第52話 続々 TSF転生者を始末ですわ!
ルディアと共に、半ば強制的に大衆浴場へと足を踏み入れる。
中は受付の時点で女性客で溢れ返っていた。男女で分かれるのはこの先であるはずなのだが、施設は最近できたものだと言っていた。やはり、世界は変われど流行に敏感なのは、いつだって女性なのかもしれない。
受付を越えた先は、いよいよ禁断の地。しかもその全てがマヒロの顔をしているのだ。頭の中には脳汁が溢れ出し、ぐつぐつと煮えくり返っている。転生者も同じく魔道士の袖を引き、あたふたと混乱状態に陥っている様子が伺える。今の俺には服装と声で判断するしか無いんだけれども。
「私達もお風呂に向かいますわよ! 入浴剤は一通り使いましたが、純粋な温泉というのははじめてですからね。果たしてどのような効能があるのでしょうか」
泉質を期待し胸を躍らせるルディアは、足早に脱衣所へと向かっていく。かく言う俺もそこの部分はとても気になる。なるべく鉄泉が望ましい。なぜならその場で鉄分の補給ができるから。鼻血で失血死など笑えない。
先を行くルディアの腕を掴むと、固く目を瞑り脱衣所へと潜入する。
「腕、離してくれませんこと? 服を脱ぐことができませんわ」
「分かった、分かったけど、頼むから置いていかないでくれよ……」
「せっかく視覚情報を操作したと言うのに、これでは盲目と変わりありませんね」
脱衣中”近くにいるか”と再三尋ねる俺に、呆れた声で”いますわよ”と答え続けるルディア。脱衣後は、幸いにも現実世界から持ち込んでいたバスタオルを体に巻き付けると、ルディアに連れられて浴場へと入っていく。
「なにも俺達まで湯舟に入る必要ないじゃないか」
「飛沫でびしょ濡れになりますわよ。それに広い湯舟の奥に行かれたら、話し声も聞こえづらくなるでしょう?」
きゃっきゃうふふと黄色い声のこだまする浴室内。目を瞑っている分、余計に声から想像を掻き立てられてしまう。そんな、ただえさえいっぱいいっぱいの状況の中、ルディアは更なる追撃を加えてきた。
「まずはお身体綺麗にしましょうね。私が洗って差し上げても良くってよ?」
「ば、馬鹿言うな! というか、脱衣中に俺のこと見たりしてないだろうな?」
「何を今更。再三言っておりますが、今のキラの身体は私が創り出したのですよ。隅の隅まで知り尽くしていますのですわ」
「…………」
なぜだかとても悲しい気分に苛まれるが、それは置いておいて。文言から察するに、洗い場を探しているであろうルディアは突如その足を止めた。当然、言葉も無しに立ち止まられては目を瞑る俺は対応することができない。歩くままの勢いでルディアの柔肌にぶつかる。
「な、なんだよ、急に立ち止まって——」
「あ……洗い場が……ないですって?」
現代日本に於いては当たり前のように取り付けてある、湯舟に入る前に身体を洗う場所。しかしこの異世界において、それはまだ存在しなかったのである。遥か太古から存在し、異世界事情に詳しいルディアではあるが、風呂に興味を持ったのはつい最近。その文化や仕組みについては疎かったのだろう。蛇口もシャワーも、ましてや石鹸すらままならない浴場に唖然としている様子がありありと目に浮かんだ。
「仕方ないだろ。浴場が出来たのはここ最近って言ってたし。これから段々と文明が進化していくんじゃないか?」
「前屈みになってる奴に四の五の言われたくはないのですわ。これはとんだ誤算でした。日本の風呂文化とはさも発展したものでしたのね……」
浴槽を前にして立ちすくむルディア。目を閉じている俺にはその表情を見ることは敵わない。だが、握り返す掌を介してその緊張が伝わってくる。
「お前、意外と潔癖だったんだな。日本の銭湯も事前に身体を洗って入るのがマナーだけど、正しい入浴方法は掛け湯だけして入るらしいぜ」
「…………」
「海かプールだとでも思えよ。そっちの方がもっと汚ねぇだろ、きっと」
「えぇ、そうですわね……」
恐る恐る湯舟に足をつけるルディア。くどいようだが俺はずっと目を閉じているので、恐らくの雰囲気を語っているということをお忘れなく。
「くぅ……」
絞り出すような、艶やかな喘ぎ声が耳に届く。卑猥な描写でもなんでもないはずなのだが、なぜだか妙な気持ちを掻き立てさせられるな。
「ん……んん……」
「変な声出すなよ」
「ん……そんなこと言ったって——んぁッ」
波立つ音は聞こえるが、そろそろ肩まで浸かったのか?
「ねぇ、もう入った?」
「ま、まだですわ。あとちょっと……」
会話がどんどんと如何わしく聞こえてくるのは気のせいだろうか。
「あ……あぁ!」
「入ったか?」
「えぇ、とっても気持ちいいですわぁ」
どうやらようやく入ったみたいだ。”風呂”にだぞ。
「こ、これが温泉というものですか。一家庭では成し得ない、底知れぬ”温戦力”を感じますわ。非常に高い泉質、そして効能。温泉街など、身体を洗う為だけになぜ幾つもの湯を回るのか謎ではありましたが、なるほどこれは納得でございますわね!」
ご満足して頂けたようで何よりだが。温泉旅行譚になってる感は否めない。ルディアも入ったことだし、俺も手探りで湯船に浸かる。男の入る風呂には断じて入らんと豪語していたルディアだが、そんなことなどとうに忘れてしまっているようで、しきりに自身の温泉論を語り出す。
そろそろ目的違いになりそうなので、一旦話を中断させて転生者の観察へと乗り出す。同じく湯に浸かる転生者と魔道士の会話を聞くべく、湯船の中をしゃがんだ姿勢で歩み寄る。
「どうですか!? お風呂なんて金持ちの道楽と思われていましたが、実際はこんなにも気持ちの良いものなんです!」
「あ、ああ。確かにとっても気持ちいいよ……」
声を弾ませる魔導士に対して、転生者の言葉には感情の起伏が薄い。不快ということはないと思うが、転生前は毎日お風呂に入る生活をしていたはず。馴染んだ文化に今更新鮮さなど感じようがないし、心の底から驚くことなんてできやしないのだろう。
その後も風呂のうんちくを語り続ける魔導士。その類稀なるお風呂愛は本当にルディアと気が合うかもしれない。だがこのままお風呂話が続くとでも思っていた矢先、唐突に話題が切り替わった。
「そういえば脱衣所の時から思ってましたが、とっても大きいですよね!」
「ふぉおおおお!」
「こんなとこで鼻血出したらぶっ殺しますわよッ」
油断していたところに降りかかるおっぱいトーク。勘弁してくれ……ただえさえ状況が状況なのに、これ以上刺激を与えられたら俺はどうにかなっちまう!
落ち着くんだ、長寿祝いを数えて落ち着くんだ、還暦以降は性欲を越えた孤高の存在、俺を賢者モードにしてくれる。
「還暦、古稀、喜寿、傘寿——」
「な、何をぶつぶつ唱えているんですか……」
ルディアに呆れられようが俺にとっては死活問題。必死に頭の中に高齢者を思い浮かべる。
「米寿、白寿……いや、卒寿、白寿——」
萎えることで、次第に心に落ち着きが生まれてきた。
「ど、どうなのかな? 俺にはよく分からないけど……」
「いやいや、大きいですって! 私のと比べてくださいよ、ほら!」
ぷにっ
「ふぉおおおお!」
転生者の叫びが浴室に響く。が、俺はただただ無心で色欲からの解脱を行うのみ。
「百寿茶寿皇寿頑寿大還暦——」
「ちょ、ちょっと! 私一人だけ置いてかれてませんことぉおおお!?」
物語のお約束であるお色気シーンを終えた後に一旦クールダウンを行う一行。最ものぼせ上がった俺は息も絶え絶えに床に寝そべる。
今のところ”らしくない”ことは聞き取れていない。お色気シーンに対する反応も、下心に満ちたものではなく、正統派主人公らしい”うぶ”な反応だった。何より今は全く頭が回らない。とりあえず考えることは後にして、転生者と魔導士の会話に耳を傾ける。
「それにしても、まるで男性みたいな反応ですよね。一人称も”俺”ですし」
「お、女だよ! 俺……じゃなかった、私は女——」
語るに落ちる転生者。とはいえ仕方のないことでもある。昨日今日という言葉があるが、転生者は昨日はおろか今日から女性になったのだ。染みついた癖はそう簡単に直せるものでもない。
「ふふ、そんなのは見たら分かりますよぉ。ほんのちょっと男性っぽいってだけのことです。それより、初めてのお風呂は楽しめましたか?」
「あ、あぁ! おかげさまでさっぱりしたよ。石鹸があれば更に良かったけど」
「せっ……けん? なんでしょう、それは?」
やはり、この異世界に於いて石鹸はまだ存在していない。もしくは広くは認知されていないようだ。文明の進歩が現実世界とそう大差ないのであれば恐らく後者だろう。石鹸は贅沢品で嗜好品。富裕層以外の認知はあまり高くないのかもしれない。
「し、知らないのか。身体を洗うのに使う洗浄剤って言えばいいのかな? 汚れも臭いも落ちるし、物によってはいい香りもするんだ。風呂に入れたのは良かったけど、石鹸もあれば最高だったんだけどなぁ」
カツンッ
転生者が言葉を締めた直後、浴室内に物音が響いた。なんてことはない、何かが落下した程度の物音だろう。しかし些細な音であれ、物音がすれば人間そちらに気が向くものだ。皆一様に音のする方へと目を向ける。俺ですら、反射的に目を開いて見てしまった程だ。
するとそこには——
「これは……」
「せ、石鹸じゃねぇか!」
四人の視線の先、そこには四角い乳白色の塊が落ちている。魔道士が認知していなかっただけで、もしかしたら既に一般にも普及していたのかもしれない。ここは異世界、現実とは文明の進み方が違う可能性は大いにある。
だが、そうだとしてもやはりおかしい。固形化された石鹸。それは手作り感のない、機械で製造されたような完璧なる長方形。しかもご丁寧に、石鹸の表面には見慣れた企業のロゴマークまで彫られているのだ。
「これ、俺がいつも使っていた石鹸じゃないか。なんでこんな所に」
実は転生者も気付かぬ内に、転生と同時に石鹸を持ち込んでいたのか? いや、それはありえない。転生者が身に付けていたのは薄布一枚。ポケットのディテールなどは無かったし、そもそも脱衣場で衣服は脱いでしまっている。万が一にも持ちこんでいたとして、それに気付かず風呂場まで持ってくるなどある訳がない。
「これは、かなり悪い予感がしてきましたわ。今回の転生者、恐らく決して強い訳ではありません。ですが、調和への影響度で言えば過去最悪クラスの転生者と言えるかもしれません」
「ど、どういうことだよ!?」
振り返ると、そこには眉をひそめるマヒロの顔。しまった、目を瞑るのを忘れていた。幸いモザイクをかけるべき部分は腕がガードしてくれていたが、いつその腕が離れるとも分からない。音速で目を塞ぐと、ルディアの話に意識を集中する。
「凡そ人類の美徳を無に還す。最低最悪という言葉がふさわしい禁断の魔術。今回の転生者は”創造魔法”の使い手なのですわ」




