主人の演説にて
明くる日の太陽が真上に登る頃、俺はベリーと共にブラッドの治める町の中でも距離的にもっとも人間領に近いとされる位置に来ていた。
そこはそれなりに発展した町のようで、魔族たちが賑やかに道を行き来している。
俺たちがいるのはそんな町の大通りに面した広場だった。そこに運動会の時に立てるような屋根しかないタイプのテントを設置し、その中で他の護衛と共に待機していた。
「お嬢様、兵士はあと少しで帰ってくるそうですよ」
道ゆく人々をのんびり見ながら、俺は口を開く。
「そう……ねぇシルドー、本当にこの場で間違いありませんの?」
ベリーが簡易組み立て式の椅子に座り、斜め後ろに立つ俺にそう尋ねてくる。
どういう意味だ?
「ええ、まあそのはずですけど?」
「そう……」
ベリーの聞かんとしていることがいまいち分からない。この場所はインバスに言われたのだ。ここに帰ってきた兵士達が集まるから、それを労ってやれと。
「どうかしたんですか?」
やはり分からない俺は尋ねてしまう。この場は大通りにも面した空間で、この町の中ではそれなりに大きな広場にあたるようだし、集まる場所として問題はないだろう。事実、見たところ、ざっと千人は入れるんじゃないだろうか?
すると、ベリーは目の前の広場を見ながら、小さな声で説明してくれた。
「小さ……すぎますわ。この広場は」
「小さすぎる? でも千人くらい入りそうですけど?」
この広場を小さすぎるとは、お嬢様だから感覚が鈍っているのではないのか?
そう思って、尋ね直すが……
「だから、それが小さすぎると言ってるんですわ」
「……? あの、よく意味が」
「シルドー、今回の戦いで我が領地から出た兵士の数はご存知ですの?」
レッド・ラッド家から出た兵士の数?
「いえ、知りませんね」
「一万ですわ。そう、一万」
ベリーの真面目なトーンから、それが嘘ではないことが伝わってくる。
「一万の兵士が行って、帰ってくる人数がこの広場で収まってしまうのですわ」
なるほど……だから、『小さすぎる』か。
それなら納得だ。
ベリーは前を見据えたまま続ける。
「今回の戦、敗戦と聞いておりますわ。ですが、いくらなんでも、帰らぬ者の数が……」
「多すぎる……か」
ベリーの続きの言葉はなかったが、言わんとしていることは十分に分かった。
「ええ。どうやらここから一番近い人間領の町『ペイジブル』を攻めあぐねているらしいですわ」
急に俺の聞き慣れたワードが出てきて思わずベリーの方を見るが、何も知らない彼女は続ける。
「魔族が人間領に侵攻するにあたって、あの町は避けては通れない場所ですわ。逆にあそこさえ攻め滅ぼせたら、そこを起点にして一気に侵略できるはずですのに……」
あの町の人間として、それは痛いほど分かっていた。あの町は、人間領の中でも最も魔族領に近く、さらには人間領と壁を作るように、山を挟んでいる。あそこが魔族のものとなれば、相当な要塞として機能するのだろう。
ペイジブルの領主として、彼の地がどういう状況なのか、知っておきたい。それに関してインバスに聞いても、奴は何も教えてはくれないのだ。
「ペイジブル……勝てない、ですか?」
恐る恐る俺は尋ねる。もしここで「時間の問題ですわ」なんて言われたら、俺はどうしたらいいのだろうか。
「勝てない……そうですわね、正直、報告を聞く限り勝てる気がしないですわ。それこそ、魔族たちが総力を上げて結集しませんと」
勝てないと聞いて、思わず胸を撫で下ろしてしまう。あいつら、頑張ってるみたいだな。
安堵する俺を置いて、ベリーは現状を淡々と告げる。
「あの町に人間国の騎士団が到着したようで、余計に劣勢に持ち込まれているそうで……って、シルドー、どうやら帰ってきたみたいですわ」
「あっ、本当ですね」
ベリーに言われて大通りの方を見れば、明らかにこれまでの町の住人とは違う風貌の者たちが歩いてきていた。
少しでもペイジブルの現状を聞きたかったが、今は仕方ない……か
思考を切り替えて、歩いてきたものたちの様子を見る。
彼らは皆一様にボロボロで、体のあちこちから血を流していた。
広場に入って近づいてくれば、彼らの形相はよりしっかりと見えてくる。
ツノが片方折れてしまった者。
頭の半分が焼け爛れた者。
目を抉られ、血の涙を流す者。
鼻が潰れてしまった者。
顎が不自然に歪んだ者。
胸元に真っ赤な包帯を巻く者。
右手左手の片方、いや両手とも無くした者。
腹に矢が刺さったままの者。
片足を失い、槍を杖に歩く者。
痛い痛いと叫ぶ者。
担架の上で咽び泣く者。
明らかに死んだ同胞を背負う者。
住人たちは、その異形さに自ずと道を開けて、端の方に避けていく。
彼らを見ていると、敵の立場として身勝手かもしれないが、それでも同情してしまう。
しばらくして、兵士たちは、広場に『入り切った』。なんなら、広場の三分のニ程度しかいない。
彼らはじぃっと黙ってこちらを見ていた。
彼らは待っているのだ。自分たちの主人にあたる人物が話し始めるのを。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
正直、彼らのことを知らない俺ですらこの光景はキツいものがある。まだ幼いベリーには相当堪える光景だろう。
しかし、うちのお嬢様はそんじょそこらの十代ではないらしい。
「シルドー、私は大丈夫ですわ」
「流石はお嬢様」
広場に聞こえるのは、数人の兵士たちの悲鳴のみとなった。何かに怯えるように、痛みを言葉にして吐き出すように、彼らは叫ぶ。
そんな中、ベリーは立ち上がった。
そして、彼女は朝礼台のような台の上に歩いて行く。その一歩一歩はしっかりとしたもので、どこか気品すら感じさせた。
空はどんよりと曇り、日中にも関わらずあたりは暗い。今にも雨が降り出しそうだ。
台の上、全てを見下ろす位置にきたベリー。
俺はその下からベリーを見上げる。
彼女は大きく口を開いた。
全ての視線が1つに集まる。ベリーは、この空間の支配者となる。
「まず……まず、謝罪いたしますわ!」
支配者は、謝った。こうべを垂れて、静かに目を閉じる。
兵士たちの返答は沈黙。
傷ついた彼らは、何も言葉を発しない。黙ってベリーの方を見ていた。彼らが何をどう考えているのか、検討もつかない。
また、ベリーが言葉を発した。
「お兄様……ブラッドは今日、ここにはきておりませんの! 彼は傷が深く、今もベッドで休んでおりますわ……。そこで、妹である私がこうしてここにおりますの」
彼女はそこで一息ついた。
まだ誰も言葉を発しない。
「皆様はきっと、きっと怒っているでしょう! この世の終わりのような死地に立たされたことに……。皆様が怒るのも無理はないと分かっておりますわ」
彼女はその言葉で俯いてしまった。
「貴方たちが進軍した理由はさまざまだと思いますわ! お金のため、名誉のため……ですが、その一端に『私たち弱者のため』ということがあったのも事実」
ベリーは大きく息を吸った。
「総大将である兄が『弱者のために』と銘打っている時点で、事実……ですわ」
「なるほど……だから、慎重に、か」
ここにきてインバスの言っていた『いろいろ慎重に』の意味が分かった気がする。ここに集まった兵士……彼らは、間違いなく気が立っている。
それはそうだろう、死の間際まで追いやられたのだから。
そうなった彼らが誰を恨むか……
そりゃあ、まずは『敵』だろう。やられた相手を憎むのは当たり前だ。なら、そんな『敵』に敵わないとき、その次は誰を恨むか……
進軍を命令した『主人』だよな。
自分の上司、主人が命令を出さなければ、そもそも自分が死地に行く必要などなかったのだ。となれば、そんな上の立場の者を恨むのも無理はない話だ。
しかも、今回の進軍の理由は『弱者』のためだ。魔族にいる少数の『弱者』が生きるために、彼らは人間領を欲したのだ。
そして、目の前に立つベリーは、『主人』であり『弱者』……
彼女は命令した側の人間であり、戦争の原因を作った側の人間。あらゆる憎しみが集まるのも必然と言えるだろう。
これは、予想以上に警戒する必要がありそうだ。
いつ彼らの憎しみが爆発してベリーに牙を剥くとも限らないのだから。
俺は、【巨大壁】を展開して、ベリーの前に配置した。
「皆様ご存知の通り、私は『弱者』ですわ。そしてこの町にも数百人の『弱者』がいて、日々苦しんでいますわ。そんな私たちのために戦ってくださった皆様に、私が与えられるものは、ただ純粋なる敬意のみですわ」
「敬意……」
魔族の誰かがそう呟いた。
「本当に、本当にありがとう……ございます」
ベリーは、そう言って頭を下げた。
普段ツンケンしている彼女からは予想もできない行動に俺は驚いたが、兵士達はそんなこともないようで、彼女の様子を静かに見ていた。
「私は、弱者。弱い者。貴方たちが戦っている間、私は、ベッドの上。ですわ」
ベリーは、懺悔するように、自分の罪を告白するように言葉を紡ぐ。
「だから、本来ならこんなこと言えないですわ。ですが……ですが、これは『弱者』ではなく、『領主の妹』として、貴方たちに言わせていただきますわ!!」
その後、彼女は顔を上げて、拳を作った。
「人間共は、潤沢なる領地を占領し、私たちにこの過酷なる領地を押し付けてきました。そして、奴らは瘴気に悩むこともなく、今もぬくぬくと過ごしておりますわ」
これが、これが魔族側の意見なのか……
人間側は、自分たちのテリトリーにやってくる魔族は蛮族であり、それを追い払うのは当然のことだと思っている。まぁ、敵が攻めてきてそれを追い払うのは、れっきとした正当防衛になるだろう。
魔族側は、昔人間に追いやられたせいで、不毛な地『魔族領』でテリトリーを広げることになってしまった。だからこそ安全な地を求めて侵攻するのは間違っていないだろうという考えなのだ。特に『弱者』は魔族領では生きていけない故に、力づくでも人間領を獲得するしかないわけだ。
ベリーの言うことに熱がこもる。
「貴方達が戦った理由は、確かにありますわ! 敗戦? いえ、違う。皆様は、今後の戦争のために、敵の数を減らしたのですわ! これは、立派な勝利と言えますわ!!」
「そんな無茶苦茶な……」
誰にも聞こえないように俺は呟く。ベリーも苦しい言葉だと言うことは自覚しているのだろうか、見上げると彼女は眉を顰めていた。
「せっかく今回頑張ったのですから、貴方達は、魔族が人間領に住む光景を目にするまで、死ぬことは許しませんわ! ……お願いだから、死なないで、死なないでくださいまし」
初めは力強く、終わりは弱々しく、ベリーは懇願した。その泣きそうな顔は、なんとも痛々しく、見ていられないものだ。
その時だ。
兵士の中の一人が、大きな声を出した。
「お嬢様!! 俺たちはお嬢様のこと、もちろんブラッド様のことも、恨んだことはありませんよ!!」
それに合わせて、そうだそうだという声が上がる。
「ブラッド様のおかげでこの町は発展したんですから!」
「これほど優しい主人に対して何が不満か!」
「お嬢様ーー!!」
「うちの娘も弱者なんだ! これからも戦うぜ!」
「これからの魔族のために!」
「魔族の発展を願って!!」
そんな声が広場に響いた。やじに来ていた住人たちも、その言葉にうんうんと頷いている。
兵士たちは倒れてしまうほど傷ついているはずなのに、こんな大声をだして騒げるはずがない。
彼らはお嬢様に弱々しいところを見せまいとしているのだ。
ベリーは、そんな反応を見て、眉を困らせながら笑った。
「皆様、これからここで治療を行いますわ。もう大き声は出さずに、安静になさってくださいまし」
「「「おぉおおお!!!!」」」
言われたそばから彼らは大きな声を出して拳を高く上げた。
どうやら、俺やインバスが心配していたことは起きなかったようだ。巨大壁を解除してほっとため息を吐くと、テントから走っていく治療班が見えた。
「お嬢様、椅子に座っていてください」
「ええ、失礼しますわ」
台から降りたベリーは、もといた椅子まで戻るとふぅーーと長い息を吐いた。
「お疲れ様です」
「ええ」
それから、治療は一日中続いた。途中でここにいてもできることはないので、ベリーに帰るよう言ったのだが、彼女は残るの一点張りで、結局最後まで見守ることになった。
その途中で、兵士にペイジブルに関する話を聞いた。
今ペイジブルには、騎士団五万人が陣を引いているらしい。恐らくジョニーのところの第七騎士団が到着したのだろう。
しかし、魔族の男によると、最も脅威となるのは数の多い彼らではないらしい。
彼は語った。
「ヤバイのは、もともとあの町に住んでる連中だ。あいつら、人間とは思えねぇ力で圧倒しやがる。その中でも魔族内で特に危険とされているのが『五人』だ」
一人目
戦うメイド。その手が変形するのを見た者にはいずれ確定なる死が訪れるとされている。いつも無表情で、淡々と仲間の命を奪い取ってしまうらしい。
二人目
緑のスナイパー。彼は遥か遠い場所から見事にこちらの急所を狙い撃つアーチャー。パッと見はゴブリンに似ているが、その実かなりのツワモノらしい。
三人目と四人目
大魔術師とその護衛エルフ。大魔術師は和服を着た女で、とんでもない魔力量と未知の魔術で、圧倒的な数の魔族を屠る。そして、その護衛をするエルフは、魔法を連投して近くに迫った魔族を殺すらしい。
五人目
最強の獣人。彼を表すには『最強』の二文字で事足りるという。魔術も魔法も使わない彼の戦い方は、ひたすらに殴る蹴る。噂によるとブラッド様を倒したのもその男とのことだ。
それって、上から順にイチジク、ゴブ郎、龍帝にシル、最後のがリューだよな。
彼らは最近ますます荒れているらしく、暴れ散らかしているらしい。ほとんどの者が彼らにやられたそうだ。
「この傷もそのうちのメイドにやられたもんなんだよ」
そう言って、魔族の男は爛れた頭を見してくれた。
あいつら、町を守ろうとしてくれてるんだろうが、こちらに住んでいる俺にとってみれば、なんとも言えない状況だ。
目の前の死にそうな魔族達を見ていると、申し訳なくなってくる。
あのままペイジブルで過ごしていたら、絶対に起こり得なかった感情だ。あの頃、魔族は平和を乱すただただ野蛮な存在だったが、今は違う。彼らにはしっかりとした信念があり、同じ魔族を思いやる心があり、人のために命を散らす覚悟のある者たちなのだ。
そこでふと一つ気になった俺は、その男に聞いた。
「噂の中に、フードを被った男の子と銀髪で大鎌を持った女はいないのか?」
「フード? 大鎌? さぁ、知らないねぇ」
とのことらしい。あの二人が戦場にいたら、危険とされる『五人』じゃなくて『七人』になっているだろうし……
あいつらは、どこで何をしてんだ?
兎にも角にも、それ以上の情報を集めることが無理だと判断した俺は、ベリーと共に屋敷に引き上げたのだった。




