第28話 敗北なんてありえない……
ルディアとアンジェリア。二人の女神は、場所を改めて話をする。
先を行くルディアの後を、アンジェリアはぴったりと張り付くようについて来る。
紅黒く淀んだ瞳は、世界の一切を排除し、ただただルディアの後ろ姿一点のみを見つめていた。
辿り着いた先は人気の少ない神殿の屋上。常に心地よい風が通り抜け、天上界を一望できるこの場所は、堅苦しい神の世界で唯一居心地の良いといえる場所。
だが、今に限って言えば、いつ修羅場となってもおかしくはない殺伐とした空気が流れていた。
「アンジェリア。あなた、先程から私を疑っているようですけど。一体なんの言いがかりなのですか?」
「ん~~、ふふっ」
顎を指でなぞり、薄ら寒い笑みを浮かべるアンジェリア。
できればこの問答で疑いの目を背けられれば上出来だが、一筋縄ではいきそうにないことを、嘲り混じりの嗤いが物語っている。
「もったいぶらないで早く答えなさいよ」
「――知ってるわよぉ。活動に支障はないって言ってたけどぉ、あなた、ここ最近全く転生させていないものぉ。もしかしてぇ、別のことにご執心なのかしらぁ?」
「先程の議会でも言ったはずですわ。私は他の間抜けな神と違って、転生させた者をしっかり管理しているのです」
「ぷっ、なぁにそれぇ? ぜぇんぜん、あなたらしくないわぁ」
確かにルディア自身、”らしくない”ことを言ったと思っている。それでも、議会で発言した内容と辻褄は合う。不自然ではないはずだ。
だが、いくら正論を語ったところで、話せば話すほどにアンジェリアの疑いの眼差しは、より一層強くなる一方であった。
(この女、理屈より感情を優先させるタイプの女か。理論上、完全なるアリバイを立ててすら、疑いの念を晴らすのは難しそうですわね)
一旦自らの弁護を止めると、アンジェリアの腹の内から探ることにする。
「あなた、議会の時から私に疑いを持つような発言をしてましたわね。何故それを、あの場で発言しなかったのですか? 密告だって、容易にできたはずでしょう」
「あらぁ~、それ聞いちゃうのぉ?」
曖昧な答えにぎりりと拳を握りしめる。いい加減、この女の”溜め”にもうんざりしてきた。円滑に進まない会話に苛立ちも増し、次第に語気も強くなっていく。
「いちいち癇に触るのですわ! とっとと答えなさい!」
「駄目よぉ、ルディア……綺麗な顔が台無しじゃない」
「!?」
(こいつ……! この眼差し! 今の今まで、この女の視線の含みは、疑惑と嫌悪を意味するものだと思っていた。だけど違う。こいつの、この一見すれば暗く淀んだ、その実、少女の様に純然たる眼差しの正体は――)
ようやくルディアは気付いた。
この女の目的は……脅迫。
金銭という価値が存在しない神々の世界において、脅迫を行う意味はほとんどない。それに、そもそも彼女らは神様だ。怠惰な神はおれど、脅迫されるような行いをする者自体が稀である。
百歩譲って、転生神の交代の強要であれば、昨今のご時世的にも頷ける。だがアンジェリアは既に同じ転生神。そのメリットも存在しない。
だから、脅迫という概念が、ルディアの頭からはすっぽりと抜けていた。
しかしアンジェリアの視線には、金や出世を企むような邪さは皆無で……
まるで、恋する乙女のように純粋で――
(ま、まさか……この女の目的は……!)
「所在も分からないからぁ、探すのに苦労したわぁ。でもぉ、緊急集会なら来ざる負えない。やぁっと見つけたあなたの弱味ですものぉ。大切にしなくっちゃ……ね?」
妖しく詰め寄るアンジェリア。アルビノを思わせる、異常に白い腕を差し出すと、愛おしそうにルディアの輪郭に指を沿わせる。
その冷たく、艶かしい感触に、背筋がやにわに粟立っていく。
「――私、百合には興味無くってよ」
「選り好みなんて関係ないわぁ。だって、そうせざる負えないもの、ねぇ?」
心の内まで見透かす、歪な愛に塗れた凌辱の眸子。その瞳が、ルディアの疑惑を確信へと変えた。
(駄目だ……この女。完全に”知って”いる)
屈辱だった。日頃は面倒臭がりでおちゃらけているように見えるが、その実ルディアは意外と真面目だ。
ルディアは生まれながらの神ではない。神にも才能があり、キャリアがあり、それらに並ぶには努力が必要だった。
魔力を磨いた、力も磨いた、知性も美貌も……
努力を嫌う神々にとって、さぞ不審で、特異な存在だっただろう。陰では異端児と罵られ、その一方でアンジェリアは生まれながらにして才能に恵まれ、特異な神と讃えられていた。
だが、数えきれない年月を努力に費やす内に、気が付けばルディアの力は、他の神々を寄せ付けない最高位の実力を備えていた。調和の神の称号も与えられ、その役割を邁進した。恋愛にしか興味のないアンジェリアは、今では並レベルの実力だ。
だからルディアは高慢だ。自身の全てに自信を持つ。磨いた努力は彼女の誇りで、気高く生きようと口調も変えた。
(そんな、私が。この、私が……
支配されるなんて、ありえない……)
アンジェリアに妬みはない。自身を追い抜いた恨みを晴らそうと、そういう訳ではない。単純にアンジェリアは恋愛にしか興味はない。だが他の神々が呆れる中、アンジェリアだけは美しいと想った。必死に努力を続けるルディアを、この世で最も尊い存在だと感じた。そして、そんなルディアを自分のものにしたいと、そう願った。
もし仮に始末の全てを白状し、神の座から降りたとすれば、アンジェリアの薄気味悪い束縛からも逃れることができるだろう。
罪が知れれば罰も受ける。死ぬより酷い目に遭うが、死にはしない。
なによりプライドの高いルディアにとっては、今後この女から受けるであろう辱しめの方が、罰よりよほど精神的苦痛は大きいといえる。
だがしかし……
問題は、神の座を降りれば、今後一切転生者の排除が出来なくなるということ。
この先も爆発的に増加するであろう転生者が、異世界の調和を乱している様を、指を咥えて見ていなければならないということだ。
(それだけは……調和の神の使命として、絶対に曲げる訳にはいかない)
アンジェリアの暗に示している事。
それは、言う通りにさえすれば、今後の活動の邪魔はしないということだ。
ルディアは伏していた顔を上げると、これ以上はない、怨恨に満ちた侮蔑の念を送り付ける。
だがアンジェリアにとっては、その怨念すらも愛おしい。それが正であろうが負であろうが、自身に強い想いを抱いている。そのことがアンジェリアの歪な感性を刺激し、沸き立つように欲情させた。
「だぁめよぉ。駄目駄目。ちゃあんとお口に出して言わないとぉ」
「…………ッ」
「なぁに? 聞こえないわぁ」
「あ……あなたの……言うことを聞くから……言われた通りに、するから……
お願いだから、黙ってて、くれませんか……」
口が裂けても言いたくない。だが、心が裂けても言わざるを得ない。痛恨の”服従の言葉”を喉の奥から搾り出した。
それを耳にしたアンジェリアは――
全身を打ち震わす快感。柔肌を掻き毟り、肉に食い込むまでに爪を立て、その身をよじらせ悦びを露にする。
醜く歪んだ笑み。相手を自分の思うがままにしている者特有の、勝ち誇った顔。
今までずっと、こんな奴等を打ち負かし続けてきたはずなのに……
「あぁ、ルディア……勿論よぉ。お願いさえ聞いてくれればちゃあんと……」
身を寄せるアンジェリアは、ルディアの腰に腕を絡ませ、豊かな胸元に耳を添える。
「ルディアも……私の体を包んで頂戴?」
「…………うぅ……」
決め細やかな白い腕。力無く広げると、諦めたように、ゆっくりと、アンジェリアの背に回した。
「あぁ、あぁああああああ! なんという幸せ、なんという悦び! 私はこの時、この瞬間の為に、生まれてきたのだわぁぁぁ……」
(――くやしい……くやしいよ……)
誇りを脱がされ、神の仮面を剥ぎ取られ、裸となったルディアの心は、鬼畜とは無縁な生来の無垢な感情を曝け出す。
強情なルディアが初めて体験する、完膚なきまでの敗北感
あまりの悔しさに、自然と視界は滲んでいくのであった。




