第2話 さようなら現実くん これから宜しく幻想さん
ドサッ!
「痛っつ……」
鈍い衝撃が身体全体を駆け巡る。
送り込まれた世界に、ヒーローの如く颯爽と登場!
なんてことが一般人にできるはずもなく、尻から直に落下した。幸い落下点は固い金属やコンクリートではなく、付いた手から伝わる感触は人間界でも馴染みのあるものだ。
先までは天国のような場所にいたはず、だが今はどこにいるか一目瞭然。
――森だ。
辺りをぐるりと見渡すが、似たような木や草しか目に入ってこない。置かれている状況が森という一点を除き、他は一切不明なハードモード。どこぞのデスゲームの方がよほど親切丁寧に、その場の状況を説明してくれるだろう。
……はぁ。
やってくれたな、あの女神。
いっそのこと考えるのを止めて、この状況から目を背けてしまいたい。だが逃げ場なんてないし、そもそもルディアとかいう女神の言うことを聞かないと、今度こそ俺の命は無いらしい。
理不尽極まるが、転生者キラーの任務を始めるしか他に道はないようだ。重い腰を上げてその場を立つと、土を払い、当てどなく歩き始めた。
周囲はとても静かだった。耳に届くのは風に揺れる草木のざわめきと、土を踏みしめる足音だけ。肺を行き交う空気は、俺の知るものとは比べ物にならないほどに澄んでいて、大きく息を吸い込むと、ミントのような爽やかな爽快感が頭の先まで突き抜ける。
これがもしレジャーとしての森林浴であったのなら、さぞリラックスできるロケーションなことだろうか。
だが、森というのは本来とても危険な場所だ。猛獣が生息しているかもしれないし、虫や植物に至るまでどのような脅威があるか分からない。
遭難であれば元いた場所から動かずに救助を待つのが正解なのだろうが、ここでは待ったところで誰も助けてはくれない。そもそも俺が森で迷っていること事態、この世界では誰も知る由がない。強いて言うなら送り込んだ張本人のルディアくらいなものか。
熊にでも出くわしたらおしまいだな。
しかしそんな場面ですらまだマシといえる方で、ここが本当に異世界なのだとしたら、熊など可愛いと思えるくらいの凶悪なモンスターが潜んでいるかもしれないのだ。
ごくり……
想像するとその身に恐怖が増してくる。身体は小刻みに震え、余計に足音を奏でてしまう。そのことが更に恐怖心を煽り、震えは次第に大きくなっていった。
どうか、どうか恐ろしい化け物に出くわしませんように。
ガサガサッ!
「うわぁああ!」
唐突な物音と何者かの気配。恐る恐る音のした方に目を向けてみると、そこには鼠のような小動物が数匹、慌ただしく動き回っているに過ぎなかった。
まったく、ビビらせやがって。
急転からの安堵に思わず溜め息を漏らす。だが、鼠に向けた視線の先に一つの影があることに気が付いた。
再びの急転に心臓は飛び跳ね、危うく二度目の死を迎えることになるかと思ったが、よくよく見ればそれは怪物などではなく。
人間。
それも倒れて気を失っている人間の男であった。
「大丈夫ですか!?」
慌てて駆け寄り声を掛ける。後から思えば男の素性も知れたものではないし、安易に近づくのは危険な行為だったかもしれない。
だが俺はもっぱら危険に疎い、平和な日本生まれの高校生だ。そんなリスクよりもまず、倒れている男の容態の方が気にかかった。
「大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
必死に声を掛けて身体を揺さぶるが、男は一向に目を覚まさない。
もしや、既に息を引き取っているのでは?
すぐさま男の手首を取り脈を測る。
……ドクン……ドクン……
「……ふぅ」
その考えは幸いにも杞憂だったようで、男の心臓はしっかりと脈を打っていた。だが、依然目を覚まさない以上は、何か深刻な症状が出ているのかもしれないのも事実。
だけど、どうしよう。
俺は人命救助の方法なんて知らない!
脈も、そして息もある。だがそれでも目を覚まさない場合、次に一体何をするべきなのか。もしかしたら、さっき身体を揺らしてしまったのもまずかったかもしれない。
だが、意識を取り戻さない限りは、これ以上手の施しようもない。意識を戻さんと、再び身体を揺さぶり声を掛けようとした、その時であった。
「その必要はありませんわ!」
背後から突然降り掛かる謎の声。だが忘れもしないこの口調。心当たりは一つしかない。
「め、女神! いつの間に! てっきり始末は一人でやるものかと……」
「期待するとは言いましたが、誰も一人でやれとは言ってませんわ。私もあなたと一緒に同行します」
今、なんと言ったのだ?
ドウコウ、する……
同行してくれるって言ったのか!?
とんだ無茶振りをするような奴だが、意外と良いところもあるのかもしれない。
「だって、同行しなければ――」
「転生者の末路を見られないですもの!」
……は?
「転生者の無様な最期で! 今日もメシウマなのですわぁああ!!」
前言撤回。
この女神、やっぱり最低だ。
「だけどさ! その必要はないって言われても、倒れている人をそのままってのはちょっと……」
「察しが悪いですわね。まだ気付かないのですか? 要はこの男が今回の標的、転生者なのですわ!」
「なんだって!?」
ルディアは推理小説の探偵よろしく、倒れる男に指を差し向ける。これで寝ているのが探偵の方であれば言うことなしだったのだが、というのは置いといて。
察しが悪いなどと言われても、俺には何がどうなっているか知り得ない。倒れていただけの男のどこに転生者要素があるかなんて、異世界に来たばかりの俺には分かりようがなかった。
「一体なんでこの男が転生者だなんて分かるんだよ。お前は見ただけで、転生者かどうか分かるような特別な力でも持ってるのか?」
「そんな力など持っておりませんわ。単純に状況を見て判断しただけでしてよ」
「状況だって?」
「おかしいと思いませんか? この男が転生者でないなら、異世界の現地人ということになります。だとしたら何も持たずに森の中になど入るはずないのです。危険とされる森の中で、大の大人が呑気にお昼寝などする訳がない」
緊急事態だったので男の身なりなど二の次になっていたが、改めて見てみると確かに男は布の衣服こそ着ているものの、これといって荷物らしい荷物は持っていないようだ。
「野党に襲われて身ぐるみを剥がされた可能性も否定はできませんが、見たところこの男に外傷や争った跡もありません。野党は相手を殺しても構わないスタンスの野蛮な賊。そんな者に襲われたのなら間違いなく何かしらの痕跡は残るはずですわ!」
「そ、そう言われれば確かにそうかもしれないな」
なんだか意外と理屈っぽいぞ。こう見えて実はかなりの推理力を持つ名探偵なのでは?
「よってこいつの正体は転生者! そして森の中で目覚めるというテンプレ展開の転生者は、転生神『モリリン』の仕業に違いないのですわ!」
「なんだよそれ!!」
前半の部分の感動を返せ。後半はほぼこじつけに近い名推理ならぬ迷推理じゃないか。
「そろそろお決まりの転生者のお目覚めタイムですわ! この場を離れて様子を見ることにしましょう」
「あれほど揺さぶっても起きなかったのに?」
「それはキラが男だからですわ。目覚めた先にいるのが男では物語が締まらないでしょう。さ、早く……」
ルディアは俺の手を取ると、その細い腕からは考えられない力で俺の身体を引いていく。為すがまま、されるがまま。はた迷惑に違いないはずなのだが、なぜか不思議と高揚感が沸いてくる。
この女神なら。
もしかしたら俺に、普通ではない、特別を与えてくれるのではないのかと。