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ハルは服を脱ぎ、浴室の扉を開けた。
トナカの木でできた浴槽には、絶えず湯が流れている。敷地内の地下から湧き出る湯を曳いているので、湯を贅沢に使えるのだ。この湯は一族の家宝だと、両親は良く言っていた。
その湯を桶ですくい、洗い場で体にかけ、風呂椅子に座る。そして石鹸を泡立てながら、ハルは、ゼンの言葉を心の中で反芻していた。
彼の言葉は正しい。正しくて、間違いがない。だが、それでは彼女を救えない。彼女の道は、塞がれたままだ。
ハルは、泡立てた液体を頭につけ、髪を洗っていった。するとその時、背中に冷気が当たった。悪い予感がした。
「先程の続きだが」
「今!? 今ですか!?」
ゼンの手が髪に当たるのを感じた。泡が顔について目が開けられないハルは、大人しく髪を洗われた。
「自分に置き換えて、考えてみるといい。そなたは、魔導師になりたいと思っているのだろう?」
「は、はい……」
「しかし、ある理由で……例えば、魔獣に致命的な攻撃をくらって、まともに体を動かせなくなってしまった。そうなったら、どうする?」
ハルはゼンの手を優しく、温かく感じる。
「うーん……私、地学が好きなので、それを勉強して、その道に行くかも……です」
「そのとき、アイラやティアは、そなたに反対したり、止めたり、魔導師を無理やり続けさせようとすると思うか?」
ハルは、2人の顔を思い浮かべて首を横に振る。
「そんなことは無いと思います。あの2人なら、自由にしていいって言うんじゃないかな」
「まわりの者が、別の道に進むことを応援するか、反対するか。許されているか、許されておらぬか。親や家族、教師……大人の庇護を受けているそなたらの年代にとっては、重要な点だ」
桶に湯を汲む音がした。「流すぞ」、と声がし、頭から湯をかけられる。
「そなたの友人は、『許されざる者』なのだろうよ」
翌朝、登校したハルは、マナの姿が無いことに気が付いた。先生が言うには、一度学校へ来たが、やはり具合が悪く休むということだった。ハルは気にかかり、空いたマナの席を見つめる。
――大丈夫かな……。帰り、家に寄ってみようかな
この時間に制服姿で街を歩き回ると、不審がられてしまう。マナは、ひと気のない公園に着き、隅の長椅子に腰掛けた。この公園は高台にあり、海を見渡せる。
空は晴れ渡り、海は光り輝いていたが、マナの心は暗く沈んでいた。この澄んだ空気までもが癪にさわる。
そのとき、マナの腹が鳴る。普段なら学食で昼食をとっている時間だ。今日の日替わりは何だったのだろうか。
ーーやっぱり、午後から帰れば良かったかな。でも……
そこまで、耐えられそうになかった。少しでも早く、一人になりたかった。息苦しくて、動悸がして、辛かった。
急に、昨日の記憶が甦る。魔導実技の時間、骸骨の標的にされた。
ーー骸骨の奴、絶対許さない……。私がもっと強かったら、あんな奴ボコボコにしてやるのに……
マナは、頭の中で、骸骨を滅茶苦茶に痛めつける場面を想像する。自分と同じように恥をかかされた者は多いだろうから、その者たちから喝采を浴びるだろう。それを思うと、気分が高揚し、胸がスッとする。
「これ、食べる?」
目の前に、フロトン(小麦粉と水で練って焼いたものに野菜と鶏肉を挟んだ食べ物)を差し出し、微笑む美女がいた。マナはその美しさと神々しさに、目を丸くする。
「い、いいんですか?」
美女は、頷いた。年齢は25歳前後というところだろうか。自分たちがまだ持っていない色気があり、けれど知的に見える。
マナは受け取って食べ始める。すると、美女は自分の隣に腰掛けた。
「なんか、悩んでいるみたいだったから、放っておけなくて」
「そ、そんな顔、してました?」
美女は、微笑んでうなずく。
「良かったら、悩みを聞かせて欲しいな」
「どうして……」
「私も君たちの年の頃は、よく悩んでいたから」
マナは、話すことを躊躇した。自分の弱い部分をさらけ出すのは勇気が必要だった。
しかしなぜか、その女性の前では、話してみようという気になった。そして話し始めると、止まらなくなった。
「ひどい人ね、その教師……いえ、教師とも呼びたくない人物だわ」
マナは、やはり自分は間違っていなかったのだと思って、嬉しくなった。
「強くなりたいのね? でも、魔力が足りない」
「はい……覚醒でも起こればって期待していたんですけど、結局、駄目そう」
「あのね、実は私も魔導師なのよ」
「えっ」
「魔導師協会には属していない、いわゆる野良ってやつだけどね」
女性は言い、微笑んだ。
「私も昔は魔力が足りなくて悩んだわ。今はだいぶ強くなれたけど」
「どうやって強くなったんですか!?」
女性は、上衣の留め具を外して、胸部を自分に見せた。するとそこには、こぶし大の黒の魔石が埋まっていた。
マナは、驚いて言葉が出なかった。ただじっと、魔石を見つめていた。
「びっくりしたでしょう? この方法は禁忌とされているし、魔獣化する、なんて言われてる」
「平気……なんですか?」
「ええ、やってみればわかると思うけど、何ともないわ。魔力が大幅に上昇するだけ。魔獣化するなんて、魔導協会が流した根も葉もない噂だってわかる」
「やっぱり……私も、そう思ってたんです!」
「実は今、たまたま魔石を持っているんだけど……体に取り込んでみる?」
マナの胸が高鳴る。恐怖よりも期待の方が上回っていた。マナがうなずくと、その女性は腰袋から黒の魔石を取り出す。
「大丈夫、痛みもなくすぐ終わるわ」
女性は、マナの上衣の留め具を外す。そして魔石を胸にあて、魔法を唱える。
「エ・ジュナ・クォルア……」
魔石は一瞬、眩しく光を放った。そしてマナの体の中に入っていく。半分ほど入ったところで、それが止まった。途端に、マナは、何かが急激なうねりとなって自分の中を駆け巡るのを感じた。
「さあ、これであなたは膨大な魔力を手に入れたわ」
マナは、体が熱くなり、信じられないほどの魔力が湧き上がってくるのを感じる。