プール(後半)
「行け! 木村っ」
今、4人グループの運命は転校生の木村に委ねられていた。先方を泳ぐ田中真との距離は約5メートルだ。仲間の応援を背に、木村はプールの壁を蹴った。手足を真っすぐ伸ばした状態から水面に上がると、美しいフォームでクロールを開始した。
「き、木村のやつ速いぞ……」
「初心者には見えねぇ!」
「追い越されるぞ!」
木村が泳いで数秒もたたないうちに周囲は驚いた。他ならぬ私も唖然として木村の美しい泳ぎを見ていた。動きに一切の無駄がないということは、基礎がしっかりとできているということを示しているに違いないのだ。木村が泳ぎ始めて数十秒後、立場は逆転してしまった。
「なんだとぉぉぉ!」佐藤が絶望の色を見せる。
「よし! 木村もう一往復だっ!」
息継ぎしながら戻ってきた木村は、そのまま休むことなくまた出発した。遅れて5人グループ最後の吉本数真が飛び出したが、距離はもう10メートルも離されていた。
迫力のあるリレーを間近で見物していた私は、目の前を泳ぎ過ぎてゆく木村の姿を目で追っていた。単純に凄いと思ったし、見ていて勉強になると思った。
ふと女子たちの方に目をやれば、ほぼ皆が男子のリレーに夢中になっていた。あっという間に最後のターンは終わり、結果は4人グループの逆転勝利だった。
(ひえぇえ~……何でもできるの!? あの人――)
ワイワイ話す男子をよそに、私はつい頭をかいた。数学の難しい予習範囲も楽々解いてあったし、当てられた問題にはちゃんと正確な答えを答えられるし、運動能力は凄いし――頭の良い人にしか見えない。
私は思い切り本人の目の前で馬鹿と言ったことを思い出し、少々恥ずかしくも思った。
「最後の、凄いね」
「え? うん」
日蔭のベンチから私の横にやって来た菊地は目を輝かせていた。
「転校して来ていきなり大活躍するなんて、凄いなぁ」
「あっ、木村のこと?」
「うん」
「あの人運動得意そうだし、今度泳ぎ方教えてもらえば?」
特に何も考えずに発言すると、菊地は数秒の迷いを見せた。
「え……そんな、仲良くもないのに」
「あっ、それもそうだよねぇ……っていうか、後藤先生体育の先生なのに全然泳ぎ方とか教えてくれないよね」
渋い顔で先生への不満を述べると、プールの向こう側にいた後藤先生が僅かにこちらを向いた気がした。悪口が聞こえたのかと思って、私は喉をわざとらしく鳴らした。「おほん!」
リレーが終了した後、時計を見ると授業も終盤に移っていた。ビーチバレー用のボールで楽しそうに遊ぶ皆が眩しい。私は体育座りしたまま顔を膝のなかにうずめた。
(あー、だめだ)
目を閉じて視界をシャットダウンしても、耳には楽しげな音が否応なく入ってくる。
(よ~し、次は絶対にプールに入る)
心の中で自分なりに決意し、私は両腕両足をぐっと伸ばした。
「ふぅー!」
体を伸ばして何気なく空を見上げると、眩しい太陽がてっぺんに浮かんでいた。すぐ傍を小鳥の群れが飛んでいき、なんて平和な時間なのだろうと思った。こんな風に空を見上げていると、なんだか眠くなっていき――
「トマトォ!! さっき見ててって言ったでしょー!」
「あっ」
希の迫力ある声が聞こえ、私はギクリとした。そう言えば泳ぎを見て欲しいと言われていたことを思い出した。忘れっぽい癖を直さねばならない。
「ごめんごめんー、見てなかった」
渋々謝りながら手を振ると、歌子と希は少し呆れた顔をしていた。私の体育着はプールサイドの水たまりで少し濡れてしまっていた。