遠い地にて②
「お嬢様ーー、失礼しますよ」
二日目の朝、俺はそう言って扉をコンコンッと叩いた。中からの返事はないが、お構いなしに部屋の中に入る。
そこには、昨日と変わらずベッドの上で本を読むお嬢様こと、ベリーがいた。昨日と違う点は、彼女の隣に椅子が一つあることくらいだろう。
「シルドー、貴方インバスのせいで勘違いしているのかもしれないわ」
「はぁ、勘違いですか?」
「ええ。本来なら、ノックをして、返事があるまでは入っちゃダメですわ」
いや、それくらいなら知ってるが……
「だって、お嬢様、返事しないじゃないですか」
「ええ、まあ、そうね。つまり、貴方はずっと入ってきちゃダメってことですわ」
なるほど、つまり俺はずっと扉の前で待機していろと?
「すみません、俺はずっと突っ立って待機してるほど足腰強くないんで。失礼しますね」
ベリーの言うことを無視して椅子の前まで行った俺は、刀を腰から外して腰を下ろした。
もうベリーは顔を上げない。昨日と同じように、本に集中している。
それから数時間、ペラ……ペラ……というページを開く音だけが部屋に響いた。
ベリー、いくらなんでも飽きないのだろうか? こんな活字ばっかり見ていて。俺も引きこもりでよく本を読むが、ここまで読み続けるのは正直堪えるだろう。
ゆっくりとした時間が過ぎてゆく。
コンコンッ……
しばらくしてそんな音が室内に響いた。
ベリーは一瞬ドアの方を見たが、すぐにまた興味がなさそうに本の方へと視線を戻してしまった。
メイドさんが紅茶でも持ってきたのだろうか? 昼飯はさっき食べたばっかりだしな……
「はぁ……はい、誰ですか」
お嬢様が無視するなら、俺が行くしかない。
ため息をつきながら椅子から腰を上げた俺は、そのまま扉の前まで行くと、徐にドアノブに手をかけてそれを開いた。
すると、そこにはベリーと同じ茶色の髪をした大人な女の人がいた。彼女は俺の顔を見てしばらく沈黙した後、思い出したように大きな声を出した。
「だ、誰ですかぁ!?」
それはこちらのセリフだ、誰なんだこの女性は。
驚く正体不明の女性を前に、俺は素直に尋ねる。
「俺はお嬢様の護衛の者ですが? そちらは?」
すると、その質問に答えるように、部屋の中から声がした。
「ルージュお姉様! 来てくださったのですわね!!」
俺はギョッとしてベリーの方を見た。これは普段静かなのに……というのもあったが、お姉様というワードに釣られたのだ。
お姉様ってことは、ブラッドの姉貴か!?
俺は改めて目の前にいる女性を見る。
言われてみれば、目元や鼻筋など、どことなくベリーに似ている気がしなくもない。ブラッドには似ても似つかないが……
とにかく、正体が分かった以上、俺は言葉を発する。
「どうも、ベリーお嬢様のお姉さんでしたか」
改めて俺がそう挨拶すると、ルージュお姉様とやらは、状況が掴めてきたのか落ち着いて声を出した。
「なんだ、護衛の方だったのねぇ。あっ、私はベリーの姉のルージュって言うのよぉ」
「どうも初めまして」
俺がぺこりと頭を下げると、相手も深々と頭を下げてきた。
すると、俺の背後から大きな声がする。
「お姉様! 早くこっちに来るのですわ!!」
ベリーの方を見れば、彼女はいつになくハイテンションで、本などそっちのけでポンポンッとベッドを叩いていた。
「はいはい、分かったわよぉ」
ルージュは困ったわねぇと笑いながら、会釈して俺の横を通る。
俺が数歩下がることで部屋に入ったルージュは、ニコニコしながらベリーのもとまで行くと、ベッドにポスンッと座った。
「ベリー、今日は調子が良さそうねぇ、安心したわぁ」
「ふふっ、お姉様が来たら調子なんて最高になるのですわ」
俺は椅子をベッドから遠ざけて、そこに座ると、二人の様子を観察する。
「お姉様、お時間大丈夫ですの?」
「ええ、少しすればまた行かないと行かないといけないんだけどねぇ」
「そうですの……では、今の間に精一杯お話しするのですわ!」
ベリーが見たことないほど流暢に喋る。それから彼女も……姉のルージュも心底楽しそうに会話のキャッチボールを続けていたが、十五分くらい経った頃、ルージュはベッドから立ち上がった。
「じゃあ、私はそろそろ行くわねぇ」
「……ええ、今日は楽しかったですわ」
ベリーはそう言うと、眉を顰めて笑った。
「ごめんねぇ、もっと時間をとってお喋りしたいのだけど、どうしても離せないのよぉ」
姉のルージュも名残惜しそうにベッドから立ち上がる。
「ええ、分かってるのですわ。お兄様の分まで頑張ってくださいまし!」
下から見上げるようにベリーはルージュの顔を見る。
ルージュはこれから何か用事があるみたいだ。普段静かな部屋がいつになく盛り上がって、個人的には楽しかったんだが……
ルージュは、スタスタと俺の前まで歩いてくると、お辞儀した。
「護衛の方、ベリーのことよろしくねぇ」
なるほど、よほど妹のことが大切と見える。
「まぁ、守らないとインバスに怒られるんで」
「インバス様にぃ!?」
「……? ええ、インバスに」
「そ、そう……」
ルージュの顔がなぜか赤くなり、右手を口元に当てて、目線をあからさまにそらす。
なんだ? この反応……
ルージュは、ベリーにもう一度バイバイを言って、そのまま扉の外に出ていってしまった。
ドアの方から正面に顔を向けると、ベリーと目が合った。普段なら彼女は本を読んでいるから目が合うことないのだが、今は本を置いているため、しっかりと合ったのだ。
すると、彼女は一気にテンションが下がったようで、小さな声で聞いてきた。
「シルドー、貴方いつもインバスのことを呼び捨てにしますけど、一体どういう関係ですの?」
「インバス? 別に、何でもないですよ」
お嬢の方から声をかけてくるとは珍しい。そんなことを思いながら、再び椅子まで歩いて行き、そこに腰掛けた。
「……インバスは、レッド・ラッド家と同等の力を持つ貴族なのですわ。一般の魔族が対等に喋っていたら殺されますわよ?」
確かに……考えてみれば、おかしな話だ。
インバスの奴、貴族をやっていると言っていたな。
「ま、俺もインバスと似たような存在ってことですよ」
インバスも俺と同じく、閻魔様に地獄に落とされたメンバーだ。嘘は言っていない。
「同じって……貴族ってことですの? でも私、シルドーなんて貴族……」
ベリーは、少し考えた素振りを見せたが、すぐにどうでも良くなったようで、また本を手に取った。
「まぁいいのですわ。はぁ……こんなに喋るとは。お姉様と話していたせいで少し舞い上がってしまっていたのかもしれないですわ」
彼女は、それだけ言うと、また本の世界に行ってしまった。
その日も、それからは見慣れた光景がただただ続いた。




