戦争にて①
イスト帝国最北端。かつては栄えたがじきに廃れ、そしてまた新領主のもとで栄え始めた人口数万人の町、ペイジブル。
住む種族は半数が獣人。残り半数は人族、エルフ族、それから亜人のふりをした元ゴブリン……といった多様な面々となっている。
そんなのどかで平和な町にこの日、とんでもない知らせが届いた。
場所はペイジブル領主の館の一階、玄関だ。
その時そこにいたのは、書類の山から逃げてソファに腰掛けてオセロをしていた俺、シルドー。それから、その相手をしてきたヨシミ。その横でオセロの様子を見ながらのんびりお茶を飲んでいたエルフの姉、シア。そして、そんな姉の車椅子を固定していたシル。最後に、俺の背後に立って早く仕事をしろと圧をかけてくるイチジクだ。
ノックもなしにバタンッという音を立てて玄関が開いた。
外の眩しい光がエントランスに入ってくる。
黒白の駒を持ったまま、俺は首だけをそちらの方に向ける。
そこにいたのは、オットだった。
彼は息を切らし、汗を垂れ流していた。
「……? どうしたオット、そんなに慌てて」
「はぁ……はぁ……えっ?」
玄関を開けてすぐ俺たちがいるとは思わなかったんだろう。オットは慌てたように居住まいを正すと、ピシッと敬礼した。
「失礼致しました! 領主様! ご報告です!」
「報告?」
俺は駒をその場に置いて、体をオットの方へと傾ける。
「魔族軍が! 魔族軍が、攻めてきました!!」
「攻めてきた!?」
詳細を聞く前に、後ろのイチジクが冷静に分析する。
「戦争……ですか?」
「……はい」
オットは呼吸を整えながら、頷く。
戦争、戦争かぁ……
俺はすぐさま立ち上がると、その場にいた人に伝える。
「これから会議を開く。オット、フェデルタを呼んできてくれ」
俺は車椅子の後ろにいたシルに呼びかける。
「シル、お前は龍帝とリューだ。急いで呼んでこい」
「分かったわよ」
案外素直にいうことを聞いてくれた。
次に正面に座るヨシミへと目を向けて、指示を出す。
「お前は、ゴブ郎を呼んでこい」
ひとまず呼んでくるのはこれくらいでいいだろう。できるならこの町の冒険者をまとめるマッソーにもきてもらいたいが、マッソーはあくまで冒険者、別にこの町の住人でもないのだ。
かくして、三十分もたたないうちに、領主の館の会議室には呼んだメンバーが集まっていた。
俺の右から順番に、フェデルタ、オット、龍帝、ゴブ郎、リュー、ヨシミだ。円形にななった机の上にはこの辺りの地図が堂々と場所を占拠していた。
俺の後ろにはイチジクが待機している。
「さて、ここに集まってもらった理由は、大丈夫だよな?」
俺は全員を見渡しながら尋ねる。皆と目線が合う。
ここで疑問を呈する声がないということは、あらましは知っているのだろう。
俺は真横にいるフェデルタの方を向いて詳細を求める。この場で最も状況を理解しているのは、警備隊隊長のフェデルタだろう。
フェデルタは、俺が何をいうまでもなく、一つ頷いて話し始める。
「まず、敵は『魔族』数は……不明だが、先行部隊だけでも数万いることは確実だ。主力隊はもっといるだろうがな」
「数万!? あっ、クッ……クックッ、いくら我が殲滅魔術が最強としても、厳しいのではないか?」
左前にいたヨシミが、慌てたことを隠すようにカッコをつけて笑いながら言う。
しかし、慌てるのも仕方ないことだろう。魔族の戦闘力はそれ以外の種族の比ではない。魔族一人を倒そうと思えば、少なくとも人間の兵士十人は必要だ。
ヨシミは続ける。
「……勝てる、のか?」
訪れる静寂。
誰もヨシミの言うことに頷かない。
分かっているのだ、魔族の脅威を。
「まぁ、ひとまずフェデルタ、続きを頼む」
俺がそう促すと、フェデルタは落ち着いた様子で続ける。
「ここはイスト帝国最北の地、これより北の『始まりの森』その先に何があるかは皆も知っているだろう」
「魔族領……」
誰かが答える。
「そう、魔族領だ。敵はそこからやってきている。つまりは、魔族領を広げるにあたって、まず目と鼻の先にあるこの町を狙ったのだろう」
ここは最近発達しているしな、とフェデルタは付け足す。
「まぁ、そうだろな……それで? 敵がこの町に着くまであとどれくらいなんだ?」
この答えによって、これからの動きは大きく変わってくる。
「このまま放置していれば、先行部隊がおよそ三日……いや、二日後、明後日の昼にはここまで押し寄せてくるだろう」
明後日……か。
まぁ、ここまで足止めをするものがないのだから、そんなものだろう。
フェデルタは、チェスの駒のようなものを地図のある点に置いた。
それは魔族領にいることを示していた。
「今魔族軍がいるのは大体この辺り」
別の駒を取り出して、最初においた駒から少し離れた位置にコトンと置く。
「そして、ペイジブルがここだ。奴らは恐らく、魔族領からこの町への直進ルートを通ってくる。ここまで『始まりの森』以外は大した障害物もないからな」
魔族領とこの町までは基本的に平野なのだ。多少は丘やら森がないわけでもないが、ほぼ意味をなさない程度のものだ。
すると、ゴブ郎が手を挙げた。
「キタニ、アル、サク……イミ、ナイノカ?」
北にある柵……
「ああ、あれは、あくまで魔物が町に入ってこないようにするためのものだからな、知能のある魔族には大した意味ないぞ」
俺がそう伝えると、ゴブ郎はすぐにそうかと返事をして退いた。
「まぁ、今の会話からも分かるように、この町の防衛機能はほぼない状態だ」
これまで町の発展にかかりっきりで、外部からの侵略に対する対策を全くと言っていいほどしてこなかった。イチジクには急かされてはいたのだが、まぁ大丈夫だろうとたかを括っていたのだ。
「なら、どうするか……選択肢は二つだな」
俺は二本の指を立ててそう告げる。
「まず一つ、降伏して侵略を受け入れる。これは正直その後の扱いを想像すればやめるべきかもな」
一本の指を下げる。
「そして二つ、全力で王都まで避難する、だ」
すると、それに反応したのは龍帝だ。
「避難する……聞こえはいい。じゃが、実際どれほどの人が逃げられるか……」
まぁ、多く見積もっても住人の半分だろう。そもそも病人やら老人は逃げることを諦めるだろうし、ここから王都までに足の遅い奴らは捕まる。
「それを許容しての選択肢だ」
これは戦争なのだ。多少の犠牲は受け入れるしかないと思っている。
「フェデルタ、王都に連絡はまわしてるんだよな?」
「ああ、それはもちろんだ」
逃げるにしても、この国の軍事力が必要だ。どこかで魔族を押し留めてもらわなければ、結果的に逃げ場すら失ってしまう。
すると、これまで黙って聞いていたリューが初めて口を開いた。
「あーー、そもそも、俺たちが戦う。例えば、ここに来る前に足止めする……って選択肢はないんか?」
この町の住人たちだけで戦争する……そんな選択肢、初めの初めで捨てたものだった。
「相手の戦力は魔族数万だぞ? こっちは亜人、人族、その他諸々の約一万。同数以上の魔族になんて勝てるわけがないだろ」
こいつは、魔族の強さを舐めてるのか?
俺がそう強く説明する。
その時だ。
リューは急に机の上のチェスの駒をヒョイッと持ち上げ、オットへとビュンッと飛ばした。
駒は瞬きをする一瞬でオットの顔面に到達し……オットは顔に当たるギリギリのタイミングでそれを止めた。
オットの人差し指と中指の間にチェスの駒が挟まる。
「な、なにするんですか!? リューさん!」
慌てるオットを置いて、リューはそれでものんびりとしている。
「今の攻撃、普通なら頭が爆散して死んどるで?」
「……? なんでそんな危険なことオットにしたんだ?」
「そりゃあ、止めれると思とったからや」
俺がリューの方を向いて眉を顰めていると、フェデルタがフォローを入れてくれた。
「主人殿、正直、この町の戦闘力は異常なのだ。この魔族領との境の町が王都の軍の管轄にならないのも、それが影響しているのだろうな」
それを聞けば、ようやくリューの意図することが分かった。
「カオスのときのか」
カオスを討伐したことで、この町には経験値の雨が降り注いだ。結果、住人のレベルはとんでもないことになっている。
しかしなるほど、たしかに王がこれまでこの地に軍を派遣しなかったのは、おかしな話だったのだ。なにせ魔族領との境界なのだから。
まさか、住人たちのレベルが関係していたとは……
「そういえば、この前マユコたち自警団の連中がこの町の警備の確認に来たことがあったな」
あの時にあらかたのことを王に伝えたのだろう。
「つまり、リューはその戦闘力で魔族とやり合おうって言ってるのか?」
「せや、まぁ、この町の戦士なら魔族にも引けをとらんやろ」
そんな選択肢が……
俺がフェデルタの方を見ると、彼女もこくりと頷いていた。
「マカセロ、ゴブリン、ヤクタツ」
ゴブ郎もそんなことを言いながら腕の筋肉を見せつけてくる。
こいつら、正気なのか?
俺は全力で逃げる派なのだが、こうも皆がいけると言うならば、足止めくらいならできるのもしれない。
もちろんベストは勝つことなのだから、勝つ算段があるならそれに乗っかるのはやぶさかではない。
俺が頷こうとした時、リューが「ただし」と付け足してきた。
「俺らが出来るのは、『魔族の主力部隊』が来るまでの話や。流石にそのレベルの奴らがわんさか来たら住民に勝ち目はないやろからな」
なるほど、そういう話になってくるのか。
そこで一つ疑問を持った俺は、尋ねる。
「でも、主力が来るまで魔族を倒し続けたとして、もし主力が来たらどうするんだ? 逃げるのか?」
「いや、それで逃げるなら今すぐにでも逃げたほうが被害は抑えられるやろな」
「……? ならどうするんだよ」
今からくる先行部隊を倒せたとしても、その後には主力部隊がやって来るのだ。その存在を無視するわけにはいかない。
すると、リューはチェスの駒を一つ取って、地図の上に乗せた。
「だから、『足止め』って言ったやろ? 俺たちはこの国の軍隊が来るまでの『足止め』をするんや。敵の主戦力部隊は、こちらの国の軍隊に任せる」
そう言って、置いたチェスを一気に俺たちを模したチェスのところまで押しやった。
なるほど、この町の人たちで魔族の先行部隊を足止めする。その間に、王都から軍を派遣してもらってここで合流し、魔族の軍を殲滅する算段か。
「だが、先に相手の本隊が来たらどうするんだ?」
俺は魔族領のところにあったチェスを一気にこの町へと移動させた。
すると、リューはニヤリと笑った。
「鋭いやないかシルドー」
「答えろよ、リュー」
「あのな、この作戦は『賭け』や。俺たちが魔族を抑えられるか。魔族と人間、どっちの主戦力が先に到着するか。のな」
なるほど……
「フェデルタ、お前はどう思う? 侵攻をここで食い止めるべきか、犠牲を無視して避難すべきか」
侵攻を食い止める作戦は、うまくいけば被害はかなり少なくて済む。しかし、失敗すれば全滅だ。
王都へ避難する作戦は、うまくいっても被害はそれなりに出る。しかし、うまく行く確率が高い。
彼女は、少し考えて俺の目をしっかり見てきた。
「主人殿、私だからこそ分かる。先行部隊数万の足止め、この町の住人なら出来る」
私だからこそ……つまりは、魔族とこの町の住人、どちらの強さも知る者として、ということだろう。
フェデルタのやけに落ち着いた声が俺を安心させてくれる。
「そうか……なら、それでいこう」
誰も反対する者はいない。
フェデルタは、己の胸をドンと叩いた。
「作戦は任せてほしい。主人殿の役割はまた後で伝えよう」
「あ、ああ」
最後に俺はこの場で一言も喋っていない、斜め後ろにいるイチジクの方を見る。
彼女は目を閉じてスンッと澄ましていた。こいつから特に拒否されないということは、リューたちの言うことは間違っていないのだろう。
「じゃあ、打倒魔族軍って事で……あとは任せた」
俺はそれだけ言うと、あとはイチジクの入れてくれた紅茶を飲みながら時間を潰した。目の前で繰り広げられる話し合いを見ながら。
この作戦会議、俺いる必要あるか……?
その後、数時間を費やした会議は無事終了した。
そして、二日後の朝……。
つまりは、魔族軍が町にまで迫る日だ。
雲ひとつない晴天の中、俺は青空の下で待機させられていた。
目の前にはだだっ広い平野。背後には鬱蒼としげる木々。ここは、ペイジブルの町を出て、始まりの森を抜けた先の平野だ。
そこに陣を張っており、俺はそこにある椅子に腰掛けていた。
「あーー、本当に戦うのかよ」
背後にいるイチジクに問いかける。
「はい。マスターも聞いていたではありませんか」
「いや、そうなんだけどさ……」
いまだに実感が湧かない。魔族といえばブラッドくらいしか知らないが、あいつの強さは身をもって体験している。さすがにあそこまでの強さの魔族は少ないらしいが、それでも魔族数万に勝てるビジョンが浮かばない。
イチジクに尋ねることはやめ、斜め前にいるフェデルタの方を見る。
眉を少し傾けた彼女と目が合う。
「はぁ、皆配置についている。そろそろ諦めたらどうだ? 主人殿」
「いや、だって、勝てるのか?」
「勝てる……と自信を持って言えるわけではないが、少なくともこれが多くの人が助かる最善手だろう」
ここで若手の男が戦う間に女子供や老人、この町に商業をしに来た人々は王都方面に避難している。彼女らが助かる分、最悪の場合でも町の住人の半数以上が助かることにはなる。
いやしかし、多くの人が助かるとかじゃなくて、自分が助かるかどうかが大切なんだが……
「俺は大将なんだ。いざとなれば一人ででも逃げるからな」
「はぁ、主人殿……そのような士気を下げることを一般兵の前では言うなよ?」
フェデルタは頭を抱えて再び深いため息をつく。
その時だ、俺たちの前に一つの影が現れた。実体のない影。しかし、それに誰も驚くことはしない。
影からフゥッと人が現れる。彼は真っ黒な忍者服を身にまとっていた。
「リンが来たってことは……」
呟く俺の前で、フェデルタが立ち上がった。そのまま陣の出口へと向かう。
「ああ、主人殿、来たぞ……魔族軍だ」
「……」
リンは何も言わないが、フェデルタの言うことを肯定しているようだった。
……魔族共、本当に来たのか……そこまでして人間を殺戮したいのか?
まぁ、そんなこと知らなし、理由がなんであれ攻め込んできた以上敵であることに代わりはない。
俺は、どっしりと座ったまま言い切る。
「じゃ、あとは任せた!!」
……が、どうも許してもらえないらしい。
フェデルタは俺の目の前まで来ると、腕を掴んできた。そして、そのまま無理矢理立ち上がらせる。
「主人殿、主人殿には即興の壁を作ってもらうぞ? 時間がなかったせいで、柵の一つも用意できていないのだからな」
え、それってつまり……
「俺も戦場に行くのか?」
体の後ろに体重をかける。行きたくない、行きたくないのだ。
「主人殿、安心してくれ! 主人殿は皆の後ろで壁を作ってくれるだけで良い!」
俺は全力で首を横に振る。
「い、いやいやいやいや! いや、いやだよ!」
俺は助けを求めるようにイチジクの方を見る。
「マスター、逃げるのなら協力しますがマスターにはどうせ、逃げる度胸もないでしょう? 逃げてからグジグジ気になって、またこの地に戻ってくるのがオチです」
イチジクのやつ、好き放題言ってくれる。
俺がそれでも渋っていると、リンが俺のもとまで歩み寄ってきて、ポンッと肩を叩いた。
「リン、お前まで……」
その後、結局俺は魔族軍対ペイジブル軍の最前線へと送られることになったのだった……。




