収拾する戦争にて
「はぁ……で? あれがアンバーマンティスって準SS級の魔物か」
俺の前方約数百メートル先の位置に、黄色い巨大なカマキリが立っていた。あの鎌と口が有れば、人間なんて丸呑みだろう。
「あんなのいるなら戻ってくるんじゃなかったな」
思わずため息が漏れ出てしまう。
そもそも俺は逃げる気だったのだ。しかし、それを『善行』の二文字が妨げた。
「まぁ、それでも死にそうになったら俺は逃げるけどな」
俺の前には数万の魔族の軍勢。そして背後には……
「なぁガレット、お前の部隊、何人いるんだ?」
すぐ後ろにいた金髪の美女に話しかける。
「我が隊は二万人だ。あと数日も経てば、ジョニー様がさらに六万の軍勢を連れてやってくることになっている」
ガレット……この国、イスト帝国の王都に在中している騎士団のうちの一つ、第七騎士団の副団長だ。綺麗な金髪が目立つスタイル抜群美人だ。見た目は天使だが、会うなり人の首を掻っ切ろうとした異常者だ。
本人曰く、「貴様ほど怪しい奴を斬ろうとして何が悪い」とのことらしい。本当、サイコだ、サイコ。
「二万かぁ……全然足りないな」
「ふんっ、これだから素人は。戦は量ではない、質だ。質が良ければ勝てる」
「質って……それは作戦やら戦略があってのことだろ? こんな平地で何の準備もできていない状況で勝てるわけないだろ」
「作戦か、それなら一つあるぞ? お前が一人で囮になれば良い。その間に遠距離から攻撃くらいならしてやる」
ガレットの奴……
俺は改めて敵を見据える。皆、戦闘態勢でこちらを見ていた。そして、その先頭には巨大なカマキリ。
「今から、俺が技を出す。だから、それまでは兵士を絶対に前に出すな。いいか」
「はんっ、私に命令するな」
ガレットは、いつもの如く冷たく当たってくる。これも、こいつが男嫌いなのが原因なのだろう。
「お前、いっつも男に対してそんな態度だが、生き遅れるぞ?」
いくらこいつが美人だからって、喋るたびにそんな冷たく当たられるなら、誰も寄ってこないだろう。
「大きなお世話だ。それに、私に釣り合う男などいない……いや、一人だけだ。それ以外は願い下げだ」
「だから、そんな態度だから……って、一人いるのか!?」
これは意外だ。ガレットは全ての男を嫌っているものだと思っていたから、そんな純粋に一人だけを愛せるとは……。
「まぁな、貴様と比べれば『ゴブリンと魔王』くらい差のあるいい男だ」
『ゴブリンと魔王』は、『月とスッポン』みたいなものだ。にしても、そんな男……
「分かった、ジョニーか!!」
こいつの所の団長であるジョニーは、たしかに優男ということで女性から人気があったはずだ。その実ただのブラコン野郎なのだか、それに気づかなければ確かに魅力的なのかもしれない。
俺がそう予想するが、それは違うらしい。
「ジョニー様は、ただの上司だ。それ以上の意味など見出したこともない」
ジョニーじゃない?
「なら、誰なんだよ」
「なぜそのようなことを言わねばならん?」
こいつ……実際言う必要なんてないけど、気になるだろ。
ガレットほど男嫌いな奴が唯一好きになる男。そんなのがいるなら、是非モテテクを伝授してほしいものだ。
「あーーあ、このままじゃ気になってまともに戦えないかもなぁ」
俺はわざとらしく口を尖らせた。ガレットの方を見れば、虫ケラを見るような目で俺の方を見ていた。
はっ、寧ろ興奮するぜ
「あーー、このままトンズラしちゃおうかなぁ。ヨシミもイチジクももう戦えないしなぁ。ここで壁役の俺が逃げたらヤバいんだろうなぁ」
斜め後ろにいるガレットを横目で見る。ガレットの目とぶつかった。
「ガレットと釣り合う唯一の男、誰なんだろうなぁ?」
「ちっ……本当、これだから男は嫌いだ」
彼女は頭を押さえながら舌打ちを打つ。
「そもそもその男、貴様は知らんぞ? 以前、王城で巡り合ったのだから。私は騎士、そいつは宝を盗む盗賊としてな」
「はあ、盗賊……」
禁断の恋ってやつだろうか?
お堅い騎士様だと思っていたから、なんだか意外だ。そんなことを思いながら話を聞いていると、彼女はさらに想定外のことを言い出した。
「ああ、そいつは仲間のために一人で残って戦うような奴だ。色々あってだな、私は死にそうになったのだが……奴は私のことを守ったのだ。敵である私を、だぞ?」
……な、なるほど。
……って、それは
「それ、俺のことだよなぁ……」
俺は小さな声で呟く。
以前、マスクをつけて身柄がバレないようにしながら王城に盗みに入ったことがある。そのとき、今の話のようなことがあったような……
俺はガレットの顔を見る。艶のある金の長髪。他の女の子など比較にならないほど美しく伸びたまつ毛。宝石のような蒼い瞳。スラリと長い鼻に、控えめな唇。
なぜか、いつになく綺麗に見える。
若干頬が熱くなるのを感じながら、質問する。
「ガ、ガレットはその男にまた会えたらどうするつもりなんだ?」
「何だ、赤面して気持ち悪いな。私はそいつを捕まえて投獄するつもりだ。そして、きちんと懲役を全うさせる。まぁ、十年と少し有れば出られるだろう。その時にあいつがどうしてもと言うなら、まぁ、結婚してやらんでもない」
「あ……な、なるほど」
ダメだ。ガレットの美貌に騙されては。
初めは名乗り出ようと思っていたが、今後の貴重な十年を奪われるなら、そんなこと言えるわけがない。
「ガレット、そいつはやめとけ、な? きっとマスクの裏は酷い顔だぞ?」
俺は己の服の内側に入っているマスクをギュッと押さえながら、苦笑いを浮かべる。
「領主、お前の顔面白いことになっているぞ? ……というか、私はマスクをつけていた、など言ったか?」
ガレットが首を傾ける。
「い、言ってたぞ? ガレット、お前ならもっと良い男に会えるさ。は、ははっ」
俺は何とか誤魔化す。
しまった、マスクのことは言ってなかったか。
すると、ガレットはいつものように馬鹿にしたように笑った。
「はっ、領主は自分を敬愛してくれるコダマという存在がいるからやけに上から目線だな」
コダマ……そういえば、あいつは俺のことを好いてくれていたらしい。ガレットの奴、それに気づいていたのか。まぁ、仲良さそうにゲームしてたからな。
俺は正直に告げる。
「コダマなら、つい最近死んだよ。この町を守るためにな」
ガレットは急に真面目な顔になると、素直に謝ってきた。
「すまん、知らなかったとはいえ」
「気にするな、別にお前が謝ることじゃない」
彼女は、それだけ言うとその真剣なトーンのまま敵の方を見据える。
「それで、真面目な話、あれをどうするつもりなのだ?」
魔族たちは無駄話をしている間にもジリジリとその差を埋めてきていた。
「ああ、あれな……一応、『石』にしてみるつもりだ」
「……石?」
「石、だ。まぁ、見てればわかる。拡声器、あるか?」
「指示を出す用の拡声器ならまぁ、あるにはあるが……」
ガレットは後ろに待機していた騎士から拡声器を受け取ると、俺へと差し出してきた。
「よし、なら俺の背後を数分、守っててくれ。あと、何回も言うけど、俺の前に出てくるなよ?」
今からする技の弱点。数分間無防備になる己の背後を任せる。
「……? まあ、それくらいならしてやらんこともない」
ガレットは最後まで不思議そうだったが、それでも指示に従って、騎士団員に命令を下していた。
さて、準備は完全に整った。
向こうのほうから、こっちに走ってくる魔族の軍勢が見える。
その先頭を切るのは、例のアンバーマンティスだ。大きな鎌を振り回して、砂煙を上げながら迫ってくる。
「さて、本当は試し打ちとかしたかったけど、仕方ない……」
コホンッと喉の調子を整える。
俺は左手に持つ拡声器をゆっくり口元に持ってきた。
そして、大きく息を吸う。
叫ぶ。
「敵さんこっちら!!」
もう一度深く、深く息を吸う。
「手の鳴る方へぇえ!!」
拡声器をすかさず右手のもとへと持って行き……
パチンッ
指パッチン……爆音が一帯に鳴り響く。
そして、それに呼応するように……
「「「ウヲォオォオオオオオオオオオ!!」」」
魔族共の雄叫びが響いた。
魔族たちは一目散に俺の元へと走り寄ってくる。俺のスキル【挑発】が発動したのだ。
「ゴホッ、ゴホッゴホッ……はぁ、喉潰れるぞ、マジで」
とにかく、俺はもう必要なくなった拡声器を地面に投げ捨てる。
そして、今度は静かに、俺は右手を敵の方へと向けた。
『握り拳』を作って魔族共の方へと突きつける。
右手の照準は敵の軍勢約十万に定められる。
「じゃあ、ここからが本番」
ニヤリと笑う。
「スキル、発動!!」
魔族共が止まって見える。それほどまでに俺の精神は集中していた。
「【石化】!!!!!!!」
以前、カオスの経験値を獲得することで得たスキル、【石化】を発動させる。
瞬間……。
俺の背後で空間にヒビが入った。
パリッ……バリンッ、バリ……パリパリ……
まるでガラスを割った時のような、そんな音。
「はぁ……はぁ……」
体力がごっそりと持っていかれる。しかし、このスキルはここからだ。まだ何も完成していない。
『握り拳』を前に突き出したまま、背後の空間の割れが大きくなるのを待つ。力の入れすぎか、爪が手に食い込む。
そして、時は来た。
背後の『斜めに入った空間のヒビ』の直径が五十メートル程に達しようとした。
いくぞ……
「開眼」
俺は『握り拳』を思いっきり伸ばして開いた。
手のひらが相手に向けられる。
瞬間、背後の空間の亀裂が開いていくのがわかる。
これ以上は見てはいけない。俺すらであっても。とんでもない視線……いや、死線を空間の切れ目から伝わってくる。
背後にとんでもないエネルギーを感じた。そして、同時に死ぬほどの寒気が全身を襲う。
鳥肌鳥肌鳥肌鳥肌鳥肌鳥肌鳥肌鳥肌鳥肌……
ゾクゾクとする。
そして、目の前の魔族たちが……
音もなくその姿を石へと変えていく。
先ほどまで走っていた彼らは一瞬にして『石』になってしまった。
石になったのだ。先程までの戦で昂る生命の活動を完全に辞めて、無機質な塊、石に。
それは、準SS級の魔物、アンバーマンティスでさえ、だ。
気がつけば魔族共の雄叫びはゼロになっていた。
「閉眼」
閉眼……目を閉じること、転じて死亡すること。
開いた手のひらをぎゅっと握り、ジャンケンでいう所のグーの形へとかえた。
同時に背後の視線もなくなる。
亀裂が消えてゆく。
亀裂の正体は俺すら本能的に見ることを避けているが、恐らく『目』なのだろう。そもそもこのスキルは、進化で『アイギスの盾』を手に入れた時に入手したスキルだ。
アイギスの盾、かの有名な『メデューサ』の頭をつけた伝説上の盾だ。その『瞳』を見たものを『石』に変える化け物。
「本当、化け物地味た力だよなぁ……」
己の心臓の音すら聞こえてきそうなほど静かな戦場。そこに俺の声が響く。
目の前には数万の魔族の石像。
魔族たちは目を見開き口を開き……その表情のまま固まっていた。
その石像の間をつたって風が吹く。
なんだか、取り返しのつかないことをしてしまったような、そんな気分。
後ろにいるガレットたちも石になっているわけでもないのに何も言わない。『驚き』という二文字に支配されているのだろうか? それとも『恐怖』『非道』この辺りだろうか?
魔族たちが動き出す気配はない。
本当に、心の臓まで石になってしまったのだろう。
手を下ろし、その行き場の無くなった手をポケット中にしまう。
「さすが俺のスキル、最強だな」
すると、背後からガレットの声が聞こえた。
「最強だな、ではない。お前と言う奴は、化け物か?」
「お前、もうちょい言い方ってもんがあるだろ」
俺はガレットの方を見ながら目を細める。
「なんだ? 今まで無礼なことを言って申し訳ございませんでした! とか、流石は領主様ですぅとでも言えばよかったか?」
ガレットはそう言って「ふんっ」といつものように顎を上げて見下してきた。
「いや、最初のがいいな」
なるほど、ガレットはこんな気遣いのできる奴だったのか……いや、騙されてはいけない。こいつはそんな深いことなど考えていないだろう。素で化け物と言ったのだ。
ガレットと味方の軍勢の後ろ……太陽が沈んでいく。




