それがなんだ? 俺は盾だ! 俺は盾として進んで自己犠牲をやるって言ってんだ。むしろ感謝しろよ! それに、そもそも俺の体じゃ傷つかないだろ!!」
フェデルタの返答に、今まであげたことのない俺の怒鳴り声が、冷たい窓ガラスを揺らす。
すると……フェデルタはもっと大きな声でこう言った。
「主人殿がやっているのは、自己犠牲なんて小綺麗なものではない! 主人殿がやってるのは……自分勝手だ!! いつも、『他人のこと』を考えて、『他人のこと』を考えずに好き勝手ばかりする!!」
……?
人のことを考えて、人のことを考えない?
「意味がわからん!! もういい、この分からず屋! 騎士なら騎士らしく主人と言うことを聞いてればいいだろ!」
最後に、俺はそう叫ぶとフェデルタの手を振りほどいて真っ白な世界に飛び込んだ。
足の指先の芯まで冷えて、感覚が薄くなる。吐く息は白い煙として現れて、その寒さを物語っていた。
それでも俺は走る。
なんだよ、フェデルタのやつ……好き勝手言いやがって!
さっきの泣きそうな、なんとも言えない表情をしたフェデルタの顔を思い出すが、それでも俺は走った。
場所は詳しく分からない……だが、龍帝のいる場所といえばエルフの村で間違い無いだろう。
あの、魔術で隠れた村は龍帝を守るために作られた場所だ、龍帝がそうやすやすと出るとは考えられない。
「頼む……間に合えよ!」
「ふっ、その速度じゃ、絶対に無理だがな」
「うわぁっ!! 何でお前がここにいる……ヨシミ!」
町を全速力で走る俺の隣に、いつのまにか、真っ黒なマントをたなびかせた少年が並走していた。
「フッ、驚いたか? 我はナベの半身、一緒にいるのがおかしなことはないだろう?」
「お前、今からどこに行くのかちゃんと分かってんのか?」
「もちろんだ、強敵が待つ所、だろ?」
ちゃんと理解できてたのか……まぁ、あの場所に一緒にいた訳だし、これで分からなければ相当の馬鹿だろう
「分かってるならなんできた!?」
「ふっふっふっ! それは、どんな敵でも我が魔眼によって殲滅が可能だからだ」
そこまでカッコつけて言ったヨシミは、小さな声で呟いた。
「我は龍帝とかエルフには迷惑かけた。借り返す」
なるほど、それが本音か……ならばその誠意、買おうじゃないか
「さっさと行くぞ」
「分かった! 魔眼が疼いてくる」
「……」
……あれ? この気配は?
俺はヨシミとは反対側に並走する影を確認した。
そこにいたのは、黒い忍び装束を着たスラリとした男、リンだ。
「やっぱりお前も来てたのか……」
走りながらリンは頷く。
こいつにとっちゃ故郷の危機だ。来て当然だろう。
「なぁ、俺が去った後、フェデルタ大丈夫だったか?」
走りながらも、フェデルタにあんな顔をさせてしまったことに多少の罪悪感を感じる。
すると、リンは何も言わずにただただジト目でこちらを見てきた。
「うっ……悪かったと思ってるよ」
「ほんと、シルドーは謝るべき」
反対側でヨシミが呆れたような声を出す。ついでにため息も聞こえてきそうだ。
「分かったって、とにかく今は龍帝だ。フェデルタには、そのあといくらでも謝るから」
結局、三人になった俺たちは走ることに集中して、エルフの森を目指した。
白い雪の中を、黒い服を着た俺たち三人が足跡をつけていく。
そうして、森を走ること数十分……
俺たちは走ることをやめて止まった。
目指すべき場所についたからだ。
俺たちは足を止めた理由ともいえる、目の前の光景に息を飲む。
そして、ポツリと言葉を吐いた。
「エルフの村が目に見える……隠蔽魔術が解けているのか」
俺の目の前にはなぎ倒された木々と、焼け焦げて真っ黒になった家が乱立していた。本来なら、ここに見えるのは岩だけのはずなのだ、それが今は村の全容が見えている。
「……!!」
普段は冷静なリンも、取り乱したようだ。
他の村人がいないか辺りを見渡している。
「これは……ひどい」
「あぁ、一体何があったんだ」
改めて状況を判断しようと首を捻ると、視界の隅に何か動くものを見つけた。
「あそこ、エルフがいるぞ!」
それは、地面を這いつくばるエルフだった。服はボロボロで、頭からは血を流している。
「……!!」
俺たちはこの惨劇の原因を訪ねるべくそちらの方に足を進めた。
彼の周辺には雪の白さに映える真っ赤な血だまりがある。
「おい! 大丈夫か、一体何が!」
「……あぁ? なん、だ。いつかの領主か」
俺の呼びかけに、彼は苦しそうに目を開けた。
「応えてくれ! 何がどうしたらこんなことに!」
彼は開いた目を閉じながら、やっとの事で言葉を紡ぐ。
「神獣だ……この森、最上位の魔物。突然、村を、攻撃し……ハァ、ハァ……」
神獣? 攻撃?
恐らく、この惨劇の原因は神獣とかいう魔物なのだろう。それが分かっただけで十分だ。
「それで? そいつは今どこに!」
これを聞かなければ、全ての情報に意味がなくなってしまう。すると、俺の必死の呼びかけに彼はかろうじて指を動かした。
人差し指は、森の奥を指している。
「そうか、とりあえず治療を……」
その続きを言おうとした時、俺は彼がすでに生き絶えていることに気がついた。
涙の流れるその少しだけ開いた瞳を、閉じてやる。
「行くぞ……」
「……うん」
「……。」
こうして俺たちはまた走り始めた。言われた方向に進むにつれて、倒れているエルフの数は次々と増えていく。
そして……
「いた! 龍帝たちだ! シアも一緒にいるぞ」
彼女たちは、追い詰められていた。背後には崖がそびえ立ち、後方に逃げ場はない。龍帝は片膝をつき、息を荒げていて、それを守るシアは普段のにこやかな笑みを引きつらせていた。
彼女らを追い詰める存在……神獣。
それは白く美しいたてがみを持っていて、背中からは純白の二対の翼を広げていた。足にある四つの蹄が雪を蹴る。
その神獣を見て、前世の記憶がある俺とヨシミは顔を見合わせた。
「神獣ってどう見ても……」
「うん……」
俺とヨシミの声が重なる。
「「ペガサス」」
そう、それはどう見ても架空の存在、ペガサスだった。
いつもなら、こんなファンタジーな生物を見ただけでも興奮しそうなものだが、今回ばかりはそうも言ってられない。
「とにかくいくぞ! 打て、ヨシミ!」
「言われなくても」
そう一言だけいうと、ヨシミは厨二病全開の魔術を唱え始めた。
しかし、この強さは身を以て体験済みだ。
「魔眼よ、我が前に蔓延る悪に対して、絶対的な破滅を与えたまえ……開け! 我が深淵に眠る破壊の扉、必殺ゲヘナビーム!!」
「スキル【巨大壁】!!!」
俺は、ヨシミのバカな詠唱に合わせて最大限丈夫な巨大壁をシアの前に展開した。
横に立つヨシミの赤い瞳が怪しく光り、ペガサスめがけて赤と黒が入り混じった光線が一直線に飛んでいく。
そこにはとんでもない魔力が含まれていることが分かる。
ドゴォオオオ!!!!
そして、その死の光線はペガサスに着弾する。その標的に当たった瞬間、ペガサスを中心に大爆発が起きた。
「ちょ、威力強すぎだろ!」
俺がそう叫ぶのも無理はない。
今の衝撃で俺の作った巨大壁が砕け散ったのが伝わってきたのだ。
シアたちの安全を確認したいが、いまだに飛び散った雪などでその視界は防がれていた。
「……!」
と思ったが、リンがきっちり活躍していたようだ。
その煙の中から、龍帝をお姫様抱っこして華麗に飛び出した。その後にはシアも続く。
彼らは、煙の舞う中で、俺とヨシミのもとまでたどり着く。
「お主ら! 何故このような危ないところに……と言いたいところじゃが、正直助かった、礼を言う」
リンに降ろしてもらいながら、龍帝は苦しそうにそんなことを言った。
よく見るとその服は所々焼け焦げていて、危機的状況であったことが分かる。
「気にするな、で? あの神獣が敵だってことでいんだよな」
「ああ、彼とは仲の良い関係性を築けていると思っていたのじゃがな……突然来て村を破壊しおったのじゃ」
突然の破壊行為、何か引っかかるが……
  
「とにかく今は、殺さず無力化するしかないんだよなぁ」
そう、ヨシミの極大魔術を受けたペガサスは、舞い散る雪の中から、しっかり四本足で立った状態でその姿を現したのだった。
「ブルフゥゥゥウウウ」
けたたましい鼻息が雪国に響く。
筋肉質な前足でしっかりと地面を踏みしめ、鋭い真子がこちらをとらえる。
「よし、俺とヨシミで戦闘不能にまで追い込むぞ」
すると、隣から間の抜けたシアの声が聞こえた。
「ありがとね領主さまぁ。私も戦うわぁ」
そう言う彼女は、本人よりも大きな大弓を手に持っていた。矢は無いようだが、恐らく彼女らエルフの得意な魔法で作るのだろう。
「そんな大きな弓、弾けるのか?」
「ええ、これでも力ある方なんだからぁ」
そう言って彼女はプニプニした力こぶを右の腕につくった。
説得力皆無だなぁ……
そんなことを思いながらも、俺は神獣ペガサスに目を向ける。
奴は、その強靭な足をこちらに向けて、遠慮もなしに突進してきていた。
地面を蹴るたびに、雪煙がその背後に形成される。
シアの声が、背後から聞こえる。
「あの足に蹴り飛ばされたらクビが飛ぶわよぉ」
おいおい、勘弁してくれよ……
しかし、それが本当なら、ここに来るまでに止めるしかないな
俺は、右手を前に出しながら、顔だけ少し後ろに向ける。
「シア、頼んだぞ!」
「はぁい、痺れ玉ぁ」
その一言でこれまた巨大な弓を作り出す。
そして、それを弦とともにゆっくりと引き……
彼女は放った。
……ビュンッッツ
それは、一瞬で俺の真横を通り過ぎる。
そのまま美しい軌道を描いて、一直線にやって来るペガサスへと向かう。
空気を切り裂く音ともに、一直線にペガサスの懐に吸い込まれていった。
矢に合わせて視点を動かし、それがペガサスに刺さったのを確認する。
  
 
「……決まった!!」
矢が直撃したペガサスは、その動きを止めた。
立ててはいたが、麻痺しているのかピクピクと動くのが精一杯のようだ。
この好機を逃してはならない。
「スキル【巨大壁】重力バージョン!!」
俺はそう叫ぶとともに【巨大壁】をペガサスの真上に展開して、そのまま真下に振り下ろした。
ペガサスは、突然の不可視の圧にその足を折り曲げる。
これで完全に拘束に成功した。
強力な麻痺と立てないほどの重圧だ、これを防ぐことなど不可能だろう。
俺は、グッと圧をかけたまま、目線を未だに煙の上がる村の方へと移した。
「さて……と、とりあえずこれでひと段落だな。エルフの村は……」
「ナベ、その話はまた後にするのだ」
そう俺の言葉を遮って言ったのはヨシミだ。
俺は、ヨシミにその理由を聞こうと彼の方を向く。
すると、ヨシミは黙ってペガサスの方を指差していた。
「なんだ?……って、嘘だろ」
俺もそのの指先につられてペガサスの方を見ると……
奴は再び立ち上がろうとしていた。
「ちょっ、勘弁してくれよ!」
そう言って、右手を左手で支えて、そこに全神経を集中させる。
巨大壁をさらに下げる。
その圧をさらにかけていく。
ズンッ……
ペガサスを中心に大地がえぐれた。
蹄の位置から地面に亀裂が入り、地が割れる。
……しかし、それでも奴は立ち上がった。
「ヒヒィイインッッツ!!」
勇ましい音とともに、巨大壁が押し負けた。
もはや麻痺など効果が切れてしまっているようだった。
……嘘だろ!?
押し負けたタイミングで、巨大壁との繋がりが無くなったように感じる。
そんな俺の目にはその壁がしっかりと粉々になる様が見て取れていた。
「ははっ……やばいな、こいつ」
これで戦闘不能に追い込んだと言うは無理のある話だ。
再び戦うための策を練る。
「ヨシミ、一発どでかいのかましてくれ!」
その言葉に、ヨシミが驚きの声をあげる。
「で、でもそれだと倒してしまうかも……そうなれば、カオスが……」
確かにそうだ……だが
「どのみちこいつはそう簡単に死なないらしい。それに、逃して森の魔物をこいつが殺しまくったら、それこそ目も当てられないだろ!」
  
一番いいのは戦闘不能に追い込むこと。次が倒してしまうこと。
そして最悪なのが龍帝がやられること、もしくはこのままペガサスを逃すことだ。
もし、このチート級の神獣がこの森で大暴れすれば、多くの魔物が死ぬだろう。それはつまりカオスの封印を解くことに繋がりかねないのだ。
すると、ヨシミが中二病のテンションを取り戻したようだ。
彼は、さっきまでとは全く違った声を張り上げた。
「クックックッ! 我が力を欲するか、半身よ!! よかろう、見せてやろう禁忌とされし魔術を」
ヨシミは無駄にふんぞり返りながら上機嫌に笑う。
なるべくヨシミのそのテンションを壊さないように、それに乗っかりながらシアにも指示を出す。
「任せたぞ半身! シア、俺たちでその間の時間を稼ぐぞ!」
「りょうかぁい」
俺は刀を抜くと、突っ込んでくるペガサスに向けて走り出した。
「白は雪で十分だってのに!」
真っ白なペガサスは走りながら、俺に対抗してか、周囲に三つの魔法陣を浮かび上がらせた。
「魔法だ、来るぞ!!」
そう叫んだタイミングで、その魔法陣から光る何かが発射され、こちらに飛んでくる。
バチンッッツ!!
そんな音とともにそれは俺のすぐそばに着弾した。
「これは、イナズマか!?」
その後も続く奴の放つ魔法は、数回折れ曲がると俺に向かってその牙を剥く。
光り輝くその攻撃は、間違いなく電撃だろう。
「だが……止まってられないからな!」
俺は、イナズマをすんでのところで避けながらもペガサスのもとを目指す。
……バチンッ、バチンッッツ!!
電気による攻撃は止まらない。
  
音が耳元で鳴り響き、地面に落ちれば雪を撒き散らす。
それでも足を止めずに、ペガサスのところへと駆ける。
「ふっ! そんな、派手な、攻撃、当たらないと意味が……」
カッコつけて余裕をかまそうと思ったところで、上手くいくわけもない。
そこまで言った時、真横を通り過ぎたはずのイナズマが突然角度を変えた。
それは右肩に直撃し、そこから煙が出る。
「……って痛っ!! そこまで曲がるとか聞いてないぞ!」
 
しかし、丈夫さだけが取り柄な俺だ。そうやすやすとは倒れてやらない。
「お返しだ!」
なんとかペガサスのすぐそばまで駆け寄った俺は、構えた刀を下から上に切り上げる。
「くそっ、いちいち速いんだよ!」
しかし、ペガサスは後ろ足を地面につけたまま、前足を高く上げて、俺の攻撃を簡単に躱す。
「あっ、ちょっと待……!」
て。そう言い切る前に、ペガサスはそのまま振り上げた蹄を思い切り振り下ろした。
すかさず刀を横にして斜め上で構える。
……キィイインッッツ
俺の刀と蹄がぶつかる。
同時に金属同士のぶつかったような甲高い音が鳴り渡る。
蹄とレベル数百の刀……そのせめぎ合いは、ほんの数秒ではあったが、俺の体にペガサスのほぼ全体重が押し付けられる形になる。
「お前の、自慢の前足は貰うぞ」
こちとら最強の刀だ。
いくら蹄が丈夫だと言っても……
「……ダメだ、斬れない!?」
これまで、このドラゴンの胃の中で鍛え抜かれた刀は全てのものを斬ってきた。
しかし、奴の蹄は違った。俺の手にしっかりと反発する力が伝わってくる。
そのタイミングでシアによる援護射撃が飛んでくる。
形勢不利と見た俺は、振り下ろされる蹄を受け流しつつ右サイドに避けた。
ズフンッッツ
ペガサスの前足が地面に叩きつけられ、そこら一帯の雪が辺りに飛び散る。
ここでは危険と判断し、もうワンステップペガサスの横へと逸れる。
すると、これまで見えなかったペガサスの体の横の部分が目に入った。
背中からは純白の美しい翼が生えて、その後ろには筋肉質な足が見える。
「……!?」
 
……が、その足の太もものあたりに違和感を感じた。
真っ白な肌に、少しだけ虹色の模様が入っているようだ。
それは丸い円形の柄で、禍々しい何かを感じる。
「やっぱりか!」
そう、その模様とは使役魔術の刻印だった。
かつて、ルビィドラゴンにもかけられていた魔術……普通は低級の魔物しかこの効果が及ぶことなどないが、その使い手が熟達したものなら話は違う。
「予想通り、あの魔族……ブラッドの仕業か」
俺はこの魔術を得意とする魔族に心当たりがあった。
少年のような見た目をしたシルクハットの吸血鬼、ルビィドラゴンが山を下りた原因でもあり、前にも大量の魔物と戦う羽目になった原因だ。
打開策を見つけ出した俺は、すぐさま叫ぶ。
「ヨシミ! 右足だ、ペガサスの右後ろの足を狙え!!」
あの刻印さえ破壊してしまえば、神獣も正気を取り戻して大人しくなるはずだ。
俺もすかさず目の前の刻印めがけて刀を下ろす。
……しかし、そうやすやすといくわけもない。
ペガサスは勢いよく前へ進むことによってその攻撃を避けたのだ。
「……ちっ、外した!」
すると、はるか後方から龍帝の声が聞こえた。
「領主! 逃げるのじゃ!!」
え……?
「あっ、これはヤバイ」
状況を整理すると、俺の攻撃をペガサスが避けたことで、位置的に俺はペガサスの真後ろにいることになる。
なら、ペガサスの後ろにあるものとは何か……
その答えは、強靭な後ろ足だ。
馬の後ろ蹴りは、簡単に人を殺す。
それに、こいつはただの馬ではない、伝説上の存在、ペガサスなのだ。
その事実を確認した瞬間だ……
腹部に衝撃が走った。
何かがお腹に抉りこみ、そのまま止まることなく俺の体を宙に浮かせる。
「後ろ蹴りとか、足ぐせ……ゴハッ……」
そのまま唾を、を吐きながら、俺は綺麗な放物線を描いてた後方に飛ばされた。
 
乱立する木々すらなぎ倒しながら、弾丸の球とかした俺は吹き飛ぶ。
蹄にやられた痛みに加え、衝突した木々の衝撃が直に伝わって来る。
……そして、三本目の木に激突したあたりで、ようやくその勢いが止まって、ズルズルとそのぶつかった位置からズレ落ちた。
「あぁ……息が……でき……ハァ、ハァ」
空気が思うように体内に入ってこない。
唾液が肺に入ったのだろうか? とにかく、腹部の激痛と荒い呼吸で意識が遠のく。
こっちの世界に来てから一番痛かったかもしれん……
今だに痛みの止まない横腹を見ると、そこは生々しく赤く腫れていた。
「まぁ、生きてるだけ……まし、か……」
少しずつ出来るようになってきた呼吸を整えながら俺は考える。
「俺は、無事、ダ! 後は、頼む……」
その言葉を合図として、俺が時間を稼いでいる間に詠唱を終わらせたヨシミのもとから、いつか見た黒と赤のビームが発せられた。
  
  
ペガサスはそれから逃げようとその足を動かす。
……が、シアがうまく麻痺矢を放ったようだ。
動けないペガサスの右足ももに、ヨシミの中二全開の技……ゲヘナビームが直撃した。
  
そして……ペガサスを中心として最初にも見た大爆発が起こる。
ドォォオオオオ!!!!
爆風が周りに積もった雪を吹き散らせ、その生暖かい風が俺の元まで届き、頬をかすめる。
味方ながら恐ろしい……
そんな中で、少しずつ自分の呼吸が落ち着いてきていたのを感じた。
「はぁ……はぁ……これで、戦闘不能になったことは……はぁ、確実だろうな」
木にもたれながら、そう安心していると、隣に何かの気配を感じた。
「なんだ、リンか……すまんが治療を頼む」
「……。」
リンは黙って頷くと、どこからか包帯と傷薬のようなものを取り出した。
こいつは何にも言わないが、一緒にいると落ち着くな……
いつでも困ったときに助けてくれるヒーローのような安心感だろうか?
この頃ではリンの考えることが少しだけ分かるようになってきた、ような気がする。
今は……
「こいつ、無駄に頑丈だなーって思ってるな」
「……?」
どうやら違ったらしい。やはり俺にはどこかのオートマタのようなテレパシー能力はまだないようだ。
 




