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レジェール・ソレット  作者: 伯修佳
第1章 マルスブルグにて
6/18

森の中の寺院

「どうしたんだい、エンディ。何か嫌な事でもあったのか?」

 横に並んで馬を駆るウィリアードの呑気そうな問い掛けに、エンディは極寒の一睨みで応じて見せた。

「おっ、そんな怒らないでくれよ。今日から長い付き合いになるんだから、仲良くいこう、仲良く」

「怒ってなどいませんが」

「怒っている人ってそう言うよなあ」

「……おわかりなら聞かないでもらえますか」

 そう言うなり彼女は乗っている栗毛の馬に一振り鞭を打って、連れ二人の遥か先へと走り去ってしまった。

「あっ、待てよエンディ!!」

「放っておけ」

 思わず右手を伸ばしたウィリアードの横から、ひどく冷静な声がする。

「しかしなあ……森に入るのに迷ったらマズイんじゃないのか?」

 ヴェンツェルは顔色一つ変えない。

「さほど大きい森ではないし、旅人用に開かれた道は一本しかない。よほどの馬鹿でなければ迷わないだろう」

「いや、早すぎて森を抜けられても困るだろ? 今晩は途中で泊まるんだから」

「確かにな……」

 王都境の城壁を越えると、国境までは草原と森が続いている。マルティエグは隣国とはいえ、間に大河を挟んでいる為、国境で船に乗らなくてはならない。いずれにせよ、今日中に辿り着ける距離ではなかった。

 ヴェンツェルは空を見上げた。

「このまま晴れていてくれれば良いが――」

「やっぱ俺、先行って足止めして来るわ。俺達、共通の地図はそれぞれ持っているけど、細かい目的地については打ち合わせてないし」

「あっ、ウィリアード!」

 言うが早いが駆け出して行く。彼はウィリアードの背中をしばらく見送っていたが、舌打ちすると馬に鞭をくれた。

「ったく、何て血の気の多いお嬢様だ!! 子供か!」

 行く末が思いやられる。こんな些細な言葉のやりとりでいちいち怒る様では、穏やかな旅はとても望めそうにない。

 王都を出立して馬を駆る事半日余り、ようやく辿り着いた森の中は鬱蒼うっそうとしていて、聞こえるのは鳥のさえずりと風が枝葉を揺らす音のみだった。傾きかけた陽の光が木々の隙間から漏れ差し、金色の帳を下ろしている。

――アイツ等、どこまで行ったんだ。

 駆けても駆けても二人の姿は見えない。彼自身が明言した通り、まともな方向感覚の持ち主ならまず迷うはずがない単純な道がくっきりと目の前に伸びているというのに。

 彼は馬を進めながら、考え得る原因について思いを巡らせた。例えば、頭に血が上ったエンディが馬を必要以上に興奮させて落馬してしまったかもしれない。道を外れてしまった可能性だってある。

――それともまさか、『あそこ』に着いてしまったのだろうか?

 このフォルツィエットの森は縦に長い。余程馬を酷使しない限り、そう遠くに行けるはずはないのから、中心近くまで進まないと今晩の宿には辿り着けないと踏んでいたのだが。

 訝しんだヴェンツェルの遥か眼前に、緑の切れ間を縫って煤けた茶色の細長い尖塔が顔を覗かせた。

「……から、馬が疲れてしまったではありませんか!」

 と同時に、聞き覚えのある女性の怒鳴り声が風に乗って聞こえる。

 彼は溜息をついた。

「ここに泊まるなら泊まると最初に言って下さい!」

「言おうとしたから、後から追いかけたんじゃないか! 貴女こそ何で逃げるんだ」

 答える男の声――ウィリアードしかいない――も、常に似合わず怒っている。

「何やら叫びながらあんな勢いで追いかけられれば、誰だって逃げたくなります」

「んなはずあるか! 自慢じゃないが、女性には逃げられた事がないんだぞ」

 会話はそこでいきなり途切れた。音を拾いながらヴェンツェルがようやく声の主に辿り着くと、先刻垣間見た建物の出入口前でいがみ合う同僚二人が目に入った。といっても、エンディは無視を決め込んだとばかりに馬の手綱を木に繰りつけていたが。

「ああ、ヴェンツェル。来たか」

 彼が何か言うより早く、目ざとくウィリアードがこちらに気付いた。

「全くこのお嬢さんと来たら、呆れる位馬を酷使してくれる。おかげで予定より随分早く今日の目的地に着いてしまったよ」

 聞こえよがしなため息に当の『お嬢さん』は上品とはとても思えない目付きで彼を睨んだ。

「ええ、感謝して頂きたいものですわ。女性に逃げられるという初めての経験をさせてあげました事ですし」

 ウィリアードは睨み返す。馬を繋げるとずかずかとエンディに歩み寄った。

「随分と口の減らない娘さんだなあ? 一応これでも上司だし、年上なんだけど」

「あら、不服ですか? 何だったら初続きに『女性に痛い目に合わされる』も追加致しましょうか?」

 睨み合いはどんどん危険な雰囲気になっていく。エンデゲルドが剣を抜かないのが不思議なくらいだ。

「おい、お前ら。その辺にしておけ。はた迷惑だ」

「止めるなヴェンツェル! こういうのは最初が肝心なんだっ」

「いや、そうじゃなくて――」

「あの」

「だから黙っていて下さい、ヴェンツェル卿!」

 いがみ合っていた二人は一拍を置いて同時に振り返った。

 建物の扉が開いている。そこから緑灰色の法衣に身を包んだ若い女が笑い含みにこちらを見ていた。

「とりあえず、中にお入りになっては如何ですか?」

 呆気に取られたエンディが隣のウィリアードと建物に入ろうとしているヴェンツェルを見比べる。後者は彼女などには全く頓着せずにさっさと建物に入ってしまった。前者はと言うと――

「やあ、フレディ! 久しぶり。会いたかったよ」

 気付けばフレディと呼んだ女性の肩を当然の様に抱いて、楽しそうに談笑しながらやはりエンディを全く無視して去っていってしまった。一人残された彼女はしばらく黙って荘厳とも言える建物を見上げていたが、ややあって一言、

「……まさか、ここって尼僧院……?」

 とだけ呟いた。信じられない、という風に。


※※※※


――自分が大人気ないのは、大分前からわかっていた。反省した事だってある。

 それでも旧家と呼ばれた家な育ち、ただでさえ保守的な躾をされて来た(と自身では思っている)彼女にとって、男子禁制であるはずの尼僧院に若い男が二人も泊まるというのは充分驚くに値した。

「……世も末、とはこういう事を言うのかしら」

 客人一人が眠るには充分過ぎる広さの寝台の上で、柔らかな肌触りの枕に頬を埋めていたエンディはそう呟き、身体を仰向けに返した。

 天蓋がないので直に見える天井には、細密に描かれた壁紙を小振りながら上品な造りの照明が照らしている。室内自体はそう広いわけではないが、掃除が行き届いていると見えて簡素ながらも清潔だった。当世風の華やかさがない分だけ、伝統と質の良さが伺える気がした。

――それともこれは、寺院だからか。

 現に先程饗された夕食にしたって、野菜ばかりではあったけれども決して細々と暮らしている者達の食事ではなかった。どこかから寄付が出ているのだろうか。女達の身形も偏見か、俗世を離れたにしては華やかだ。古いのは外観だけなのかもしれない。

――或いは、自分達で何か作ってそれを売っているとか。

 信仰の趣旨とは外れている気もしたが、宗教は宗派によって様々な教義を持つと聞く。ありえない話でもないだろう。

「だとしても、そんなに儲かるものかしら?」

「エンデゲルド様」

 埒もない思索に耽っていたエンディは、突然の呼び掛けに寝台から危うく転がり落ちそうになった。

 両肘を後ろにつく体勢で起き上がる。寝台から斜め左側の扉の前に、先程自分達を出迎えてくれた尼僧の姿があった。

「ふっ、フレディ、さん」

 フレディはにっこりと微笑む。年はエンディより何歳か上に思える。ものすごい美人というわけではないが、法衣を纏っているというのに愛らしく華があった。

 いかにも邪気のない笑みにつられてエンディも微笑んだが、次のフレディの一言で清々しい気分は吹き飛んでしまった。

「よろしければ、談話室でヴィエールでもいかがですか?」

 ヴィエールとはこの地方で生産される果物の名前だが、生ではとても食べれない代物なので人々は主に果汁を発酵させて酒としている。ゆえに原料の名前はそのままヴィエール酒を意味した。

「……はっ?」

 絶句してから数拍さらに置いてから、嫌味なまでに改めてエンディは聞き返した。

 フレディは変わらずにこにこしている。

「当寺院のヴィエールは美味と評判です。ぜひご試飲下さいませ」

「あの」

 慌ててエンディは遮った。

「はい」

「勘違いでしたら申し訳ないのですが。我が国の寺院って嗜好品は禁止ではないのですか?」

 酒や香草といった嗜好品の類は、神に仕える者の精神を堕落させるとして、国内の寺院ではかなりの昔から禁止されているはずだ。王都からいくら離れているとは言え、国境を越えていない以上法は適用されるのではないだろうか。

 犯罪を発見してしまった様なうそ寒い心持ちでエンディがいると、少し間を置いて尼僧は「ああ」と事もなげに笑った。

「それは表向きの話ですね。どこの寺院でも、実際は嗜好品を作って売りに出しています。それに」

 正確に言うと、国内法で禁じられているのは僧が嗜好品を嗜む事で、造る事ではないんです――と臆面もなくフレディは続ける。

「休息を求めておいでになる方がたの疲れを癒すのに、ヴィエールはそれは良い働きをしてくれますから」

「だからって」

「いかがですか? お酒は飲まれません?」

 余りに悪怯れない物言いに、呆気に取られつつもエンディは反論しようと口を開いた。だが彼女の態度にはやましさの一点の曇りもない。爽やかな笑顔や態度に毒気を抜かれ、脱力してしまう。

「……はい。生憎とお酒は」

「そうですか……」

 フレディは心底残念そうな顔をした。

「ヴェンツェル様方が広間で飲んでいらっしゃるので、ご一緒されるかと思ったのですが」

 きびすを返そうとする彼女をエンディは呼び止めた。

「その……彼等は、もしかしたらちょくちょく、ここに来るのでしょうか」

 ここに着いた時の二人の様子は、対照的ではあったけれどただ一つ共通している事があった。――即ち、勝手知ったる者にしか出来ない振る舞い、という。

 だから聞くだけ無駄とは思うのだが――

 フレディは顔を綻ばせた。

「はい。お二方は王命で国外に出られる時や遠駆けの際、よくいらして下さいます。人気者ですのよ」

 予想通りの答えに態度。にも関わらず、何故か一気にエンディの両肩に疲労が襲って来る。こういうのを脱力と言うのだろう。

「あっ、エンデゲルド様。お気が変わりました?」

 立ち上がり、脇をすり抜けようとする彼女を呼び止める声に渋々視線をやる。

「……寺院の中を見てもよろしいですか」

 この尼僧には罪はない。多分。

「では、ご案内致しますよ」

「いえ、一人で結構ですから」

 しばらく放っておいて欲しい、そう言外に匂わせたつもりだったが、相手はさも心配げに顔を曇らせ「いけません」と首を横に振った。挙句、しがみつく様にエンディの腕を両手で掴む。

「ここは内部が入り組んでいますから、初めて来られた方はよく迷われます。何日も発見されない場合もありますわ。大切なお客人をそんな目には遭わせられませんっ」

 握り締めた上着が破けそうだ――殺気に近いものを感じてエンディは思わず腕を押さえた。

「わ……わかりました。わかりましたから!」

「あ、すみません。つい」

 フレディはおどけた様に笑って手を放した。引き伸ばされた形のまま直らない袖を憮然と眺めながら、エンディは無言のまま部屋から先に出る。

「あっ、お待ちください。手燭を」

――ああもう。どうでもいいって。

 短気にもむかっ腹を立てながら、背後に付いて来る足音を無視して廊下を急いだ。


※※※※


 落日を溶かし込んだ様な緋色の液体が目の前の銀杯に注がれるのを、ヴェンツェルは黙って見つめていた。蒸留されていないヴィエールは純度が高く熟成されたものでなければ煌めく透明感は出ない。逸品だな、と思わず口に出すと、注いでくれた尼僧は顔を綻ばせた。

「まあ、今初めて飲んだ様な口振りですわね」

 杯を傾けて彼もまた笑みを浮かべる。

「いやいや、良い物というのは何度出会っても良い物だ。何度誉めても飽き足りない」

「ありがとうございます。でも、明日も早いのでしょう? 嗜まれるのは程々になさった方が。もう10杯目になりますわ」

 そうだったかな、と酒豪の剣士はうそぶいた。実際、もう何杯目かなど、彼自身は既に忘れてしまっていたのだが。

「そうですよ。いつもお強いのは存じてますけれど、今日は何だか落ち着かないご様子。ウィリアード様も」

 彼女は首を巡らせ、今自分達がいる長卓の向かい側で数人の尼僧達に囲まれてかしましく談笑するウィリアードを視線で示した。

「いつもと同じ酔っ払い振りじゃないか? 私もだが」

 尼僧は含みのある笑みを見せた。すぐ側からウィリアードの冒険譚ぼうけんたんが蕩々と始まっている。

「……だから俺は言ったんだ、『山が邪魔をして中に入れないなら、山を越えて行けばいい』とね。そうして行ってみればまあ何と、山は山でも巨大な魔物が山の様に居座っていたんだよ。あれには参った……」

「何か、心配事がおありなのではありませんか?」

「心配事? そんなもの」

 主命を帯びて国外へ出る時は、いつもそれなりに緊張がつきまとう。とは言っても、幼子がお使いに出て頼まれた物をきちんと買って来れるかどうか、ぐらいのものでしかない。当たり前の事だ。

 そう言おうとして、ヴェンツェルは開いた口をふとつぐんだ。

「ないさ」

「ならばよろしいのですが」

 苦笑する尼僧の態度に引っ掛かりを感じて、彼は逆に問い掛けた。

「ロティ、貴女こそ何か悩みでもあるのではないか? さっきから顔色がすぐれない様だが」

 彼女の穏やかな笑みは変わる事はない。ただ、答えが返って来るまでには数拍の間があった。

「……そんな風に見えますか」

「ああ」

 彼女は一つため息をつくと「悩みと言うわけではないのですが」と、手にしていたヴィエールの瓶を卓に静かに置いた。

「夢を見るのです。毎晩の様に」

「夢?」

 聞き返して彼女の白い面を覗き込む。顔色が悪いと思ったのは気のせいではないと、今度ははっきりとわかった。

「悪い夢なのか? あまり眠れない、とか」

 ロティは頷いた。

「確かにそれは辛いかもしれんな」

「夢見が悪いだけならばさほどの事はないのですが。とても不吉な内容でして」

 ほほう、と彼はあまり気の入らない相づちを――相手にそうとわからない程度には心を込めて――打った。元来占いなどの不確かなものに興味がない実際主義なので、ただ気の毒に、としか思えない。

「ロティ、聞く所によると悪夢というのは疾患を暗示している場合もあると言うぞ。どこか怪我をしたり、体調が悪いのでは?」

 つとめて明るく聞いてはみたものの、尼僧の表情を見て彼はそれが無駄である事を知った。

「……同行した魔術士がとにかく使えない奴でな、雑魚一頭倒す事が出来ずにいると来たものだ。こうなったら……」

 次ぐ言葉を失ってヴェンツェルが黙り込むと、わざとらしいまでに明るいウィリアードの声ばかりが広間に谺する。

 燭台の明かりは数も多く、大きい。隅々には行き渡らないものの、闇は集う人の暖かさをかき消す程ではなかった。

 それなのに――

「同じ、夢なのです。細部に至るまで全て。まるで誰かに見せられている様な」

 ロティの言葉は不吉な響きをはらんで、彼の胸郭を満たす。

「……どんな夢なんだ?」

 高が夢の話だというのに。

「覚えていないのです。目覚めるとかならずひどく寝汗をかいていて。震えが止まらない。それが毎日続くのです」

「確かに不吉な夢だな……」

 本当は、そんなものは気の迷いだ、と笑い飛ばすつもりだった。だが何故だか言葉が出てこない。彼女の表情があまりに平静で、それが逆に話の不気味さを助長している気がした。

「申し訳ありません。こんな話、気分まで暗くなってしまいますわね」

 ロティが笑った。

「いや、先に聞いたのは私だ。それよりも――」

 続く言葉を探して彼はふと黙り込む。

 尼僧の友人を気遣いたいのは山々だが、つまりは夢の話だ。正に占いの領域でしかない。

「――あまり、深く考えない方がいい」

 他にどんな言い様があっただろう。

「そうですよね」

 相手にもそれは伝わったらしかった。

「まあ! ではウィリアード様、お仲間を殴って気絶させたのですか?」

 向かい側から突然舞い込む、高い大きな笑い声。意図せずヴェンツェル達二人はぎょっとして振り返った。

 表情こそ変わっていないものの、ウィリアードの酔いが回っているのは椅子の背もたれへのへたり込み具合で一目瞭然である。

 常に似合わぬ友の様子にヴェンツェルは立ち上がった。

「おい、ウィル。飲み過ぎじゃないのか。いつもの帰りと同じに飲むな」

「……仕方ないだろう。ピットの奴、魔物に幻惑されて魔術をことごとく失敗しやがったんだ。魔物を倒すよりアイツを眠らせるまで、どれだけ俺らが被害をこうむったか。なあ、ヴェンツェル」

「確かにあの時は厄介だった。だからもう飲むのは控えろよ」

 酔っ払いの戯言を軽く流してヴェンツェルは彼からヴィエールを取り上げた。

「何だよ、俺はまだ全然飲んでないんだって。ピットに耳をスープ皿に変えられたんだからな」

「鼻をゴブレットに変えられた俺よりも増しだろ。ごねるとピットの様に殴って気絶させるぞ」

 不穏に笑う友人をまじまじと見つめたウィリアードは「あれ、鼻だったか?」と意味不明な言葉を呟きながら立ち上がった。

 尼僧達はくすくすと笑っている。

「そうそう。さ、部屋に戻るぞ。すまないな、ソフィー、キリエ」

 ウィリアードの相手をしていた尼僧達は笑って手を振っている。案の定、足元が覚束ない僚友の肩を担いでヴェンツェルは半ば引きずる様に広間を出ていった。

「畜生~。こんな耳じゃ帽子も被れやしない……」

 耳元で寝言にも似た呟きが聞こえる。彼は薄く笑って独りごちた。

「お前、いつもはこんな酔い方しないのにな……」


※※※※


「いえ、私共は国からご寄付を頂いているわけではありませんから。ここで食べるものは全て自分達で作りますのよ」

 闇をぼんやりと丸く照らす手燭の明かりをかざして、こちらに背を向けたままフレディは問いに答えた。蝋燭を使うだけの道案内はひどく心細い――後に続くエンディはそう思ってふと気付いた。

 寺院の中枢であるこの聖堂には、壁という壁に一つも明かりがないのだ。目指す祭壇にはさすがに立派な燭台が何本も置かれているが、そうでなければいくら天井が大きな窓に覆われていても、歩き回る事は難しかっただろう。

 世間話があまり得意ではないエンディは、尼僧の言葉には相槌を打たず黙ってその荘厳なしつらえを眺めていた。

 放射状のアーチが幾重にも重なり合う先、草花を型どった色とりどりの細工窓をお互いに支え合う様に支柱が天井を飾っている。外から見た時には尖塔に見えた部分の内側というわけだ。

「この寺院では、ザディム神を信仰しています。ザディムは世界に初めて『原初の言葉』をもたらした神様なのですよ」

 あちこちに動く客人の視点が、祭壇の奥の壁画に固定されたのを見て、フレディは説明した。

 それは何とも厳粛な絵ではあった。背後に光輪を従えて、中心に僧侶にも似た法衣に身を包んだ人物が描かれている。神にはよくある設定なのだろうが、年令性別は判別しにくい。

「ザディムはそれまでことわりのなかった混沌の世界を、『最初の言葉』で構築したと伝えられています。その後、世界から身を引く為に聖人レジェールに残りの言葉を託していずこかに消えたとか」

「『最初の言葉』、ですか」

 漠然と絵画を眺めたまま、エンディは王都で聞いた知識と照らし合わせる。多少の用語の違いはあれど、ほぼ同じ内容だ。

 これから先向かう、マルティエグでの任務に思いを巡らす。

 『原初の言葉』を探す旅。まずはその為に大公を探さなければならない。

 どういったものなのかさえ、見当がつかないからだ。たとえ目の当たりにしたヴェンツェル達でさえも、探し方はわからないと言う。

「フレディさんは、『最後の言葉』についてもご存じなのですよね?」

 『原初の言葉』の中で、名の通り最後に作られた理。ザディムを信仰しているのなら、書物なり逸話なりがあるかもしれない。

 軽い気持ちで投げた質問には、なぜか哀しげな表情での否定が返って来ただけだった。

「いいえ。残念ながら『原初の言葉』に関する記述は全て『図書』に集められてしまいました。その当時、言葉を巡って各地で争いが起きた為、というのが理由だそうです」

「争い……戦争、ですか。聞いた事がありませんが」

 強大な力なのだ、渇望する者がいてもおかしくはないが。

 初耳だった。

「もう何百年も前の出来事の様です。ご存じなくても仕方ありませんわ」

 フレディもまた、視線をエンディから祭壇へと移した。敬虔さを表す尼僧服は明かりに照らされる場所以外は闇に溶け込んでいる。輪郭さえおぼろげな神とそれに仕える者。幻想的を通り越して不気味ささえ覚える。

――非日常的と言うべきか。

 自分は尼僧にだけは向かないな、と冷静にエンディは分析した。こんな場所に毎日いたら、『神を信じるしかなくなる』だろう、と。

「戦争を収めたのは当時図書館長を務めていた聖ホーグスと図書の者達でした。結局争いを起こした者は『原初の言葉』を使いこなす事は叶わず、言葉を使った図書勢に殱滅せんめつされたと言います」

 荒れ果てた大地を建て直す際、図書はそれまで各地の寺院に散らばっていた『原初の言葉』が書かれた書物――『メンブラーナ』をホーグスの名において全て取り上げた、と彼女は続けた。

「今ではここのみならず、各地のザディム神を信仰する寺院に残されたのは神体である壁画のみとなっているはずです」

「そうですか……」

 ではやはり、直接マルティエグで図書の者に聞くしかないという事なのだろう。

「壁画と言えば」

 フレディはふと思い立った様にエンディを振り返った。

「何か?」

「あ、いえ。今、『原初の言葉に関する記述は全てない』と話した事なのですが。ちょっと思い出しまして」

「え」

 フレディは壁画の中、ザディムの法衣にまとわりつく細長い布を指差した。

「あの布には、なんらかの『言葉』が書かれているらしいと――以前ここにいた尼僧の一人が申しておりました。もしかしたら、『原初の言葉』の手がかりになるかもしれません」

 エンディはその布をつぶさに見ようと目を凝らしてみたものの、あまりの暗さに断念した。単なる灰色の布にしか見えない。

「わかりませんね……昼ならばあるいは……その方は今は?」

 尼僧は眉をわずかにひそめる。

「半年程前に突然ここを出ていきまして――その後はどうしたものかわかりません」

「え。あ、ああ。そうなんですか」

 目の前にちらつかせられた手がかりを取り上げられた気がして、エンディは面食らう。フレディの表情を見れば、それ以上詮索も出来なかった。

――行方不明という事かしら。

 寺院に一度入れば、一生そこから出ないのが僧の慣例と聞く。あくまで自由意志というし、還俗する者も皆無ではないと聞くが――つまりそれだけ俗世に未練がないからこそ救いの門扉を潜るわけで――例外はごく僅かなのではなかろうか。しかもいきなりとは、余程の事情があるとしか思えなかった。

「エンデゲルド様」

「は、はい」

 あれこれ憶測を巡らせていたエンディは、慌てて視線と意識を尼僧に戻した。

「お聞きしました所によると、貴方がたはこの先『原初の言葉』を求めて各地を回られるとか。そこを見込んで一つお願いを聞いては頂けませんか」

「え、ええ」

 フレディは安堵の笑みを見せる。

「もし旅先で、カザーリエという名の女性に出会ったら――手紙を渡して欲しいのです。手紙は明日の朝、お渡しします」

「……その方は、もしかして」

「はい。いま話していた、行方不明の尼僧です」

 彼女は視線を再び壁画に向けた。横顔は哀しげにも見える。

「ここの何かが気に入らなかったのかもしれないし、他に生きる目的が出来たのかもしれない。今となっては詮索しても仕方のない事なのかもしれません。ですが、別れ際に私達は彼女と何一つ言葉を交わす事が出来なかった。それだけが心残りでしたので」

 独白にも思える呟きだった。

「それで手紙を、と?」

「はい」

「構いませんが、何故私に? ――あ、いえ」

 嫌がっているわけではない、とエンディは手振りで打ち消した。

 何と言っても、彼女は今日初めて会ったばかりの旅人なのだ。いくら連れが仲の良いヴェンツェル達だとしても――だからこそ、彼等に渡すのが順当である気がする。

 フレディもそれは理解したらしく、僅かに苦笑を浮かべた。

「そうですね。貴方が女のかただから――いえ」

 顔だけを、傍らに立つ白と蒼に彩られた女性剣士に向ける。

「あなただから、かもしれません」

 言葉の意味を計りかねて、エンディはただ首を傾げた。

「いえ、何でもありません。……そろそろ戻りましょう。明日も早いと伺っております」

 複雑そうな表情のまま、フレディは礼拝堂の出口へと踵を返した。あんな顔をどこかで見た事がある――そう思いながらも、結局記憶の扉を開く事が出来ずにエンディもまた静かに後に従った。

 戸口に足をかけた瞬間、何とはなしに背後を振り返る。

 蝋燭の不確かな光に浮かび上がったザディムの肖像は、不確かであるが故に、ただそこに眠っているかに見えた。

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