デートの後にて①
デート作戦は程よくうまく行き、満足して帰ってきた俺とベリーを待っていたのは、インバスだった。
彼はいつかも見たように、屋敷の外の壁に背を預けて立っていた。
「あっ、インバス、どうだ? 俺たちが仕組んだデートは上手く……」
いったのか? そう尋ねようとしたところで、インバスの様子がおかしいことに気づいた。まず空気感がいつものそれではなく、どこか近付き難い怒りのオーラを放っているようだったのだ。
それは、彼の釣り上がった目や眉がそう印象づけるのかもそれない。
車椅子に座るベリーもその雰囲気を感じ取ってか、彼に対して警戒したように何も話し始めない。
何を怒ってるんだ?
まさか、あの空気感でルージュに告白したけど振られたのか?
正直、ルージュはインバスにベタ惚れみたいだし、そんなはずはないんだが……
もしかしたら何か行き違いがあったのかもしれない。
とにかく聞いてみないことにはじまらないと、俺は意を決してインバスに向き合った。
「インバス、何があったんだ?」
すると、彼はズカズカと俺の目の前、本当に目の前にやって来た。
「何があった? ええ、あの後、君たちの目論見通り『告白』されたわ」
……え? 向こうから告白されたのか?
「何だよ、ならいいじゃないか」
予想していた答えと全く違う答えに拍子抜けしてしまう。しかし、インバスは怒りの形相のまま俺の胸ぐらを掴んできた。
インバスの方が体が大きいから、自然と踵がうく。
「……おい、インバス、なんのつもりだ?」
「私、言ったわよね? ルージュと付き合うことはないって」
「まぁ、言ってたけど……何だ、あの子が嫌いなら普通に振ればいいだろ?」
ただそれだけの話だ。そりゃ、多少は気まずくなるかも知れないが、二人とも立派な大人なんだかはそれくらい許容して欲しいものだ。
しかし、どうやらそんな単純な話じゃないらしい。彼は大きな声で言葉を紡ぐ。
「私ね、貴方たちの策略でまんまとルージュのことを……彼女に対するこの隠してた気持ちを抑えきれなくなっちゃったわ」
隠してた気持ち?
「……? お前もルージュ様が好きなのか? ならいいじゃ……」
「よくないわよ!!」
インバスはそう叫ぶと、俺のことをさらにグイッと持ち上げた。
出会ってから聞いたことのないインバスの怒鳴り声。
「そんな簡単な話じゃないのよ!」
こいつ、言わせておけば……
「知るか! いっつもいっつも肝心な事は何にも言わないくせしやがって、こっちだってな、気を利かせてやってんだぞ」
俺もやけになって、右手でインバスの襟元をグッと掴んだ。
互いに睨み合う時間が続く。マスク越しでも、インバスの目線が突き刺さるのがわかる。
すると、先に折れたのはインバスの方だった。彼は手を離すと、諦めたように言葉を紡ぐ。
「はぁ……そうね、今回の件、私がルージュと出かけないという選択肢を取ることもできたわ。でもそれをしなかった……いえ、出来なかった」
「……」
沈黙のまま、俺も掴んでいた手をそっと下ろした。
「結局、これも私の甘え、なのかもしれないわね」
インバスは一人で納得したような顔をしているが、今回はそれで終わらせる気はない。
「おい、インバス……今回はちゃんと聞かせろよ」
いつものように秘密の二文字で流すわけにはいかない、そう感じたのだ。すると、インバスも俺が真面目に言っていることに気づいたのか、笑って頷いた。
「ええ、分かったわ」
「インバス、シルドー……」
俺の後ろでベリーの声が聞こえた。その声はいつになく弱々しい。
「ベリーちゃん、大丈夫だから……貴方はお姉さん、ルージュの側にいてあげて」
俺越しにインバスが顔を覗かせて、ベリーにそう告げると、ベリーは自分の力で車椅子を進めながら屋敷の中に入って行ってしまった。
「シルドーちゃん、ここじゃ夜風で風邪をひいちゃうわ。私たちも中で話ましょう」
彼はそれだけ言うと、体を反転させて屋敷の扉へと歩き出した。
「……ああ」
俺もそれに続く。
それから俺とインバスは、俺が最初に転移で連れてこられた部屋にて向かい合っていた。今回は先程のように感情を表に出すこともなく、至って冷静に互いにソファに身を預けている。
「……それで? ちゃんと話すんだよな? もうはぐらかすなよ」
「ええ、分かってるわよ」
そう言うと、インバスはしばらく目を閉じた。
そして、一分経った頃にゆっくりと開かれる。
「私の地獄……伝えたわよね?」
インバスは俺と同じで、前世で閻魔様に地獄行きを命じられて、その結果きたのがこの世界である。
彼の落とされた地獄、確か『衆合地獄』とか何とか……
「ああ、聞いたぞ」
「衆合地獄ってどんなものか、シルドーちゃんは知ってる?」
「……? 知るわけないだろ、生きてる間に調べることなんかなかったからな」
もしこんなことになるのなら、前世でもっとそういったことについても興味を持って調べておくべきだったな。
すると、インバスがふふっと笑った。
「じゃあ、『針山地獄』ってのは聞いたことあるかしら?」
針山地獄くらいなら、聞いたことがある。
「ああ、刀で出来た山みたいな場所だろ?」
「そう。でも、鬼はそこで罪人をどうやって苦しめるかは知ってる?」
「どうやってって……そりゃ、刺すんじゃないのか?」
針山なのにそれを使わないわけがないし、使い道と言えば刺すことくらいしか思いつかばないが……
「まぁ、針を使って傷つけるのはその通りなんだけど……質問を変えるわ。地面にあるだけの針をどうやって罪人に刺すと思う?」
どうやって……たしかに言われてみれば、どうやってだ?
地面に針があるって言っても、罪人は刺さらないように近づかなければいいだけの話じゃないか。
俺が沈黙という形で答えると、インバスは素直に教えてくれる。
「女性……女性を使うのよ」
「女性を? どういう意味だ」
「簡単よ、針山のてっぺんに美女を用意するの。もちろん幻影のね? そしたら、男たちはそこめがけて針山を登るわ、その身にグサグサと穴を開けながらね」
言われてみれば、聞いたことのある話だった。
「確か、それで針山を登り切っても、次はその美女が山の一番下にいるんだっけか?」
「ええ、良く知ってるじゃない。それの繰り返しよ。女性を求めて永遠に男が苦しむ地獄……それが針山地獄よ」
こんな説明をしたという事は、インバスの落とされた地獄もそれに関連するものなのだろう。
俺が『釜茹での刑』として『鍋蓋』に転生させられたように、インバスも『針山地獄』として『インキュバス』に転生させられた。そう考えるのが自然だ。
「それで? お前も針山地獄をオマージュした罰になってるってことか?」
「ええその通りよ。私に課せられた罰……それはね」
インバスは一息置いてから、口を開いた。
「一人の女性を好きなり、その女性を求めた瞬間……相手を殺しちゃうの。女性を求めた結果、訪れるのは相手の『死』という無残な現実なの」
「相手を殺す!? どういう事だ」
思わず席から乗り出して、インバスとの距離が近まった。
「あのね、シルドーちゃんは知らないと思うけど、『インキュバス』は特性で、夜になると、好きになった相手の『精気』を吸い取っちゃうの」
「インキュバスの……まぁ、それはなんとなく想像できるな」
インキュバスは、サキュバスに並ぶ夜の悪魔、相手の精気を吸い取るというのは、前世でもファンタジーの世界観の中でよく聞いた話だ。
「普通はね、吸い取るって言っても、大した量じゃないわ。それこそ、吸われた側は性行為の後の疲れくらいなものよ」
こいつ、なぜ例えでそれを使った?
この世界には、その例えじゃ伝わらない人間がいることを知らないのだろうか?
「でもね、私は転生して生まれた時から特別だったわ。吸い取る精気の量が相手の『致死量』を超えてたのよ」
なるほど……これがインバスにかけられた呪いか。人を好きになってはいけない。好きになった相手を無自覚に殺してしまうから。
そこで、一つ気になったことを尋ねる。
「お前、それを知ってるって事は……」
「ええ、昔ひとりの女性を愛してしまったのよ。その結果、朝に気がついてみれば、横のベッドで死んでたわ。彼女」
インバスは、俺から目線を逸らしつつそう言った。その悲しみこそがこいつへの刑。
いくら手を伸ばしても届かない愛。
ようやく届いたと思っても、それはやはり届かずに相手は遠い世界に逝ってしまう罰。
「だから、お前は人を愛すまいと……」
「そう……だから、ルージュへの気持ちは勘違いだって自分に言い聞かせてたわ。それでも、今日一日一緒に過ごして隠しきれなくなっちゃったの……ルージュへの想いを」
今これでやっと、なぜインバスがデートを画策した俺とベリーに怒ったのか分かった。
「お前、何でルージュを好きになったんだ?」
「……ふふっ、両親が死んで、兄弟がベッドに寝込むなか、一人で家族のために頑張る彼女を見ていると……ね」
「なるほど……お前もルージュに似て大概にチョロいな」
「あら、失礼ね」
そこで、二人同時に笑った。別に声を出して大笑いしたわけではないが、ようやく心が通じ合ったようで、なんだか嬉しかったのだ。
「シルドーちゃん。私はきっと今からここで自我を失うわ。そして……ルージュのところに行こうと暴れ出す」
「暴れ出すって……そのままルージュを殺すのか?」
「ええ、私の意識がなくなっているうちに、ね」
「まて、そんなすぐに起こるものなのか? 何か解決策を計画する時間もないくらい?」
俺が若干ソファから身を乗り出してインバスに尋ねると、彼は笑った。
「ふふっ、恋は突然にってやつよ。現に、自殺しようと思っても既に体の自由が効かなくなってるのよ私」
自殺って……ベリーを殺めてしまうくらいならってことか?
「いや、笑えないんだが!?」
俺がすかさずそうツッコミを入れると、インバスは扉の方をゆっくり指さした。
「大丈夫、いつか来るかもしれなかったこの日のために、助っ人を一人お願いしてるから。二人で私を止めてね?」
暴走するインバスを止めるための助っ人?
「……? 誰かいるのか?」
俺が顔だけを扉へと向けると同時に、そこが開かれた。その助っ人によって。
ギギッという音ともに、一人の男が入ってくる。
俺よりは背が低く、タキシードっぽい服を着た男。
なにより、頭に被ったシルクハットが目立つ。
彼は俺と目が合うと、ニヤリと笑った。
「やぁ、久しぶりだね。シルドー」
「助っ人って、お前かよ……ブラッド」
そこには、タキシードを着こなす男の姿があった。




