第6話 ラブコメなんて許さない!
気が付けばそこは教室。
教室は教室でも、通いなれた現実世界の方の教室だ。
転入の流れからの移動、そして演習。異世界では小一時間ほどは経っているはずだが、不在のことについてはクラスメイトの誰一人言及してこない。
にわかに信じがたいが、本当に転移前の時間・場所にそっくりそのまま戻されたようだ。
「伊達に神様を名乗るだけのことはあるな……って――」
傍らにいるとばかり思い語り掛けたが、こちらの世界に戻ってきてばかりだというのに、ルディアは既にこの場にはいなかった。
ふと現れては消えていく、神出鬼没という四字熟語は過去のルディアが由来なんじゃないのか?
性格上、鬼神というのも頷ける。
ふぅ。
一息つくと、どっと疲労感が押し寄せてくる。それほどの長時間ではなかったが、慣れないことへの負担というのは大きいものだ。このままベッドで横になってしまいたい。
だが、良くも悪くも元通り。現実世界においては、ものの一秒も経っていない。つまりこの疲労困憊した身体で、一限から授業を受けなければならないということだ。
おいおい、勘弁してくれよ。こう見えて俺は、サボりとは無縁の模範生なんだぜ。授業中居眠りなんかしてたまるかよ!
頬をぴしゃりと叩き気合を入れる。
そして結論から言うと――
俺の無敗記録はあっさり敗れた。
午前は気合で保ったものの、昼を食べれば眠気も増すもの。
午後の授業はあえなく撃沈した。
そんな辛く長かった授業もようやく終わりを迎え、誰に負けたでもない敗北感を胸に帰り支度を始める。
いつもならここでトウマが声を掛けにくるのだが、この日はホームルーム直後だというのに、既に教室から姿を消していた。
そういえば、最近彼女ができたと言っていた。おそらくそのことが要因だろう。相手は大学生のお姉さんらしい。まったく、高校生風情がどこで年上お姉さんと知り合う機会があるのだか。
リア充の事情などには無縁の人生。考えたところで分かりゃしない。さっさと支度を終えると、いまだ賑やかな教室を後にする。
そして覚めきらぬ眠気に欠伸を漏らしながら、下駄箱で呑気に靴を履き替えていた。
「あの、転生くん?」
完全に油断していた。
突然背後から掛けられた声に、びくりと肩を震わせる。
神出鬼没といえばルディアの特権。
なのだが、その声の主は、かの下品で野蛮な大声とはまるで違う。
それは、透き通る鈴の音を彷彿とさせる、優しく穏やかな天使の囁き。
『安心院マヒロ』
クラスメイトの一人だ。
苗字の院の字と、名前のヒロを繋げて、ヒロインなどと言われていたりもする。だが、俺と安心院さんは、あだ名で呼び合うような仲ではない。どころか話した記憶すら曖昧だ。
それは嫌いだとか、興味がないからとか、そんなことではなく――
高嶺の花だから。
およそ俺の人生には関わりのない人種。
艶のある清楚な黒髪に、淡い藤色の瞳。名前由来のあだ名だが、その名に恥じぬヒロイン顔負けの容姿。どこぞの鬼畜女より、よほど女神に近いと言えるだろう。
「誰かと思えば安心院さんか。どうかしたの?」
素知らぬ顔をして用件を尋ねてみる。
しかし、その答えを俺は既に知っていた。
何を隠そう、この転生キラは、女子から告白されることが非常に多いのである!
まぁ……
トウマへの間接的告白、というオチがあるんだけれども。
告白は告白に違いないが、要はトウマに直接言う勇気が無いから、幼馴染の俺を介して想いを伝えようという訳だ。
無論、その告白が俺自身のものだったことなど、ただの一度としてない。だからきっと、安心院さんもその一人なのだろう。
質問には答えず口ごもり、うっすら頬を染めて手をこまねいている。
その仕種がとてもいじらしく、艶やかに感じた。
あぁ、なんて可愛いんだろう。
できることなら、こんな女の子と付き合ってみたいなぁ。
「トウマのこと、だよね? 協力してあげたいけど、あいつ今彼女いるから」
クラスのヒロインから声を掛けられたのは嬉しい。だが、期待したところで傷付くのは目に見えている。俺はトウマの紹介係として素直にその任務を全うし、それで安心院さんとの縁も終わり。
そのはずだった。
「え? トウマ君って……一体なんのことかな?」
「あ……え?」
首を傾げきょとんと呆ける安心院さん。その顔に演技のような素振りは見られない。
あ、あれ? トウマのことじゃないのか?
「あの、ね? えっと……転生くんに伝えたいことがあって……」
……は?
はぁああああああ!?
伝えたい? この俺に?
何を? 学校行事の連絡?
でもこの雰囲気って、この展開って――
まさか、まさか!?
「えっとね? 実は……ね? わ、私……」
よほど勇気のいることなのだろうか。
安心院さんは本題に踏み切れずに、続く言葉を焦らしてくる。
耐え難い空気に思わず生唾を飲み込む。
喉を鳴らす音でさえ届いてしまうかのような、静寂と緊張に包まれた二人だけの時間。
だが、それでも何事にも終わりはある。
次なる一言。それが、この極限まで張り詰めた世界を破り、解き放ったのだ。
「こんなところでお喋りしている時間は無いのですわ!」
こ、この下品で野蛮な声は――
やっぱりお前か!
やかましさに反して、春風の如く優雅にふわりと傍らに降り立つルディア。
その瞳は陽を写す水面のように、好奇心という光で輝きを放っている。
「本日二人目の転生者を発見したのですわ! 今日は絶好調でしてよ!」
興奮した様子で言葉をまくし立てるが、対してこちらは安心院さんがいる手前、一言たりとも言葉を返すことはできない。
「では早速、異世界に行くのですわ! 覚悟は良くって?」
いや……
「私はできてる!」
俺はできてな……
「フォロォォォミィイイイ!!」
相手の都合など微塵も考慮しない、究極のエゴイスト。
常人ならば事情を察して、気を遣ってくれるに違いない。
だが、目の前のこの女にそんな繊細さは存在する訳もなく――
そうして俺は、問答無用で異世界へと引きずりこまれていった。
空間が閉じる間際、俯く安心院さんの恥じらい紅潮する顔が目に焼き付いた。