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「っぷは~~、うんめぇ~~」
小さな建屋の軒先で、持参したスポーツドリンクでのどを潤した少年は表情をくずした。
彼の趣味特技は昔からずっと続けている『剣道』。
現代に生きる【剣士】を気取っていて、その容姿は鋭く細身の美面――――ではなく、鍛え上げられた猛々しい美丈夫――――というわけでもない。
【正宗士郎】は、ちょっと名前が格好良いだけの、割りとどこにでもいそうな普通の少年だ。
さっきまでの緊張を解いた顔には、成長期特有の少年らしい瑞々しい青さと男性らしい精悍さが同居していた。肉体こそだいたい出来上がっているものの、しわや傷痕、ちょっとしたクセといった人生経験がまだまだ足りないからだ。
それもそのはず、士郎はまだ高校生である。
「うんめぇ~、じゃないでしょ。バカシロー」
士郎のとなりに座る少女は形のいい唇を尖らせながら言う。
「ま~た、あんなヨクワカンナイ動きをしちゃって。いったい全体なにをしてるのよ、アンタは?」
「なにって、『複数の剣客に襲われた時』の訓練に決まっているじゃないか。あははっ、けっきょく三人目でやられちまったけれど……」
つい先刻まで木刀を握っていた勇ましい人物と同じとは思えない、どこにでもいるような能天気な少年がそこにいた。
「はぁ? アンタ、バカ~?」
こちらはこちらで先程の鈴の鳴るようなかわいらしい笑い声が一変し、少女の声音はトゲのついた非難めいた声色になる。
だがそれを意に介さず士郎は言葉を続けた。「迷いのない一撃が、どーのこーの」とか、「冷静に敵を見極めれば、あーだこーだ」とか。
そんな士郎の熱弁を冷ややかに眺めながら、
「……ホントにバカね」
少女はやれやれだぜと、大げさな仕草をつけ加えた。
あえて言うなら、この二人にとってはいつも通りのやり取りである。
その神社は士郎にとって絶好の修行場だった。
そこいらの公園や広場ではダメだ。人が多くて、木刀や竹刀を思う存分振り回すには危険だからだ。
民家からほどよく離れている立地、なおかつ人足を遠ざけるような長い石段、とうてい御利益が望めそうにない荒れた本堂、参拝客どころか神主さえいない小さな神社――――そこで「立派」といえるものは巨大な御神木くらいである。
これだけの条件がそろっていれば、わざわざやってくるのは管理人か物好き、あるいは士郎たちくらいのものだろう。
その神社はそんな場所だった。
普段から静寂に包まれている神社の朝は、この時間帯だけはにぎやかな空気に変わる。
「そもそもあんな大げさな動き、時代劇の殺陣くらいでしか使わないじゃない。アンタはいつ演劇部に入ったのよ! ああもう、またお兄ちゃ――じゃない、主将に怒られるわよ」
「うーん、それはもう勘弁してほしいな」
士郎は立ち上がるとそのまま少し離れ、クールダウンのために軽い体操を始めた。
ぐいぐいとストレッチをしながら、そのまま言い訳のようにポツポツと呟く。
「しかし、だな。ほら、この前に借りたラノベが、めちゃくちゃ面白くてさ~」
「――――えっ?」
その一言で少女の機嫌が一気によくなった。大きな瞳がきらめいている。
つまり少女が士郎にとても熱心に勧めていたライトノベルが、ついつい影響されちゃうくらい好評だったからだ。少女は今までもずっと「情緒教育」と称して、そういった本やゲームを士郎にいろいろ押し付けている。
士郎の表情もぱっと明るくなった。好きなことを語る時の顔だ。
「ああ、すごく面白かった。いきなりベランダ越しに本を投げ込んできた時はいったい何事かと思ったが……。
とにかくあの本は戦闘の描写がすばらしかった! 文章が緻密で、緊迫感があって、緩急の織り交ぜ方が絶妙だった!
実はさっきの『殺陣モドキ』だってあの描写をマネしてなぞっていたようなものなんだぜ」
身振り手振りを加えながら楽しそうに語る士郎。
少女はやさしい微笑みを浮かべ、嬉しそうに相づちを打ちながら聞いていた。
「うんうん、そうなのよね。あの先生はああいうエンタメ小説書かせたら一級品だわ! ところで……」
と、少女はなにか期待するような目で訊ねた。自然と上目遣いになる。
「あの小説は恋愛モノの要素もあるんだけど、それについてはなにかないかしら? ほら、主人公の少年と、幼なじみの少女の恋愛バナシとかっ!」
「いや別に」
即答だった。
しばし固まった少女は、なんとか次の言葉を紡ぐ。
「じゃ、じゃあキャラクターはどうだった? どの子が魅力的だったとか、幼なじみがとってもかわいかったとか、幼なじみにメッチャ萌えたとかっ!」
「いや別に」
「…………」
一刀両断である。
士郎の幼なじみである少女の「教育」はまだまだ続きそうであった。
戦闘描写の話で一人盛り上がった士郎は、ふたたび木刀を構えた。
孕んだ熱とは裏腹に、無駄な力が一切入っていないきれいな立ち姿だ。
真っ直ぐにすらりとしたその姿は直刃の如く。冴え渡った切れ味と鋭い剣気を感じさせる。
実力者が見れば、自然体でありながらまったく隙がないことに驚くほどだろう。
そのまま木刀を振り上げ、空を斬る。
基本の型だからこそ地力が分かるものだ。同じ動作を幾度となく繰り返すも、まったくブレることなく同じ軌跡を描き続けている。
『生まれた時代と場所を間違えた剣士』
一心不乱に木刀を振るう士郎の姿は、そんなことを感じさせる。
平和な現代日本では、ほとんど必要とされない部類の才能だった。
いやいや、少なくともひとつは使い道があった。
部活の剣道だ。
「バカシロー、アンタまた部活の朝練サボるつもりじゃないわよね?」
いつになく冷たい視線の少女が声を掛けたのは、ギリギリの時間になった頃だ。
「朝練ならやっているだろう。今、ここで」
悪びれることもなくそう言い放った士郎に対して、少女はジト目のまま言い返す。
「おんなじことなら剣道部の道場でもできるでしょう? とにかく今日こそバカシローを連れてくるって主将と約束しちゃったの。だから来なさい、バカシロー」
「放課後の部活はちゃんと参加しているから朝練くらいいいだろ? 俺はこの場所が好きなんだよ」
「アンタはもうちょっと協調性というコトバを覚えなさい、バカシロー。それでも団体戦の副将選手なの? バカなの? 死ぬの?」
「……お前さっきからバカバカってひどくない?」
意地でも動こうとしない士郎を見て、少女は最後の手段をとる。
「いいかげんにしないと朝のお弁当も、昼のお弁当も、両方ぬきだからねっ!」
「――――んなっ!? そんなっ! それだけはっ!」
それは体育会系のうえ育ち盛りの士郎にとって、かくも残酷な所業であった。
鍛錬のために早く起きる士郎は朝食を食べていない。家族の中で一番早起きなので、母親が食事の準備をする前に出かけるからだ。
そのためすぐ隣の家に住む少女が登校する際、ついでに士郎家に立ち寄ってお弁当を受け取るのが彼女の日課であった。
つまり士郎にとっての生命線ともいえる『食糧』を所有しているのは幼なじみの少女なのだ。その主導権・主従関係はいわずもがな。
「そ・れ・が・イヤなら、ちゃーーんと剣道部の朝練にも出ること! 先に下りて待ってるから、早く来るのよ」
「あぁ、せめて朝メシの分だけでも置いてって……」
士郎の訴えもむなしく、振り向きざまにちろりと舌を出した少女は、アッカンベーをしながらさっさと石段を駆け下りて行ってしまった。これ見よがしに士郎のお弁当袋を振り回しながら。
やむをえず登校の準備をする士郎。
かるく汗をぬぐった真新しいハンドタオルを首に巻いて、スポーツバッグのそばに置いていた学ランの上着を肩に引っ掛ける。
持参していた木刀と学校指定のカバンを持つ。カバンの中身はほとんど入っていないのでえらく軽い。たしか少女から借りっぱなしのライトノベルくらいしか入っていない。
教科書? 筆記用具? なにそれ食えんの?
「あっと、そうだ。挨拶していかなきゃ」
少女を追って石段を駆け下りる直前に気付く。
人々に忘れられ、寂れている小さな神社の敷地に奉られている、この神社でただひとつ立派で巨大な存在のことだ。
おそらく千年以上も樹齢を重ねているその樫の御神木を、士郎は敬意をこめて【長老】と呼んでいた。
御神木に向かってぱんぱんと柏手を打って頭を下げる。
「ありがとうございましたっ。いつも場所を貸してもらって感謝しています。おかげで今日もばっちり修行ができました」
その時、ざあっと風が吹いた。
枝葉を鳴らす御神木がまるで返事をしたように思えた。
見上げた士郎は目を細めて笑った。
今度は差し入れに植物用の栄養アンプル持ってきますね、と冗談のように呟く。
「――――あれ?」
士郎はふと御神木のしめ縄が切れていることに気が付いた。
細く藁で編まれたそれは太い幹のなかほどで途切れている。
たしかそのしめ縄はまだ替えたばかりで新しく、擦り切れる状態ではなかったはず。
だが不自然にぷっつりと途切れてしまっている。
なんとなくそのままにはできず、士郎は手を伸ばした。
だがその手は、しめ縄にも、御神木にも、なににも触れることはなかった。
士郎は【どこか】へ行ってしまった。
リア充、爆発しろ(笑)
※幼なじみの名前、容姿、髪の色、声優などはお好みでカスタムできます。