見習い魔導師たち 1
オグノア家の朝は慌ただしい。主に、当主で長女のハルが、だが。
「まったく! どうして朝食をとる時間を考慮して起きられないんでしょう」
オグノア家先代当主から仕えてきた使用人のアイラは、ため息混じりに言った。
「ご、ごめんなふぁい……どうしても読みたい本があっふぁから」
朝食を詰め込みながらモゴモゴと話すハルを、アイラはぎろりと睨んだ。
「口に食べ物を入れたまま話さない! それに、寝る前の読書は控えてくださいと言ったでしょう。本だって傷みますし、きちんと寝る時間を確保するのも、当主としての努めです」
「ふぁ、ふぁい……」
口の中に詰め込んだ食べ物を、ハルは山羊の乳で流す。それを横目で見ながら、既に朝食を終えて学校へ行く準備をしている弟のティアがたずねる。
「お姉ちゃん、読んでた本、光と闇の錬成ってやつだったよね……前期試験にそんな問題出るの?」
「え? 出ないけど……」
ハルは果物を皮ごと頬張りながら、果汁のついた手で教科書を鞄の中に詰め込む。
「皮は取って食べる! 汁が手についたまま他のものは触らない!」
アイラの眉間に皺が寄る。ティアは、呆れ顔で息を吐いた。
「随分余裕だね……せっかく復学させてもらったのに、試験結果悪かったら落第だよ?」
「ま、まぁ……なんとかなるよ」
笑ってごまかそうとしたハルに、アイラが追撃する。
「そうですよ! 今回の試験と次の最終試験で、魔導師としての最初の階級が決まるんですから! 全力を尽くしていただかないと!」
アイラの剣幕に、ハルは恐怖を感じる。
ハルとティアの通う魔導師学校では、年に二度試験が行われる。それは次の年の学級を決めるために行われるが、最終学年の試験では、魔導師の階級を左右するものとなる。
ハルは、とりあえず魔導師になれれば良い、くらいの軽い気持ちでいたが、どうやらアイラは、先代と同じくらいの階級を望んでいるようだ。
ハルの父と母は、最初の階級はともに『赤杖』で上から4番目の階級だった。初めての階級としては優秀な方である。しかしハルは、その階級を既に諦めていた。
「が……がんばります。ティア、行こう!」
ハルは逃げるように鞄を持って居間を出た。そこでゼンとはち合わせる。
「おはよう、ハル」
ゼンが持っているザルには、土がついている香草がいくつものっていた。
「おはようございます。あれ、これもう採れたんですね。この前植えたばかりだと思っていたのに……」
「成長が早い種らしくてな。今日はこれを使ってテラの煮込みを作る」
テラとは、近海で捕れる魚のことだ。ハルの好きな魚でもあった。白身の魚は旨味がぎっしりとつまっていて、香草煮にすると、香草がさらにその旨味を引き立てる。
「やった! 今日は楽しみにしてますね」
「アイラから、『最近、お嬢様が勉学に励んでいないようなので飯抜きにした方がいいのでは……』と相談されたが、そっちの方は大丈夫なのか?」
「だ、大丈夫です! たぶん……」
「ならば信じるぞ。私までアイラに叱られるのは嫌だからな」
ゼンの言葉に、ハルは笑った。
破壊神と呼ばれた神、ゼン・アルドアがこの家へ来てから1年が経つ。この世界の暮らしにも、我が家族にもだいぶ慣れたように思う。
「ゼン、おはよう。ゼンからもお姉ちゃんに、もっと勉強して、ってきつく言ってやってよ」
そして我が家族も、ゼンに慣れたように思う。穏やかで、平和な日々だ。両親がいた頃とは違う平穏だが、それでも、この日々はハルにとって心地良く、ずっと続くようにとハルは願う。
「やっぱハルには敵わないな」
座学の方は奮わないハルも、魔導実技になると誰も寄せ付けないほど飛び抜けた力を発揮していた。魔導実技の授業では、魔導の力と体術・武術の組み合わせによって敵を撃退する術を学ぶ。
ハルは、5年に渡る『輝石』探しの末に獲得した力をもって、級友たちを圧倒していた。
「ただの実技でも男子より強いんだもん、びっくり。あーあ、昔はあたしの方が強かったのになぁ」
幼なじみであり級友でもあるイリンは言い、木剣を布の中にしまった。
「あはは。まぁこの5年で鍛えられたからね」
ハルは言い、自分も同じように木剣をしまった。
「ねぇハル、あの格好いい親戚の人はまだいるの?」
イリンは、もじもじとしながらハルにたずねた。『格好いい親戚の人』とはゼンのことをさしている。ゼンはハルの遠い親戚で、魔導学の勉強のため、ハルの家に滞在している、という設定になっている。ゼンの実年齢は323歳だが、23歳ということで通っている。
「う……うん、しばらくはいると思うよ」
「ほんと!? 一度、家へ遊びに行ってもいいかしら?」
ゼンが学校までハルに傘を届けにきたとき、イリンはゼンに一目惚れをしたらしい。
ハルが返答に迷っていると、教師の声が聞こえた。
「あらあら、この程度の剣を避けられないようじゃ、落第確定よ?」
見ると、女教師の『骸骨』が、級友のマナに木剣を向けていた。隣でイリンは、気の毒そうに言う。
「あーあ、マナ、骸骨に目をつけられちゃった……がんばれ、マナー!」
骸骨とは、生徒の間でつけられたあだ名だ。顔が骨ばんでいて、目がぎょろっとしているのでそのあだ名をつけられた。特定の生徒を標的に選び、いじめ抜く。その生徒は、魔導の力が弱い者ばかり選ぶのでタチが悪い。
マナは、骸骨に木剣で足を払われたり、腹を打たれたりし、全く手も足も出ないようだった。
彼女は小柄で、可愛らしい容姿をしており、級友には彼女に好意を抱く者も多い。そのせいか、イリンのように彼女を応援する声があちこちから上がった。
「どうしたの? もう降参?」
骸骨に問われたが、マナは立ち上がろうとしなかった。すると骸骨は、吐き捨てるように言った。
「とっくに魔獣に喰われているでしょうね、あなた」
そのまま授業終了の鐘が鳴り、骸骨は、「終了!」と叫ぶように言うと、体育場から去っていった。イリンは倒れているマナに駆け寄り、抱き起こそうとしたが、その手を払われた。
「マナ……」
マナは立ち上がると、更衣室へ向かって歩いて行った。イリンはハルの方へ振り返ると、困ったように眉を下げた。