戦争の後で
「さて、魔族軍のかなりの数を倒したわけだが……これからどうするつもりなんだ?」
大量の侵略者……魔族を石化した俺は、魔族のこれからの行動を丘の上から見守っていた。
「ここで叩くに決まっているだろう」
隣に立つガレットがそう言って金の髪をふぁさりと流した。フローラルな良い香りがここまで漂ってくる。
「ガレット、風呂に入る暇とかあったのか?」
「はぁ? 貴様、セクハラで訴えるぞ」
「セクハラって……」
そんな言葉をこの異世界でも聞くことになるとは思わなかった……
「残りの魔族、倒すのか」
「ああ、いずれ脅威になることは目に見えているからな」
「そうか、なら頑張って……」
「領主、貴様もやるんだぞ」
立ち去ろうとした俺の首根っこをガレットが掴む。
「何でだよ、俺こんだけ倒したんだぞ? もういいだろ」
「うむ、よかったなそのおかげでお前は私の中で『使えない領主』から『使える領主』に位が上がった。ほら、いけ」
「ほらいけじゃない。お前が働け」
俺の服を掴むガレットの手を振り払って断固として抗議する。そもそもこいつらは来て何もしていないのだ。したことといえば、せいぜいイチジクたちの治療をしたくらいだ。
「なんだ、さっきの技をもう一回くらいやれば皆殺しできるだろ?」
こいつ、他人事だと思って好き放題言ってくれる。
「あれそう簡単に使えるもんじゃないんだよ。めちゃめちゃ時間のかかるタメ攻撃みたいなもんで、次の発動まで数日かかるぞ」
「ちっ、やはり貴様は『使えない領主』だ」
「もうそれでいい。それより、お前の軍一万いれば残党の処理くらい簡単だろ? リューも借してやるからさっさと行ってこいよ」
いちいち相手にするのも面倒になった俺は、ガレットに向かってシッシッと手で合図した。
「はぁ……まぁ、あの男を借りれるなら余裕だろう」
そう言ったガレットが、部下へ指示を出そうと歩き出した時……
とんでもないオーラを感じた。
それは、魔族の石の隙間を縫うように現れた。
「こんにちわぁん、新キャラ、登場よぉ!」
その『男』は、御神輿の土台のようなものに座っていた。左右に女を侍らし、御神輿の下にはそれを持ち上げる筋肉隆々の魔族たちを引き連れている。
「ガレット!!」
「分かっている!」
俺とガレットはすかさず戦闘態勢にはいる。
「あらあら、そんな警戒しなくてもいいじゃない」
俺は、刀を男の方に向けながら叫ぶ。
「お前、何で石になってないんだ?」
「何でって……私が強いからじゃいかしらぁ?」
男は、そう言って口に手を当てた。よく見れば、かなりの美形だということがわかる。鋭い眼に、高めの鼻、シュッとした顎。はだけた体は細く、それでいて筋肉がしっかりとついていた。
これで『オネェ感』と『頭のツノ』がなければ、人間にもモテモテだっただろう。
例の神輿は止まった。見れば、下の筋肉ダルマが静止している。
「貴方たち、お疲れ様よぉ」
男は、自分に密着していた女の手をどかせると、神輿から降りてきた。
刀を握る手がより強くなる。
「そう警戒しないでよぉ」
これまた無理な話だ。目の前に立つのは強者だと、はっきり分かるのだから。
地面に立った彼は俺たちの背後にいる一万の軍勢をねっとりと見渡すと、提案してきた。
「貴方たちぃ、ここは見逃してくれないかしらぁ?」
「見逃す……?」
「ええ、私たち魔族軍はひとまず撤退する予定なのよお。だから……ね?」
その言葉と同時に男から強烈なオーラが放たれた。有無を言わせない迫力と威圧。
俺は思わずガレットの方を見る。この軍隊の指揮権はガレットにある。俺としてはここは見逃すべきだと思うのだが……
ガレットは、剣をしまった。
「良いだろう。どのみち貴様とやり合えば、こちらの被害も相当なものになるだろうからな」
よかった……
バトルジャンキーな奴だと思っていたが、ちゃんと分別はできるみたいだ。
彼女は続ける。
「それで? 最後に名乗れ。貴様、何者だ」
ガレットが尋ねる。こんなこと素直に教えてくれるか分からないが、俺も気になっていたことだ。
恐らくは魔族軍の将軍クラス。
彼は人差し指を自身の口元にもってきた。
「あたしぃ? そうねぇ、教えてあげてもいいけど……」
……ガチャ、ガチャンッ
「……!? ガレット!?」
急にガレットが倒れた。鎧を着たまま、うつ伏せに重力に従って倒れたのだ。
俺はすかさず【巨大壁】を目の前に展開した。
「お前、ガレットに何した」
「安心しなさいなぁ、ちょっと眠ってもらっただけよ。撤退を許してもらってるのに、ことを荒げるわけないでしょ」
目線だけでガレットの方を見れば、確かに息はあるようで、微かに動いているのが分かる。
俺は改めて視線を魔族の方へと向けた。
「ね?」
男はそう言って片目を閉じてウインクしてきた。
遠くで俺たちの様子を見ていた騎士団が動く気配がしたので、手で静止させた。逃すと決まった以上、こちらもことを荒げたくない。
「そうだ、改めてこんにちわぁ、私の名前は『インバス』インキュバスのインバスよぉ、覚えやすいでしょ? 今は魔族で貴族をやってるわぁ」
当たり前だが聞いたことのない名前だ。
「インバス……で? それをガレットに聞かれたくなかったのか?」
ガレットを眠らせたということは、そういうことなのだろう。でなければ、尋ねた本人を眠らせる必要がない。
しかし、それは少し違ったらしい。
「正しくは、この後の話を、よ」
「この後の話……?」
「そう! 私の本当の階級よ」
本当の階級……つまり、こいつは本当は『魔族の貴族』というわけではないのだ。警戒をしたまま、俺は尋ねる。
「それで、インバスさんよ、それは俺が聞いても後で殺されたりしないのか?」
あとで「お前は知りすぎた」とか言われて殺されるくらいなら、別にこいつの話なんて聞きたくない。
しかし、その心配は杞憂に終わる。
「そんなわけないじゃない。ならそもそも教えないわよ! 私は、貴方……『シルドー』にだから教えるのよ」
「な、何で俺の名前を!?」
俺はこいつに名乗った覚えはない。領主の名前くらい知られていてもおかしくはないが、それと俺の顔が一致する訳がないのだ。初対面なのだから。
「何でって……あっ、そっか『あの子』まだ貴方に言ってないのよね」
インバスは頬に手を当てて困ったわと首を傾げた。
「あの子? 言ってない? おい、どういうことだ!?」
全然話についていけない俺は、食い気味に尋ねる。
「そうねぇ……まぁ、それはおいおい分かるでしょ」
「おい、ちゃんと今……」
「シルドーちゃん!!」
今教えろと言おうとした時に、インバスに被せられた。わざとなのだろうが、本当に匂わせるだけ匂わせるとは、タチの悪い奴だ。
インバスの野郎は己の言いたいことだけを言う。
「よく聞きなさい。私はねぇ。私は、貴方と同じ『罪人』なのよ」
罪人……? それも、俺と同じ。
「どういうことだ? 俺は罪人になった覚えなんてないぞ」
目が合う。その目は冷たく冷たく冷たく……
「いいえ、貴方は罪を犯したわ。そして、その刑を執行される囚人よ」
「だから、俺は罪なんて……」
犯していないと言い張ろうとしたところで、引っかかった。
罪、罪なら犯したじゃないか。
あの世の世界で……彼岸花咲き誇るあの世界で……
「い、いや、まさか」
「ふふっ、思い出したようね。己が『善行』をする理由」
こいつ……どこまで分かってるんだ!?
インバスは確実に分かっている。俺が『地獄に落とされ罪人』だということを。
手に額に、汗が流れる。
彼は意気揚々と続ける。
「私はねぇ……」
そこで、溜めに溜めた次の言葉は、俺に衝撃を与える。
「私、八大地獄のうち『第三の地獄 衆合地獄』の『罪人』なのよ」
「……なっ!? インバス、お前は」
「貴方は『第六の地獄 焦熱地獄』の『罪人』でしょ?」
確かにそうだ。こちらの世界に飛ばされる時、あの閻魔様からそう聞いた。
「お、お前……」
聞きたいことが脳内を駆け巡るが、それが多すぎて何を聞けば良いのかわからない。まさしくパニックという言葉が最も似合う状況だろう。
「シルドーちゃん、私たち『罪人』はある組織に所属しているの」
「組織?」
「ええ、罪人による罪人のための組織よ」
「それはどういう……」
警戒など完全に忘れて、一歩前に進んだ俺の質問を、インバスは適当に受け流す。
「まぁ、時が来たら……ね」
「おい、なんで教えないんだ」
「今の貴方には教えても無駄だからよ」
「無駄なことないだろ」
「いいえ、無駄よ。シルドーちゃんの動向は逐一伝わってくるから、その時になったら教えてあげるわ」
俺の動向がこいつに知られている? なぜだ?
そういう能力を持った『罪人』がいるということなのだろうか?
インバスは、最後にこちらに投げキッスをして、神輿の上に戻っていった。
神輿は、再び魔族の石像が並ぶ方へと帰っていく。あいつはこのまま魔族を撤退させるのだろう。
すると、急に神輿が止まった。インバスは神輿の上で首から上だけをこちらに向けた。
「そういえば一つ、『コダマちゃん』知ってるでしょ?」
「コダマ!? し、知ってるはいるが……」
「彼女、可愛いわね」
「……は?」
それが何を意味するのかは分からない。しかし、それについて深く聞く前にインバスは神輿に乗ったまま去っていってしまった。
神輿とインバスの姿が小さくなっていく。
「……はっ!? ここは」
そばでガレットの声が聞こえた。
「何だ、今更目が覚めたのか?」
「ああ……あの魔族は?」
ガレットはキョロキョロと辺りを見る。
「あいつなら戻っていったぞ」
インバスの去って行った方を指差す。
「そうか……撤退したのか」
太陽が沈んだ。空が暗くなり、軍の方にポツポツと火が灯り始めた。
石にされなかった魔族たちがもと来た道を戻っていく。
その後ろ姿は最初に見た時より小さく見えた。
「何とかなるもんだなぁ」
「普通は何ともならんがな」
「ふむ……まぁ、今日は宴だ。お前たちも参加するか?」
「いや、いい。私たちは何もしてないからな」
「そうか……」
その会話を最後に、俺はイチジクたちの様子を見に戻るのだった。




