第34話 神の矜持は揺るがない!
天界。
天上界より下にある、数多の神が住まう世界。住むといっても、経済という概念のない神の世界では、家や店が立ち並ぶような俗な街並みではない。各々が自身の空間を創り出し、そこに引き籠るように居座り続ける。
時折下界の様子を覗き見て天恵やら神罰やらを与える訳だが、その時々というのが、一年なのか万年なのか。それは神々のみぞ知るところ。基本的には人気、もとい神の気配のないゴーストタウンな様相である。
永きに渡り変わり映えのしない、温かくも神々しい光を差した孤独な雲海。
その上を、ルディアは一人ゆらゆらと飛んでいた。魔力の翼をはためかせ、あてどなく、虚ろな瞳で宙を漂う。
「あらぁ、ルディアちゃんじゃない!」
微かに耳に届いた声に顔を向けると、そこには一人の神がいた。
「あぁ、サギーか……」
転生神サギー・コマネチ。オネェの神様。主に性転換するような転生者を好む、特殊な趣味の転生神だ。雲海の上に立ち、ごつい腕を掲げ、満面の笑みでルディアに向かって手を振っている。
他の神々なら一瞥くれて過ぎ去ってしまうところだが、サギーだけは心を許すまではいかないにしろ、悪意をもって近づいてきているのではないと思えた。
ルディアは既に”事”を済ませた後だ。急がなければならない用事も無ければ、そもそも深く思考を巡らせる余裕も持ち合わせてはいなかった。
特に考えることもなく、ふらふらと呼ばれた方に赴く。
「なによぉ? 今日は元気ないわねぃ」
「ふふ、ちょっと、ね……」
”元”調和の神にして鬼畜転生神、ルディア・フローリア。
神々の間で畏れられる伝説から成り立つその異名。それが今は見る影もない。不審に思ったサギーは、俯くルディアの様子をまじまじと見つめる。
「何か、あったの?」
「いえ、なんにも」
「あ、アンジェリアちゃんじゃない!」
「ひぃ!!」
唐突な呼び声に蹲り、恐る恐るサギーの向けた声の方向に目を向ける。
だが――
そこには誰もいなかった。
「やっぱり原因はアンジェリアか。驚かしてごめんね、ルディアちゃん」
「あ……あ……」
全身の力が抜け、よろよろとその場に座り込む。
「ルディアちゃん、ちょっとあたしのところにいらっしゃい――」
サギーの住まう空間。特異な見た目とは裏腹に、落ち着きのある、淡い光の織り成す幻想的な世界観。
身の毛もよだつ深紅の世界とは大違いだ。あの世界と共に、脳裏にチラつく気狂い染みた邪悪な笑み……思い出しただけで吐き気を催してしまう。
そんなルディアを椅子に座らせると、サギーはグラスを手に取り酒を注ぐ。琥珀色に沈む氷球は、黄昏に浮かぶ夕日のよう。暖かな色合いを見ている内に、次第に落ち着きを取り戻すルディア。サギーは手にしたグラスをそっと差し出す。
「私、お酒は飲みませんよ」
「雰囲気作りよ。そのほうが”ぽい”じゃない」
手渡されたグラスを明かりに透かし、光の幻想を眺める。
それをつまみにグラスを傾けるサギー。
少しの沈黙のあと、ルディアが先に口を開いた。
「――そういえば、アンジェリアの昔話を聞かせてくれたのもサギーでしたわね」
「あたし、人の噂とか陰口とかは嫌いだわ。だけどね、ルディアちゃんが転生神となった時に開かれた緊急集会。その時にあんたを見ていたアンジェリアの目。あれは危険だと感じたの。だからその忠告をあんたにした。その後は音沙汰なかったから忘れていたけど、まさか今頃になって動き出すなんてね」
ルディアは手にしたグラスを卓に置くと、サギーに目を向け、語気を強める。
「違いますわ。アンジェリアは動き”出した”んじゃない。はじめからずっと見ていた。長い間想いの炎を絶やさずに、むしろ燃え上がらせて、ずっとずっと機会を待ち続けていた」
「執念を超えて、最早呪いに近い感情ね。ちなみに機会って言ったけど、一体アンジェリアは何を待ち続けてたっていうのよ」
その言葉にぎくりと心を震わせるルディア。向けた視線を再び外し、都合の悪さに小さく俯く。
「それは……言えない」
「……それじゃあ、解決の仕様がないじゃない」
再びの沈黙。サギーは他の神とは少し違うが、それでも全てを話す訳にはいかなかった。なぜなら彼も転生神。根っこの部分は、きっと他の神々と同等なはず。
「サギーは、なぜ転生神に?」
「あたしは性に悩む子羊ちゃんを救う為よぉ! 人はね、生まれながらに性別を選択できない。それに思い悩む人はたくさんいる。そして、今の世界はその個性に対して冷たいわ。皆、肩身の狭い生き方をする。そんな人達が、自分らしく堂々と生きることができるように! あたしは転生ならぬ”転性”をしてるって訳!」
「そっか……」
「ルディアちゃんはどうなの?」
「…………」
「それも言えないって訳ね」
「ごめん……」
サギーは全てに答えてくれるが、自らは何にも答えることができない。
気まずい雰囲気に居たたまれなくなる。
するとサギーは手にしたグラスをルディアに向けると。強く、はっきりとした口調で語りだした。
「まあいいわ! でもね、これだけは言っとく。あんたもあたしも、恐らく他の神々から白い目で見られてきた存在だわ。あんたは努力で、あたしは身なりで。でもあたしは一度だって自分を恥じたことなどないわ! だってこれがあたしの個性だもの!
ルディアちゃん。一人陰で努力をするあんたは、それはそれは輝いていたわ。だから、自分に自信をもって、自分らしく、堂々と、胸を張って生きなさい」
「自分らしく……堂々と……」
「そうよ! あたし達、神様なんだから! 意気地のない神様なんていないわ!
天上天下唯我独尊! 神をやるならそれくらいじゃないと!」
「…………うん」
ルディアは再びグラスを手に取ると、サギーのグラスにカチンと合わせた。
「本当に大丈夫なの? あたしでやれることなら手助けするけど」
ルディアを見送るサギー。依然、万全とは言えないが、先程までの虚ろな面持ちとは違い、はっきりとした意思を持って言葉を返す。
「いいえ、大丈夫です。私も神の一端。子供じゃないのです。自分の問題は自分でなんとかしますわ」
「そう、なら手出しはしないわ。でも何かあったら言いなさいよ」
「うん。有難う、サギー」
礼を伝えて、空へと飛び立っていくルディア。
まだ……怖い。
まだまだ、怖い。
どうしたらいいか分からないけど。
解決策なんて見つからないけど。
それでもなんとかしなくちゃいけない、と。
ルディアの瞳は少しずつ前を向き始めていた。




