第74話 美徳と救済
煌めく光の残滓の中、翠眼の焦点はぼやけ、ただただ空に向けられる。
果たして、ショーコの思惑や如何に——
「こ、こいつ……また擬態を!?」
「下がってなさい!」
闘争で言えば、ルディアはショーコに負けはしない。しかし、俺が側にいるといないとでは話が大きく違ってくる。その危険性を鑑み、ルディアは咄嗟に忠告した。
ルディアの体には再び魔力が備わっていく。それを見て、感じようものなら、あれほど痛めつけられたショーコなら、すぐに危険を察知するはず。
しかし——
臨戦態勢に入るルディアを前にして、ショーコは依然、ぼんやりと呆けた様子だ。裏があるようにも見えないが、果たして——
すると、ショーコはゆっくりと動き始める。それはルディアに触発されたというより、何かに気付いて、それを確かめるといった自発的な行動。なぜならショーコの注意はルディアではなく、自身の掌に向かっていたのだから。
瑞々しくハリのある、可愛らしい幼い掌。それを、まるではじめて目にするようにまじまじと見つめるショーコ。常日頃、子供に擬態するショーコが、今更それに注視する理由は分からない。俺もルディアも、ショーコの得体の知れない動きを訝し気に眺める。
するとショーコは見つめる掌を返し、それをひとしきり見つめた後、次にその手で頬を擦りはじめた。最早、何がしたいのか分からない。何かの儀式ならば止めた方が良いのかもしれないが、微量ながら魔力の見える俺をして、まったくその力の欠片も感じないし、何かを企む様子も見えてこない。
痺れを切らした俺は、ショーコに直接問いかけることにする。その方が手っ取り早いし、仮に真実を述べなくても、問答から得られるヒントはあるかもしれないと踏んで。
「おい、一体——」「ない…………」
問いかけた直後、ショーコは言葉を口にした。しかしこれも、俺に触発された訳ではなく、何かに気付いて自発的に発したように見える。
「ないって、何が——」
「魔力が——ない———も——ない」
魔力がない? そう言ったか?
しかしショーコは擬態をしている訳で、それには当然、魔力の必要があるはず。
「ま、まさか——」
するとルディア。一人何かに気付いた様子だ。だが、尋ねたところで素直に答えは教えない。ルディアはそういうタイプだ。果たして——
と、自身の考えを巡らそうとしたその直前。ショーコは突然、天に両手を仰ぎ、満開の笑みを咲かせたのであった。
「皺が、ない! 魔力も、ない! そんなあたしは、おさ! なぁぁあああい!」
「は、はぁ?」
い、意味不明過ぎる。神キラーをあてられて狂ったか?
「恐らく——」
と、はじまるルディアの言葉。いたって真面目な横顔を見せている。
「神キラーの力。完全なるものでは無かったのでしょう。とはいえ、力のほぼ全ては消えている。ショーコの分体もたぶん、全て消え失せているはず」
「いや、それはショーコが生きている以上そういうことだったんだろうが……でもなんで、力が失せたショーコが擬態を続けているんだよ」
その疑問に、ルディアは首を横に振った。それは、そもそもその疑問自体が、誤った内容を示しているから。
「いえ、違うのですわ。ショーコは今、擬態などしていないのです」
「な、なんだって?」
目を向ければ、依然喜びに打ち震え、今にも踊りだしかねないショーコの姿。だがこいつの本性は、使命故に歳を食った老婆だったはず。
「神キラーは、対象の存在そのものを消し去ります。力だけでなく、ショーコそのものの存在を。故に魔力も、分体も、そして——」
”呪いさえも”
「ショーコの老いの由縁は、歳を重ねたからではありません。神の使命の副産物なのです。”長寿を司るショーコ”という存在を神キラーは消し去った。よって、その副産物の呪いも同時に消え去った。普段、私達神々に見せていた擬態の姿は、実はショーコの本当の意味での、本来の姿だったのですね」
な、なるほど。そういうことだったのか。だからショーコは喜んでいる。
魔力を失っても、若くなれたことに。擬態することでしか誤魔化せなかった容姿を、元に戻せたことに。
「ですが、これがハッピーエンドなんてことはありませんわ」
ルディアの顔に、再び冷酷な陰が落ちる。舞い上がるショーコに歩み寄ると、冷えた瞳で見下ろした。
「慶び申し上げたいところですが、あなたの始末という結末に、なんら変わりはないのですよ」
そうだ。力を失くしたと聞いて、なんだか終わったような気がしてしまったが、ショーコは始末しなくてはならない存在だ。全てを見られてしまった以上、跡形もなく消さなくてはならない。それには俺も、同意している。
とはいえ念願の若返り、いや、元の姿に戻ることができたのだ。ショーコも必死の抵抗を見せるはず——
と、俺はそう思った。誰だって、ルディアだってきっと、そう思っていたはず。
「————好きにしなよ。あたしは負けたんだ。そもそも、先の時点で本来なら死んでいた。最期に、元の姿に戻れたのが救いだったね」
意外だった。戦闘中、あれほど生に執着していたショーコが、こんなにも消沈してしまうなんて。
ショーコの老いの呪いは、姿だけでなく、心まで冒していたのかもしれない。若くなりたい、その願いが完全に満たされるまで、決して解けることのない精神の呪縛。
そして、呪いから解放された今。ショーコに生きる目的はなくなった。
永き時を生きた理由。その理由が今、ここで晴らされてしまったのだから。
ショーコの答えに、ルディアも瞳を見開いた。だが、再びその目を細めると——
「善い、心がけです。では最後に、言い残すことはありませんか」
再びの辞世を促すルディア。先までのショーコは本当の意味でのそれではなかった。生きる為の作戦、雑念の混じった言霊。
しかし、今のショーコに邪な想いはない。だから、ルディアはもう一度チャンスを与えたのだ。
そして、俺も何度も死にかけた。実際に二度の死を体験している。だからこそ、死に際の者が残す言葉。今生の別れに、人並み以上の興味を抱いたのかもしれない。
俺は、ショーコの言葉に静かに耳を傾ける。
「あたしは、あたしの半生を恨んでいるが、もう半生は未だに、尊いと思っている。それはルディア、あんたに諭されようが変わらない。だから——」
”あたしの子供達を、頼んだよ”
ぎゅっと、心が締め付けられた。
果たして——ショーコは、本当に七つの大罪を犯したのか?
一度目の辞世の際、そこに雑念が混じっていたのは確かだ。だからこそ俺は、ショーコの身に塗れる罪を暴くことができた。だが同時に、ショーコはその告白の中で、こう言っている。
それでもあたしは使命に殉じた。でなければ——
今までの——努力——が無駄になってしまうような気がしたから
ショーコは、努力を知っている。つまりショーコは六大罪を犯したものの、最後の一つの大罪。
”怠惰”
これを犯していなかった。だから、神キラーは完全なる力を持てなかった。ショーコを消し去ることができなかったのだ。そして最後に、転生させた我が子を託すその心は。
こんなの、こんな奴って、まさに——
人間じゃないか。
ショーコは、最後に慈愛の心も手に入れた。それは七大罪とは相反する、美徳とされるもの。それをショーコは今、手にしたのだ。
ショーコは欲に塗れ、怒りを露わにする。しかし——
努力し、それを改め、美徳とすることもできる。
その成長はまさに人間。ショーコ・ハレルヤは人間臭いのだ。それが神として許されるかは知らない。分からない。でも、子を想い、努力するような奴を俺は——
「なぁ、ルディア。ショーコを、生かしてやることはできないかなぁ」
それを言おうと、意図はしていなかった。
気が付けば、口を動かしていた。
それを聞いたルディアは再び目を見開く。しかし今度は、その目を細めることも、咎めることもせず。ただ静かに、言葉の続きを待っている。
「ショーコは悔い改めることを知っているよ。俺にはそれが分かるんだ。努力を知る者はそれができる。努力は絶対に裏切らないんだ。だからその機会を、どうか——」
「…………」
瞳を閉じるルディア。神としての彼女が何を考えているかは分からない。だが、友としてのルディアなら、何を想っているかは自然と伝わってくる。
「キラ——」
「——ん」
ルディアが珍しく見せる下がった眦。穏やかで、慈愛に溢れるその眼差しは、まるで慈悲深い女神のようで——
「まぁぁったく、いつまでも甘い奴ですこと。でもまあ、神殺しの罪を回避できますし、力なきショーコは今後転生もできないでしょう。口を割らないことを条件に、生かしてやってもよいですわぁあああ!」
この口調である。
一種の照れ隠しとみれば可愛いものだが。
「え、と——つまりあたしは——」
「ただしっ! あなたも禁術を使った罪があるんですからね! お互い同条件ってことで、調子こいたら只じゃおきませんことよ!」
「わ、分かったよ……ありがとう」
思いもよらぬショーコの感謝に、ルディアの顔には赤味が帯びた。だが、それを悟られまいとそっぽを向くと——
「お礼なら、キラに言うことですね」
そう言って、腕を組み黙り込んでしまった。
ルディアの言葉を受け、ショーコは小さい歩幅で俺の眼下に歩み寄る。そして、愛らしい幼顔を上げて微笑むと——
「ありがとう、キラ」
うん。
これは、効く。
ロリコンじゃなくたって、こんなシチュエーションは悶絶必至だ。
だらしない笑みを浮かべる俺を前に、ショーコの口角はぐにゃりと上がり、天使の微笑みは悪戯な小悪魔のものへと変貌する。
「男って、単純だねぇ。こんなんに負けたと思うと悲しくなるよ」
女神の条件って、魔力とか使命とかその前に、精神が捻じ曲がっているかどうかだって。俺、そう思うんだ。
「キラが単純なのは事実ですが、ショーコも意外と抜けているというか。お人好しというか」
「ん? どこがだい?」
いや、その前に、口を挟むポイントがそこかよ。せめて否定してくれないかな。
「転生者を始末する際、あなた、庇ったでしょう? 力の射線に手を差し伸べて。黙っていれば、私達に見つかることもなかったというのに」
「はっ、言わずもがなだろ? そんなこと。あたしが子供を犠牲にできる訳ないじゃないか」
確かに、その手を使われれば俺達はショーコに負けていた。転生者を前に曝け出した力。それをただ、ショーコが傍観していたのなら、俺達はショーコの存在に気付けず、全ての行いは白日の下に晒されていただろう
だが、それはあり得ない選択肢で、勝ちを放棄するという意味では、ルディアもショーコとおあいこなのだ。
子供を愛するショーコは、子供を犠牲にすることなどできない。だから、そんな戦術を取ることは考えてすらいない。
同じく、ルディアは俺を犠牲にしたりしない。二度目の死は与えたが、証拠を消すようなことを企んだり、罪を被せて売るような真似は考えてすらいない。
二人とも、自身の転生者を想うという点では、とても近しい性質を持っている。
「では、そんなショーコに相応しい頼みごとがあるのですか、聞いてくれまして——?」




