#01 - 5
赤目の剣士が動く。
眼前で交差させた双剣をバツの字に振り払う。
血を振り落とした剣刃がいっそう美しく輝いた。
色違いの双子のカトラス。
片や、風のような翠の意匠。
片や、空のような蒼の意匠。
赤目の剣士が言葉を紡ぐ。
「【汝は疾きつむじ風 我が脚甲に 翠の加護を】」
右のカトラスが円を描く。
手首をかるく回しただけの小さな動きだ。
切っ先により小円が足元に描かれる。
赤目の剣士が言葉を紡ぐ。
「【汝は空を斬り裂く刃 我が籠手に 蒼の加護を】」
左のカトラスが円を描く。
こちらは頭上に描かれる。
よく目を凝らせば、円の内側にはシロウが読めない謎の文字が刻まれていた。
いや、今まさに円の内側に文字と文様が刻まれている最中なのだ。
天地に描かれたそれぞれの円は大きさを増していく。今や赤目の剣士を呑み込まんばかりの大きさにまでなっていた。
「あれは、魔法陣、か……?」
シロウは驚愕した。
空想の中でしか存在していなかったものがたった今、自分の目の前で展開されている。
円陣から目を放すことなどできなかった。
赤目の剣士が言葉を結ぶ。
「力をかして――――双剣【旋風・裂空】」
円陣から強い光があふれ出た。
天と地にそれぞれ描かれた円陣が開き、なにかが飛び出してくる。
それは赤目の剣士に咬みつくようにぶつかっていく。シロウにはそう見えた。
――いや違う。それは赤目の剣士の腕や脚、そして胸部を覆っているのだ。
「――ヨロイ? いや、甲冑だ……っ!」
一瞬のうちに赤目の剣士に装着されたのは脚甲、籠手、そして胸当てだ。双剣カトラスと同じ意匠、彩りも鮮やかな青緑色の軽装甲だった。
緑風の輝きを鋼にして纏い、蒼空の輝きを刃にして纏う。
赤目の剣士が双剣を構えた。
そして戦闘が始まる。
シロウは身の危険も忘れて、その光景に見入っていた。
シロウが安全なところにいるわけではない。それこそ目と鼻の先、試合中の審判のように着かず離れずの距離感を保っている。狙われないのが不思議なくらいだ。
「――――せぃぃぃやっっ!!」
裂ぱくの気合いとともに飛びかかる赤目の剣士。まるで弾丸だ。
突風のような速度で怪物に斬りかかる。
おそろしく速い。その速度には怪物も反応しきれず、一方的に斬られている。
まさに疾風怒濤の連続攻撃だ。
だがしかし怪物は見た目どおりタフで頑丈な皮膚と毛皮を持っているらしく、赤目の剣士のカマイタチのような鋭い斬撃にもほとんど意を介さずに暴れている。
怪物の太い首から繰り出される大角の一撃。赤目の剣士はそこに壁があるかのように中空を蹴り上げ、立体的にその攻撃をかわしていく。
振り回した大角がぶつかった樹木は根元から倒された。二撃、三撃と大角が叩き付けられた地面が割れて砕け散る。
シロウはなにもできずにいた。
いまだ目の前の光景が現実だと信じられず、ひどい悪夢か悪い冗談だと思考を停めてしまっていた。
先程までの戦う覚悟まで決めていた自分がひどく滑稽に思えてくる。
「あいつから借りた小説? ゲーム? 映画……? まるでそんな世界じゃないか……ははっ…………」
――――ただの木刀一本でなにができる。いったいなにが――――
赤目の剣士の猛攻に業を煮やしたか、怪物は怒り狂った咆哮を発した。
向けられてもいないシロウの全身は一瞬で粟立ち、恐怖で身を固くした。
赤目の剣士は手を休めるように怪物から距離を取った。咆哮で耳を傷めないようにとった行動だろうが、負傷した様子はない。
だが、その行動が二人を窮地に追いやる。
怪物がシロウをはっきりと見た。
「――っ!? にげて!!」
赤目の剣士の短い警告。
それを合図に怪物が体の向きを変えた。
高みの見物が気に入らなかったかのように目標をシロウに変える。
当のシロウはというと、木刀を構えているとはいえ棒立ちしたままだ。
怪物の脚が地面を蹴った。
シロウは足が竦んで動けない。
わずかな抵抗さえも放棄する。
引き延ばされた意識が怪物の突進をコマ送りの映像に置き換える。
凶悪な怪物の顔面。
怒りに満ちて正気を失った目。
ぞろりと並んだ牙の奥から怒号が発せられる。
その圧倒的な質量にぶつかった時の衝撃は、大型車輌に轢かれる衝撃すらもはるかに凌駕するだろう。
そこにあるのは確実な死だ。
死だけだ。
死、死、死、死死死死、死死死死死死死死、死死死死死死死死死死死死死死死死、死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死――――――――――――――――――――。
重戦車のような巨体が迫ってきた。
「――――【渦を巻け 螺旋風魔】ッ!」
赤目の剣士が目の前に躍り出る。
怪物の突進を――――――――、止めた。
怪物の体重の十分の一にも満たない小柄な剣士が、怪物の巨体を真正面から受け止めていた。
交差させた双剣からは、肉眼でも見えるほど濃密な気流が生み出されている。その気流が螺旋に渦巻いて風魔の盾となり、シロウを庇う防壁を創り出していた。
シロウは吹き荒ぶ風に目を細め、両手で守った。反射的にとった行動だ。
びゅうびゅうと勢いよく周囲の空気が双剣に絡みついていく。まるで赤目の剣士を後ろから支えて、風の精霊がその力を貸しているような風向きだ。
しかし怪物もまだ諦めていない。吹き飛ばされないように四肢を思いきり踏ん張り、じりじりと風魔の盾を押し込むように前進する。
「くっ…………逃げて……っ。もたない……っ」
赤目の剣士の不利は明らかだった。
全力を込めているようだが体重差がありすぎる。
徐々にだが確実に押し込まれている。
怪物がいまだに燃える怒りの炎で怪力を振るっているのに対して、赤目の剣士は力比べに悪戦苦闘して苦悶の表情を浮かべている。
己の限界を感じ取ったのか、庇ったシロウだけは逃がそうとしている。
だがシロウが脱出した後、赤目の剣士はどうなってしまうのか。
赤目の剣士は風魔の盾を維持することに全力を注いでいる。「逃げて」という一言でさえやっと口にできたくらいだ。
体格の違いを少しでも埋めるため、からだ全体で体当たりするかのようなきつい前傾姿勢になっている。あれでは逃げるに逃げられない。
赤目の剣士の小さな背中は、すぐそこにある。
風魔の盾は破壊される寸前。シロウが一人逃げても、赤目の剣士はその場から逃げられない。
もはや一刻の猶予もない。
シロウが選んだ道は――――――――――