保健室
「ちょっ、鳥井さん!? 鼻血出てますよ!!」
「ぇ?」私は大きな女教師の声で我にかえった。
私は自分の鼻に触れた。ベトッとした嫌な感触に思わず顔が引きつった。ゆっくりと手を離して見ると、手にはトマトケチャップのように赤い血がついていた。徐々に治りかけていたはずなのに、鼻血はより一層酷くなっていたのだ。
「すぐに保健室に行きなさい」
授業中のクラスは一瞬静かになった。私は何故皆が驚愕の顔をしているのかわからなかった。でも、先生が保健室を勧めているということは、そうした方が身のためかもしれない。私は先生の指示に従って教室を後にした。皆が驚愕していた理由は謎だったが、鏡の前に立って初めて理由を知ることとなった。
「えええええぇぇぇぇ!?」
たかが鼻血、されど鼻血だった。私は鼻血をあなどっていたというのか――
保健室に行き、鏡の自分をふと見た瞬間私も驚愕した。白いワイシャツは赤ワインを広範囲にこぼしたかのように赤く染まり、鼻から下は顎に至るまで血で濡れていた。こんな姿で町を歩こうものなら警察沙汰になりそうだとも思った。
「まず、座って」
保健室の佐藤ハルカ先生が私を椅子に座らせた。そのあとで、救急セットから道具を探し始める。ハルカ先生には入学早々迷惑をかけっぱなしだと思った。以前にも、男子と口喧嘩している最中に鼻血が止まらなくなり、保健室に訪れたことがあった。なので、先生の顔は「またなにか仕出かしたのね」という感じだ。
痛くもかゆくもなかったが、流血は続いているようだった。水のように流れてくる血は滝のようだ。
「鳥井さん、今度は何があったの? 男子に殴られでもしたの?」
ガーゼで私の古くなった鼻詮を抜きながら、心配そうに尋ねる。
「いやいやいや! 喧嘩売るようなことしてないよ……ただ、朝に嫌なことがあって――イライラしてたら鼻血出た、みたいな?」
はは、と笑って言う。同時に鼻血もドバッと流れる。
「きっと脳が興奮してしまったせいね。あぁ、嫌らしい意味ではなくて――驚いたとか、ビックリした――とか」
内心でビックリも驚くも同じ意味だと思いながら、私は眉をひそめた。
「先生、私って怒ったりストレスが溜まったりすると鼻血が出やすいのかな……」
鼻血で多くの鉄分を失ったのか、どことなく元気のない声が出る。
「そうね、鼻血はまったく出ない人もいれば、頻繁に出る人もいる――鳥井さんは出やすい方なのかもしれないわね」
ティッシュで私の鼻をつまみながら優しく言う。
「そんなぁー。私も鼻血の出にくい人間に生まれたかったー!」
とは言いつつも、過去に鼻血が出たことは何回もあった。ハルカ先生の言うことは正しい気がする。
「まぁまぁ、生まれ持った体質もあることだし、悲観的にならなくていいのよ」
(別に悲観的になってはないんだけどなぁ……ポジティブになれってことかな?)
「先生、私……プール入りたいんですけ――」
「だめよ」
即答だった。だろうな――と内心思った。
「やっぱり? あはは……じゃあ見学?」
「動き足りないでしょうけど、ひとまずは安静にしていないと。水泳は何時間目にあるの?」
「うーんと、確か5時間目」
「……今日はやめておいたほうがいいわね」
結果、私はプールで泳げないということだ。確かにプール内で出血なんてしたらいい迷惑かもしれない。「先生! 誰かが血ぃ流して浮かんでます!」なんてなったらおしまいだろう。
「さて、その服はどうしましょう。体育着に着替えたほうがいいわよ?」
「うわー、血まみれだよ……」
私は赤いワイシャツを見て、肩を落とした。これはもう洗濯しても元の色には戻らないだろうと思った。
「じゃあ、着替えてきます」
「鳥井さん」
「はい?」
「ファイト!」
「……うん」
先生は励まそうとガッツポーズをしてくれた。そのおかげか少しは気持ちを落ち着かせることができた。
歌子や希はすでにプールの脱衣所に行って着替えを始めている頃だろう。こんなことになったのも、木村が元凶だと思いたくなる。
授業が始まった静かな校内を歩き、私はクラスメイトのいるプールへ急いだ。