#01 - 6
「――――『た・た・か・う』に、決まってんだろぉぉぉおおおおッッ!!」
シロウは歯を食いしばり大地を蹴る。
愛刀を右肩に担ぎ、真っ直ぐ駆け出した。
その掛け声に驚いたのは赤目の剣士だ。非戦闘員とほとんど変わらないシロウでは逃げ出して当然と思っていたようだ。
シロウは木刀一本で怪物に立ち向かう。それは勇敢な行為ではなく、ただ頭がおかしくなったとしか思えない狂気の沙汰、愚者の選択だ。
シロウは赤目の剣士の背中を追い抜いて、風魔の盾をすり抜ける。
追い抜く一瞬、赤目の剣士と目が合う。その大きく見開かれた真紅の瞳は獰猛に嗤うシロウの姿を映していた。
「メェェェェエエエエエエンッッッ!!」
慣れ親しんだ気合いの発声。
だが型はめちゃくちゃだ。
木刀を担いだ肩ごとぶつかっていく。
ガヅンッと、動物を叩いたとは思えない鈍い音。硬い手応え。
見事に怪物の頭部に命中する。だがそこは角と角の真ん中だ。手が痺れるほど硬い。
剣道で習うような『面』ではない。シロウの胸の高さほどにある頭部に叩き付けただけだ。ただ単に頭を狙ったから『メン』と叫んだにすぎない。
シロウの渾身の一撃。
だがしかし怪物にはまったく効果がない。
出血など目に見えるダメージはない。痛がる素振りすらない。硬い頭蓋で打撃を防ぎ、太い首の筋肉で衝撃を吸収したのだろう。
ようやく攻撃されたことを認識した怪物がギョロリと血走った目で睨みつける。
間近で向けられた殺意の視線。
シロウは恐怖心を噛み殺した。
バックステップ。
瞬間遅れて怪物が大角を振るう。
冷や汗がにじむ。ちょっと引っ掛けられただけでも吹っ飛ばされそうだ。
後ろに下がりながらもう一発。やや腰が引けているので弱い。
今度は怪物の鼻先に当たる。繊細な箇所なのか、わずかに怯んだ。
そして怪物が大激怒する。怒号を放った。
「ぐあああああああッッ!」
シロウは思わず呻いた。
木刀を構えているため耳をふさぐこともできない。下手に目を逸らして顔を背ければ、死ぬ。
ゆえに己の内側から精一杯の大音量を発して、ほんの少しでも怪物の怒号と相殺させようと体が勝手に行動を起こしたからだ。
それでも一時的に耳をやられた。
だがシロウは大胆不敵にも歯をむき出しにした。
怪物は完全にシロウを狙っている。
それはシロウが望んだことだ。
怪物の意識を自分に向ける。そして赤目の剣士が距離を置くなり攻撃するための『隙』を作り出す。
危険は承知の上。しかし二人で助かるか、二人揃って逃げるにはこれしかない。
シロウは今までの知識を総動員して考える。主人公が強すぎるスタイリッシュなゲームや漫画では役に立たない。もっと泥臭くて、チクチクと巨大な怪物を狩り倒す。格好悪くてもいい、そんな戦い方が必要だ。
「かかってきやがれッ!」
叫びつつシロウは怪物を中心にして回り始める。
挑発の言葉とは裏腹に狙いをつけさせないつもりだ。わずかな時間稼ぎだけでもいい。
木刀ではダメージを負わせられない。なんとかして赤目の剣士が行動できる隙を作る。それだけだ。
怪物がシロウを追って向きを変える。
ちょうど赤目の剣士に尻尾を向けた形だ。見逃さない。
「今ッ!」
赤目の剣士も気付いたようだ。
シロウの合図で怪物に斬りかかる。浅く二回。
怪物が短くうめく。大角をぶつけようと振るうが、赤目の剣士は余裕を持ってかわす。
「こっちだッ!」
今度はシロウが木刀で殴りかかる。
怪物は攻撃すればそちらに反応する。その反射的な行動を利用する。
予想通りに怪物がシロウを睨む。だがその時にはすでに離れて余裕の距離をとる。堅実なヒット・アンド・アウェイ戦法だ。
そしてまた怪物の背中に赤目の剣士が斬りかかる。
繰り返し、繰り返し……、何度でも繰り返す。
怪物の体当たりを間一髪で避ける。
冷や汗をかきながらもシロウは笑う。駆け巡るアドレナリンで全身が熱い。
うまくいっている。想定通りの型にはまっている。こちらの攻撃力は低いが着実に怪物の体力を削っているはずだ。
傷だらけの怪物が暴れ狂う。
咆哮を発しながら、ズシズシと足踏みをしながら、これまで以上に大角をブンブンと振り乱す。前から後ろから交互に攻撃され、ついにブチ切れたのだろう。
だがシロウたちは無事だ。いち早く察知して怪物から離れていた。
呼吸を整えながら暴れる怪物が静まるのを待つ。疲れ切って動きが止まった時が最大の好機だ。
やがて、怪物は動きを止めた。
「ここだッ!」
シロウは突撃した。怪物を休ませるつもりなど毛頭もない。
怪物はむこうを向いている。また木刀で二、三回殴って注意を引きつける。シロウは囮役としての自分を最後まで貫くつもりだった。
狩りの興奮で心臓の鼓動がより激しくなる。
「――――これなら」
――――もしかしたら、勝てるかも――――
ガクンと、突然シロウの体勢が崩れた。
地面が――割れた地面に足を取られた。
なんとか転倒はまぬがれたが、
「――――あ」
怪物の後ろ脚。
シロウの腹に命中。
なぜ、どうして?
凄まじい脚力からの重撃で吹き飛ばされる。
一瞬、怪物の横顔が見えた。直感する。あの目は、知性のある目だ。
シロウはそのまま真後ろにある大樹に激突した。
「………………なん……で…………な……ごグ、ぷッ…………」
シロウはごぽりと血の塊を吐き出した。
おかしい。痛いのは幹に叩き付けられた背中だけだ。なのに血を吐いた。血を吐いた。血を吐いたということは内臓に大ダメージを受けたということで、いや、そんなことよりさっきから指一本も動かせない。やはり愛刀は手離さなかったが、ただそれだけだ。怪物の後ろ蹴りが命中した腹部を中心に痺れるような感覚が広がって、そこからじんわりと熱い熱さが全身の力を奪っているような感覚だ。
シロウの目と鼻からも血の筋が流れ落ちた。
かすんで見える怪物、割り砕かれた地面。どうやらあの地面のせいで体勢を崩したらしい。
怪物はゆっくりとシロウへ向かってきた。
その巨躯の周りを羽虫のように纏わりついている赤目の剣士。なんとかして怪物の標的を変えようと必死に斬り続けている。
だが怪物は剣士を無視して近付いてくる。どうやら今狙いをつけているのは瀕死で動くことのできないシロウの方だ。
「ッ!?」
怪物の大角が赤目の剣士に当たった。そのままシロウとは違う方角へ吹き飛ばされてしまう。
攻め過ぎたところに大角の一撃がぶち当たった――――いや、狙われたのだ。
吹き飛んでいった赤目の剣士をひと睨みすると、怪物はやはりシロウの方へ向き直った。
確信した。あの怪物はシロウたちを『罠』にかけたのだ。
シロウたちが尻尾側ばかりを狙っていたことを考えてわざと隙を見せた。うっとおしい挟み撃ちを防ぐために暴れたふりをして足場を悪くして、そこへまんまと飛び込んできたシロウを見事に撃退したのだ。
そして動揺を見せた赤目の剣士にも痛恨の一撃をお見舞いする。あせりと動揺は連続攻撃を単調にした。そこを冷静に突かれた。
その事実に気付き、シロウは愕然とした。
怪物は真っ直ぐにシロウの方に向かってくる。
その目からはいつの間にか怒りの炎が消えていて、尋常な動物とは思えない正確で冷酷な判断力を秘めているように感じた。
まず弱者であるシロウを確実に仕留める気だ。動けないシロウから確実に殺す気だ。
「………………あ、が……くぁ…………っ!」
逃げようとする。
が、強引に動かそうとしたら全身に激痛が奔った。
駆け巡った神経の生体電流が全身を収縮させる。体は動いたが、動けない。
内臓が炸裂爆散したような激痛だ。錯覚なのか本当なのかわからない。
「……し、に…………な……ぃ……」
死にたくない。
一度は諦めたはずの命だが、赤目の剣士が助けてくれた。
あの戦う背中を見せられて、立ち向かう勇気をもらった。
吹き飛ばされた剣士はたしかギリギリで防御していたように見えたが、はたして無事だろうか。無事であってほしい。
「……ぇり……たい…………」
帰りたい。
こんなところでやられたら両親に会えないじゃないか。今朝は「いってきます」さえ言えてない。せめて「ただいま」と言いたい。
幼なじみにもだ。今日はバカ馬鹿と言われっぱなしで癪じゃないか。失くした借り物のライトノベルは……謝ればきっと許してもらえるはずだ。
そういえば弁当を食べていない。嗚呼、ハラが減ったなあ。
『――――――――【――――】せよ――――――――』
ついに幻聴まで聞こえてきたと、シロウは笑う。この期に及んで現実逃避とは本当に格好悪い。
『――――――――我と【契約】せよ――――――――』
今度ははっきりと聞こえた。幻聴じゃない。
シロウは木刀を強く握り締めた。