表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/24

事件

「ごめんくださーい」


 これで3回目のノック。

 一夜明けた早朝、私はすっかり準備を済まして昨日疑っていた古民家に訪れていた。背中には学校鞄、左手には母がおすそ分けと言って用意してくれた、野菜が詰まった籠がある。


(まったく、なんでこの家チャイムがないのかな?)


 中で人が動く気配もなく、私は徐々に不安になってきた。もしかしたら――ここは木村が引っ越してきた家ではないのかもしれない。4回目、私は祈る気持ちでノックをした。

(出て来て!)


 ガチャッ


「あ……」

 玄関ドアの鍵を解除する音と共に、ドアは横へスライドされた。家から顔を出したのは、木村幸人本人だった。


「あ……」

 2人は「あ……」で動きをピタリと静止させた。状況が飲みこめていないのか、木村はロボットのように静止したまま虚ろな眼差しを向けた。

「えーっと、木村君のことママに話したら野菜をあげてって、頼まれたの。だから、はいどうぞ――」

 持っていた籠を幸人の眼前に突きだした。少し荒っぽかったかな――そう思った時、籠のなかを覗いた幸人は何故か表情を曇らせた。

「……ん? どうしたの? 私の家農家だから、美味しい野菜沢山なるんだよ。まぁ、この辺じゃ野菜なんてどこでも育てられてるけど。食べ方はいろいろあってね――」

 野菜の美味しさを自慢するのは好きだった。ついいつもの調子で熱が入った私は、一方的に話を始めてしまった。

 木村は籠の中から真っ赤なトマトを取り出し、手の中で転がした後――


 グチャッ


「?」

 今の音はなんだろう。私は説明の途中で音の正体を知ることとなる。

 私の目の前には、無残に潰された赤いトマトがあった。パンパンでツヤのある大粒で甘いトマトが目の前で、木村の足によって潰された。

 私は恐る恐る木村の顔を見た。抑えきれない怒りがプルプル全身を伝う。

「ちょっと……」

 母がこれからお世話になるからと言って、良い野菜を選んでくれた。それなのに、木村はそれを……それを――

 私の頭のなかは真っ白だった。


「何で踏んだの……」


 私が残りの野菜が入った籠を引っこめると、この後木村は信じられない言葉を口にする。


「――俺、野菜大嫌いだから。特にトマトは」


 意味がわからなかった。野菜が大嫌いだから貰いものを目の前で踏みつぶす? 一体何を言っているのだろうか、この男は。


「ふざけないでよ……」

「鼻血」

「へ?」


 鼻血と言われ、私は自分の鼻に指を当ててみた。離すと、指には真っ赤な血がついていた。顔まで赤くなっているのか、頭が沸騰したヤカンのように熱い。

「この……馬鹿!」

 幼稚なセリフを吐いたと思った。でも、本当にそうだから言ってやった。

「じゃあ――俺に野菜なんて持ってくるなよ」


 ガシャン!


「ちょっ、ちょっと! 出てきなさいよ!」

 何度ドアを叩いても木村は出て来なかった。丁度セミが鳴き始め、空しい時間がおとずれる。一瞬の間に起こった出来事は、にわかに信じられない出来事だった。

 

 私は口をつぐんだまま、閉ざされた玄関の前で立ち尽くしていた。おすそ分けされることなく残った野菜は、籠のなかで元気をなくしたようにも見えた。

 潰れて破裂したトマトを呆然と見つめ、私は複雑な心境になった。


――俺、野菜大嫌いだから。特にトマトは。


 木村の一言が、氷のように突きささる。私のことを言っているのではないのだろうが、「トマトが嫌い」という言葉が不自然なくらいに引っかかった。

(パパたちが育てた野菜……どうしてこんなことするの? 木村の馬鹿! 絶対おかしいよ! もう顔も見たくないんだから!!)


 私は今すぐにでも殴りかかりたいと思ったが、そんな怒りをセーブして自分の家に走って帰った。



 家に戻ると、寝起きの明美が私の顔を見て悲鳴をあげた。


「ギャァァァ! お、お姉ちゃん血! 血! 鼻から血ぃ出てるって!!」

「いちいちうるさい! 鼻血くらいで叫ばないでよね」

 そう言いながら鼻から血をダラダラ流す私は、心配する妹の横を通り過ぎた。

 むっすり顔で靴を脱いだ私は、二階へ続く階段を駆け上って自分の部屋に引きこもった。


「ほんとうに、なんなの?」


 頭のなかがくしゃくしゃして、ベッドの上に体投げた。目をつぶれば転校生木村幸人の顔がポンポン浮かんでくる。

「もう! 木村の馬鹿! 木村の馬鹿! 木村のバカー!!!」

 犬のように吠えていると、すかさず母が2階に駆けつけてきた。

「……一体何の騒ぎ? まぁ! トマト――あなた血まみれじゃないの!」

 母の声も聞こえているようで聞こえていなかった。


「あの人頭おかしいよ……」

 ベッドの上で大の字になる私に、母はティッシュ箱を渡してくれた。

「もしかして、木村君のこと? なにか、あったの?」

「……」

 その問いに言葉を詰まらせた。怒りにまかせて暴露してしまえばよいものを、なぜか口が開かなかった。

「……なんでもないよ。ただ、ムカついただけだから。あと、この鼻血は私が勝手に流しただけだからね」

「なんでもないのに鼻血がでるの? あんまり鼻血しないのに……もしかして、木村君に変なことでもされたの!?」母は眉をひそめて尋ねる。


 半分正解。おすそ分けした野菜トマトを目の前で意図的に踏みつぶされる――という、変なことをされたのだ。

でも、私はそのことを言わない。母が悲しむと思ったからだ。

(ん? 私どうしてこんなところで気ぃ遣ってるんだろう……気持ち悪いなぁ)


「野菜は渡せたの?」

「……うん」

 私は平然と嘘をついた。木村が野菜嫌いだということも。

「それにしては浮かない顔ね?」

「そうだよ」


 不機嫌な目つきで部屋の壁を睨む。私は目の前であげた物を踏まれて笑っていられるほど、優しくない女なのだ。すぐに怒りが湧くし、感情的になってしまう。悲しいというよりも、私は今、驚愕している。


「……制服脱ぎなさい。鼻血で汚れてるじゃないの。洗濯しておくから、今日はワイシャツで行きなさい」

「ねぇママ。私の顔赤い?」

「そうね、いつもよりは赤いわよ」

「やっぱり……」


 私はティッシュ1枚で鼻詮を作り、自分の鼻穴に突っ込む。鼻血は両方から出ているらしく、2つの穴を塞ぐと息苦しくなった。


「あー、呼吸がぁぁ……」

「大袈裟ねぇ。着替えたら早くバス停に行きなさい? ちゃんと顔も拭くのよ」

「うん」


 血のついたセーラー服を受け取った母は、先に階段を下りて行った。遠ざかっていく足音を黙って耳に入れながら、私は学校に持って行くポケットティッシュを探した。


(木村に文句言ってやんないと!)


 顔も見たくない気分だったが、文句を言うために真正面から言ってやろうと思った。



 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ