第60話 見た目は子供、頭脳は——
本来の赤ん坊の魂の為にも、転生者は必ず元の世界に戻さなくては。
母親の手から離れてベッドに移された赤ん坊は、起きているにも関わらずいやに静かだ。この物語は本来なら神の神託を受けた時点で、赤子パートの件は終わりを告げていたのかもしれない。
だとするなら、このまま成長するまで……最悪成人するまで待たなくてはならない可能性もありうるのだ。
「そんな年月、待ってられるかよ。”赤ん坊の魂を犠牲にしてる”とかじゃ主人公らしくないとはならないかな?」
しかしルディア、その発言に顔をしかめると苦言を呈する。
「犠牲にしたのはあくまで転生神。その理屈は通りませんわよ」
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と、ルディアは言ったものの。
例え転生神の手によるものとはいえ、”赤子の魂を犠牲に生まれた主人公”という設定自体を本気で許せず、かつ”らしくない”と感じているのであれば、それはそれで主人公パワーを吸収することはできていた。
なぜならば最強の力だろうが何だろうが、大半は転生者本人の意志ではなく得ている設定だからである。それに対して、前者は適応できず後者はできるといった差別は存在しない。転生神の意志で設定を付けて、それに対して相応しくないと感じる。であれば今回のケースも条件さえ整えば主人公パワーの徴収は行えていたのである。
ではなぜ今回のケースには適応されないかというと、それは”赤ん坊の魂を犠牲にしている”という事実が存在しないから。ルディアはキラを想って嘘を吐いたが、それ故キラは、目の前の赤ん坊には本来宿るべき魂が存在すると誤認している。しかし実際は肉体ごと転生者は創造されており、虚偽に転生者キラーの効力は適応できない。
ルディアは勿論知っている。だがそれを口にすることはできない。すればキラを傷つけ、恨みの力を再び呼び起こしてしまうから。
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「ちくしょう……いけそうな気はしたんだけどな」
「誤りであれ、様々な可能性を考えるのは悪いことではないですから。あまり気を落とさずに——って」
話も半ばに、ルディアは視線を外し俺の背後の空を見つめている。そんなところに何かあったっけと、おもむろにルディアの目線の方向に目を向けると——
なんとそこには、今の今まで黙していた赤ん坊が、ふわりと宙に浮いていた。
「お、おい! これってまさか!」
「”魔法”ですわね! どうやらまだ幼少期編は続いているようですわ!」
浮遊する赤ん坊は、そのままふわふわと漂うようにして母親の下へと飛んでいく。母親も我が子の突然の行動に驚きを隠せない様子ではいたものの、事前に司祭から魔力の才能の話を受けていたことも相まって、取り乱すほどの動揺は受けていないようだ。
「まさか! こんなに幼い頃から魔法を操ることができるなんて。ほ、本当にこの子は天才なんだわ!」
合点がいった母親は近寄る赤ん坊を優しく丁寧に受け止めると、目尻を垂らし目を細め、愛おしそうに頭を撫でた。
「しかし、なんでまた今頃になって動きを? 今までずっと静かにしていたのに」
「確かに、妙と言われればそうですわね」
偶然という可能性もありうる。だが、何かしらの状況の変化が赤ん坊を行動にいたらしめた可能性も捨てきれない。大人しくしていた時と今とで、何か違いが無いかと周囲を見渡すと——
「父親が、いない?」
赤ん坊ばかりに注意が向いていたので疎かになっていたが、父親の姿がいつの間にか消えていた。買い物にでも出かけたのか、はたまた仕事に行ったのか。理由はどうあれ、とにかく今現在父親は家の中にいないのだ。
「偶然なのか? それとも、父親の前ではできないことをしようと?」
「どちらにせよですわ。この機会を逃したら、そこで幼少期のイベントは終息してしまうかもしれない。集中して観察するのですわよ!」
ルディアの言葉に気合を入れて、最大の集中力をもって観察に臨む——
つもりだった。しかし直後、最大出力の集中力は易々と打ち切られることになる。
母親の腕に収まる赤ん坊は、先程までの様子とは打って変わってぐずりはじめた。実際は転生者の魂が宿っているのだが、通常赤ん坊がぐずる理由と言えば大体の予測はつくだろう。
機嫌? トイレ? はたまた体調不良?
ノンノン。理由はもっと単純明快。母親の方もまず一番はじめに、ぐずる理由は”そのこと”だろうと当たりをつけた。
「お腹が空いたのかしらね?」
それは空腹。はじめにそう考えるのは普通であり、自然である。
だが考えてみて欲しい。赤ん坊のお食事シーンって、それはつまり——
「あとは頼んだッ!」
「なッ!?」
母親が胸元に手を寄せるや否や、俺は即座に振り返る。だがここで超反応を繰り出すルディア。勢いをそのままに、独楽のように俺の身体をぐるりと回すと、強制的に母親の方向へと向き直された。
「頼まれませんから!」
本日は少しばかりの慈悲を見せるルディアであったが、この時ばかりは無慈悲なもので。素早く背後に回ると両腕を脇からがっちりとホールドし、その手で俺の目蓋をこじ開けた。
「キラが観察を続けないと意味が無いじゃない! 恥ずかしがってるんじゃないですわよ! そもそも授乳とは神聖な行いで——」
「い、いやだぁああ! 俺はッ……俺はマヒロを裏切りたくないんだよぉおお!」
今の体勢。目の前では母親の授乳シーンが繰り広げられ、背後では身体を抑えるルディアの胸が押し当てられる。
もうね。何がなんだか分からない。俺の瞳からは悲しみからか、はたまた単純に目の乾きかもしれない。自然と涙が込み上げてくる。こうして俺の最大限の集中力はあっけなく散らされることになった。
ルディアの怪力の前では抗うことなど不可能。こうなれば邪念を取り払うしか残る道はない。それにルディアの言葉はもっともで、そもそも授乳シーンはエロいものではなく美しいものであるはずだ。母と子、双方の愛を感じる聖なる行いである——
はずだった。
だが、邪念を取り払いたいにも関わらずそれをさせない。神聖さを害する動きが目の前で行われたのである。
可愛らしい赤ん坊。
純粋無垢な幼い命。
その目尻はだらんと垂れ下がり、反して口角は吊り上がり、母の胸に伸ばす指先は、生後間もない赤ん坊には似つかない器用な動きを見せている。
それはつまるところ、いやらしいのだ。
授乳シーンを見たことなどないが、普段目にする赤ん坊とは思えない”やらしい仕種”に違和感を感じる。
「な、なぁルディア! これは神聖なシーンなんだよなぁ?」
「い、いや……これはッ!?」
ルディアも同じく違和感を感じたのであろう。意識が外れ、ホールドが緩んだ隙に即座に抜け出し振り返る。するとそこには、熟考するようにこめかみに指を当てるルディアがいた。
「これは……やはり例の行方不明の子供では無いのですわ。今、分かりました。今回の転生者はまたしても、如何わしい転生神の創り出した転生者に違いありません」
「そ、それってまたダークネスとかエーブイとか?」
小さく頷くルディアは姿勢を改め、真剣な眼差しを向け、真面目な態度で——
ふざけたことを語り出した。
「赤ん坊とは思えない、俗な欲に塗れた”いやらしい目付き”そして”手付き”。あの幼い赤ん坊の身体には、成人した変態野郎の薄汚れた魂が宿っているのです!」
「な、なんだってぇえええ!?」
思わず反射的に赤ん坊へと目を送る。送ったところですぐに視線を外したが。その目に焼き付けた赤ん坊の表情は、やはり幼き者とは思えない。それは赤ん坊どころか、子供という領域すら超越した歪んだすけべ心が垣間見える。
「キラ、あなたは母乳なんて飲みたいと思いますか? 思わないでしょう? もし仮に私が母乳を出せるとして、それで魅力が増しますか? 増すことはないでしょう?」
えぇと、それはどうなんだろうね……
いや、俺は思わないけども。
「それが普通で純粋な若者の反応。対して赤ん坊に宿る魂は、偏屈で歪んだ性癖を持つ成人以上である可能性が高い。恐らくはおっさん。こういうパターンは、おっさんを起用した方が変態度が増すものですもの」
憐れおっさん、酷い言われようだ。だがあくまで、そういう性癖を持っていた場合であり、おっさん自体が変態という訳ではないのであしからず。
「序盤とはいえ、これは目の前で発生した紛れもない事実。物語の深みが見えてこない序盤であることがかえって幸いしましたね」
「ん? どういうことだ?」
意味深なことを述べるルディア。しかし続く言葉は馬鹿げたもので、それ故俺は転生者の始末に至ることができたのだ。
「つまりは、今のあなたにとっての物語のタイトルはこうなるということです」
『~おっさん転生~最強に生まれ変わり母乳を飲む』
「バカかよッ!!!」
そんなふざけた物語があってたまるか! というか副題はなんなんだよ!
もっとかっこいいタイトルつけろよ! 目を引くタイトルじゃないと読者がつかないってか? くそったれ!!
若干、別の者の意志が宿った気もするが……
叩きつける拳は光り輝き、既に主人公パワーが漲っている。
「主人公パワーを吸収できたということは、やはりおっさんであることは事実であったようですわね。さぁキラ! いい大人になって母乳を嗜む哀れな男に裁きを下すのです!」
始末の瞬間ばかりは仕方がない。三度赤ん坊の方へと振り返ると、そこにはだらしなく緩んだ顔あり——
その幼き外見とは裏腹に、醜悪な魂に目掛けて、充填した主人公パワーを解き放った!
「そんな馬鹿げた主人公がッ! 存在してたまるかぁあああ!!!」
放出されたエネルギーが赤ん坊に命中すると、普段の始末同様にその身体ごと消し飛ばしたかのように見えた。
だがそれは錯覚だったようで、次の瞬間には本来あるべき純粋な赤ん坊の姿がしっかりと残されているのだった。
「これで無事、赤ん坊の魂は元に戻ったわけだよな?」
「——ええ、そうですわね」
ヤリマシタワァアアアアアアって……
あれ? 始末を終えたというのに、決まり文句を言わない?
なぜ? どうして?
深く考えればその先の答えに近づけたのかもしれない。
だがその疑問を考える余地もなく。
「無事ぃ……始末を終えられたみたいねぇ」
小馬鹿にするような態度。無駄な溜めを挟む独特な間の取り方。この薄気味悪い喋り口は——
「ア、アンジェリア! なんでこの世界に?」
俺とルディアの背後で、いつの間にか様子を伺っていたアンジェリア。一体いつからいたのであろう。ルディアはそのことに気付いていたのであろうか。
「私はルディアの母乳をしこたま飲んでみたいわぁあああ!」
「————死ね」
少なくとも授乳シーンの件からは見ていたようだ。そしてルディアにとっても聞かれたくない話だったことから察するに、その存在には気付いてなかったのであろう。
「でも、これはどういうことかしらぁ? 始末した転生者を再び創り——」
えっ?
ルディアは、何も言わずにアンジェリアを鋭く睨みつけている。
なんだ? また仲違いでもしたのか?
瞬間、真面目な表情を見せるアンジェリアであったが、話半ばに口を紡ぐと、再び薄気味悪い笑みを浮かべてその口を開いた。
「それよりぃ! 頼まれていた子供の件、探ってきたわぁ」
「ほ、本当か!? それでどうだったん——んぐッ」
白魚のような細い指を伸ばし俺の口を抑えるアンジェリア。くすりと、お淑やかというより嘲るような嗤いを見せると、焦らすようにゆっくりと言葉を続けた。
「急かしちゃ駄目よぉ。これから優しく、じっくり、教えてあげるんだからぁ」




