第38話 アンジェリアの重い想い
目の前に佇む死神。ルディアは、まるで蛇鷹を前にした蛙や雉のように怯え、慄き、その場に立ちすくんでいる。
その者の目は明らかに異世界の部外者であるはずの俺達に向いていた。愛憎どちらともつかないその視線。だがそれが好意だろうが敵意だろうが、俺達にとっては災いしかもたらさない。悪魔に好かれようが、嫌われようが、目に留まった者には不幸しか待ち受けていないのだから。
「お、お前は、俺達のことが見えてるのか?」
「駄目よぉ、ルディア。私の転生者には手を出さない約束でしょぉお?」
み、見えている。ルディアの姿も、転生者の存在も知っている。ならば、俺のことも見えているはず。だが、よくよく見ればその視線はルディア一人を凝視しており、逆に言えば、それ以外の全ての視界を排除していた。
「おい! 聞けよっ!」
問いかけが届いてないことはないはず。なのに構わず自身の話に持ち込むその女。ルディアはダメだ、相手にさせることはできない。ならば代わりに、俺が相手をするしかない。
「ほらぁ、お口に出して言わないと――」
「だから! 俺の話を聞けっつってんだろうが!」
ようやく女は俺の顔に目を向ける。だがその眼差しはルディアに向けるものとは違い、明らかに敵意に塗れた視線。
「五月蝿いわねぇ。餓鬼の出る幕じゃないのよぉ。大人しくしてて頂戴」
どうやら、女の興味はルディアにしかないようだ。邪魔者を払うかのように睨みを利かすと、すぐにまたその目をルディアに戻す。しかしここで引き下がる訳にはいかない。なぜならきっと、この女は——
「大人しくなんかしてられるか! お前、アンジェリアって奴だろ。ルディアを脅してやがるな」
「キラ、なんでそのことを……」
「俺も転生者の相手をしてきて成長したんだ。お前の見せる違和感と、言葉の端々で理解してたよ」
核心を突く言葉に、女はようやく眉を歪ませる。
「…………少しは頭が回るようねぇ。そう、私はアンジェリア。恋を司る女神にして、転生の神——アンジェリア・ラヴァーソウルよぉ。
ルディアと同じ神様なの。だから”神の視点”も通用しないわぁ。これでOK? じゃあ後は黙ってて頂戴ね?」
「何度も言わせるなよ! 誰が黙るかって言ってんだ! 何を企んでる? ルディアを使って何がしたい?」
「…………これだから、餓鬼は嫌いだわぁ」
ゆらゆらと身体を揺らすように歩を進めるアンジェリア。じわじわと俺達の方へと寄ってくる。
その静の迫力に後ずさる。だが、ルディアは固まり動かない。今のまま近寄られたら駄目だ。とても戦える状態じゃない。部屋の限りで距離を保とうと、ルディアの手を取り引こうとした。
すると、途端に動きを止めるアンジェリア。歩を止めてくれるのは有難いが、これを命拾いだと思った感覚は大間違いで――
「――――て――」
え?
「”手”を! 離せぇえええ!! ルディアの側に! 近寄るなぁあああ!!」
転生者など比較にならないほどの、絶望的な神の力。怒りから滲み出るその魔力は、この部屋全体を鮮血の如き赤に染め上げた。
肺を掴まれるような息苦しさに思わずその場にへたり込む。その様を見て、ぐにゃりと口角を吊り上げるアンジェリア。口は笑っているが、その目はまるでゴミでも見るかのように無機質であった。
「それでいいのよぉおおお! あなたには地べたがお似合いよぉ」
アンジェリアの視線は再びルディアに戻る。もう既に俺のことなど眼中にない。床に這いつくばる俺に一瞥もくれずに、ルディアの正面に歩み寄った。
「約束を破った罰。お仕置きが必要よねぇ、ルディア?」
「……あ……う……」
「でもその前に、薄汚い猿に触れられたその手を綺麗にしないとね?」
ルディアの手を取るアンジェリア。その手を顔の前まで持っていくと――
「ひぃぃぃぃぃ……」
突き出した舌をあて、掌を舐め回すアンジェリア。ルディアは消え入りそうな悲鳴を上げている。そのあまりのおぞましさに、全身が粟立っていくのを感じた。
余すところなく舌を這わせ、しゃぶりあげた指から口を離すと、次にアンジェリアはルディアの顎に指を掛ける。
「言葉を交わしたそのお口も、綺麗にしてあげないとぉ……」
「い……嫌……」
ゆっくりと、ルディアに顔を寄せるアンジェリア。
「駄目よぉ、ちゃんと消毒しないと、ね?」
「や、やめて……キラが……見てる……」
息も掛かるほどの距離にまで唇は迫り——
「いいじゃないのぉ……見せつけてやりましょぉ?」
「お願いだからぁ、やめてよぉ……」
その動きはピタリと止まった。
あぁ……
「あぁあああああ!! 駄目ぇ! 駄目駄目駄目ぇえええ!
そんな顔をされたら、止められる訳ないじゃなぁああい」
顎から手を離すと、ルディアの頭を両手で抱えるアンジェリア。その瞳は抑えきれない欲望を表すように爛々と燃え上がり、拒絶するルディアへ強引に口づけを迫る。
「麗しいルディア。これであなたは、私だけのものに——」
ドンッ
アンジェリアの、痩躯で華奢な身体が床に転がる。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
俺は、よろめく身体をアンジェリアにぶつけた。依然身体の自由はままならないが、アンジェリアの意識がルディアに集中したことで、魔力の束縛から一時的に解放されたのだ。
床に伏し、ぼんやりと俺を見上げるアンジェリア。ウェイトの差で突き飛ばすことには成功したが、ダメージを受けている様子は全くない。
「な、なにしてんだお前……頭おかしいんじゃないのか!」
…………
「聞いてんのかよ! おい! さっきから俺の話を無視しやがって……」
…………
「ふ、ふざけやがって……お前は一体何が——」
「そうだわぁ!」
アンジェリアは突然声を張り上げた。何か妙案でも思いついたかのように嬉々として輝く。はしゃぐ子供のように、恋する乙女のように純粋無垢なその表情。そんな無邪気な顔から、その言葉は発せられた。
殺そ
「この子、殺しちゃおう! ルディアの始末に必要だからと生かしていたけど、別にこの子じゃなくても良いものね……」




