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見えない壁

私にとって憎い相手が今、すぐ横にいる。揺れるバス内で私は何とか怒りを押し殺していた。最初は木村君――なんて言って接していたのが嘘みたいだった。人というのはある出来事を境にここまで恨めしく他人のことを見ることができるのか。

 いや、と私は首を振る。

 ただ単にあの行為について理由を知りたいだけなのだ。あまりに無常識かつ大胆な拒絶に、私はまだ戸惑いを隠せてはいなかった。


 しかし――「説明して」という質問に真っ向から「説明できない」と言われると、さすがに困惑する。考えられるのは……やはり木村幸人が奇妙な男であることか、人格が歪んでしまっているか――しかし、どれも当てはめたくはなかった。きっと、心のどこかで正当な理由であってほしいと願ってしまっているせいだ。


「あれ、なんだ――居たの」

 窓の外から私に視線を向けた木村は、ポツリとそんなことを呟く。頬杖をついている。

 意表を衝かれた思いで、私はポカンと口をあける。

「気付かなかったの?」

「うん」

 意外な一言だった。背後にいればすぐ気が散ると言うのに、横にいることには気がつかないなんて。私は彼のことを疎いと思った。

 頬杖を止めないまま彼は小さく息を吐く。

「田舎っていいよね」

 木村は流れる田舎の風景を細い目で見ていた。民家や田圃がオレンジ色に染まり始める頃だった。

「ふうん」私は適当に声を出した。

 木村は私の見る、見慣れた風景とは違う風景を見ているかのようだった。先日パフェを食べた時に希は木村のことを、田舎に憧れているようには見えない、と言っていたが――そうだろうか? 私は謎めいた目で彼を見ていた。


「そうかな。都会の方が憧れるけど」

「都会……」木村は少し怪訝な顔を見せた。

「そうそう。都会にはたくさんお店があるでしょ? 買い物とか行き放題じゃん!」

「毎日買い物してどうすんの?」

「えーと、うーんと……別に、よくない? そこはまぁ、財布と相談しながら」

 口元に欲を浮かべながら言う私に、彼はあくまで冷静なままだった。

「そういえばさ、田舎暮らしはなれないだろうけど――とか、先生が言ってたじゃん? どこから引っ越して来たの?」

 言ってから私はあっと息をのんだ。希に余計な詮索はよしたほうが良いのではないかと言われていたのを思い出した。家庭の事情――私は思わず木村の顔色を窺った。


 木村は眉をピクリと動かした。決して愉快な顔では無い。

「都会のほうだよ」

「やっぱり? そうだと思った」

「なんでそう思ったの?」

「虫嫌いとか、あとは雰囲気かな。それに……」

 続けようとしたが、結局最後まで言い切ることができなかった。

「確かに虫嫌いだけど」

「だいたい皆わかると思うよ。っていうか、私だって虫は好きじゃないよ」

 木村が何故か不思議そうな面持ちでいたので、私は「なに?」と眉根を寄せる。

「田舎の人は皆虫が得意なんだと思ってた」

「げっ、なにその勘違い」


 そんなの都会人が田舎人に抱く勝手な偏見だろう。しかし都会に限らず田舎でも都会に対する偏見が蔓延していたり、奇妙な噂話が流れていたりもするので、お互い様だろうとおもった。

 都会のどこなのか、までは追及しないことにした。


「田舎はいいなって……こっち、冬は豪雪地帯だから大変だよ? 今はこんなに穏やかでいいかもしれないけどさ、このバスだってのろのろ運転で交通は不便だよ」

「雪降るんだ」

「そうだよ。住んでたところでは雪降らなかったの?」

「1センチも積らなかったし、気温が低くなるだけだった」

「へぇ、それじゃあ覚悟しておいたほうがいいかもね。1メートルは余裕だから」

「1メートル?」

 これまで硬い表情をしていた木村は、目を大きく見開いて驚いた。

「うん。だから家の前の雪かきは毎回手伝わないといけないんだぁ」

「大変だね」

 何故か他人事のように言う木村。

「いやいや、ここに住む人は同じ環境だよ」

「……へぇ」


 話のどの部分で関心を示しているのかはわからないが、聞いてくれていることが普通に嬉しかった。相手を逆なでするような態度をとる気がしていたので警戒していたが、どうもそんな兆しはうかがい知れない。なので、私は同じペースで話し続ける。


「そういえば、なんで制服着てないの?」

「あんただって着てないけど」


(いや! 私は鼻血で汚れたから着替えただけ。それにその鼻血はあんたのせいなんだから)


 心のなかでブツブツ言っても仕方ない。今バスのなかでギャーギャー騒いでも他人の迷惑になる。私は悪びれのなさそうな木村に、落ち着き払った声で言う。


「私は汚したから着替えたの。あんたは最初から着てなかったじゃん」

 今はもはやお互い「おまえ」呼ばわりになっている。しかし大して気にしていないようで、木村は小さな声で続けた。


「制服まだ買ってない。これから買うし」

「そうなんだ」


 多少口数が増えたかと思った矢先、突然木村は私に背中を向けた。窓のふちに頭を預け、身を縮めた。まるで今から昼寝を始めると言わんばかりだ。

「どうしたの?」

 広い背中に呼びかけると、「寝る」とだけ言った。その瞬間、大きな壁が眼前に立ちふさがったように見えた。見えない何かが確かにここにある――私は表情の見えない木村を横目で見ていた。


 私は感じたことのない違和感を抱いていた。一見したところただの怖そうな男子高校生である木村幸人。それなのに、彼には一般的な高校生に感じられる何かが感じられないような気がした。あえて言うならば――確かにそこにある、けれどもそこにはない――そんなイメージだ。


 私は静かになった空間で、木村とは正反対の端の座席に移動した。そして違う窓から流れる風景を眺めた。

 まだ見知って一カ月もたっていないのに、考え過ぎかもしれない。けれども、木村幸人という存在は私の心に影を落としていた。この影を光で消し去れば、きっと憤りも不安も解消されるだろうと思った。そのために、まず焦ってはいけないだろう。


 徐々に薄暗がりになる空。バスの蛍光灯が目立ち始めて私は携帯電話を開いた。メールが何件か届いているのを確認したが、すべて妹からだったので肩を落とした。

 どうせもうじき家に帰るというのに――と、私は面倒くさくなって携帯電話を閉じた。


 気がつけば、バスに同乗していたもう1人の山上高校の先輩は下車していなくなっていた。バスのなかは相変わらず静かで、乗客も少なかった。日中の暑さはなくなり、今は適温となっている。

 私は鼻血がまた出てこないことを祈りながらバスに揺られた。


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