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ノート

 いざ、その時になってしまえば、なかなか言い出せないものだ。早朝に起こった(私にとって)事件の後、私は木村幸人に文句を言ってやろうと決めていた――のだが、同じバス停で会うと目も合わせられなかった。昨日のようにバスの席は端と端だった。

 なんとなく気まずい空気のなか、私たちは一言も喋らず山上高校に登校した。


 退屈な数学の時間――夢のなかで巨大パフェを頬張っていると、ふいに現実世界のほうから自分の名前を呼ぶ声がした。

「――さん」

「――鳥井さん」


「ふぁい!」


 弾かれたように着席すると、クラスメイト全員が私のことを見て笑っていた。どうやら先生に問題を当てられたようだ。


「プッ……トマトの鼻穴になんかあるよ?」「――もしかして鼻血ぃ?」周りが鼻詮のことで笑いだす。


「よだれ出てますよ。一体夢のなかでどんな美味しい物を食べていたんですか」

「はぁ……すみません」


 数学の先生は教科書を手に持ったまま呆れた顔で私を見ていた。今は4時間目の授業で、ついつい寝てしまう時間帯だった。私は夢のなかの巨大パフェを頭から追い払うと、よだれをハンカチで拭いた。結局鼻血は止まらなかったので、鼻詮は押しこんだままだった。


「じゃあ、鳥井さん。トライアルお願いね。菊地さんは次の問題よろしく」


(えっ、トライアル!? トライアルって一番難しいところじゃん。えっ……どうしよう)


 当てられてすぐに立ち上がる女子の菊地とは大違いで、予習すらまともにやってこない私はパニックを起こした。チョーク片手にスラスラ書きだした菊地を見て、私は焦る気持ちを押さえて教科書を凝視した。


(……な、なんじゃこれぇぇ)


 トライアルは絶対に予習してこない領域に(勝手に)決めている問題だった。なので、わかるはずもない私はシャーペンを手にしたまま凍りついた。問題文を読むも、謎の文明が残した文字を解読している気分で、まったく指が動かない。

 だからと言って、隣に助けを求めるのは避けたかった。なぜなら、いつもこういったハプニングの時お世話になっているからだ。


(駄目だ……解けない)


 石のように動かなくなった私の肩を何かがトントンと叩いた。

(え?)

 先生は菊地の解答に夢中だったので、私は首だけ曲げて後ろを見た。この時焦っていた私は、後ろの席があの男の席であるということを、すっかり忘れてしまっていた。


 プニッ

「……」

「……」

 私の頬にノートの角が食い込んだ。1年A組木村幸人と書かれたノート――後ろの席には、今朝目すら合わせないで一緒に登校した幸人が頬杖をついていた。その目は私ではなく、なぜか首ごと窓の外に向けられていた。

(もしかして、ノートみせてくれくれんの!?)

 怒りはおろか、今の幸人は救世主のようにも見えた。あぁ、なんと神々しい!

(えぇい! 迷ってる暇はない!)


 そろそろ授業も終盤に近づいていた。私は差し出されたノートを奪い取ると、前を向いてトライアルの所を確認した。


(どれどれ――? って、字が超綺麗なんですけど!)

 

 雷で打たれたかのような衝撃を受けた私は、借りたノートを手にしたまま口をポカンと開けた。文字は楷書で美しく書かれ、記号や図形にいたるすべてが美しくまとめあげられ、細部に至るまで完璧な出来栄えだった。しかも、トライアルのみならず、他の難題箇所も予習がされているという念の入れようだった。

(……はは)

 まさか、自分の後ろにいるのは天才なのではないのか?

 そう思うと存在自体が違って見えて、自分はなんとちっぽけな人間なのだろうと思った。

「鳥井さん? そろそろ黒板に書いてくれる?」

「は、はい……」


 私は幸人のノートに書かれてあることを、そのまま黒板にうつした。書いている時は生きた心地がしなかったが、席に戻るとやっと普通に息ができた。席に戻る時、少し幸人を見たが――彼はまだ窓の外を眺めていた。

 先生が順に答え合わせをしていき、私は何の指摘を受けることなく授業は終わった。チャイムと同時に号令もかけられ、皆が昼食時間に移動し始める。


「はぁ……」

 理由のわからない疲労感を感じ、ぼけっと教室の時計を見ていると、いつものように弁当メンバーの歌子と希が弁当を持ってやって来た。


「トマトぉ、いつまで座ってんのよ! 皆もう食べてるよ?」

 そう言ったのは希だ。

「え? あぁ……うん」

「トマトも早く弁当持ってきてぇー」歌子は机を動かしながら言う。


 私は授業の物を片付け始め、最後に残った――借りていたノートを手に持って、深い溜息を漏らした。


(返しそびれた……でも借りちゃったし、返さないといけないよね)


 私がロッカーに物を置きに行くと、広間の椅子で男子たちがいつものように昼食を食べているのが見えた。何故か私の学年は異様に仲が良く、入学して1年もたっていないというのにアットホームな雰囲気が漂っている。――と、その光景のなかに幸人の姿があった。他の男子みたくゲラゲラ笑いはしないものの、会話にも参加してすっかり馴染んでいるようだった。弁当にパンも食べる大食いの男子のなかで、幸人は目立っていた。なぜなら――幸人は1人だけ食パン1枚しか食べていなかったからだ。


(えっ!? そんなそんな……木村は大食いでしょ??)


 昨日、焼きそばパン早食いで30個達成した人間には、到底思えなかった。唖然としてロッカールームから覗いていた私は、食パン1枚をそのまま食べる幸人に目を疑った。


「おい木村、お前それだけか!!?」あっと驚いた男子が、食パンをちぎる幸人に言った。

「嘘だろ?」また別の男子が声を出す。

 騒ぎ始めた男子を見て、私も同感だと思った。

 一方で幸人は大勢の視線を集めながら、あくまで冷静な対応をする。


「まさか。ほら、弁当もある」


 と、どこに隠してあったのか、幸人はさっと風呂敷に包まれた弁当箱を取り出した。それを見た男子たちは「なんだよ、びっくりした!」と言って引っこんだ。

 内心私も「だよね」と思った。あんなに食べる人が食パン1枚で済ますはずがないと思っていたからだ。

 また談笑し始めた男子たちを見ているうちに、どんどんタイミングというのがわからなくなってきた。結局私は、幸人の数学ノートを後で返すことにした。


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