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レジェール・ソレット  作者: 伯修佳
第1章 マルスブルグにて
5/18

公爵家における激励の言葉

‡原初の言葉に関する記述 2‡


 頭には一本の髪もなく、濁った白いばかりの眼球は動く様子もない。


 ただ『言葉』を発する度に、大気が震え、大地は隆起し、海は荒れ狂った。


『この言葉が全てを生み出す様に、聞くが良い。全てを禁じる言葉と、そして無き事にする言葉もまた共にあらん』


 以降『言葉』による可能性は無限ではないという理が生まれた。


【初代図書館長レジェールの手記より】


※※※※


 朝の晴天が嘘の様に、宵の頃から空は荒れ出した。

 雨こそまばらではあったものの、家々の窓を叩く風は容赦なく強い。時折雷まで混じり、明日の朝の道の悪さが案じられた。

「旅に出るんですってね。お父様から聞いたわ」

 一際大きく光る雷鳴、窓から入り込む光を頬に受けながらミニアテューネは微笑んだ。国内の大体の男なら、一瞬で虜になるであろう妖艶な美貌は、だが今晩少々威力を欠いている。相手が男ではなく自分の――お世辞にも可愛いとは言い難い――妹である事と、よりによってその妹が目下恋の標的となっている男と一緒にしばらくこの国からいなくなるという事実がそうさせていたのかもしれない。

 それでも何とか微笑む事が出来たのは、男には追いかけられるものであって追いかけるものではないという、彼女一流の美学があったからだろうか。

「はい。明日参ります」

 答える妹の返答は短い。語尾に(それが何か?)が付いているのが言わずともわかった。必要最低限の衣類を詰めた袋に、負傷時に使う『ヤオグラン』と呼ばれる膏薬を更に入れようとしながら、うそ寒い視線を自室の戸口に立ち塞がる姉に投げかける。

 ミニアテューネは所在なげに握り合わせていた手を離し、腕組みに変えた。

「怪我には気をつけるのよ。貴方一人の使命ではないのだから」

 彼女に投げかける妹の視線の温度が一段と下がった。

「元より肝に銘じておりますが」

「そう。それならいいわ。ヴェンツェル様の足手纏いにならない様にね」

 手にしていたものを勢い良く袋に投げ入れ、エンデゲルドは立ち上がって正面から姉に向き直った。

「ミニア姉様」

「な、何よ」

 3歳年下の妹はミニアテューネより背が高い。普段より鍛えられた心身から来る迫力か、圧倒されて彼女は後じさった。

「そんなに気になるのでしたら、一緒に参りますか」

「え?」

 てっきり激怒して「邪魔するのなら出て行け」と言われると思っていたミニアテューネは戸惑った。穏やかに微笑みすら浮かべている妹が不気味でたまらない。

「い、一緒にだなんて。私が行くのは、陛下だってお許しにならないでしょう」

 エンディは哀しそうに眉根を寄せた。

「あら、姉様の思いはそんなものだったのですか? 理由なんて、意思の強さでいくらでもでっち上げられるものなのでは? ヴェンツェル卿ががっかりなさいますわ。例え魔物に五体を噛み砕かれて客死したとしても、愛があれば悔いはありませんよね?」

「なな何よそんな、大げさね」

「いえいえ。実際に私のいる軍隊ではその様な話は挨拶代わりですよ。現に今朝も魔物を何頭倒したかという話題で隊員達が盛り上がっていましてね」

 本当の事である。

「ライガスクという魔物の話でしたけど。どんな姿をしているかと申しますと、身の丈幅は人の数倍、全身が黒い剛毛に覆われていて牙は鋭く、鉄をも刺し貫き」

 これもまた、本当の事ではあった。ただエンディにしてみれば、ライガスクなど下から数えた方が早い程度の弱さなのだが。

「人肉を好んで人里に下りてくるのです──」

「あ、わたくし用事を思い出したわ! もう行かなくては。じゃあねっ」

 淑女とも思えない荒々しい音を立てて、ミニアテューネは部屋から逃げ出して行った。

 開け放たれたままの扉を一つ溜息を付いて閉めると、エンディはまた何事もなかったかの様に荷造りを再開する。

――例え魔物に五体を噛み砕かれても、か。

 一瞬手が止まった。その手が拳を形作る。

 雷鳴が轟き、カーテンを抜けて稲光が白い頬を照らす。彼女は立ち上がると、窓際に寄って暗く蠢く空を見上げた。

――季節に似合わない暴風雨だ。嫌な感じがする。

 不安に思わないわけではない。だがそれを上回る、この高揚した『予感』は何なのだろう。

「私は後悔するわ――せめて喉元を貫いてからでないと」

 そう独りごちて、孤高の女騎士は乾いた笑いを漏らした。


※※※※


 翌朝、暴風一過した空は穏やかな姿を見せていた。陽が地平線より顔を覗かせて間もない頃、三人はそれぞれの家族と王都境の門で別れの挨拶を交わす。

「つつがなくお勤めを果たして、早く帰って来るんだよ」

 一見、家族愛に溢れた父親の言葉にエンディは仏頂面で頷いた。昨晩、ミニアテューネを皮切りに次々と部屋に現れた訪問客は、ただ一人を除いてことごとく彼女に同じ小言を言っては去って行った。挙句翌朝にまで同じ事を繰り返し言われれば、気の長い人間でも苛立つというもの。

――ヴェンツェル様の足を引っ張るな。

 煎じ詰めれば、彼等は自分よりもヴェンツェルの見送りに来たのではなかろうかと思えてしょうがないのだった。確かに心配されずとも、例え一人になったとて帰還する自信はあるが――まがりなりにも血縁のある家族なわけだから、一抹の寂しさを感じないと言えば嘘になる。

 険しい表情のまま家族に背を向けようとした彼女は、ふと甲冑を突付く音に足を止め脇を見下ろした。

「……ジェンナ」

 零れそうに大きな青色の瞳が、哀しそうに自分を見上げている。エンディは今日初めて心からの笑みを見せた。腰を下ろして片膝を付き、視線を同じくして頭を撫でる。

「いい子にしてるのよ。お土産買って来るからね」

「行っちゃうの……?」

 家族の中で一番彼女と波長が合う末の妹はまだ8歳。同じ年頃から既に充分生意気だったイオネッタと違い、亡き母親から大らかな気質を受け継いでいるこのジェンナを、エンディはとても可愛がっていた。

「大丈夫、必ずすぐに戻って来るから。帰って来たら旅の話、たくさん聞かせてあげるわ」

 凪いだ青海の様な双眸があっと言う間に震えて波立つ。つまり今にも泣きだしそうだ。

「やだ。ジェンナも一緒がいい。連れてって」

 エンディの鋼の心臓もさすがに切なくなった。

「ジェンナ」

「いなくなっちゃうなんて、ヤダ!」

「ジェンナ、エンディはとても大切なお仕事で出かけるのよ。我儘わがままを言うのではありません」

 横から見兼ねてマルグリートが口を出した。言いながら末妹の肩をむんずと掴む。

「全く、あなたは私達には厳しいのにこの子にはからきし甘いわね」

 マルグリートは苦笑する。

「お姉様が私には厳しいのにヴェンツェル卿には甘いのと、似た様な理由じゃないかしら」

 エンディも負けじと爽やかに微笑んで見せた。

 たかが見送りに行くだけと言うのに、とっておきのドレスを着ている姉は「そ、そんな事ないわよ!」とわかりやすく狼狽えて見せた。それを無視して父に向き直る。

「陛下にご挨拶して、出発致します」

 ダインセルツがほろ苦い表情で頷いた。少しばかり寂しそうに見え、彼女はついもう少し何か言おうかと口を開きかける。

「道中、ヴェンツェル卿と喧嘩するんじゃないぞ? お前は拳、いや剣が早いから心配で……」

 エンディは口を間抜けに開いたまましばらく停止し、それからようやくゆっくりと閉じた。踵を返し、例によって荒い足取りで何も言わず歩み去っていく。

――もういいや。さっさと出発しよう。

 同行者二人を見ると、王と何やら話している。そそくさと輪に近寄った。使命でも何でも、しばらくの間家から離れられる事に、彼女は心から感謝していた。

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