とある少女の視点にて⑥
「はぁ……じゃあ、案内するからついて来いよ?」
「偉そうにいうなであります!」
時計台のてっぺんにある時計の針が2の数字を指す頃、わたしは若干猫背気味な男を前にして頬を膨らませていた。
「あー、へいへい、分かりましたよマユコ様ぁ」
「様付けもやめるであります!」
全くこの男は、とことん虫酸の走るやつだ。ノゾキマのくせに、どうしてここまで小馬鹿にしてくるのか……
そんなことを考えながらも、私たちは領主の館へ向けて足を進める。
「こんな男がいる町、本当に安全なんでありま……」
しょうか? そんな言葉で掃除屋に反撃しようとしていた時、わたしを中心に猛獣の吠えたような音が鳴り響いた。
……ぐぅぅううぅううう
「…………。」
わたしは言葉をつぐんでしまう。
い、いや……聞こえてない……可能性だって……
今の音は、紛れもなくわたしの腹から発せられた空腹を知らせるサイレン。
それも、女の子が鳴らすようなものではなく、大男が鳴らすような大音量なものだ。
前を歩く掃除屋との距離は数メートル。聞こえていないということはないだろう。
まぁ、流石に女の子に対して面と向かって「お前の腹が鳴った!」とは言ってこないでありましょうが……
それで掃除屋に気を使われるはなんだか気まずい。
そうして一人で悶々と数秒前の自分を恨んでいた時。
彼……掃除屋がわたしの前で、前を向いたまま進めていた足を止めた。
そして、くるりとこちらを向く。
目があった。
まさか、「ご飯でも食べよう」と誘われたりするのでありましょうか? うーん、優しいのは美徳ではありますが、ここはスルーを決め込んで欲しいのでありますが……
しかし、そんな期待を裏切るかのように彼は、満面な笑みをこちらに向ける。
この笑みはやっぱり優しくご飯に……
そして、彼の口が開いた。
「マユコ、お前、腹鳴らしてやんのぉ! はっずかしいやつぅ〜〜!!」
口に手を当て、こちらを指差しながら掃除屋は叫ぶ。
「掃除屋ぁぁ!! あなたには紳士さのかけらもないのでありますかぁあ!!」
彼から告げられたのは、わたしがジェントルマンならまず無いなと思って削除した選択肢。
あまりの気の使わなさに、わたしは言葉を続ける。
「あなた、女の子相手なんでありますよ!? 聞こえなかったふりくらいできないでありますか!!」
「なんだよ、腹減ったなら、そういえばいいだろ!? 何ムキになってるんだ?」
「ムキになってないであります!」
「いや、やっぱりムキになってるじゃないか! 腹が鳴ったくらいでそんな気にしなくていいだろ!」
「……べ、別に……」
そこまでのやりとりを経て、わたしは思った。
こんな男に、恥ずかしさなんて感じる必要ない……と。
「はぁ……もう、ノゾキマ相手にあれこれ考える意味もないでありますな。あなたは、ただのおサル。おサル相手に恥ずかしがるのも馬鹿らしいであります」
「なんだマユコ、やっぱり恥ずかしがってたんじゃないか」
「もうそれでいいでありますよ。さぁ、オススメの店をわたしに紹介するであります。おサルさん」
「それはいいが、お前、本当に可愛げがない奴だな」
「……ふんっ、あなたに振りまくほどわたしの可愛げは安くないであります」
「そういうところだっての……まぁ、いいや、それじゃ俺のオススメの屋台『たこ焼き屋リュー』が近くだからそこに連れてってやろう」
たこ焼き屋リュー……?
リューは人の名前でありましょうか?
なら、『たこ焼き』とは?
そんな疑問を抱きながらも、例の綿菓子というふわふわの雲ではなかったことに多少の残念さを感じつつ、わたしは掃除屋の後をついていくことにした。
そうして町を歩く中で気づいたことが一つある。
このノゾキ魔、どうも顔が広いらしいのだ。
町を走る獣人の子供からは「こんなところで何してるの?」と声をかけられたり、屋台から顔を出す人族からは「またフラフラしてていいのかい?」と尋ねられたりしている。
それにしてもみんな、「仕方ないねぇ」と言ったようにこの男に話しかけていることから、普段のこの男のズボラさが伺える。
「ノゾキマ、ちゃんと働いてないでありますか?」
「う、うるさい! 俺は、周りが優秀すぎて自分のすべき仕事がないからこうしてるんだっての」
彼はそう気だるげに答えるが、どうやらそれで町の人たちに嫌われているというわけではないらしかった。
むしろ、彼にかけられた町の人たちの声には我が子を見守る親のような愛情があるようだった。
……と、しばらくして、わたしは一つの屋台の前にたどり着いた。
そこにいたのは一人の獣人。
彼は頭にタオルを巻き、でかい図体の割には小さな竹串を使って、独特な形をした鉄板の上で湯気をあげる何かをひっくり返していた。
ジュゥウジュゥウジュゥウ……
小さなボール型の食べ物が例の独特な形の鉄板の上で踊る。
「お、驚くほど香ばしい匂いがするであります」
その鉄板の上から垂れ流される煙が、わたしの鼻に入ってお腹を刺激する。
すると、その声に反応するように屋台の主人がこちらに顔を向ける。
「お、なんや嬢ちゃん……って、お前、もう仕事終わったんか?」
わたしを見た後、隣に立つノゾキマの男を見ながら彼は呆れたようにため息を吐く。
「なんだよ、掃除なら終わったよ。それより、たこ焼き二人分頼む」
その後で「代金はあのメイドのツケで頼む」と付け足す。
「またか、お前、怒られても知らんからな?」
「いいんだよ、それは慣れてるから」
「ほんまに……ほらよ、お待ち」
二人がよくわからない会話を繰り広げている間に、主人は例の香ばしい球体を焼き終えたようだった。
葉に包んだそれを二つこちらに差し出して来る。
「か、感謝するであります」
そのうち一つを受け取りながら、感謝の言葉を口にする。
「いいってことよ……そんで? この嬢ちゃん、見たことない顔やけど、誰なんや?」
屋台の主人の言葉に、ノゾキマは受け取った葉を開きながら応える。中からは湯気がのぼり、彼は目を細める。
「あぁ、こいつは、祭りに向けて、この町の警備が問題ないか見にきたイーストシティの自警団だ」
「こいつ呼ばわりはやめるであります。わたしはイーストシティ自警団副団長補佐のマユコであります! 屋台の主人、代金はいくら払えば良いでありますか?」
ノゾキマのこいつ呼ばわりに少し腹を立てながらも、わたしはこのたこ焼きとやらの代金を尋ねる。
「こりゃ丁寧に。代金ならいらんで? そのうちその隣におる頬張っとる奴にまとめてもらうからな」
言われてノゾキマの方を見れば、彼は美味そうに謎の球体を食していた。
「ん!? ちょっ、代金は俺じゃなく……」
その言葉に被せるように、私は感謝する。
「そうでありますか? ではお言葉に甘えていただくであります」
「マユコ、お前なぁ」
正直、この匂いを前にしてもはや空腹はピークに達していた。今すぐにでもこの球体を体に取り込みたかった。
わたしは包みを開けると、そこについていた竹串を手に取り、たこ焼きに刺す。プスリという感覚とともに、竹串が意外にすんなりと中に入った。
ゴクリ……
唾が喉を通る。
私はたこ焼きを持ち上げると、大きく口を開いた。
そして口に入れる。
思ったより一つ分が大きくてソースが若干口の外につくが、今は気にしない。
カリカリの外側に歯を入れると、簡単に内側のトロトロの部分が出てきた。同時に中に入っていた具材の食感がダイレクトに伝わってくる。
すると、その瞬間。
「…………!!!!! あっ、あふっ、あふっっ、あふい!」
一口で食べたのは失敗だったようだ。トロトロの部分が熱すぎて、涙目になる。
「マユコ、お前、バッカだなぁ」
こちらを見てゲラゲラ笑うノゾキマが目に入る。
こ、この男……!!
私は気合いで飲み込んで舌で口周りに向いたソースを舐めとると、ノゾキマを睨む。
「き、貴様、それが苦しむ乙女にかける言葉でありますか!? これだから男というのは」
「あぁ、なんだ? マユコ、男が嫌いなのか?」
しまった。言うつもりのなかったことまでつい漏らしてしまったようだ。
まぁ、別に隠していたわけでもないしここは素直に言うとする。
「好きか嫌いかで言えば嫌いであります」
ウェスト大使館に攫われて以降、ますます男嫌いが激しくなった。
すると、私の言葉に屋台の主人が口を開く。
「がっはっはっ、そりゃぁ、隣におる奴とはうまくいかんやろなぁ。そいつ、女好きやからなぁ」
「おいリュー、余計なことを言うな」
わたしは隣にいる男に目をやる。たしかにノゾキをしていたような奴だ。そんな気はしていた。
「今更隠す必要もないであります。それより、早く領主の館に連れて行って欲しいであります」
「隠すって……はぁ、まぁいいか。分かったよ、じゃあ食べながら行くか」
彼は、諦めたようで屋台の主人に「じゃあな」とだけ言うと、そののんびりした目を屋台から町の方に向けた。
「えっと、領主の館は……こっちだ」
それだけ言うと、彼は片手にたこ焼きを持ったまま歩き始める。
わたしは黙ってその後についていく。
そして、ちょうどたこ焼きを食べ終えたタイミングで、わたし達は別の屋台の前にいた。
「……ノゾキマ? わたしにはここが領主の館には見えないのでありますが」
「……ん? そうだな、俺もそうは見えない」
「じゃあ、なんで連れてきたでありますか?」
「そりゃあ、まぁ、俺が食べたかったからだ。ベビーカステラ」
そんなわけの分からないことを言って、彼は二袋屋台の商品を買う。
「ほら、これお前にやるよ」
「あ、ありがとう……って!」
袋を受け取ったわたしは、眉を顰めてノゾキマの顔を見る。
「わたしは、領主の館に、連れて行って欲しいのであります!!」
しかし、ノゾキマは相変わらずのんびりと袋を開ける。
「あぁ、分かってるって領主の館だろ? もうすぐ着くから」
「もうすぐって……いえ、分かったであります」
いくら彼がノゾキマだとしても、わたしが頼んでいる身なだけに、あまり強くは出られない。
わたしは黙って渡された袋を開ける。
実はこのコロコロした可愛らしい食べ物にも興味があったのだ。
中を覗くと、先程食べたたこ焼きよりひとまわり小さな球がいくつも入っていた。
手を突っ込んで、そのうちの一つを取る。
感触はフワフワすべすべで強く握れば潰れてしまいそうだ。
「い、いただくであります」
私はそれを一口で口に放り込む。
甘い香りが鼻腔をくすぐり、噛むたびに仄かな甘さが口いっぱいに広がる。
「お、美味しいであります」
ぽつりとそう呟くと、ノゾキマに呼ばれる。
「じゃ、次行くぞ」
「つ、次って……! わたしは領主の館に……」
結局、そのあとわたしたちは一向に領主の館へとつかなかった。的当てやらくじ引き、例のわたあめなんてものを食べて、気がついた時には太陽も西の空へと傾いていた。
「ノゾキマ、さては領主の館を避けているのでありますか?」
わたしは、ベンチに座ってリンゴ飴なる甘味を舐めながら尋ねる。
すると、ノゾキマは目に見えて戸惑う。
「な、なんのことだ? いやぁ、確かこの辺りだったはずなんだがなぁ」
「この町はそこまで広くないのに、そう悩むなんてこあるはずがないであります」
正直、彼が領主の館に着く時間を先伸ばしにしようとしているのは目に見えて明らかだった。
「なぜ時間稼ぎをしてるのでありますか?」
「なぜって……そりゃ、早く帰ったらあのメイドにサボりがバレるから……」
「……? メイド? サボり? なんと言っ……」
わたしが聞き直そうとしたとき、彼は勢いよくベンチから立つと、わたしに向かって思い出したかのように言い出した。
「そうだ! 領主の館だったよな? なら、実はこの通りを真っ直ぐだ!」
彼は目の前の通りを指さす。
「じゃあな、楽しかったぞ。俺はもうちょい時間潰すか……」
そして、立ち去ろうとするノゾキマ。
その瞬間、わたしは口を開いた。
「わたしも……わたしもそれなりには楽しめたであります。それなりに、ではありますが」
ノゾキマが体を半回転させてこちらを見る。
それと同時に少し驚いた声を出した。
「なんだお前、男嫌いって割には、意外なこと言うな?」
「ふふふっ、まぁ、最後、でありますから。良い思い出にしてあげたのであります」
「……? 最後? マユコ、お前何言ってるんだ?」
眉を傾けながら、ノゾキマはわたしの顔を見る。
ふむ、どうやらこの男はこれから自分がどうなるか分かっていないらしい。
「では、そこを動くなであります」
わたしはリンゴ飴を食べ終わり、立ち上がる。
「な、なんだ? 急に怖い声出して」
わたしは、それを無視して背中に背負った槍へと手を掛ける。
「……お、おい。そんな物騒なもんに手をかけるなよ」
そして、そんなことを言って一歩たじろいだノゾキマに向けて走りだした。
「これから、貴様をノゾキと……」
「お、おい、話を聞……」
「暴行及び窃盗の罪で逮捕するであります!!」
槍を抜き、矛先を男に向けて一気に差を詰める。しかし、決してその剣先を当てる気はない。なぜならわたしが彼に行うのはあくまでも捕縛。殺しなどではないからだ。
彼は、すんでのところでバックステップを踏む。
「おい、マユコ、どういうつもりだ!? ノゾキはわかるが、後半二つはなんだ!」
彼はとぼけるつもりのようだ。
そんな彼にわたしは槍を突きつけたまま堂々と告げてやる。
「仮面で顔は隠せても、声までは隠せなかったようでありますな!!!!」
「……ちっ、気づいてたのか!?」
男は、冷や汗を流しながらこちらを睨む。
「ふふふっ、当たり前であります。いつかイーストシティではお世話になったでありますな。王城から持ち出した宝、今すぐ返すであります!!」
その言葉を言い切ると同時に、槍による横撃を繰り出す。が、それもうまくかわされた。どうやら逃げることは得意のようだ。
「……あっぶね、なんだ、いつから気づいてた?」
わたしがすかさず突くと、男の服をかすった。
「そんなもの、最初から、で、あります! でないとわざわざあなたについていかないであります!!」
攻撃がなかなか当たらない。できるならこの町の実力者として知られる「領主」に協力してもらって、この大悪党を捕縛したかったのだが、それが難しそうだったから今ここで捕縛に乗り出したのだ。
「行くでありますよぉお!!!!」
「くそったれぇぇえ!」




