青き煙の涯(はて)に
父の死に際して、いま思うことを。
こちらでなければ吐き出せなかった思いです。
親の死、亡くなった方への冒涜がご不快なかたはお読みにならないでください。
物書きとしての考え方などにも触れております。
書かせてくださったなろう様と、お読みくださった読者様には心よりの感謝を。
父が逝った。
が、悲しみはない。あるのはもやもやとした苛立ちと割り切れない思いばかりだ。
ただそう書けば「ひどい娘よ、親への感謝ももたぬ人非人よ」と安直になじる人がいることをよく知っているために、私は私の本名でこの文章を世に出すこともままならない。
世は残酷である。
親子の情はあるべきもの、親は敬愛すべきもの。
生前、そこからいかに外れた親だったのだとしても、世は、世間は、親を疎ましく思う子に対して冷ややかである。たとえそこに、どのように正当に思える理由が存在しようともだ。
ながらく患い、父は本人の意図するところではなかったにも関わらず、母の意向によってほとんど意識のないままいろいろな管につながれて、八ヶ月も病院のベッドに縛りつけられた。その挙げ句の死であった。
紅葉にいろどられた山の中にある斎場で、父は青い煙になった。
父のかつての所業を教えられてもいない孫たちは、ごく素直に悲しみの涙をもってそれを送った。
その親たち、つまり私の兄弟たちは孫らが父を「いいおじいちゃんだったね」といって送れるようにと、それだけを望んでいたのだから当然である。
しかし、私の目は乾いている。
あの男のために流す涙など持ち合わせていないからだ。
無知ゆえの純真さは、罪である。
かれらの心底に、もしも私に対する非難が芽生えたのだとしたら、それは誰の責任になるのだろうか。
また彼らを無知のままに放置する大人たちは、ただ自分勝手なばかりである。
罪に蓋をし、自分たちが無知であることを強要されたのだということすら知らされず、その悲しみにどんな理不尽の罠がひそんでいるかも知らず。その涙に意味があるかなきかすら判断することも許されず。
結局、あの男は父親が娘にすべきでないこと、もっとも愚かなことに手を染めながら、なにひとつ反省もせず、当然のことながらなんの謝罪もせず、断罪の手を逃れてさっさとあの世へと逃げ去ったのだ。
そのことを知りながら、母も兄弟たちも、私に何を言うわけでもない。
「ただこの場では黙っていろ」という、無言の圧力があるばかりだ。
無論、黙っている。
わが子を含め、かわいい甥や姪に余計な心の負担を与えたいわけではない。
親である兄弟たちの意向を通してやることしか、その場でできることなどなかったのだから。
しかし。
誰も、この心にわきあがる理不尽さへの叫びには気づかない。
まるでそのことは、何もなかったかのようにして見て見ぬふりをされ、時間ばかりが過ぎ去る場であった。
虚しい。
ただ、虚しい。
しかしそれが、人が生きるということなのかもしれない。
近頃では、「死にたい」といえばネット上で「手を貸しましょうか」という人があらわれるのだという。
死にたいと思うことは当人の自由だけれども、人は放っておいてもいつかはみな死ぬ。養老孟司が「死の壁」で言うように、人は致死率百パーセントの生き物だからだ。
そのことを分かっていて、わざわざ人に聞こえる場所で「死にたい」と言う人は、なべてむしろ本当は「死にたくない、だから誰かに止めてほしい」と願っているばかりなのではなかろうかと思うことがある。それはもちろん、健全な心の叫びでもある。
父は、ものを書く人であった。
その棺には、かつて半分自費出版の形で出した文庫本が二冊、母の手によって納められた。
もともと趣味で時代小説を書いていたのだったが、四十代に入ってからは母が働いているのをいいことに「文筆で勝負をかけたいから」と仕事も辞め、それに打ち込むようになった父だった。しかし、なかなか大きな賞などはとれなかった。
だが、それはなるべくしてなったことだと思っている。
式での挨拶で、長年連れ添った母にさえ「自分のことばかり考え、人に感謝するなどの気持ちの薄い人でした」と言われる人である。常にあるのは己が我欲と我執のみ、そんな人物がなにをどれほど書いたところで、なんの意味があるというのか。
むしろ、私自身は父の文章を過大に評価しないでくれた選考委員の皆様に感謝したいぐらいである。あのような精神性しか持ち合わせない人間の書いたものが評価されてたまるものかと思う娘が、ここにいる。
もちろん芸術に傾倒するたぐいの人物には、そうした傍若無人、自分の利己心に忠実すぎて周囲に迷惑をかけることもいとわない人々が多いということは知っている。人として評価されることと、創作物が評価されることとは別なのだと言う人もあろう。
音楽や絵画といったアートの世界であれば、そういうこともあるだろう。
しかし、少なくとも文章についてはそれはあたらないのではないかと私は思う。
自分の欲のためなら我が娘すら食い物にしようかというような人物の書くものに、人は感動できるのだろうか。その人物の描き出す登場人物に、感情移入できるのだろうか。危難にたった主人公に、心からのエールが送れるだろうか。
否だ、と、私は思う。
そういうどうしようもない自分の執着を、しかしどこまでも客観的に見切り、人間のなまの生と悲哀を描き出すところにまで昇華させるというのであれば話は違ってくるかもしれないが、それは純文学の域での話であろう。
少なくとも、一般的な大衆文芸である時代小説では似つかわしいとは思えない。
父の書いたものは何度か読んだことはあるけれど、敢えて亡くなった者を悪く言わせてもらうなら、それは甘ったれたヒロイズムや恋心を匂わせるだけの、薄っぺらな小説に過ぎなかったと私は思っているからだ。
ともかくも。
「致死率百パーセント」のうちに確かにいる自分自身も、そういうもろもろの自戒をこめて今、感謝したい人、謝罪したい人、愛情を伝えたい人には臆することなくそうしようと、そう思う秋の一日だった。
合掌。
しかし、乾いた瞳にて。