選択のときにて①
インバスの一件から数週間経ったある日の午後。この日、護衛の仕事は休みをもらっていた俺は、自分の部屋でのんびり寝っ転がっていた。
ちなみにあの日以降、インバスが夜に自我を失うということもないらしい。あの時ルージュにはっきりと振られたのが良かったようだ。
「はぁ……することないな」
「あら? なら、ちょうどよかったわ」
俺しかいないはずの部屋に男の声が聞こえる。
「おいインバス、お前いつからいた?」
「いつって、さっきよさっき」
さっきって……ドアの開く音すら聞こえてこなかったぞ?
ベッドに寝転んだまま声のした方を見ると、インバスが足を組んで椅子に座っていた。
「それで? 今暇なの?」
「いやすまん、忙しいわ、そういえば」
インバスの言うことは基本的に面倒くさい。だから、逃げられるものからは全力で逃げるべきだと心の底から思っている。
するとインバスは片目を開いて、こちらを見てきた。
「シルドーちゃん、貴方、私たちの組織に興味はなぁい?」
「組織……? それは、地獄の罪人……でできた組織か?」
いつかインバスが言っていた。自分には魔族の貴族という肩書きと、もう一つ……地獄に落とされた罪人たちによる組織の一員という肩書きがあると。
「ええ、その組織、よ。シルドーちゃんには色々貸しがあるし……ね」
「教えてくれるってことか?」
「ええ」
こうして俺は、何でもない日の昼下がり、例の組織の核心について知ることになるのだった。
「まず、前にも言ったけど、私も組織の一人よ」
インバスは、ソファの上で紅茶を啜りながらそう告げる。
「まぁ、それは知ってる」
「それじゃ、組織の目的……は?」
組織の目的……それは知らない。いや、知るはずがないのだ。だって、インバスは何も教えてくれなかったから……。
俺が黙って首を横に振ると、インバスは「あのね」と続けた。
「私たち組織の目的は、シルドーちゃんと『一緒』よ」
俺と一緒?
「どういう意味だ?」
「どういう意味って……シルドーちゃん、こっちの世界に来てからずっとしようとしてることがあるでしょ?」
俺がこっちの世界に来てからしようとしていること?
「まさか……」
「ええ、恐らくそのまさか、よ」
「女の子と付き合おうって目的か?」
俺がこちらの世界……いや、前世からしようとしていることと言えば、まっ先にそれが思い浮かんだのだが、やはりそれは違ったらしい。
「おバカね、シルドーちゃんは……」
「……じゃあ、何なんだよ」
若干投げやりに俺は尋ねる。
「はぁ……『善行』よ」
善行……なるほどな、目的は俺と一緒、その通りだ。俺は次こそ天国に行くために、嫌々ながらも善行を重ねているのだから。
「それじゃ何か? その組織ってのは、ボランティア団体なのか?」
インバスを見る限り、ゴミ拾いとか介護補助とか、そんなことをしているのは見たことがないが……
「ははっ、そんな殊勝なものじゃないわよ」
「なら、何をしようとしてるんだ?」
俺がそう尋ねると、インバスが至って真面目に言ってのけた。
「『魔族』と『人間』の垣根を無くしたいのよ」
魔族と人間の……?
「つまり、全種族が仲良く出来るようにしたいってことか?」
俺がそう尋ねると、インバスはしっかり頷いた。
「ええ、それが私たち組織の『善行』よ」
想像以上に壮大な話に、頭が追いつくのがやっとで、思考がそれ以上に深まらない。
「えっと……だな、なるほど。それができたら確かに『善行』になるだろうけど、そんなことできるのか?」
いくら偉大な善行をしようとしたところで、それが出来なければ何の意味もない。世の中結果が全てなのだ。それはもちろん善行だって例外なく含まれている。
「正直、厳しいとも思うわ……でも、少なくとも組織のみんなはできるって信じてる」
「……どうやってするつもりなんだ?」
以前のインバスになら、聞いたところで絶対に教えてくれない内容だ。しかし、今のインバスになら、そう希望を込めて尋ねる。
「……本来なら『まだ』組織の人間じゃないシルドーちゃんに教えたら、私が『サラちゃん』に怒られるのだけど」
サラ……? 組織の人間の名前なのだろう。
恐らくそいつも大罪を犯して、苦しめられているのだ。
気にはなるが、今は黙って聞く。
「シルドーちゃん、こんな言葉聞いたことあるかしら? 『敵の敵は味方』」
「……? ああ、それくらいなら」
「私たちが画策してるのはそれなの。組織は、『魔族』の敵であり、同時に『人間』の敵でもあるのよ」
「つまり、すべての種族の『敵』になるってことか?」
「まぁ、そうね。そして、すべての生物にとって『放って置けない害悪』になるのよ」
放って置けない害悪……
つまり、全種族の共通の敵となることで、彼らが協力してくれることを狙うってことか?
確かに上手くいけば、組織はめちゃくちゃに嫌われるだろうけど、その分種族達は手を取り合う可能性だってあるだろう。
いつだって『共通の敵』は繋がりを強くするからな。学校のクラスだって、そのために共通の敵を作り出すじゃないか。
「なぁインバス、一つ質問していいか?」
「……ええ、どうぞ」
俺が最も気になったところ。
「仮に組織が共通の敵になったところで、魔族と人間は同盟を結ぶ確証はあるのか?」
これがないなら、彼らのやっていることはただの一人芝居だ。
「ええ、それはもちろん」
どうやら、無計画にやってるわけじゃないらしい。
「私たちの組織は、それを確信する『情報』があるもの。実は、その時が来るまで、あらゆる場所で『スパイ活動』をしてるの」
「スパイ活動……?」
「ええ、そこで情勢を見て、彼らが同盟を結べるか、判断してるのよ」
なるほど……それで同盟を結べる状況なら、一気に結託してことを運ぶと。
「それで? スパイってどこでしてるんだ?」
これがしょぼかったら、いくら情勢を知ろうとしたところで知れないだろうと思い、俺が尋ねると、インバスは指を三つ立てた。
「一つは私、魔族の貴族として情報収集してるわ」
指を一本折り曲げた。これは、間違いなくインバス自身のことだろう。
「二つ目は……人間の国の『騎士団長』として」
騎士団長!? 確かに騎士団長クラスになれば、様々な情報が入ってくるんだろうけど……
俺がそう考えていると、彼は付け足した。
「ま、その騎士団長としてスパイに行ってる男、この前、組織と関係ない理由で『捕まっちゃった』んだけどね」
「捕まった? 騎士団長なのに?」
「ええ、彼『半魔族』に相当な恨みがあったのよ。それで……ちょっとね?」
半魔族に恨み……ねぇ
半魔族と言われれば、この世界に来て最初に出会った女の子を思い出す。『アン』だ。確か正式には『アンコロモチ』って名前だったはずだが……今は、イーストシティの自警隊の副隊長をしているはずだ。
って……待て……。
彼女の顔を思い浮かべると、同時に出てくる『騎士団長』がいた。彼は、虫を吐き出す男。結果として『捕まった』男。
俺は恐る恐る手をあげる。
「なぁ、そいつの名前『ヘイト』だったりしない?」
すると、腕を下ろしたインバスはあっさりと頷いた。
「あら、よく知ってるわね? 彼も『叫喚地獄』に落とされた罪人なのよ?」
まじかよ、あの男……あいつも罪人だったのか
「彼の刑罰は、火末虫処……生まれた時から腹に寄生虫がいてね? ずっと『虫に腹を喰われる』って罰なのよ?」
「あの口から出してた虫か!?」
あの男、戦う時にやたらと口から吐き出した『虫』を使っていたが、刑罰を利用したものだったとは……
一人納得していると、インバスはティーカップを机に置きながら言った。
「彼も貴重な戦力だから、メンツが揃ったら王城に取り返しに行くつもりなのよ」
「まじかよ……」
すると、インバスは思い出したように一本指を立て直した。
「あっ、一人忘れてたわね」
「ああ、すまん、話が逸れたな」
スパイ先の最後の一人……
これまで『魔族側』のスパイと『人間側』のスパイがいた。最後の一人は……
俺がじっとインバスの方を見ていると、彼は舌をペロリと出した。
そして、それを指差す。
「……? どういうことだ?」
俺がそう尋ねると、インバスは舌を片付けて、笑ってみせた。
「今のがヒントよ。地獄って言えば、『舌を千切られる』でしょ?」
「まぁ、それはよく聞く話だが」
舌をちぎられる……それがヒント?
どういう意味だ? 一人で考えていると、何やら外が騒がしいことに気がついた。
ソファから立ち上がり、窓まで行くと、外を見る。
「……兵士たちが慌ただしくどっかに向かってるな」
すると、インバスは全てを知っているかのように笑った。
「ふふふっ、いよいよ時が来たわ」
「時が……?」
「ええ、シルドーちゃん、信じてるわよ?」
それだけ言い残すと、インバスは消えた。
「あの男……」
とにかく行くしかない。
俺は、刀だけを傍に抱えて、騒動の中心である中庭へと走るのだった。




