第18話 ドッキリなんて許せない!
休日明け。それはこの世の万人が感じる、憂いのひと時。
人類はこの憂鬱と、再び訪れる休日の高揚感を際限なく繰り返し続ける。
いや、最後はあるのかもしれない。それは死などというオチではなく、いずれ学校を卒業し、労働し、定年して老後を迎える。その境地まで行きつけば、ようやく平日休日の概念から解放されるのだ。しかし、徐々に定年が先送りにされていく中、やはり先は見えないというところに変わりはないだろう。
今日からまた学校が始まる。もちろん以前までの俺なら、かのジレンマのサイクルに陥る一般大衆の一員であった。だが、今の俺は違う。むしろ、休日に歯がゆさを感じるほどまでの大改革が引き起こされたのだ。
安心院マヒロ。学校に行けばこの子に会えると思うと、平日の楽しみが何倍にも膨れ上がった。
鼻歌交じりに朝の準備を整える。普段は顔を洗うだけの洗面台。その鏡の前に立つと、俺はあるものをポケットから取り出した。
それは整髪剤。女性関係に縁のない俺にとっては無用の長物。だったもの……
しかし今をときめく俺にとっては必需品。外装を剥がし、新品のそれの蓋を開ける。鼻をくすぐる香りは、その小さな容器より遥か広大な、一面に広がる花畑を連想させた。
「初めて使うけど、まあこのくらいの量でいいか」
掌に乗るピンポン玉ほどのワックスの塊。それを慣れない手付きで髪に当てると、ベタベタと押し当てるように髪に撫でつけた。
「うん、初めての割には結構決まったかもしれないな」
「ぶはッ!!」
激しく息の漏れ出す音が背後から聞こえた。
振り返るとそこには、腹を抱えてよじれるルディアの姿が。
「どうした? 腹でも痛いのか?」
心配になった俺は、俯くルディアの顔を覗き見る。
すると彼女にしては珍しく、普段は吊り上がる眉を垂らして涙を浮かべると、顔を真っ赤にして頬をぷくりと膨らませた。
「や、やめてぇ! その顔をこっちに向けないでぇええ!」
それが理解可能な最期の言葉。その後は言葉にならない声を叫びながら、床に転げて抱腹絶倒していた。
「はぁ、はぁ。私を笑い殺しにするつもりですか、珍妙奇天烈なその頭は」
「え? 変かな? たくさん付けたし、かっこいいかなって……」
「ドーピング剤じゃあるまいし。足せば足すほど強くなるなんてことはないのですわ。適量ってものを知りなさいよ」
落ち着きを取り戻したルディアは、呆れた様子で俺に忠告する。だが時折、空気が抜けるように息を漏らし、頬をヒクつかせているところを見ると、まだまだ本当は笑い足りないようだ。
正直納得はいかなかったが、ルディアは女神。一応女性の意見だ。酷評されてしまったので、結局ワックスは洗い流すことにした。
「いいこと? 美人は一日にしてならず、ですわよ。いかに優れた美貌も、努力を怠れば必ずいつか劣化するのですわ。かくいう私も、この類稀なる美貌を維持するために日々努力を欠かさず――――」
これは、話が長くなりそうだ。適当に相槌を打ちながらさっさと支度を済ませることにする。そして一人熱弁を続けるルディアの脇を通り、玄関から外へ出ることで、ようやく解放されるに至った。
面倒ごとも片が付き、空も心も晴れやかなる通学路を歩いていると、信号待ちをする見覚えのある姿が。
交差点を吹き抜ける風が、彼女の髪を一本一本ふわりと持ち上げる。それに手を当て指を通す仕種が、儚くも、一瞬を彩る花吹雪のように美しいと感じた。
「お、おはよう! マヒロ!」
「あ、おはよ! キラくん!」
いまだ女の子に声を掛けることに慣れない俺の挨拶は、自他共に認めるぎこちないものであったと思う。だが、マヒロはそんなことなど毛先ほども気にしない様子で、満開の桜のように華やかな笑顔を咲かせるのであった。
朝からなんてラッキーなんだ。
これはルディアの長話に感謝するしかあるまい。
なにせそれが無ければ、とうに俺はこの交差点を過ぎ去っていただろう。
「あれ? そういえば今日も何も感じないね。お化けはもう、キラくんの側からいなくなったのかな?」
「そ、そうなんだ! いつの間にかいなくなってたよ」
実際にはルディアは消えた訳ではない。消えろと言ったって消えはしない、ゴキブリ以上の生命力と執着心があるだろう。
だから俺はお願いした。霊感の強いマヒロの前では、完全に気配を消してくれと。これで何時何処でルディアが現れても、マヒロを怖がらせるような心配は無くなった。
「よかったね! キラくんは心配しなくていいって言ったけど、低級霊でも危ないことってあるんだよ?」
心配そうに覗き込むマヒロの瞳は、カットされたアメジストのように光を捉え反射する。その慈愛の眼差しは、まさに愛を意味する宝石言葉に相応しい。
ああ、なんて幸せな時間なんだ……
恋愛漫画を軽んじていた、以前の自分にパンチをお見舞いしたい。
こんな時間が、いつまでもいつまでも続いて欲しい。
感傷に浸ると、目を瞑り天を仰ぐ。無機質な岩肌の香りと、湿った空気が、俺とマヒロの二人を優しく包んでくれているように……
…………ん?
「どうしたの? キラくん?」
「あ、悪い悪い、マヒ……ロ……」
目に映るのは愛らしいマヒロの顔でなく、岩壁。
こと爽やかさには縁のない、薄暗く湿った洞窟の中であった。
「騙されましたわねぇ! 残念、ルディアちゃんでしたぁ!」
ぶちぶちと、血管の切れる音が頭に響いた。
「いやですね、あんまりにも隙だらけだったものですから。ドッキリ企画ってものを動画で見て、ついついやってみたくなりましたのですわ」
ルディアの長話に感謝するって言ったな。
すまん、ありゃ嘘だった。
「お前、覚えてろよ」
「忘れもしませんわ。あんな頭」
「違う! そっちじゃない!」
怒りの剣幕で叫ぶと、さすがのルディアも俯き、上目遣いで舌先を出した。
こいつ、絶対反省してねぇな……
「そんな怒りなさんなって。で、茶番はさておき、今回は洞窟スタートですわね」
「洞窟か。なんか陰気で、いまいちテンションが上がらないな」
「まあ洞窟といっても、これは単なる現実世界にもあるような穴倉ではなくて、いわゆるダンジョンってやつですわ」
「ダ、ダンジョンだってぇ!?」
ダンジョン。それは男心をくすぐる冒険のキーワード。
先までの苛つきはどこへやら、一見すれば陰鬱な雰囲気も、ダンジョンともなればそれは世界観を生み出す為の、心躍る演出に様変わりする。
「そうですわ。この空間の至る所に魔力が渦巻いてますからね。って、なんか嬉しそうですわね?」
「そりゃあそうだろ! ダンジョンなんだぞ! 冒険といえばダンジョン。RPGでは街よりどこより、ダンジョンにいる時間が一番長かったぜ」
「あぁ、そういうこと。確かに男って、冒険とかお宝って好きそうですもんね。まったくいつまでも子供ですこと」
瞬間、ちらと呆れたような顔を見せるが、くすりと笑うと悪戯な笑みを浮かべて俺の頬をつつくルディア。その仕種に思わずはにかみ俯いてしまう。
「子供でもいいよ。男ってのは、そういうもんなんだよ」
「ま、ワクワクするのは勝手ですが、お宝探しとかはしませんわよ? この世界の調和を乱すことに繋がるのですから」
「わ、分かってるって!」
内心ぎくりとしながらも、ルディアと共に洞窟内の散策を始める。
薄暗くじめじめとしたダンジョン。それだけでいえば、なんら現実世界の洞窟と変わることはない。
だが、何か心を揺さぶられるような奇妙な感覚。俺は転生者キラーの能力以外は、ごく一般的な人間と変わりのないはずなのだが。その不思議な感覚が俺の身体に纏わりつくのが、僅かにだが感じ取ることができた。
人ひとり分の隙間やら、泉の湧き出る空間やら、大小様々に入り組んだ道を歩き続ける。しばらくすると、洞窟内を揺らめく僅かな明かりが視界の端に微かに映った。
よくよく見を凝らすと、その明かりは岩肌を動き、一点を照らしているのではないことが分かった。
「おい! あれじゃねぇか!?」
「お! そうですわね! 見つけるの早いじゃない!」
ルディアが俺のことを褒めるなんて、珍しいこともあるもんだ。
先程までムカついていた相手ではあるが、素直に褒められれば、それはやはり照れ臭くも嬉しいものがあった。
その明かりへ向かい、ルディアと共に小走りで近寄る。足音が洞窟内を共鳴して響き渡るが、気配を絶つ俺達にとって、もちろんそんなことはお構いなしだ。
明かりは一つ、気配も一つ。その者は一人でこのダンジョンを訪れているようだ。
「こんなところに一人でいるってことは、ダンジョンで目覚めた転生者かな?」
「さすがにそれはないでしょう。明かりを持っている訳ですしね。ある程度準備を済ましてここに来ていることでしょう」
追い付くと、今度は動きに合わせて冒険者の後を付いて回る。細かく探るように歩を進める冒険者。とある一か所で動きを止めると、松明を壁面に立て掛けてその場に座り込んだ。
ごそごそと何かを漁っているようだが、その者の背中が影となり、何に手を付けているのかが分からない。確認すべく前方へと回り込むと、そこにあるのは、宝箱。
ダンジョンといえば宝箱。宝箱といえばダンジョン。その代名詞的なものを前にして気持ちも若干昂るが、俺たちの目的はそうじゃない。
この冒険者が転生者であるかどうか。そうであるなら、どこが主人公らしくないか。探すべきは宝ではなく始末の条件、なのだから。
しかしその動き、今行っている行動は冒険者らしい至極真っ当な振る舞いである。
冒険者が宝を探して何が悪い。なんてことを実際に言っている訳ではないが、そう言われたとしたのなら反論のしようもない。
「普通に冒険、してるだけだな」
「…………」
返事がない?
ふと振り返ると、いつもは転生者から目を離すなとうるさいあのルディアが、あろうことか余所見をし、辺りをきょろきょろと見回している。以前、俺が目を離した時には猛烈に怒ったくせにだ。
そうこうしてる間に冒険者は宝を取り終えて、そそくさとその場を立ち去ってしまう。依然周囲を見回すルディアの手を取り後を追うが、その後も特に転生者らしい動きや、主人公らしくない動きをすることもなく、ついには出口まで辿り着いてしまった。
「結局、何もなかったな。普通に冒険してただけで不審な点はなかったし、もしかしたら転生者は、今の奴とは別にダンジョンの中にいるのかも」
「いや、不審な点ならありましたわ」
なんだって? 途中、余所見をしていたくせに、一体何が分かったのであろうか?
しかしルディアは確信するかのような、毅然とした態度を見せている。
「つったって、ただ散策して、宝を見つけて持ち帰っただけだぞ?」
「キラ。あなたはダンジョンに興味があるような素振りをしてましたが、その割にRPGはやったことがないんですの?」
そんな訳あるか。興味がないどころか、むしろRPGは好んでやる方だ。
「さっきも言っただろ? もちろんやったことはあるよ。王道からコアなやつまで。けどそれが一体なんだって言うんだよ」
「では、キラの思うRPGのダンジョンとは?」
「え? えぇとだな。色々あるけど、やっぱり思い浮かぶのは洞窟で、暗くて、迷路になってたり。あとは宝箱もあるよな。今いた洞窟と同じだよ」
「まだあるでしょう。先程言った言葉を忘れているのはキラの方ですわ。なんであなたは、街より何より、一番長くダンジョンにいたのですか?」
「そんなのはレベル上げる為に決まって……あっ!!」
「気づきまして?」
確かにおかしい。ダンジョンの代名詞になりうる存在のもう一つ。RPGであるのなら、それが存在しないなんてことはありえない!
「ああ! 思えばあのダンジョン、モンスターが一匹たりともいなかったぞ!」
答えを聞くと、満面の笑みで喜びを露わにするルディア。
「ご名答ですわぁ! そうです、あのダンジョン、周囲を隈なく見回しましたが、蚊トンボ一匹の姿も気配も感じなかったのですわ!」
だから、ルディアはダンジョン内で周りをきょろきょろと見回していたのか。
あの場でおかしいのは、冒険者ではなくダンジョンの方だと気付いて。
「でもそしたら、あのダンジョンは一体なんなんだろう。敵の一匹もいないくせに宝箱は置いてある。そんな楽ちんダンジョンなんて、とっくに探られてもぬけの殻になってそうなもんだけど」
「!? キラ! 素晴らしい着眼点でございますわ!! 最近は少しずつですが優秀になってきて、このルディア、感動なのですわぁ!」
過剰なリアクションと誉め言葉。そのわざとらしさは、舐められているようであり、なんだか少し腹が立つ。
だけど反面小っ恥ずかしくもあり、照れなのかどうなのか、嬉しく思う気持ちも同時に沸いてきた。
「ですが、ここから先の推理は転生者のバリエーションを知らないキラには少し難しいですわね。ちなみに言うと、あの冒険者が転生者で間違いないですわ」
「え、なんでそこまで分かるんだ? って、言いたいけどさ。まずは転生者の後を追いましょう。だろ?」
「分かってきたじゃないの。そうゆうことですわね!」
にやりと怪しげに口角を吊り上げるルディア。いつもなら不安と恐ろしさを感じるその表情だが、その時は俺も、ルディアと同じ顔を浮かべていただろう。




