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ある裁判の裏側

 今日も今日とて、M女史を口説き損ねたS氏は不貞腐れてバーボンのグラスを一気に飲み干している。



M女史

「急性アルコール中毒になりますよ?」


S氏

「そしたら、やさしく介護してよ。

 あーあ、明日から三日間も君に会えないなんて、堪らんなぁ……。」


M女史

「広島へ出張でしたっけ?

 御土産のキビ団子はマスカット味でお願いしますね。あれ、美味しかったんで。」


S氏

「冷たいー! 少しくらいは媚び売って、寂しくなるわ、くらいは言えっての。」


M女史

「だから可愛くおみやげの催促してるじゃないですか。マスカット味ですよ、お願いしますね。」


S氏

「……くそー……可愛いのは縛られてる時だけかよ、」


M女史

「NGワード、あと1回言ったらサヨナラしますから。」


 ぼそり、と告げられたイエローカードに、S氏はぎくり、と息を呑む。

 ブツブツ文句を言いながら、S氏は出張の準備があるとかで早々に引き上げて行った……。



マスター

「……おや? お連れと一緒に帰られると思いましたが。」


M女史

「たまには独りで飲むのもいいかと思って。……へーえ。

 マスター、ほら、ニュース見てよ。この犯人って、小学生の女の子を監禁して、虐待死させた奴でしょ?」


マスター

「ああ、第1回の公判……今日だったんですねぇ。」


P氏

「マスター、こんばんわ。」


マスター

「おや、お珍しい。噂をすれば、て奴ですね。

 Pさん、今回出廷だったんですって? どうでした?」


P氏

「……嫌な雰囲気だったよ、色んな意味でさ。」


マスター

「ああ、Mさん、こちら拘置所に勤務してらっしゃるPさんです。」


M女史

「あ、よろしく。ごめんなさい、好奇心丸だしで……。

 あの、警察関係の方です? なんか、この事件知ってらっしゃるような口振りだったから……」


P氏

「いや、気にしないよ。みんな、拘置所とか言っても知らないから……。

 まあ、警察官ではないんだけど、犯罪者が裁判中に入る施設で看守をやってるんだよ。」


マスター

「主なお仕事は被疑者の見張り……でしたよね?」


P氏

「うん、そう。……自殺しないように見張っておく、って言う方が正しいかな。あれだけ監視が厳しくて、何もない部屋に入っているのに、なぜか自殺を図る方法を思い付くんだよな……。」


マスター

「入ってる方も切羽詰ってるんでしょうね。やはり、ガクン、と来てしまう人などは見分けがつくんですか?」


P氏

「そうだねぇ……やはり、真面目な人間、かな。あと、違う意味でガクン、てのもあるよ。社会で偉い立場に居た人間などは、弱いからね。

 ほら、チンピラヤクザなんかはへらへらと俺達にも話しかけてくるけど、ああいうプライド高いヒトは、自分から媚び売ったりしないから……。

 あの虐待殺人事件の犯人なんか、特に、耐えられなかったみたいだよ、拘置所内の環境が。」


マスター

「そんなに酷い環境かと思ってしまいますよね、知らない人が聞けば。」


P氏

「冗談じゃあないよ。年末になれば毎年のように、ホームレスが宿代わりに入りたがるっていうのに……。三食昼寝付き、結構なトコだよ。」


M女史

「あの事件の犯人とも、会ったんですか?」


P氏

「会ったっていうか……ちょうど収容先だったんでね。話したことはないけど。彼は特別に、上から命令が出ていてね、話しちゃいけない事になっていたんだ。ま、それもよくある事例だけど。」


M女史

「え? 話しちゃいけない、なんて……理由とかあってですか?」


P氏

「余計な情報を入れる恐れがある、とか、まあ、理由は色々さ。こちらも君等と同じサラリーマンなんだし、上の命令には逆らえないよ。

 彼にはけっこう関わったかなぁ。サディストとか言うの? やたらプライドが高いもんだから、向こうから話し掛けるなんてなかったけどね。

 こっちも、話す必要ないから無視してるし……そのくせ、隣の房のチンピラと話して、笑ってたりすると、すごい目で睨んでくる。

 自分は無視するのに、そんな下等な奴とは話すのか、みたいなモンなんだろうけどさ。」


M女史

「サドのヒトってプライド高いですもんね……、」


P氏

「こっちは差別してるつもりはないんだよ? チンピラなんかは先生、先生って、気軽に話し掛けてくるから、軽い冗談くらいは言うじゃないか。

 あからさまに媚びた口調だったりすれば、こっちは看守なんだ、偉そうにもなるさ。口調だけだし、その場のノリってヤツじゃないか。

 俺達だって人間なんだし、黙って一日過ごすわけじゃないさ。

 あいつは自分から話すのが嫌だったんだろ? なにを拘ってんのか知らないし、そんなに人ににじり寄るのが嫌なのか、って思うけどね。

 彼は独房に入っていたけど、拘置所の中ってのは、監視するための檻が並んでいるようなものなんだ、 まぁ、ストレスは溜まると思うけど、皆、一緒なんだ、彼だけが文句言っても通用しないだろ?」


マスター

「虐待中、少女を檻に入れていた男が、今度は自分が檻に入れられたってワケですか。なんか、笑えますね。」


P氏

「そりゃ、自分でそういう道を取ったんだから、仕方ないだろうよ。

 こっちは自殺されちゃ堪らんから、見張っている、それだけさ。

 トイレに首突っ込まれちゃ困るから、丸見えになってる。窓の格子で首括られちゃ困るから、届かない高みにある。ベッドのシーツを紐に加工する奴がいるから、寝るトコも丸見え。食器を割って、破片で手首を切るからステンレスの餌入れ状態。……過去にあったんだ、防止策は仕方ないさ。」


M女史

「そ、そんなに色々と、死ぬ方法考えつくもんなんですか?」


P氏

「まだまだあるよ。……でも、彼は可哀想だったかもな。

 まさか、そんな仕打ちが待っているとは思いもしなかったみたいだし。

 裁判ってのは、一年、二年はざらに掛かるし、控訴したらそれこそ十年は軽くいってしまう、無期懲役と変わらないかも知れないよ。その間、あそこへ閉じ込められるわけだしな。」


M女史

「少女を死なせたから、自分も死ぬつもりだった、とか供述していたそうですよね……やはり、自殺を図ったりします?」


P氏

「ははは。……君にひとつ言っておいてやるが、死ぬと言う奴に限って、死んだ試しはないね。あんなのは言ってるだけ、本気で死のうと思ってる奴は何も言わずに突然死ぬよ。

 特に、ああいう自分を偉いと思ってる奴に限って、絶対自分じゃ死なないよ。自分が死なねばならないほどの罪を犯したとは思ってないもの。そんな度胸も勇気もない奴ばかりだしね。

 だけど、プレッシャーとかストレスで参って、病患房へ移ってく事はあるよ。精神的にはチンピラヤクザの方がよほどタフに出来てるね。」


M女史

「へぇ……、病患房って……そんなのまであるんですか?」


P氏

「あの犯人の男、真っ青になってしまってさ……死刑になる、死刑になる、って……ノイローゼになって、とうとう病人扱いだった。

 第1回の公判までが、また、長いからね。その上、国選の弁護士だろう?

 ま、ああいう犯罪の弁護を引き受けてくれる有能な弁護士ってのは、なかなか捜しても居ないからね。仕方ないよ。弁護士だって商売だし、社会的に憎まれてる男の弁護なんかしたくないに決まってるさ。イメージ悪すぎるもの。おまけに勝てる見込みがほぼ無いときてりゃねぇ。

 一流の弁護士じゃないとか文句言って、それがまたストレスになって。悪循環ってやつかね?」


マスター

「どこもビジネス抜きでは動けないですからね……、」


P氏

「……そう。誰にだって家族や生活があるんだ、綺麗事は言えない。

 国選で貧乏クジ引いた先生たちは、それでもまぁ、努力するんだよ。彼のためを思って、出来るだけ、罪が軽く済むようにアドバイスしてるんだ。

 裁判では、彼は異常者ってコトにしないとまず死刑は間違いないだろ?

 だから、やっきになって、お前はオカシイ、お前はオカシイ、って、言い聞かせるんだ。……常識的に見た真実を、彼に教えてるだけなんだけどね。なかなか認めない。

 精神鑑定を依頼するのは、裁判で有利に運ぶためだけど、本人にすれば「お前はおかしい」と断定されるようなモノだし、苦痛だろうさ。」


M女史

「うわぁ……なんだか、コワイですね。」


P氏

「裁判は普通一般っていう物差しで測るから、仕方ないさ。

 愛ゆえです、なんて言ったら、裁判長はどう思う? 最悪の印象しか与えないだろう?

 だから、『あれは妄想が行き過ぎて発作的に起こしたのです、』となるんだよ。『私は異常性癖で妄想癖が強いのです、』とね。」


M女史

「プライドも何もボロボロですね、そうなると。」


P氏

「彼の歪んだプライドなどどうでもいいよ。

 普通の……俺から見ても、あんな子供に欲情したり、惨い仕打ちをする奴が正常だとは思いたくないもの。弁護士も裁判官も同じ人間だよ?

 だから、よってたかって、お前は異常だ、と決めつけるのさ。そうでないと裁判も進まないからね。被害者遺族が聞きたいのは、彼の妄想じゃなくて、現実……普通の、常識的な顛末だけなんだ。

 彼が自分を異常者だと認めて、卑怯でエゴイストで妄想狂だって理解した上で、実際には何が起きて、被害者が殺されたのか……って、そういう事を知りたいんだ。妄想なんか誰も聞きたかない。

 一般の、誰が見ても異常な人間は、やはり異常者なんだよ。」


M女史

「でも、彼は一貫して『愛ゆえの事故で、あの子も俺を愛してくれていたんだ』で、通してますよね?

 ……もしも……、もし、ですよ?

 それが真実だったりしたら……?」


P氏

「そんな真実は認められないよ。……いや、真実は別にあるね。

 彼の今回の言い訳は酷過ぎるよ、健全な社会を、愛情というものを馬鹿にしているとしか思えない。

 被害者遺族の苦痛をさらに煽るような発言だ。……聞くが、それを君は信じるかい? 例えば、自分のよく知った子供に置き換えてごらん?

 百歩譲って、子供も受け入れたとしよう。それは、その子の自然な感情の流れか? 苦痛の末の洗脳じゃあないのか? 

 洗脳で叩き込んだ感情の、なにが愛情なんだ?

 弁護士たちが彼に解からせようとしている事は、少なくとも事実だよ。

 卑怯なエゴイストが妄想の末に、自身の快楽の為だけに、無抵抗の子供をなぶり殺したんだ。

 大人の女性を相手に出来ない、カタワで卑屈な男が、責任逃れに相手の子供も承知だったと、自身の妄想を現実だと思い込もうとしているだけなんだ。死刑になるのが怖い、自分が卑怯でカタワだと認めたくない、それだけの理由でね。

 ……それこそが、真実だろう?」


M女史

「……よく解かりません……。」


P氏

「俺はSMには興味ないから、彼が本当は正常なのか、異常なのかは解からない。けど、そんなものはどっちでもいいんだ。

 彼は、子供を残虐に殺したんだから、それ相応の罪に服さなければいけない。それをさせるためには、彼が認めなくてはいけないから……だから、認めさせようとしてるだけなんだ。」


M女史

「過失か殺人か……?」


P氏

「そう。そう言って、簡略化すると本質が見える。

 事故だと主張する犯人と、計画的かつ残忍な殺人、とする弁護側と検事側、だね。……彼が認めたくないのは、自分の正体だけさ。」


マスター

「はいはい、熱くなるのは結構ですが、そろそろ帰らないと奥さんがオカンムリ、じゃないんですか? Pさん。」


P氏

「あっと! 忘れてたよ、ウチのこわーい裁判長サマ。

 それじゃ、また。……今度はもっと明るい話題で盛り上がろうよ。」


M女史

「ええ、また。今度は、わたしの知り合いも紹介しますね。」


 挨拶もそこそこに、恐妻家らしいP氏は時計を気に止めながら、慌てて店を後にした。M女史はしばらく居座り続け、閉店間近まで呑んで帰路へと着いた……。

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