第87話 嫌な予感は外れない
訪れた先は地獄だった。暗雲が立ち込め、しかし降り注ぐ雨が地面を濡らすことはない。代わりに濡れる異形の屍、大地に染み込むのは魔物の血液。その惨状を前に、気付けば口を覆っていた。異臭が辛いのではなく、例え鼻が利かなくたって、この光景を目の当たりにすれば誰だって気分は悪くなる。
雨に打たれ、体も心も冷え込むが、ふと背中に掌ほどの温もりを感じる。
「大丈夫?」
と、ルディア。嘔吐く背中を擦ってくれた。
「不甲斐ないよな……ルディアは慣れっこだろうけど……」
「慣れないですわよ。だとしたら神様失格でしょうに」
本当は、慣れているのかも。でも、それを認める訳にもいかないし、これは悲惨なことなんだと、自分に言い聞かせているようにも思える。そんな悲壮をルディアの顔から垣間見た。
死体を傍らに歩を進める。目に映るのは無数の骸と、残るは果てまで続く無限の荒野。果たしてここに転生者が、トウマがいるのだろうか。
「死体は全て、魔物だな。魔物同士が争ったのかな」
「そうとも見えますが、違うでしょうね。亡骸に目がいきがちですが、武装する魔物の武器には刃こぼれ一つありません。刃を打ち合うことも、敵を切ることもなく、一方的な虐殺を受けたと見るのが妥当でしょう」
つまりここには強者がいて、気配を感じて訪れたのであれば、イコール転生者ということで間違いはなさそうだ。
「今までキラは、戦に発展する前に食い止めておりましたから、戦場を目の当たりにすることはありませんでした。しかし起きればこうなります。更に言えば、この惨状はキラの知る一般的なそれより無価値で、無意味なものだと認識なさい」
「ど、どういうことだよ……」
戦争なんてみな無意味だ——と、俺もそこまで平和ボケしていない。無意味であれば誰も戦おうとなど思わないし、利益や利権があるのなら、得をする者もいるのだろう。しかし、ルディアが言う意味とは、俗物のそれではなかった。
「意味のあることは、その先に成長や発展があるということ。しかしこの惨状を見なさい。仮にこれが人と魔物の争いとして、そこに転生者が投入されたなら、人間の犠牲は皆無で、おろか場に加わっているのかも怪しい。極まる圧勝は人類にとっての成功に見えて、真は些かの反省も生まれません。悔やむことも、命を惜しむことも忘れ、転生者に頼り、何度も何度も同じことを繰り返していくのでしょう」
利益がどこに移ろうとも、総じて見れば、星としての価値は変わらない。ルディアはきっと、損得を抜きにした、魂の進化を言っているんだ。
「説教臭くなりましたが、いよいよ転生者は近くです。トウマであれ、どうであれ、気を引き締めることですわ」
転がる死体の道標。それを辿り、雨も次第に弱まると、雲の合間から光が差し込む。その陽光に照らされ、地に膝を着く一匹の魔物は、まるで懺悔を求める罪人の如く天を仰いだ。その見上げた視線の先、剣を掲げ、裁定を下す者こそ——
「トウマ……」
神に代わらんとする姿は神々しい。剣が光を照り返し、刀身が血に濡れた後に及んでも、一連の行動が悪でないと、そう思わざる負えない程の正義を湛える。
転がる首に目を落とすトウマ。その視線がこちらに向いた時、ようやく俺は何か邪悪なものの意志を感じ取ることができた。
「ト、トウマ……何してんだよ……お前……」
と、俺が尋ねたところで、トウマはいつも通りのトウマの顔へ。
「キラ? それはこっちの台詞だよ。お前こそなんでここに……」
俺もまあまあ驚きはしたが、予測はしたので心の準備はあった。対してトウマにそれはなく、驚きを隠せない様子に見える。
「いきなりさ、いわゆる異世界ってところに来てよ。で、魔物や魔王を倒してくれ、だってさ。訳分かんないよな。おまけにキラも現れる始末だ。これってきっと、夢なんだろうな」
剣を鞘に納めるトウマは、気恥ずかしそうに頭を掻いている。今の今まで行っていたことは魔物とはいえ殺害だ。そこに少しの違和感を感じるが、魔物を倒して経験値が~、とか。ドロップアイテムが~、とか。それに比べたら恐らく随分まともなんだろう……そう、思うことにしよう。
「し、仕方ねぇよ……誰だって夢だと思うよな。だから、仕方ないんだ。でもな、これは夢なんかじゃないんだよ」
「そうだとして、なんでそのことをキラが分かるんだよ」
「話すと長いんだけどさ、俺も転生者なんだよ。トウマより前からで、異世界との行き来もできるんだぜ」
するとトウマの顔には満面の笑みが。同じ立場を妬むような奴でもなければ、境遇を共にして嬉しいといったところなのかもしれない。
「でもよ、だったら早くに教えてくれよな。キラと俺との間に秘密は無しだぜ」
「秘密っつうか、言えなかったんだよ。悪ぃな。まぁ、とにかくだ! 学校の皆も心配してるしさ、早いところ俺達の世界に帰ろうぜ!」
「…………」
何か、変なことを言っただろうか。今の今までの笑顔は陰りを見せて、俯き黙れば、嫌な予感が背に触れる。
「何、黙ってんだよ。トウマと俺との間に秘密は——」
「……俺は……戻らない」
背に張り付く悪寒。それは離れることなく、そのまま背筋を這わせて撫でた。
「俺は戻らないよ、キラ。この世界が、俺の生きるべき世界だからな」




