6
「ハルー? ハルちゃん? どこに隠れたの?」
息を潜めながら、ハルは木々の陰に隠れていた。林の中に逃げ込んだのは正解だったが、マナの隙を突けずにいた。どうしようかと考えあぐねていたところ、マナの声が響く。
「ああ、もう面倒くさい。ゼ・ファル・アキドア……」
それを聞いて、ハルは耳を疑った。が、疑っている場合でないと思い、駆け出す。
後ろから、風のうなる音と、木々の倒れていく音が聞こえる。物体を切り裂く第1級の風属性の魔法だった。
林を抜け出したハルは、目の前が溜池であることに気づき、踏みとどまる。湖と呼ぶ方が相応しいような広い溜池だった。池の中央には橋がかかっている。
「見つけた」
後ろから声がし、ハルは足元に素早く土の紋章を描き、そして溜池に飛び込む。そして真ん中あたりまで泳いでいったところで振り返る。
林の木はほとんどが倒され、億劫そうにそれを避けながら、マナは溜池の縁まで来た。
――いくら魔石を取り込んだとしても、第1級の魔法を2つも使えば、もう魔力は残り少ないはず……
しかしマナは、杖を掲げる。
「馬鹿ね、水の中に逃げるなんて。ハラワタを引きずり出せないのが残念だわ……イル・ロッド・ザイン……」
溜池全体の水面に、水の紋章が浮かび上がる。
「嘘でしょ!?」
ハルは自分の足元に杖の先端を当てる。
「イル・ロッド!」
氷塊が出現し、ハルはその氷塊を踏んで飛び上がる。そして次々と足元に氷塊をつくり、それを足場にして飛んで渡っていく。橋めがけて大きく飛んだとき、池全体が一瞬で凍った。
橋面に飛び込み、襲ってくる冷気に身を固くする。
「あははっ! 器用なことをするものね」
ハルは体を起こし、橋の手摺から顔を出してマナの様子を伺った。
――もう少し、左……
「でも、逃げてばっかりでつまんない。もう橋ごと燃やし尽くしてあげる」
マナは、杖を高く掲げる。
「ハ・ドラ・ザイン……」
――冗談にも程がある……!
凍った池全体に、火の紋章が浮かび上がる。ハルは駆け出し、詠唱を阻害するために魔法を唱える。
「ハ・ドラ!」
炎の玉がマナに向かって放たれる。するとマナは詠唱なしで氷の結界をつくりあげた。無声による魔法の発動は、より多くの魔力を消費する。
――なんで、避けない……?
ハルは不思議に思いながら、一刻も早くこの場から離れようと自分に身体強化の魔法をかける。マナが魔法の詠唱を再開し、ハルは橋面を蹴って飛び出した。
「イル・バト!」
自身に氷の結界を張った瞬間、池の氷が一瞬で蒸発し、炎が吹き上がった。
「ああっ……」
地面に倒れ込んだハルは、直撃を避けたが、半身に火傷を負った。服と髪は焦げ、むき出しだった皮膚は黒くなっている。痛みで体が痺れるようだった。
「どうして対岸に行かず、こっちに逃げてきたのかしら。そんな判断もつかないくらい、余裕が無かった?」
マナが、近づいてくる。
「違うよ」
ハルは体を起こし、刺すような痛みを堪えながら立ち上がる。
「マナを正気に戻すためだ」
「……いい加減にしてよね。あんたのそういうところ、大っ嫌い」
その時、マナの足元が一瞬光り、土の魔法が作動した。地面がせり上がり、彼女の足元が土で覆われていく。対象の動きを封じ、一時的に魔導の力を封じる土属性の魔法だ。
「こんな貧弱な魔法……」
マナは杖を地面に刺して支えにし、足を抜こうとする。しかし力が足りないようで、杖までも土に覆われていく。
ハルは、駆け出す。身体強化の魔法はまだ持続している。
「魔導実技は、こういう時に役立つんだよ」
ハルは右の拳に力を入れ、マナの鳩尾を突く。低い呻き声をあげ、マナは倒れていった。それと同時に、土の魔法が解呪される。
ハルは疲労で体の力が抜け、地面に膝をつく。今すぐにでも、意識を閉じてしまいたかった。しかし――
「おい、ハル、無事か!?」
エモンの声がし、間もなく自分の横に降りてきた。
「うおっ、ひどい怪我してるじゃねぇか。待ってろ、今国警と医師をこっちに……」
「呼ばなくて大丈夫。骸骨……倒れていた女性は、無事?」
「ああ、応急処置をして、病院に運んでもらった。命には別条ないって……お前も早く、手当を」
「マナの体から、魔石を外す」
「はぁ?」
「このままだとマナは、魔獣として処分されてしまう」
「ふざけたこと言ってんじゃねぇ! お前、今にも倒れそうじゃねぇか。これ以上魔法を使えばお前の命が……それに、魔石を外す魔法だって、禁呪ってやつじゃねぇか。埋め込む魔法の手がかりになるとかで……」
「……でも、マナが処分されるくらいなら、自分は罰を受けたって構わない」
ハルは、マナの上衣の留め具を外し、胸に埋まっている魔石に手を触れる。
「……このまま、魔獣として処分されることが、こいつへの罰じゃねぇのか」
「マナは、道を探していた」
ハルは、光の紋章を指で描く。しかし、失敗を示すように手が光で焼かれる。指先から血が滴った。
「こんなことで、終わらせちゃいけない。それに、魔石をマナの胸に埋めた人物がどこかにいる。その手がかりが消えるのは、国にとっても痛手のはずだ」
「まともっぽいこと言ってるけどな、無茶苦茶だぜ、お前……」
ハルは火と水の紋章を試す。しかしどちらも符合せず、光が弾けた。手は真っ黒になり、感覚がほとんどなくなっていた。そして、自分の意識ももう限界を迎えようとしていた。
「取り出す、外す、元に戻す……必要元素は何だ……?」
ハルは意識を失わないようつぶやきながら、昨日読んだ本の一文をふと思い出す。
『光と闇は四元素とは異なり、身体を強化させるものが光であり、弱体化させるものが闇であるとしています』
「そうか……魔石を埋め込むのは、身体強化なんだ……」
ハルは、闇の紋章を描く。何も起こらないが、これは符合したということだ。
――魔石を取り出すことが、弱体化……闇の魔法
「リ・クォルア・ジュナ……」
魔石が黒い光りに包まれた。ハルは魔石に手を当てながら、最後の力を振り絞って魔法を唱え続ける。
「アキドレ・タハマ・ティトス」
その瞬間、魔石がマナの胸から浮かび上がり、空いた黒い穴は一瞬で消えた。
「良……かっ……」
ハルは体中の力が抜け、地面に倒れた。
「おい、ハル! もう少し頑張れ! すぐに人を……」
エモンが血相を変えていた。
――エモンって……表情豊かだよなぁ……鳥なのに……
そんなことをぼうっと思いながら、ハルは瞼を閉じる。以前にもこんなことがあったような気がする。誰かが自分の手を引いて、深く暗い、穏やかな眠りに引き込もうとする。
「まったく。無理をしおって」
「旦那!?」
ハルは、何かが自分の頬に触れたのを感じる。まるで父のような、温かく、大きな手だ。
突然、唇を塞がれ、何が起こったかわからずにいると、生暖かいものが舌に触れた。
「!!!???」